第5話 変われない男

「んぁ……もう朝か」


 その日、丈太は自室の机に突っ伏した状態で目を覚ました。


 前日、ファイアカロリーというヒーローに変身して、よく解らない重人じゅうじんという存在と戦ったのはいいが、その後に待っていたのは全裸でのストリーキングであった。重人を倒した瞬間の、あの心の高揚は得も言われぬものであったが、流石に丈太には露出する願望も癖もない。戦う度、全裸にさせられるのは、あまりにもリスクが大きすぎる変身だ。


「博士の言う通り、身体も元に戻ってるし……いい事ないなぁ」


 ポヨンとした腹の肉を摘まみながら、丈太は力なく笑う。あんなにスマートな身体になったのは生まれて初めてだったのだが、それをゆっくり感じる暇すらないのは残念に過ぎるというものだろう。あの後、変身前に着ていた衣服を回収して逃げ帰った自宅で、丈太は博士に様々な事実を告げられた。


 博士によると、丈太の身体は、遺伝子改造によって大幅にエネルギーを溜め込む事が出来るようになっているらしい。ざっと通常の三千倍は貯える事が出来るとのことだが、あまりに常軌を逸していてどこまで本当かは謎だった。しかし、突然痩せた姿を家族に見られるわけにもいかず、一晩引き籠って菓子類を大量に貪っただけで、丈太の身体は変身前の水準に戻っていた。どうやら、博士の言葉に嘘はないようである。


「博士の言う事が本当なら、俺もう人間じゃなくなってるよな。……はは、なんだよそれ」


 ある日突然力を手に入れてしまい、普通の暮らしが出来なくなるのは物語のお約束ではあるが、まさか自分がそんなふざけた状況に陥るとは思ってもみなかった。これからどうしようと思った所で、丈太はふと気づく。


「なんで俺、これからの事考えてるんだろ……あんなに死にたいと思ってた癖に。そうだよ、どうせ死ぬつもりだったんだから、先の事なんてどうだっていいじゃないか」


 前向きなのか後ろ向きなのかはっきりしないのだが、とにかく丈太はそう思いついたことで少し気分が晴れたようだった。死ぬ気になれば何でもできるというよりも、既に彼は一度死んでいるのだ。ならば、些細な事を気にする必要はない。

 気持ちの切り替えが出来た丈太は、ちらりと時計を見てから一瞬考え、今日は登校することにした。父からは外出禁止を言い渡されているが、自分はもう高校生なのだ。いつまでも、この場にいない留守の父親の顔色を窺う事はないだろう。そうは言っても父が在宅なら、大人しく従うつもりである。


 若干のヘタレ具合を見せつつも、急いで身支度を整えた丈太が廊下に出ると、ちょうどダンス部の朝練で早く家を出ようとする妹の蓮華と鉢合わせになってしまった。


「あ…れ、蓮華……お、おはょ…ぅ…」


「……」


 射貫くような鋭く冷たい視線を向けられ、丈太は挨拶すらまともに出来ずにいた。当の蓮華は、じろっと丈太の頭の上からつま先までもを見回した後、無言で背を向けて出ていってしまったようだ。ただ、これが特別なのではなく、炎堂家では当たり前の光景である。丈太とまともに会話をする者はおらず、精々口を開くのは父親の豪一郎が小言を言う時くらいだ。母の百葉はほとんど家にいないので仕方ないにしても、双子の弟妹である蓮華や剛毅は、丈太と顔を合わせても一瞥するだけで喋ろうとはしない。丈太のマイナス思考は、そんな家族の塩対応からも来ているのだった。


 


「はぁ……一気に足が重くなった。うぅ、自信無くすなぁ…」


 丈太はトボトボと歩きながら、それでも学校に向かう足を止めない。というのも、今日は夕方、学校が終わったら博士の所へ呼び出されているのだ。昨日の変身の事といい、まだまだ博士には聞きたい事が山ほどあるので、それは渡りに船である。しかし、学校を休んで夕方に出かけるのはどうかという妙な意識が働いて、丈太は登校する事を決めたようだ。

 とはいえ、朝一で妹からあの対応をされると辛いものがある。もっと小さい頃は仲が良かった覚えがあるだけに、あの氷点下を思わせる冷たい対応はずいぶん堪えた。ちなみに、蓮華と剛毅の年齢は丈太の一つ下である。


 通常の登校よりもずっと時間に家を出た事もあって、ゆっくりと肩を落としながら歩いても、朝のHRには余裕で間に合った。早く着いた所で話をする相手もいないし、時間を持て余すと突き刺さる視線が痛いので、良い事はないのだが。


 丈太が教室に着くと、既にほとんどの生徒が揃っていた。三日ぶりに登校した丈太の姿を見て、女子生徒は嫌悪の目を向け、ほとんどの男子生徒達は我関せずと無視を決め込んでいる。これもいつもの事なので、もはや慣れっこである。その巨体を出来るだけ小さくしながら、丈太は席に着いた。


「ウッザ…あの炎上野郎、よく学校来れるよね。あんなことしといて……」


「ホントだよねー。キモイし暑苦しいし、早く学校辞めちゃえばいいのに」


 陰口というよりは、聞こえるように言っているのだろう。女子生徒が二人、悪辣に言葉の刃を放ってきた。片方は、あの時助けた陽菜の姉、明香里だ。どうやら、彼女は丈太が妹を助けたことなど知らないらしい。丈太が運び込まれたのは、栄家の離れになっている養源博士の家なので、気付きもしなかったようである。

 丈太の耳にはしっかりとその言葉が聞こえていたが、特に反応はしなかった。怒ったり悲しんだりすれば火に油を注ぐようなものだし、そもそも不良達の罠だったとはいえ、自分が女子生徒の下着まみれで気絶していたのは事実なのである。女子から嫌われるのは仕方ない事だと、丈太は諦めていた。


「……おはよう、炎堂君。はい、これ。三日も休んでたから、プリントとか溜まってたの。どうぞ」


「え、ああ、おはよう上曾根さん。…ありがとう」


 そんな丈太の元へやって来たのは、上曽根かみそねこよりという女子生徒だった。見た目は清楚で頭が良く、性格は温和で誰に対しても優しい。さらに家柄もよく成績は常に上位というハイスペックお嬢様だ。一年生の頃から学級委員と生徒会役員を掛け持ち、おまけにスタイルも抜群と非の打ち所がない少女である。長い黒髪を束ねた後ろ姿は、学園全体の女神とまで称されるほどの人気ぶりだ。


 今や学校中の腫物扱いである丈太に対しても普通に接してくれる数少ない生徒なのだが、丈太自身は彼女を少し恐れている。これがラブコメならば、丈太が片思いをしている相手となるのだろうが、すっかり卑屈で人間不信になっている彼にとっては、解り易い悪意を向けて来ない彼女のような人間の方が何を考えているか解らなくて恐いらしい。

 なので、丈太はこよりが近づいてくると、少し警戒する傾向があった。その態度が余計に他の生徒達をイラつかせているとも知らずに。


 

「おぉい、炎上野郎~!テメェ何勝手に三日も休んでんだぁ?ちょっと来いよ……」


(また始まった……)


 昼休み、丈太が購買に向かおうかと思っていた矢先のこと。背後から一人の男子生徒が近づいてきて、丈太を逃がさないようガッチリと肩を組んできた。彼の名は、鮫島文吾という、少し古めかしい名前の不良生徒だ。普段から丈太をいじめているグループの一人である。いつも執拗に丈太を殴る男で、いじめグループの中でもかなり粗暴なタイプであった。

 この流れはほとんど毎日の事なので、クラスの誰も止める者はいない。この場にこよりが居れば止めに入ったかもしれないが、鮫島達もこよりの熱心なファンであるからか、彼女が見ている前では丈太をいじめる事はないのだ。


(昼休み…無くなるなぁ……)


 鮫島に連れ去られながら、丈太はそんな事を考えつつ、天井を仰いでいた。

 

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