第20話 恐怖!甲殻の襲撃

「そっか……まぁ、お礼なんて言われるほどのもんじゃないよ。俺はあの重人って奴を放っておけなかっただけだし。それに…」


 謙遜する丈太の脳裏に浮かんだのは、自身にかけられた汚名である。事の成り行きはさておき、噂の全てが嘘という訳ではない。少なくとも全裸になって女子生徒の下着まみれで寝てしまっていたのは事実である。それによって多くのクラスメイトや女子生徒から恨まれ、疎まれて嫌われていても、それは自身の弱さが招いた結果なのだ。甘んじて受け入れる他ないだろう。自身の弱さを悪とするその思考は、丈太もまた、家族と同じ脳筋な所である。


「一年生でも知ってるよね?俺の噂。あれ、全部が間違いって訳じゃないんだ。だから、俺みたいなのにはあんまり近づかない方が……」


 丈太がそう言うと、藍はその言葉を打ち消すように遮って声を上げた。その声は震え、今にも泣きだしそうである。


「い、いいえ!わ…私はあれからず、ずっと先輩のことを見てました。先輩は、そ、そんな人じゃないって知ってます…!き、きっと、何か事情があったんだって、わ、解ってますから!そんなこと、い、言わないで下さい…」


「牛圓さん……」


 改めて藍の顔を見ると、前髪の奥でキラキラと光る大きな瞳が見えた。その眼は決して丈太を騙そうとか、担ぎ上げようと企んでいるものではない。純粋に丈太を信じている……そんな瞳だ。グイグイ来られるのは苦手ではあるが、ここまで自分を信じてくれるその心が嬉しい。だが、同時に恐怖すら感じてしまう自分が、たまらなく情けなくて、丈太は思わず涙が出そうになっていた。

 それに応えようとしたちょうどその時だ、午後零時の、昼食を告げるチャイムが施設内に響いた。危うく泣きそうになった丈太だが、その音にハッとして、慌てて取り繕ってみせる。


「あっ……!も、もうお昼みたいだ。せっかくのカニ食べ放題なんだし、逃したらもったいないよ。一緒に行こう、牛圓さん」


「……はい、す、すみません…」


 藍は深々と頭を下げて、丈太の後についていくことにしたようだ。ここで優しく手を引いて歩ければいいのだが、丈太は女性に不慣れで、そう言った発想すら浮かんでいない。

 そうして藍を引き連れた丈太は、予め指定されていた昼食会場へと歩き出す。家族以外の女性を連れ立って歩くのは初めてなので、どこかその歩き方にはぎこちなささえ感じられる。しかし、その平和は一瞬にして打ち砕かれた。SAKAEウォッチから警報音が鳴り響き、慌てた栄博士の声が聞こえてきたのだ。


 ――丈太君、大変じゃ!君は今どこにおる!?君のすぐ近くに重人の反応があるぞ!およそ百メートルほどの間近じゃ、注意せよ!


「えっ!?重人?こんな所に!?それに百メートルって、この施設の中じゃ……まさか!?」

 

 丈太は慌てて辺りを見回す。傍にいるのは藍だけで、その藍も何か異常な事が起きているという事だけは理解して、怯えているようだった。 そして、二人は急いでクラスメイト達の所へ走り出していった。





「キャキャキャキャ!さぁ、どんどん食べて!あなた達の為に育てた特別なカニなのよ~?心配しなくても、カニは逃げないわ。み~んな、私のカニの虜になっていいのよ~!」


 丈太達が走って辿り着いた、屋外の昼食会場では、皆が一心不乱にカニを貪り食らいついているところであった。荒戸馬高校の生徒達が見学に来るからと、庭の部分に作られた特設の昼食会場では、誰も彼もが生徒や教師の分け隔てなく、全員で我先にとカニを取り合って食べている。はっきり言って異常な光景が繰り広げられていた。


「な、なんだこりゃ!?皆、どうしたんだ!?せ、先生!しっかりしてください!」


「ああああっ!カニ、カニぃぃぃ!邪魔するなっ!カニを、カニを食べるんだぁ!」


「ヒッ!?」


 丈太が声を掛けたのは、ここへ来た時に挨拶をしていた教頭である。薄くなった髪を振り乱し、手や口元をカニの汁塗れにしてカニを貪る姿は、まるでゾンビのようだった。あまりの姿に藍は怯えてしまっている。しかも、のはこの教頭だけではないのだ。丈太と藍を除いた全員が、同じようにカニを求めて暴れ食っていた。皆が正気でないのは、明らかだった。これは、あのウシ重人の時に見た主婦達と同じような症状だ。


「ダメだ、皆、普通じゃない…!?一体……」


「あらあらあらあらあら!?あなた達、遅れてきたの?ダメじゃない、お昼の時間は守らなきゃ!せっかく最高の状態で食べて貰えるように、料理しておいたのに」


「あ、あなたは…!?」


 狂気に満ちた笑顔でカニ汁を振る舞っていたのは、養殖場でカニを従えていたあの女性であった。どうやら、他の人達とは違って、彼女は正気のようである。しかし、何か得体の知れないものを感じて、丈太は藍を守るようにその前に立った。


「一体これはどういう事なんです!?いくら皆がカニ好きだって言っても、この様子は異常ですよ!これじゃまるで……」


「キャキャキャキャキャ!そうよぉ、私が丹精込めて育てたタイマガニは、怪しいお薬なんかよりも遥かに高い中毒性とカロリーを持っているの。皆この調子で食べていれば、あっという間に太れるわ~。カニアレルギーの子でも大丈夫なように低アレルゲン性のカニでもあるからね~」


「お、お前…そのどこかズレた配慮はまさか!?ハイカロリーの…!」


 これまでの経験からか、段々と丈太は敵のが掴めてきた気がする。目の前にいる女性は普通の、どこにでもいるようなふくよかな中年の女性だが、その纏っている雰囲気と言動は、明らかに今まで出会った重人達のそれに酷似しているようだ。そして、丈太の口からハイカロリーという言葉が出たことで、女性は遂にその本性を露わにした。


「キャキャキャキャ!よくそれを知っているわねぇ~。来なさい、私のカワイイカニ達!」


 女性が右手を高く掲げると、どこからともなく大量のカニが現れ、女性の身体にくっ付いていく……ゾッとする光景ではあるが、それ以上に驚きの方が勝っていた。カニがくっついた女性は見る間に巨大化し、やがて融合して見上げるほどのサイズにまで膨れ上がったからだ。


「キャキャキャキャキャキャ!皆大好き、カニ汁~~~!カニ重人完成!」


「な、じゅ、重人!?いや、どこが人なんだよ!これもうオバケガニじゃないか!」


 丈太の言う通り、カニ重人はどこにも、一片足りとも人の要素がない巨大なカニそのものである。タカアシガニに似た細長い脚が十本生えていて、鋭い爪は見るからに凶器のようだ。しかし、こんな状況にも関わらず、生徒や教師達は一切カニ重人に興味を示さない。皆ひたすらにカニを食べているばかりだ、これは本当に放置すればマズい事になるだろう。


「あなたはカニを食べようとしないのね~?なら、この世に生きる資格なし!カニが嫌いな人間を始末すれば、この星はカニ好きの人間だけが暮らすパラダイスになるのよー!」


「うわ、独裁者の思想だよそれ…あっぶねー…!」


「丈太君、変身じゃ!今なら誰も君がファイアカロリーになっても気にしないじゃろう!」


「あ、そっか!…牛圓さんには、もうバレてるもんな。よーし、牛圓さん、危ないから隠れてて!…いくぞ、バーニングアップ!変身!」


 ――体脂肪貯蔵率、99%。FATエネルギーフルチャージ。

 

 両足を揃えて立ち、右手を腰の位置に置いて、左手で∞のマークを描く……それに変身の掛け声が加わった時、丈太は燃える炎の戦士、ファイアカロリーへと変身するのだ。すっかり身体が慣れたのだろう、丈太はあっという間に変身を終え、ファイアカロリーがカニ重人の前に立ちはだかった。


「俺の力は正義の炎!脂肪と糖が明日への活力!燃やせ、命動かす無限のカロリー!俺は炎のダイエット戦士ファイター……ファイアカロリー、見・参!貴重な海の資源を悪用して、人を肥満にさせようというお前の悪行、例えあの燃える太陽が許しても、俺の炎が許さない!覚悟しろ!」


 ファイアカロリーが名乗りを上げると、カニ重人はその巨体を揺らして威嚇を始めた。こうして、カニ重人とファイアカロリーの壮絶な戦いが幕を開けるのだった。

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