第3話 変身する男

「マズい…絶対ヤバイ……!」


 洗面所に置かれた体重計の上で、青い顔をした丈太が立ち尽くしている。あの後、栄老人の家から帰宅した丈太を待っていたのは、冷たい視線で彼を睨む父・炎堂豪一郎であった。豪一郎は帰宅した丈太を睨みつけ、凄まじいプレッシャーを放っていた。





「丈太、通り魔に刺されたそうだな?」


「え?え、あ、ハイ」


「情けない…炎堂家の男が通り魔如きに後れを取るとは、貴様は今日からしばらく外出は許さん。一歩足りとも家から出るな、いいな?」


「あ…は、はい…」


 丈太は父の迫力に負け、頷く事しか出来なかった。この家では、父である豪一郎の言葉が法律である。父の命令に背きたければ、父と戦って勝つしか道はない。完璧なる脳筋…それが炎堂家の仕来りであった。


 炎堂家は、代々『炎堂流』という古流武術を受け継いできた家系である。丈太の父、豪一郎はその現最高師範であり、丈太は幼い頃から、炎堂流の全てを叩き込まれてきた。しかし、持ち前の運動音痴から、丈太はその技術を使いこなす事が出来ず、常に豪一郎から冷たい視線を向けられていたのだ。

 ちなみに、丈太の母・百葉ももはは『子持ちメスゴジラ』の異名を持つ現役の女子格闘家日本チャンピオンであり、丈太の弟と妹はそれぞれ高校空手の全日本強化選手と、高校ダンス大会の優勝選手である。そんな脳筋一家の中での生活は、丈太から安息の場所を奪っていた。彼が死を覚悟するほど追い詰められた一端は、家庭内で唯一運動が出来ないと言う負い目であったようだ。





 そんな父とのやり取りから三日、丈太は学校にも行かず、ずっと自室に篭りっきりであった。そして何の気なしに体重を測ってみたのが冒頭のそれである。何がヤバイのかと言えば、それは丈太の体重だ。なんと彼は、外出禁止をされてからわずか三日で、20キロも体重が増加していたのだ。元の身体が太い丈太は、余り見た目は変わっていないが、それは内臓脂肪が増えたせいである。現に体組成計機能が付いた体重計は、丈太の内臓脂肪レベルが飛躍的に増大したことを如実に示していた。


「さすがに20キロ増はヤバイよ…!もう大台に乗っちゃったじゃないか!す、少しウォーキングとかした方がいいかな?!」


 今更ウォーキング程度で、20キロも増えた体重がどうにかなるわけではないが、他にいい手段が思いつかない。それほど丈太は焦りテンパっていた。そもそも家から出るなと言われているので、ウォーキングするのも一苦労なのだが。

 そう言えば、先日の栄老人は妙な事を言っていた。身体を改造したという妄言染みた話もそうだが、丈太の肉体にあるアンバランスな部分を治しておいた、とも。


 あれから一歩も家を出ていないので、その恩恵を試す事は出来ていない。そもそも栄老人の話が本当かどうかも定かではないのだ。骨折すら立ちどころに治るという眉唾ものの話だったが、丈太は度胸がなくてそれを試す気にもならなかった。実は全て栄氏の嘘だったのではないか?と考えたこともある。しかし、たった三日で20キロ増という信じられない体重の増加を見る限り、自分の身体に普通でない事が起きているのは間違いなさそうだ。


「と、とりあえず、ウォーキングに行くか……と、父さんは…昨日から合宿でいないし」


 カレンダーで父のスケジュールを確認すると、豪一郎は昨日から弟子達を引き連れて、一週間の山籠もり合宿へ出かけたことになっている。母は遠征で地方に行っているので、戻って来るのは来月だ。双子の弟と妹は丈太に興味を示さず、顔を合わせても一瞥するだけで何も言ってはこないし、ウォーキングに出かけるくらいなら大丈夫だろう。そう思い立って、丈太はジャージに着替え始めた。


「これも…一応持っていくか。スマートウォッチなら、運動に役立つかもしれないもんな」


 着替えを終えて部屋を出る前、丈太は机の上に置きっぱなしになっていた、あのスマートウォッチに手を伸ばす。栄老人に貰ってから、一度も身につけていないが、せっかくの機会だ。心拍数や消費カロリーなどを測る機能があれば儲けものである。丈太はいそいそとそれを腕にはめ、家を出た。



「ふっ、ふっ…!少しは、運動に、なってるかな…っ!」


 割と速いペースで歩いていると、少し気分が晴れたような気がした。そう簡単に体重が落ちるはずもないが、運動を始めたという事実が、気分を晴れやかにしてくれている。元々、幼い頃の丈太は運動自体が嫌いなわけではなかった。ただ、生来の運動音痴…栄氏の話によると運動神経と反射神経のミスマッチが原因で、何をやってもうまく行かず、段々と運動は辛いものに変わって行ってしまったのだ。栄氏の言っていた運動音痴の改善はまだ実感が湧かないが、歩く分には身体が軽いので、悪くない。数字上は20キロ増えていても、である。


「万歩計はついてるんだし、どのくらいカロリーを消費したかとか、解んないかな?うーん、なんだろうこれ、F…チャージ?100%なんだよなぁ……」


 休憩がてら歩く速度を落とし、スマートウォッチを操作してみる。しかし、ボタンを押してもあまりよく解らない反応ばかりで、辛うじて理解出来たのは万歩計だけであった。しばらく歩きながらスマートウォッチを弄っていると、気付けばあの時のショッピングモールの前に着いていた。


「あ、ここは、この間の…酷い目に遭ったな。まさか包丁で刺されるなんて……」


 丈太は今のところ、すぐに死のうとは思っていないが、やはりあのまま死んだ方が楽だったのではないかという気持ちは残っている。どうせ役立たずの自分なのだ、少女の命を救って死ねたなら本望だった。それなのに、その願いは叶わなかった。それが何とも言えず、丈太の胸に暗い影を落としている。


「あの時は確か、あっちの方からあの通り魔が歩いてきて……そうそう、あんな感じの暗いヤツだっ…ええっ!?」


 丈太が驚いたのも無理はない。その視線の先にいたのは、あの時少女を襲い、丈太を刺し殺したあの男だ。ゾンビのようにフラフラと覚束ない足取りで、交差点に向かって歩いている。まるであの日、あの時の再現を見ているようだった。


「ど、どうしてアイツが!?警察に追われてるはずじゃ…?っていうか、まさか、!?」


 丈太の脳裏に蘇る恐怖の記憶…しかしあの時とは違って、近くに狙われやすそうな子供はいない。だが、丈太の目に映ったのは記憶をはるかに上回る信じ難い光景であった。


「おんな…こども……う、うう…ウウウ…ウオォォォッ!!!」


 男は突然唸り声を上げると、みるみるうちにその身体を。骨が軋み、肉が無秩序に増大し、体格はあっという間に倍増して、もはやその姿は人間のそれではなくなっている。そして男は魚類を思わせる顔と生臭い臭いを放つ奇怪な怪物に変身していった。


「グウウウウ…サッシミィィィィ!!」


「な、なんだあれっ!?あ、あわわ…ば、バケモノだ…っ!」


 奇妙な叫びを上げて変身した男の傍に居た人達が悲鳴を上げ、周囲は大混乱に陥った。丈太自身、目の当たりにした男の変貌ぶりに腰を抜かしそうになっている。


 ――丈太君!丈太君、聞こえるか!?儂じゃ、養源じゃ!


「えっ?さ、栄さん?ど、どこに!?」


 キョロキョロ辺りを見回すが、栄氏の姿はどこにもない。


 ――こっちじゃ!スマートウォッチを見てくれ!


「こ、これ!?」


 言われてスマートウォッチを見ると、3Dの立体映像のように小さな栄氏がスマートウォッチの画面上に投影されていた。凄い技術である。ミニサイズの栄氏は画面の上で両手を組み、胸を張ってみせていた。


「ふふふ、その端末を丈太君が身につけると、自動的に儂のPCに接続されるようになっておるんじゃ。すごいじゃろう!」


「いやいや、ストーカーだからそれ!俺のプライバシーはどこに行ったんだよっ!!」


 丈太は思わず食ってかかったが、栄氏はそんな事などお構いなしである。


「そんなことよりも、君の傍に怪人の反応が現れたぞ!近くにいるじゃろう」


「そんなことよりって…っていうか、怪人!?…あのバケモノが?!」


「うぅむ…やはり奴らの仕業じゃな。ついにこの国にまでやってきおったか」


 栄氏は、交差点でボーッと突っ立っている化け物を見て唸っている。丈太には何がなんだかさっぱり解らないが、嫌な予感しかしない。


「…栄さん、アレが何だか知ってるのか?」


「アレは恐らく、世界中の人間を肥満化させることを目的とした悪の秘密組織『H.Cハイカロリー』の怪人じゃ。奴らは数年前から米利加ヨネリカ国の人々を肥満のどん底に陥れておる。まさか日本にまでやってくるとは…いや、来るべくして来たと言うべきか」


 なにやら深刻そうな口振りだが、世界中の人間を肥満化させるというのは、なんというか微妙な目標だなと丈太は思った。というか、今時悪の秘密組織というのがまずナンセンスだ。丈太はそれなりにオタクなので、そう言った設定は嫌いではないが、流石にリアルに持って来られると色々とキツイ。しかし、現実にあのバケモノは存在していて、遠目から見ても着ぐるみには見えないので危険は危険なのかもしれない。


「う、うーん…見た目はなんかちょっとヤバそうだけど、人を太らせるだけなら別に…」


「何を言う!君は成人病の怖さを何も解っておらん!糖尿病は一度発症すれば完全には治らんし、悪化すれば様々な合併症を引き起こし、死に至るんじゃぞ!?肥満なぞ、百害あって一利なしじゃ!」


 力説する栄氏の発言は尤もである。丈太は自分が肥満体であることを嫌という程認識しているので今更だが、やはり肥満で無い人達を肥満にさせるのは良くないだろう。そう思ったその時、突如として怪人が動き始めた。


「サーッサッサッサッサ!サシミィー…モリッ!」


「え?なにあれ笑い声?キモイな…」


「いかん、ヤツが動き出せば手当たり次第に人を襲うぞ。戦わねば!」


「え?…た、戦うってどうやって!?」


「丈太君、こんな事もあろうかと、君の身体を改造させてもらったのじゃ!まずは人気のない路地裏に行ってくれ!早く!」


「いや、戦いたくなんかないんだけど…」


「早くしたまえ!一刻を争うのだ!」


「うーん、何で俺が…」


 そう言いつつも路地裏に移動する辺り、丈太は素直な少年だった。そして、丈太が言われた通りに人気のない店の裏に入ると、栄氏は唾を飛ばしながら熱く指示を出した。


「まず、両足を揃えて立つんじゃ!そして右手を少し曲げて腰の位置に!」


「え?こ、こうかな?」


「そうして左手を胸の前に上げて、∞のマークを描くんじゃ!」


「なにが起きるんだ…?えっと、こ、こうか!」


「そしてそのまま叫べ、バーニングアップ、変身!と」


「ば、バーニングアップ!変身っ!」


 丈太が恥ずかしそうに叫ぶと、スマートウォッチから栄氏の姿が消え、画面上にコマンドプロンプトのような英語が凄まじいスピードで流れ始めた。同時に丈太の身体が熱を持ち始めて、赤く輝く不思議な光を帯びていく。


「な、なんだ!?身体がっ!」


「説明しよう!丈太君の身体に移植した生体ナノマシンは、体脂肪をエネルギー源として吸収し、莫大な熱エネルギーを生み出す。そしてそのエネルギーによって、改良された丈太君の遺伝子が反応して変化を始める…全身の皮膚は強化外骨格へと変化して、無敵の戦士、ファイアカロリーへと生まれ変わるのじゃ!」


「はぁ!?いや、誰に説明してんのぉ!?っていうか、それ録音じゃないよね!?生だよね?!」


 ちなみに変身にかかる時間は約30秒ほどである。丈太は身体の奥から湧き上がる熱と全身が変化していく微妙な感触に襲われていた。


「ああっ!?なんか身体のあちこちがムズムズする!キモイ!なんだこれ!?」


「安心せい!すぐ変身は終わる!……よーし、そろそろじゃ。そのまま跳べいっ!」


「と、跳ぶ!?ううううう、もういい!やぶれかぶれだぁっ!」


 そして、路地裏に一際強く赤い閃光が輝いた。光が消えた時、身悶えていた丈太の姿はもうどこに見当たらなかった。

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