第2話 生まれ変わった男


 規則正しい機械音が静かに響く手術室に、一人の老人が足を踏み入れた。手術台の上には、刺されて倒れたはずの、炎堂丈太が裸で横たわっている。老人の足音が聞こえたのか、丈太がゆっくりと目を開けた。


「う…ここ、は…?」


「起きたか…どうやら手術は成功したようじゃな、炎堂丈太君」


「おじいさん…?あれ、貴方は確か…」


 朦朧としていた意識が徐々に覚醒し、段々と記憶が鮮明になっていくようだった。丈太の目の前にいるのは、陽菜に手を振っていた、あの時の老人である。


「どうしてあなたが…?俺は一体、というか、ここはどこなんですか?」


 矢継ぎ早に次々と疑問が口をつく無理もない事だが、明らかにパニックを起こしている丈太に、老人は、ゆっくりとコップを差しだした。


「まぁ落ち着きなさい。ただの水だが、まずはこれを飲むといい」


「あ、はい…ありがとうございます」


 差し出されたコップの中身は本当にただの水のようだったが、口に含むと急に喉が渇いてきて、思わずグイっと一息に飲み干してしまった。


「喉が渇いていたんじゃろう?無理もない…君は一度死んでいたのだから」


「は?…え?」


「順を追って話そう。君はワシの孫、陽菜を助けてくれたんじゃ…まずは礼を言うよ、ありがとう。…残念ながらあの男には逃げられてしまったが、警察の話では覚醒剤の常習者だったようじゃから、どの道、直に捕まるじゃろう」


 あの通り魔の男は捕まらなかったらしいと聞いて、丈太は身震いをする。一度死にかけた、というか、殺されたのだから当然である。今度こそ犠牲者が出る前に捕まって欲しい…と思ったが、既に自分という犠牲者が出ているのはどう判断すべきなのだろうか、そもそも、一度死んだというのがまずありえない。


「あの、俺が死んだって言うのは…?」


「うむ、犯人の凶刃は、君の心臓を完璧に捉えておった。肋骨の隙間をな、綺麗にすり抜けておったんじゃ。正直、手の施しようがなかった。普通の医療では…な」


「そ、そんな…そんなバカな…だって、俺は今生きてるじゃないか…!死んだはずなんだろ?!どうして!?」


「そう、通常の医療では助からない状態じゃった。…じゃが、君は孫の命の恩人じゃ。あのまま君を死なせることは絶対に出来ん。じゃから儂がもつ全ての技術を使って君を蘇生、つまり、蘇らせたのじゃ」


「よ、蘇っ…そんな…」


 あまりの出来事に、丈太は動揺して言葉を失った。一度死んで蘇った…それはつまりゾンビのようなものだ。一体どんな技術を使えば、死者を蘇らせるというのだろうか?いや、そこは問題ではない。世間一般からすれば大問題だが、彼の場合…炎堂丈太という人間にとってはもっと大事な問題があった。


「ど……どうして、どうしてあのまま死なせてくれなかったんだ…!お、俺は!もう生きていくのに疲れたんだ!毎日毎日いじめられて、いい事なんて一つもない!誰にも求められず、どこにも居ない方がいい存在の俺が、せめて最期に一つくらい人の役に立って死ねるチャンスだったのにっ!」


 そうだ、丈太は死にたかった。生きる希望もない人生に疲れ果てた彼が、たった一度、あの少女を救えたという満足感を持って死ねることは、幸福ですらあると彼は自分で思っていた。それを台無しにされた怒りと悲しみで、丈太はボロボロと大粒の涙を流している。


「……君が普段からどういう状況に陥っていたのか、推測はしていたんじゃ。身体中に今回の事とは無関係な痣だらけで、目立たないが制服も血と泥塗れになっておった。そんな君をこの世に引き戻してよいものか、葛藤もした。じゃがな、儂は君が助けた少女の祖父じゃ。そして、人の親でもある。そんな儂が、孫と同じ歳の少年を見殺しには出来ん。親よりも先に死ぬ子どもなど、もう見たくないのでな……」


「そ、んな…」


 老人の言葉を受けて、丈太は言葉を詰まらせた。それは老人のエゴだ、自分の人生の終わらせ方くらい、自分で決めさせて欲しい。そう願うほどに、丈太は追い詰められていた。しかし、老人が放つ次の言葉で、丈太は大きな希望を得る事になる。


「安心しなさい。君をただ、この地獄のような日常に引っ張り込んだわけではない。儂からのささやかなプレゼントじゃ、君には普通の人間にはない力を与えておいたのだから」


「ち、から…?何を言って…」


「君の身体を調べさせて貰ったが、君は自分の運動神経と反射神経のバランスが全く取れておらんかったようじゃな。そのちぐはぐな状態が君を弱からしめておった原因じゃった。君を生き返らせる際に、儂はそれを正しい形に治しておいたんじゃよ」


「そ、そんなことが出来る…んですか!?」


 俄かには信じ難い話であるが、確かに言われてみれば、普段から思ったように身体がついてこないことが多々あった。それが自分の運動音痴の原因であると丈太自身自覚していたようだ。それが治ったのであれば、もう少し生きやすくなるかもしれない。しかし、老人の話はそれだけでは終わらなかった。


「そして、君を死の淵から救った最大の要因なんじゃが……ぶっちゃけ、君の身体を少々弄らせてもらった」


「は…?」


「いや、さっきも言ったが、通常の医療じゃ取り返しがつかない状態だったもんでな。こうなったら仕方ないと、儂が心血を注いで研究してきた医療用の生体ナノマシンを投与し、ついでに色々遺伝子情報を操作させてもらったんじゃよ」


「…な、なにしてくれてんのぉーッ!?」


 遺伝子情報を弄るとはどういうことか、死んでいたのを生き返らせたと言われ、てっきりゾンビみたいなものかと思えば、実体は遺伝子組み換え食品扱いである。そんなスナック感覚で身体を改造されては堪ったものではない。


「なーに、君は元々体質的に体が丈夫だったみたいじゃからな。そこをちょびっと強化しただけじゃよ。ちょっと普通の人間よりも身体が強靭で、骨折ぐらいなら三十分もあれば元通りになる身体になっただけじゃ」


「それ思いっきり怪物なんだよォォォッ!!なんてことしてくれんだ!?」


「誓って機械の身体になったわけじゃないから安心せい。DNAが現行人類と少し違うからまぁ、DNA鑑定は出来なくなったかもしれんが、なーに軽いもんじゃろ」


「大問題なんだよなぁ!?」


 現行人類と違うDNAはヤバ過ぎる。というか、それじゃあ結婚しても子どもも作れないではないか。と丈太は思ったが、そんな相手も予定もないのでそこは問題なさそうだ。しかし、ほとんど人間辞めましたと言ってもいい状況は、受け入れがたいものである。


「まぁ、とにかく悪いようにはせんから、な?ああ、それとこれを渡しておこう」


「ええ……こ、これ以上まだ何か…?」


 ドン引きしている丈太の手の上に、老人は腕時計のようなものを載せた。それ自体に見覚えはあるが、丈太の記憶にあるどのメーカーのものとも違うようだ。メーカーのロゴが刻印されているであろう場所には『SAKAE』という文字が記されていた。


「これってスマートウォッチ?でも、SAKAEなんてメーカー聞いた事も…」


「ああ、それは儂が作ったもんじゃからな。安心したまえ、性能は折り紙付きじゃ!林檎マークのメーカーなんぞ足元にも及ばんぞ!」


「ええっ…!?お、お爺さん、あなたは一体」


「儂か?儂の名は、栄養源さかえようげんじゃ、よろしく頼むぞ、炎堂丈太君!」

 

 ニッコリと笑う栄老人だが、彼は上の歯が綺麗に無かった。入れ歯を入れ忘れているようだ。そんな何とも間の抜けた笑顔に丈太はちっとも安心できず、大丈夫かな…と不安な思いに駆られるのだった。


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