第16話 胸を張る男
「よぉし、これでいいじゃろう。いやぁ、すまんかったな、丈太君。まさか、生体ナノマシンの調整に不足があるとは……」
栄博士がそう言うと、丈太はゆっくりと身体を起こし、手足を軽く動かして問題がないかチェックしている。特に痛みや苦しいなどの症状もないし、体調は良好だ。申し訳なさそうにしている博士だが、丈太は彼に対する文句などなかった。
あの試合から翌日、丈太は学校帰りに栄博士の研究室に寄り、精密なメディカルチェックと、変身システムの調整を受けていた。
剛毅との試合中に低血糖で倒れた丈太は、その数時間後に目を覚まし、ポカエリアスというスポーツドリンクをがぶ飲みして事なきを得た。一般的に、低血糖にはブドウ糖を補給するのが一番で、それにはコーラなどが適している言われるのだが、スポーツドリンクも糖分が多くまた吸収も早いので有効だ。ポカエリアスは『水よりも体液に近い水』という、ちょっと怪しいキャッチフレーズの商品であるが、その名に恥じぬ商品であると言えるだろう。
結局、剛毅との試合は丈太の負けになってしまったが、その戦いぶりに目を見張った豪一郎は合格点を与えてくれた。どうやら、初めからある程度の成長が見て取れれば、合格を出すつもりであったらしい。あの厳格な父が生まれて初めて見せた甘さに、丈太は感動しつつも、何か裏があるのでは?と内心では戦々恐々である。
『兄貴……最後の蹴り、見事だった。ただ、勝負があれで終わりとは思っていないぞ。もっと体力をつけてくれ、そうしたらもう一度、勝負だ』
試合の後、目を覚ました丈太に向けて、剛毅は
「ありがとう、博士。なんだかんだ言って、博士のお陰で、俺は少し自信が出てきた気がするんだ」
「なぁに、あの時も言ったが、ただ君を地獄のような日常に引き戻しただけでは意味がないからのう。道のりは長そうじゃが、頑張ってくれよ」
「うん、頑張るよ」
笑い合い、丈太と栄博士が強く手を握り合う。二人の関係は恩人であると同時に、歳の離れた友人でもあるようだ。丈太にとっては、久し振りに心を開いて話せる相手というだけでも、この上ない相手である。
そんな時、研究室の扉が開くと、外からそこから一人の少女が、弾丸のような速さで飛び込んできて、丈太に飛びついた。
「あー!おっきいお兄ちゃんだーーーっ!」
「ぐぇっ……!み、鳩尾にっ…!」
それは明香里の妹で、死のうとしていた丈太が助けた少女、陽菜である。彼女は丈太と祖父である養源の関係を知っていて、丈太が自分を助けてくれたことも理解しているらしい。そのせいか、丈太に非常に懐いているようなのだ。顔を合わせるのはあの時から数えて二回目だが、その懐きっぷりは相当である。
「ほっほっほ!陽菜は丈太君が気に入ったようじゃのう。命の恩人なんじゃから、当たり前じゃがな」
「うん、陽菜おっきいお兄ちゃん大好きー!」
「あ、あはは……嬉しいけどね。とりあえず、くっつくのは止めて欲しいかな」
クラスのアイドルである上曽根こよりの時もそうだったが、丈太はどうにも距離を詰められるのが苦手である。人間不信な所が染みついてしまっているからか、まだ嫌われている方が距離を保てて助かると感じているらしい。コンビニ強盗から助けた先輩女子生徒のように、敵意を剥き出しにしてくれた方が気楽だと思ってしまう所が悲しい話である。
「ちょっと、陽菜!どこ行ったの!?……またお爺ちゃんの邪魔して……って、なんでアンタがここにいるのよ、炎上野郎…早く出てってよ、陽菜に近づかないで!」
後から陽菜を探しに追いかけてきた明香里は、陽菜がくっついている丈太を見て、あからさまな敵意を見せていた。彼女からすれば、丈太は憎むべき女の敵なのだから、当然の態度である。しかし、それを冤罪だと聞いている栄博士は、強い剣幕で明香里を叱ってみせた。
「こら、明香里!丈太君になんちゅう言い方じゃ!そんな口の利き方をしてはいかん!」
「は、博士、俺は別に大丈夫だから……!」
「……っ!う、うるさいな!お爺ちゃんはコイツのこと知らないんだよ。もういいっ!陽菜、行くよ!」
「……あ、おっきいお兄ちゃん、またねー!」
明香里に手を引かれ、陽菜は無理矢理丈太から引き離されて出かけて行った。満面の笑顔で手を振る陽菜に、ぎこちない笑顔で手を振り返すしか出来ない丈太は、どこか悲しそうな、ホッとしたような表情である。それを見た栄博士は、また申し訳なさそうに頭を下げた。
「丈太君、すまん。あの子も決して悪い子じゃないんじゃが……父親を事故で亡くしてから、どうも性格が尖ってしまったようでな」
「そうか、明香里さんと陽菜ちゃんのお父さんは……」
「うむ、五年前にな。……全く、親不孝な息子じゃった」
栄博士が、丈太を助けた時、親よりも先に逝く子供を見たくなかったと言ったのは、明香里達の父親…つまり、博士の息子が事故でこの世を去ってしまったことに起因していたようだ。その人物がどういう経緯で亡くなったのかは定かではないが、明香里の性格に影を落としてしまったのならば相当なものだったのだろう。丈太としては嫌われる理由も解っているし、明香里が心に傷を負っているのなら、自分に強く当たるくらい安いものである。
しんみりとした空気が研究室を覆い、丈太と栄博士は黙ってしまった。だが、しばらくするとその静寂を打ち破るように、重人の出現を示すアラームが研究室に鳴り響くのだった。
家を出て買い物に向かった明香里と陽菜は、商店街に向かって進んでいた。目的は、働いている母親に代わって夕飯の支度をする為の買い物である。父を亡くしてから、ヨネリカに居た祖父の養源が同居してくれることになったのだが、明香里は自分の仕事として家族の食事を一手に引き受けている。父が亡くなったのは五年前で、明香里自身も小学校の低学年だったのだが、まだ生まれて一年ほどの陽菜をあやしながら働く母を、子供心に手助けしたくて食事係を引き受けたのだ。
それ以来、陽菜を連れて食材の買い出しに出かけるのが、彼女の日課である。丈太が通り魔から陽菜を助けたあの時もその為の買い物途中だったのだ。
「全く、お爺ちゃんたら……」
「お姉ちゃん、どうしておっきいお兄ちゃんのこと嫌いなの?陽菜のこと、助けてくれたんだよ?」
「それは……解ってる、けど…」
真っ直ぐな瞳で陽菜に問われ、明香里はどう返答すればいいのか解らなくなっていた。明香里にとって、丈太は女子の下着を盗もうとしていた変質者であると同時に、いじめられても反撃しない情けない男なのである。そんな彼が、陽菜を守って助けてくれたと言っても、信用などしきれない。もしかしたら、丈太が陽菜を狙っていたのかもしれないとさえ明香里は思っているようだ。
だが、一方で祖父や陽菜は丈太を悪く言わないどころか、褒め称えすらする。それがどうにも面白くなく、苛立ちを覚えるのだった。
「陽菜に言っても解らないだろうけど、アイツは最低なヤツなの。陽菜はあんな奴に近づいちゃダメ、解った?」
「うぅん、でも、陽菜はおっきいお兄ちゃん好きだなぁ…テレビで見たパパに声が似てるし」
「っ…!」
陽菜が言っているのは、陽菜が生まれた時の様子を録画した動画の事である。その動画には、陽菜が生まれた事を喜ぶ二人の父、
そんな二人の背後に、奇妙な姿をした男の影が迫っていた。
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