第8話 炎の拳を持つ男

「ファイアカロリーめ、行くぞォ!モモモモモモモモッ!」


「っ!?速いっ!」


 ウシ重人は雄叫びを上げて、強烈な右ストレートを放ってきた。ふざけているようにしか聞こえないが、その速さはかなりのものだ。ファイアカロリーが咄嗟にその拳を躱すと、ウシ重人のパンチが背後にあった電信柱に当り、粉々に砕け散った。


「鉄芯入りの電信柱が、粉々に!?なんてパワーだ!昨日のマグロもそうだったけど、こいつら人を太らせようって割に殺傷能力高すぎじゃないか!?」


「まぁ、重人じゃからのう」


 栄博士の冷静なツッコミに冷や汗を搔きつつ、ファイアカロリーは瞬時にバックステップをして少し距離を取る。電信柱が砕けたせいで、支えを失った電線が引っ張られ、バチバチと危険な音を立てていた。このままここで戦うのは危険かもしれない。しかし、都合のいい場所を探している余裕もないだろう。


「モォ~モッモッモ!見たか?このパワーを!ステーキを食べれば、こんな強力な肉体を得る事も可能なのだ!よい身体を作るのはやはり食事から!肉は最高のプロテイン食材なのだァ!」


「くそぅ、ちょっとまともな事を言ってるのがムカつく…!けど、ステーキ食べたくらいでそんな強さを身に着けられるなら、古流武術なんてお役御免だ!……炎堂流は、そんなドーピング染みた力には負けないんだ!……来いっ!」


 僅かに離れた間合いで、ファイアカロリーは構えをとった。右足を一歩後ろに下げ、身体の右側を半身程ずらして左手を肩くらいまで上げた奇妙な構えだ。これは炎堂流が教える捌きの構えである。そんなファイアカロリーを目にして、ウシ重人は更なる高笑いを上げていた。


「モォ~モッモッモッ!そんな構え一つでこのウシ重人様のパワーを受けきれるものかっ!その華奢な胸から土手っ腹にかけて、綺麗な風穴を開けてくれるぞォ!」


「きゃ、華奢!?俺が?…ハハッ、そうか、この体は細いもんな。産まれて初めて言われたよ、そんな台詞は」

 

 ドシドシと重い足音を立て、ウシ重人が突撃してきた。割と幼い頃から丸々と太っていたファイアカロリーは、自分が華奢だなどと表現された事など一度もない。なんだか少しこそばゆいような、自分の事ではないような不思議な感覚がした。だが、それを喜んでいる暇はなく再びウシ重人は目前に迫り、ファイアカロリーに渾身の右ストレートを放っていた。

 

「モモモモモモモモッ!死ねェッ!」


「確かにパワーは凄い……けどっ!」


 振り下ろされた拳に対し、ファイアカロリーは構えていた左手を使ってタイミングよく掌底を当てて、その力の方向を変えた。ウシ重人の全体重がかかった一撃だからこそ、急激に横から加えられた力には対処できずにウシ重人の拳は外れて、身体ごとファイアカロリーに交差する。


「モォッ!?」


「よし、ここだっ!ハイパーカロリースマッシュ!」


 交差したウシ重人のボディ目掛けて、カウンター気味にハイパーカロリースマッシュを叩き込む。完璧に鳩尾へと直撃したその一撃で、勝負はつくと思われたのだが……


「何っ!?」


「モ、オオオオオオォ…ッ!」


 ウシ重人は後ろに吹き飛びながらも、まだ倒れはしなかった。殴った身体の感触は異様なほど硬く、それでいて柔らかいゴムのようだった。牛という生き物は、鈍そうなその見た目の割にかなり筋肉質な生物だという。どうやら、ウシ重人はその特性を十分過ぎるほど引き継いでいるらしい、それは恐ろしい鉄壁の筋肉であった。加えて、ハイパーカロリースマッシュは正拳突きを放つ技だ、先程のファイアカロリーはウシ重人の拳を捌く為、炎堂流に伝わるを取っていたことで正拳を放つ姿勢が崩れていたのも、十分な威力を発揮できない要因なのであった。


「グヌヌヌゥ!やるな…ィ!だが、このウシ重人様はそう簡単にはやられんぞォ!」


「くっ、まさか…!?二戦目にして早くも必殺技が効かないなんて……!」


「ファイアカロリーよ、かんたんバトルシステムはワードとコマンドを正しく入力せねば発動せん!君が昨日登録したコマンドと、今のパンチは動きが合っていなかったんじゃ!注意せよ!」


「そ、そう言う大事なことはもうちょっと早く教えてくれよっ!」


 思い返してみれば、今の一撃は昨日のように、炎が拳に乗り移ったような熱量が感じられなかった。一度登録した技は、一定のコマンド動作でなければ発動しないという重要な設定を、ファイアカロリーは昨日の今日で聞かされていなかったのである。

 

「ま、まぁ今の一撃はノーダメって訳じゃないはずだしな…!今度は絶対当ててやる!」


「モオオ…!それだけの力を持っている貴様にわざわざ近づくとおモォったか?甘いぞォ!和牛の脂くらい甘いぞォ!」


 ウシ重人はそう言うと、腰ミノからゴソゴソとステーキ肉を取り出し、それを口に放り込んだ。すると、さっき殴りつけた傷は癒え、みるみるうちにダメージが回復していく。


「な、なんでっ!?」


「モォ~モッモッモ!これは命の肉、ライフステーキだ!これさえ食べれば、どんなダメージも立ちどころに回復するのだァ!ちなみに部位はイチボだぞォ!」


「ズルッ!?そんなのアリかよ!卑怯だぞ、回復するなんて!そういうのはヒーローの特権だろ!」

 

 なお、イチボというのはもも肉の一種であり、お尻の外側に位置する部位である。尻尾の付け根ら辺でもあって、適度に赤みとサシが入っていて美味しく、牛一頭から4kg前後ほどしか取れない希少な部位だ。特にステーキで食べるのがお肉屋さんのオススメらしい。


 ファイアカロリーが抗議するも、ウシ重人は意に介さず、今度は背中をまさぐって何かをその手に帯びた。


「食らえィ!但馬牛9780円ッ!」


「え?うわっ!?!」


 目にも留まらぬ速さで投げつけられたのは、薄く、しかもカリカリに焼かれたステーキである。それが凄まじい速さで飛来し、ファイアカロリーの身体を掠めて手裏剣のように建物へ突き刺さっていった。命中率は低いようだが、かなりの威力とスピードだ。掠めた頬からは、じわりと血が滲んでいる。


「な、なんて技だ…!」


「モッモッモ!まだまだ行くぞォ!神戸牛14786円(税別)ッ!」


「何その中途半端な金額!?気になるじゃないかっ!わっとと!」


 謎の金額に集中力を削がれ、反撃はおろか回避も疎かになってしまう。そんな思わぬ苦戦を強いられる中、その戦いを物陰から見つめる一人の少女がいた。


「ふ、フヒヒ……牛人間、格好いい…!」


 少女の大きな体は、電信柱の影に隠れきれていない。彼女の名は牛圓藍うしぞのあい…昼休みに、丈太が不良達に暴行を強要され、その標的にされていた下級生の女子だ。ボサボサの長髪に隠れた顔は昏い笑みを浮かべ、ウシ重人に熱いまなざしを送っていた。


 藍は、実家が市外で牛圓牧場という牧場を経営している家の一人娘である。幼い頃から飼育している動物を相手にして育ち、人の友達はいないが、動物を友として育ってきた。彼女の初恋の相手は、当時飼育していた牧場一番のイケ牛、モミジであったという。そんな彼女にとって、牛の頭を持つ人間というのは堪らなく魅力的に見えるのだろう。だが、その恋心は、酷く危うい影を持っていた。


「ああ、素敵な牛人間……なのに、どうして…ステーキを投げているの?どうして、食べ物を…牛達を粗末に扱うの……?許せない、許せない…許せないっっ!!」


 その瞳には、完全に闇を宿していた。或いは、この人を惑わせる催眠効果を持つステーキの香りが、その闇を増幅させたのかもしれない。


「さぁ、そろそろトドメだぞォ!見切り品和牛ステーキ487円ッ!」


「やっす!?トドメならもうちょっと高い肉で……あっ!?」

 

「ああああああっ!!」

 

「モォ!?なんだァ?!」


「え、あ、あの子は……!?ヤバイ!」

 

 ウシ重人が新たな手裏剣ステーキを放とうとした時、藍は隠れていた電信柱の影から飛び出し、猛烈な勢いでウシ重人に体当たりを仕掛けた。全く意識を向けていなかった横合いからの攻撃に、ウシ重人は動揺し、体勢を崩してステーキが明後日の方向にすっ飛んでいく。しかし、ただの人間である藍の力が通用したのはそこまでで、ダメージを受けるまでには至らなかったウシ重人は怒りに狂い、その矛先を彼女に向けた。


「モッ!こ、この…よくも邪魔をォ!死ねッ!」


「あっ!?」

 

「させるかぁっ!」


 藍を狙ってウシ重人の意識がそれた瞬間、ファイアカロリーは一気に間合いを詰めて、寸での所で割って入るように二人の間へと飛び込んだ。そして、藍を狙っていたウシ重人のパンチをファイアカロリーは左手で受け止めた。ゴキゴキッ!という鈍い音がして、ファイアカロリーの表情が苦痛に歪む。電信柱を粉々に破壊するほどの威力を持つパンチを受け止めた為に、腕の骨が折れ、肩の関節までもが大きなダメージを負ったらしい。

 その感触に、ウシ重人は口角をあげて、にんまりと笑みを浮かべている。


「モッモッモ!今のはいい一撃が入ったようだなァ?その腕ではもう戦えないぞォ?」

 

「ああ、そんな……」

 

「っ……めちゃくちゃ痛いっ!確かにこの左手はしばらくダメだろうな…けどね!」


「モォッ!?」

 

 折れた腕をだらんと垂らしながら呟くファイアカロリー、しかし、そのガラス状の目は輝きと戦意を失ってはいなかった。そのまま右手を腰だめに構えて、正しいフォームで父直伝の正拳突きを撃つ。

 

「……この距離なら、外しやしない。思いっきりやれる!」

 

「ァッ!?し、しまったァっ?」


「もう遅いっ!俺の炎はレア生焼けじゃ済まないぜ!今度こそ喰らえ、ハイパーカロリースマッシュ!!」


 真っ赤に燃えたファイアカロリーの右腕が轟音を上げてウシ重人の腹に突き刺さる。命中した拳から伝わるその熱は炎そのものとなって、ウシ重人の身体を包み込み、激しい光と火柱へと変わっていった。


「ウモォォォオォッ!?バァァァァニィィィィィングッ!」


 激しい閃光と熱が消えると、後にはあちこち火傷した肉屋の主人が倒れていた。やはり命に別状はないようだが、気絶しているようだ。それに付随して、あれほど熱狂的に肉を買い求めていた主婦達も、ハタと我に返って騒めきだしている。寸での所でファイアカロリーに守られた藍も我に返ったようだが、顔を赤らめて恥ずかしそうにしていた。


「ふぅ、終わった……君、怪我はない?」


「あ、ああああ、あの……」

  

『FATエネルギー8%まで低下、生命維持の為、変身を解除します』


「あっ!?マズい!は、早く着替えをっ…!さ、サラバだっ!」


「え、え!?」


 勝利の余韻を味わう間もない無機質なAI音声の宣告を受け、ファイアカロリーは慌ててブティック春江に飛び込んでいった。後に残された藍は、呆然としながらも、ほんのりとその頬を赤らめているように見えた。

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