第14話 父に挑む男

 それから数日、丈太は実に平穏な日々の中にいた。


 女子生徒からの冷たい視線はそのままだが、やはり大翔達不良グループは丈太に対して手出しをしてこない。丈太が博士と通話していた事をよほど警戒しているのだろう。彼らは時折集まっては、丈太を遠巻きに睨みつけたりはしてくるものの、これと言って手出しをしてくる気配はなかった。嵐の前の静けさだろうが、何がしてくるなら望む所である。


 あれから、丈太は博士に相談をして、何か問題が起きた時には博士が記録を取ってくれることになった。別段進学校という訳ではないが、昨今のご時世を考えれば、いじめなどの醜聞はその後の人生において大きなマイナスとなるだろう。以前、丈太が嵌められて大炎上した時のように、今度は丈太が連中を罠にかけようという算段だ。大翔達がそれを認識しているかは定かではないが、彼らの性格から言って、そう長い事我慢は出来ないだろう。焦れて再び暴行でもしてくればである。

 そう作戦を決めてから、丈太は降って湧いた平和を謳歌することにした。という事で、目下の問題はあの女子生徒、牛圓藍についてなのだが…こちらも当面は問題なさそうである。


 というのも、彼女が先日、屋上で丈太の元から逃げていって以降、藍は休み時間になっては丈太をつけ回すようになっていた。特に何かをしてくるわけでもなく、ただ物陰からじっと丈太を観察しているようなのだが、丈太が話しかけようとすると脱兎のごとく逃げて行ってしまうので会話にならない。一体何を考えているのか解らない所が少々怖いが、それはそれで利点もある。

 彼女が解りやすく尾行をしてくれるお陰で、丈太はわざわざ一年生のクラスまで行って、彼女がイジメられていないか確認する必要がないのだ。藍が丈太に引っ付いている分、この状況で大翔達が彼女に何かしでかせば、丈太はすぐにそれに気付く事が出来るだろう。そう思い至って、丈太は敢えて彼女を放置することにした。


(まぁ、悪い子じゃなさそうだし……別に今更握られるような弱みもないしな、俺)


 そんな結論である。そんな丈太の平穏な日々は、父である豪一郎が帰宅する日まで続いたのだった。




「帰ったぞ」


 そんなこんなで日曜の昼過ぎ、遂に豪一郎が弟子達を連れての山籠もりから帰還した。山籠もりは数か月に一度行われる行事だが、毎回、参加者の弟子達はボロボロになって帰ってくる。しかし、そんな中でも豪一郎だけは涼しい顔をしているのだから、実の父ながら恐ろしい男だと丈太は思う。この日はたまたま丈太だけでなく、剛毅と蓮華も在宅だったので、三人はそれぞれ帰宅した父の出迎えに現れた。


「あ、お…おかえり、父さん。」

 

「…おかえり」


「おかえり」


「うむ、三人共問題なさそうだな。…さて、丈太よ」


「……え?あ、ああ、ハイ」


 突然自分だけが名を呼ばれた事に驚いて、丈太は声を上ずらせた。何か怒らせるような事をしただろうか?自宅待機を命じられていた間でも、登校していた証拠はないはずだ。こっそり持ち出した豪一郎の道着も、きちんと洗って乾かし、元の場所へ戻しておいたのだから気付かれるはずもない。というか、まだ玄関先なのだから気付く事などあり得ない。しかし、豪一郎は鋭い視線で丈太を見据えていた。


「俺が留守の間、変わった事はなかったか?」


「か、変わったこと?…いや~、特になかったんじゃな、ナイカナ?」


「ほう、では、お前が俺の命に背いて出かけているというのも出鱈目か?」


「な、ナナナナなんなんなんなんの、こ、ことカナ~?」


 どう見てもやましい事しかない人間の反応だが、丈太は何としてもバレないように嘘を吐く事に決めたようだ。ダラダラと冷や汗を流しつつ、明後日の方向へ視線を向けて必死に誤魔化そうとしている。そんな丈太の様子に豪一郎は明らかな怒りの表情を見せ、更にその視線は強くなっていく。


「本当に身に覚えはないというのだな?……では、蓮華、お前がWINEで送ってきた丈太の登校する様子が嘘だったという事か?」


「はぁっ!?れ、蓮華が!?」


「アタシは嘘なんか吐いてないし。兄さんがお父さんの命令聞かずに学校行ってたのは間違いないよ」


「なっ、なんで…っ!?そりゃ口止めは剛毅にしか……あっ!」


 語るに落ちるとはこの事だろう。ここまで綺麗に墓穴を掘る人間も中々いないはずだ。丈太の発言の後、玄関にいた誰も彼もが口を閉ざし、しんと室内は静まり返っている。その静けさは離れている台所の水道から垂れた一滴の水音さえ聞こえるほどであった。


(しまったっ!確かに、言わないでくれって頼んだのは剛毅にだけだったけど…まさか蓮華が父さんに告げ口するだなんて……てっきり俺には何の興味もないものだとばっかり…)


「はっ!?」


 丈太がそう考えている間に、豪一郎からの圧力はどんどんと強くなり、もはや殺気と呼べるほどの圧を放っていた。玄関に入り切っていない弟子達まで、冷や汗を流してその迫力に耐えている。当然、直接それを突き付けられた丈太は息が止まるかと思うほどのプレッシャーを受けている。恐ろしいのは、その気迫で玄関から入ってきた季節外れの蚊が、豪一郎の視界に入った途端ふっと死んで落ちて行ったことだ。人間技ではない眼力である。


「俺もずいぶんと侮られたものだ。……まさか、俺の言い付けを破っただけでなく、こうも見え透いた嘘を吐かれて白を切られるとはな。いや、舐められている、というべきか?なぁ?」


「ヒェッ!?あ、あああああ…あばばばばば…っ……!」


 そんな豪一郎の怒りに答えられるものなど、誰もいない。門下生である弟子達も波が退くように引き下がっていき、玄関には丈太達親子だけが残されている有り様だ。


「俺も鬼ではない。お前がそこまでして学校に行きたいというのなら、行かせてやろうじゃないか。ただし……炎堂流我が家の流儀に従ってもらうがな」


「り、流儀……って、ことは……」


 ごくりと誰かが息を呑む音がする。そんな震える丈太の問いに答えたのは、もちろん豪一郎であった。


「俺から一本取ってみろ…!己の意を通したいなら、それが条件だ!」


「やっぱりいぃぃいぃ!?」


 逃げ出したくなる気持ちに駆られ、丈太は頭を抱えて蹲った。しかし、それも当然だろう。何せ豪一郎は、今の丈太と同じ歳の頃に、素手でヒグマを倒したという伝説すらある男だ。そのヒグマは、かつて猟銃による駆除が失敗し、何人もの人を襲うようになった暴れ熊だったのだが、豪一郎は単身それに挑んだ挙句たったの一撃で葬ったのだとか。曰く、彼の放った正拳突きはヒグマの分厚い毛皮をもぶち抜いていたという。

 そんな化け物染みた父親から一本取れというのは、変身せずに重人と戦えと言われているようなものである。自殺行為に等しいそれは丈太を怯えさせるのに十分過ぎるものだろう。

 

「ふん。そんなに怯えるくらいなら、何故俺の命に従わんのだ。今からでも遅くないぞ、しっかり謝って言う事を聞くのなら不問にしてやろう。多少の罰は与えるがな」


「うう……でも…それだけは、出来ない」


「何?」


 怯えて下を向いていた丈太だったが、今の状況を考えると、無かった事には出来ないだろう。せっかく大翔達を罠にかけ、これから逆に追い詰めてやろうとしている最中なのだ。それは今後の身の安全の為にも必要だしなによりあの下級生の女子生徒…藍の事も気がかりである。今は彼女が丈太を尾行している為に、丈太が彼女にもしもの事がないよう警戒することが出来るのだ。少なくとも、大翔達不良グループを無力化するまでは、自宅待機させられる訳にはいかない。丈太は勇気を振り絞って顔を上げると、睨むように豪一郎を見つめ返した。


「い、今は、大事な時なんだ……俺だけじゃなくて、他にも…だ、だから……や、やるよ。父さんと勝負…する!」


 そんな丈太の決意の言葉に、隣で見ていた剛毅は目を見開いた。いつも自分達に対しても怯えているようだったあの兄が、誰よりも恐ろしい父に反抗しようとしている。その変化が何よりも驚嘆に値する…そんな顔だ。当の豪一郎は、丈太が自分を舐めているのではなく、ちゃんと自身の強い覚悟で命令に背いたのだと知って、ニヤリと笑みを浮かべていた。

 

「ほう……!よく言った、少しは根性が出てきたようだな。だが、どんな理由があろうと手加減はせんぞ。では、道場へ来い、相手をしてやる」


「え?い、今から!?」


「当たり前だ、時間を空けても意味などない。それに今やらねば明日から学校へは行けんぞ」


 確かに今は既に日曜の午後である。今から日を改めてというと、それまで自宅待機は解けないだろう。結局、丈太には今すぐ戦うしか道はないのだ。


「わ、解ったよ、やるよ!」


「待て!」


 丈太が覚悟を決めて立ち上がった時、それを制止したのは剛毅であった。先程までの驚きから一転して、強い憤怒を見せながら丈太と豪一郎を睨んでいる。


「親父が相手では、万が一にも兄貴に勝ち目はない、そんなのはフェアじゃないだろ。…相手は俺がする。勝負だ、兄貴、俺から一本取ってみろ」


「えええっ!?」


 まさかの提案に驚いたのは丈太だけではない、豪一郎もまた、顔をしかめて驚きを隠さずにいる。こうして、事態は更に、混迷の度合いを深めていくのだった。

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