第31話 決着!炎の大旋風!

「シュシュシュ…そこで、悶え苦しみながら敗北を悟って死ぬがよい。お前は誰も守れないのだ」


「うう、うぅぅぅ…っく!か、痒みで力が……」


 サトイモ重人のシュウ酸カルシウムミストは消えたが、全身の痒みは全く消える気配がない。このままこの耐え難い痒みが続けば栄博士が危惧した通り、発狂してしまいそうだ。だが、既に立って歩くほどの体力すら奪われてしまっていて、ファイアカロリーはどうしようもないほどに追い詰められてしまっていた。


「せ、先輩……?」


 そんなファイアカロリーの様子を群衆の隙間から見つけたのは、丈太を先輩と言って慕う後輩の少女、牛圓藍であった。どうやら、彼女も芋煮イベントへ参加する為にこの公園までやって来たらしい。しかし、藍は実家が牧場を経営していることもあって市内の中心部から離れた場所に居を構えている。恐らく、イベントの開始時間には間に合わなかったのだろう。不幸中の幸いという奴だ。そして何より、藍は重人の存在と、ファイアカロリーの戦いを知っていて理解している。勝ち誇るサトイモ重人の姿と、倒れ込んで苦しむファイアカロリーを見た彼女はすぐに状況を察し、ファイアカロリーを助けようと行動を開始した。


「あ…あれ、きっと、里芋……だよね。先輩、凄く苦しそう。里芋で痒くなった時は、確か……そ、そうだ!」


 藍が視界の端に捉えたものは、大型の寸胴鍋であった。人間一人くらいは余裕で入る大型の鍋には、まだ水が溜められているだけで、具材などは何も入っていない。恐らく、おかわり用の次の芋煮を作る為に用意してあったのだろう。ファイアカロリーが現れた事で、作業が中断しているのだ。

 また、鍋の近くにいる町内会のスタッフ達は、生気を無くした瞳でロボットのように殺到する市民達に芋煮をよそって手渡している。チャンスは今しかない、藍はすぐに転身してある物を買いに近隣の店舗へと向かった。


「待っててください、先輩。い、今助けます…!どうか、間に合って……!」


 そんな藍の願いの裏では、公園に集まった人々が正気を失い、暴徒と化し始めていた。誰も彼もが芋煮を求め、奪い合っている。中には乱闘騒ぎに発展しているものもいるようだ。


「おい!俺にその芋煮を寄越せ!」


「うるせぇ!早い者勝ちだ!」

 

「なんだと、テメェ!いいから寄越しやがれ!」

 

 それは、あのカニ重人が仕込んだカニ汁の時よりも酷い状況であった。このままではいつ殺し合いになってもおかしくない程の熱狂ぶりだ。そんな人々の様子を、サトイモ重人は満足気に見つめている。


「シュシュシュ…!そうだ、奪い合うがいい。それこそが人のさがだ」


「な、なんで…うぅっ!里田の爺ちゃんは、こんな…こんな酷い事をさせるような人じゃなかったはずなのに……!」


 ファイアカロリーが呻くように呟くと、サトイモ重人はファイアカロリーに向け、静かに言葉を放った。


「ふん、人は飢えてはならんのだ。昨今は飽食の時代と言われ、暴飲暴食が悪とされるが、飢えるよりはよい。……飢えは生きとし生けるものにとって最大の悪だ。人間は、どんな過酷な状況にあっても、決して飢えに苦しんではならぬ。人が飢えるという事は、獣と同じ地位に堕ちるという事に他ならぬのだから」


「な、なん…だって…?」


 サトイモ重人こと里田伊毛さとだいもは、戦時中に生まれた人物であった。旧満州の日本人家族の元で生まれたが、旧日本軍の敗戦と同時に命からがら日本へ引き揚げてきた経験を持っている。そんな幼い頃に体感した飢えへの憎しみは、齢八十をとうに過ぎた今でも変わらない。彼にとって、飢餓に苦しむという事は何よりも唾棄すべき悪であり、決して許される事ではないのだ。

 どうやら、MBNはそう言った強い感情さえも増幅させ、巧みに重人の力へと変えてしまうらしい。人を飢えさせたくないというのは、何ら悪ではない思想であるはずだが、ハイカロリーはそれすらも歪めて、悪の重人へと変化させてしまうのだ。ファイアカロリーは想像を絶する痒みに耐えながら、浮かれていた己の考えの甘さを恥じ、そして憤った。


 (ハイカロリー……許せない。あんなにいい人だった里田の爺ちゃんを、こんな重人なんかに変えやがって…!絶対に許さないぞ!)


 しかし、胸に宿った怒りの炎も、今のファイアカロリーが立ち上がる力にはならなかった。それだけ強力な痒みが身体中の至る所に回ってしまっているのだ。普通の人間ならば、とっくの昔に意識を失っているか、或いは発狂寸前まで追い詰められていてもおかしくない状態である。

 そんな更なる苦痛へ意識が沈みそうになる中、公園の入り口から、唸りを上げて一台の軍用ジープが公園内に飛び込んできた。


「む?なんだ?……ぬおっ!?」


「え…?」


 その車は、ちょうど人々が密集している方向とは逆の方向から突っ込んできて、サトイモ重人を勢いよく撥ね飛ばした。いかに重人と言えど、サトイモ重人はカニ重人やウシ重人のような規格外の肉体を持っている訳ではない。時速百キロメートル以上のスピードで車がぶつかってくれば、ただでは済まないだろう。撥ねられたサトイモ重人は、そのままゴロゴロと転がってファイアカロリー達とは少し距離が離れた。


「ファイアカロリー!大丈夫か!?」


「さ、栄博士……!?ど、どうして…うううっ!」


「シュウ酸カルシウムは時間で消えるような甘いものではないからのう!大急ぎで助けにきたんじゃ!だが、車で撥ねたくらいでは重人は倒せん。今の内に君の身体を何とかせねば……」


「い、嫌だ!逃げたくない…!里田の爺ちゃんを助けなきゃ…ああああっ!身体が!」


「君の気持ちは解るが、今のままでは…ん?」


「こっちです!先輩、こっちに来て!」


 そう言ってファイアカロリーを呼ぶのは、さきほど近くのスーパーに向かっていった藍である。目的の物を買ったのか、予備の寸胴鍋の隣に立って、必死にアピールしている。その手に握られているものを見て、栄博士は藍の考えをすぐに見抜き、ファイアカロリーをジープの荷台に引っ掛けてそのまま車を走らせた。


「君は藍君じゃな?その手に握っておるのは……」


「は、はい、すすす、スーパーでお酢を買ってきました!里芋で手が痒くなった時はお酢が効くって、お…お祖母ちゃんから教わった事がある、ので!」


「うむ、その通りじゃ!よく買ってきてくれた、これでファイアカロリーを救えるじゃろう!」

 

 人見知りの藍には、初対面の栄博士と話すのも恐ろしいのだろう。酷く声が震えているが、ファイアカロリーを助ける為に我慢しているのは明らかだ。栄博士はそんな藍の心意気に感動しつつ、すぐさまそのお酢を受け取って寸胴鍋に流し込んでかき混ぜた。そしてお酢を手渡した藍は、今度はファイアカロリーを軽々と持ち上げ、酢水のたっぷり入った寸胴鍋の前に立つ。


「せ、先輩……ごめんなさいっ!」


「……え?おわっ!?」


 謝るや否や、藍はファイアカロリーが返事をする間も与えずにその身体を寸胴鍋へと放り込んでいた。突然、かなりの酢が効いた水に浸けられ、ファイアカロリーは一瞬パニックになったがすぐにその効果が表れていく。


 (か、痒みが…薄れてく!?)


 シュウ酸カルシウムは、熱と酸に弱い性質を持つ物質だ。里芋を調理する際、その皮を剝く前に下茹でをするのは、表面や里芋独特のぬめりの中にあるシュウ酸カルシウムを取り除くためである。また、手に着いてしまって痒みが出た時には、酢水で手を洗うとシュウ酸カルシウムが溶けて無くなり、痒みを抑える事が出来る。

 そんな生活の知恵ともいうべき雑学を、藍は家族から教わっていたというのだからファイアカロリーは幸運だった。これを天佑と言わずして何と言おう、運命はファイアカロリーに味方したのである。


 「むうぅぅ……小癪な真似をっ…!」


 その頃、サトイモ重人は立ち上がり栄博士とファイアカロリーを探していた。やはりダメージそのものは大したことはなかったようだが、撥ね飛ばされていた間は何が起こったのか解らない。ギョロギョロと目玉を動かし、すぐに視界の端に立つファイアカロリーを見つけると、ギラリと光るような鋭い視線で彼を睨みつけている。


「どうやったか知らんが、痒みを防いだようだな。だが、そのまま逃げればよかったものを……今度こそ、痒み地獄へ送ってやろう!」


「そうは行くもんか!今度は俺の番だ!……里田の爺ちゃん、必ず助けてやるからな。博士、牛圓さんを連れて離れてて!」


「解った!気をつけるんじゃぞ!」

 

 全身を濡らしたファイアカロリーは、かなりキツイ酢の匂いを撒き散らしながら栄博士の警告に親指を立てて答えた。痒みは綺麗さっぱり消えた訳ではないものの、戦うのに支障はない。そしてその傍には、鍋を火にかける為に用意されたガスボンベが置かれていた。


「ちょっと危ないけどこれでパワーを補うしかない…!ワード登録は水の中で済ませた、またぶっつけ本番だ!」


「何をする気か知らんが、無駄なことよ!むうぅぅぅっ!シュウ酸カルシウムミストォッ!!」


 再び頭を擦り、黒い泥の霧を発生させるサトイモ重人。それに対し、ファイアカロリーは左手を顔の前に突き出し、右手を頭の後ろで開いて変形の見栄を切り、叫んだ。


「行くぞ!フレイムトルネードスロー火災旋風投げ!」


 ワードと共に、ファイアカロリーの両手が輝き、FATエネルギーが集中する。これまでで最長の戦闘時間であった事と、痒みによるダメージによってFATエネルギーの残量は多くない。それを補う為に、ガスボンベを爆発させて炎を取り込むつもりだ。前回の危険な行動を繰り返せねばならないのは心苦しいものだが、これも戦いを甘く見た自分への戒めだとファイアカロリーは覚悟を決めた。


 超高温となった両手でガスボンベを振り回すと、それは次第に竜巻のような暴風を巻き起こし始めた。そして、一定の温度になった所で、ガスボンベを高く放り投げる。暴風によるパワーで破壊されたガスボンベは空中で爆発し、その炎が竜巻の中に吸い込まれ大きな火災旋風へと変化した。そしてそれは、勢いを保ったまま小型台風のようにサトイモ重人へと向かって行く。

 フレイムトルネードスローは、熱波の竜巻を発生させて、そこへ敵を放り込む投げ技である。ガスボンベを破壊するほどの強烈な熱風で敵を倒すのが本来の姿だ。今回はエネルギーが足りない為にガスボンベを使った事で、炎によるエネルギーがプラスされて威力が高まっていた。


「なっ!?そ、そんなバカなっ!」


 こうなっては、サトイモ重人のシュウ酸カルシウムミストによる黒霧の竜巻など、そよ風に等しい威力しかないだろう。シュウ酸カルシウムミストはあっという間に火災旋風に飲み込まれて霧散し、呆然とするサトイモ重人さえも飲み込んでいった。


「ウオオオオッ!?ば、バァーニーィィィングッ!」


「じ、爺ちゃんっ!」

 

 サトイモ重人の断末魔と共に、火災旋風は徐々に勢力を弱めて消滅した。ファイアカロリーは倒れた里田老人の元へ駆け込むとその無事を確かめ、安堵するのだった。

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