第50話 決着!大翔の最期

「ファイアカロリー、死ねぇっ!」


 フィンガーライム重人の叫びには、これでもかというほどの憎悪が込められているようだった。だが、その思いとは裏腹に攻撃そのものは非常に大振りで、腰も入っていなければパンチの姿勢も崩れている。典型的な素人の攻撃だ。そんな大振りが当たるようなファイアカロリーではなく、今度はその拳をいなしながら、カウンターで肘打ちを顔面に叩き込んだ。


「ぐあっ!?」


「そんな攻撃、当たるもんかよ!」


「ぐっ…!ち、チクショウ……!」


 フィンガーライム重人に鼻があれば、今頃は大量に鼻血を噴き出していたに違いないが、フィンガーライム重人の頭は短めのオクラのような形をした実だ。相変わらず目玉だけはあるのが不気味だが、その形である以上、鼻血は出ないだろう。


 ダメージのせいで二歩ほど後退したフィンガーライム重人は、舐め上げるようにファイアカロリーを睨んだ。その瞳からは戦う意志も、憎しみさえも衰えたようには見えない。むしろ、その妄執は増していくばかりのようだ。何よりも、まだ切り札を持っているかのような自信が見え隠れしていた。


 ファイアカロリーはすかさずフィンガーライム重人の懐に飛び込むと、がら空きのボディへ強烈な拳を叩き込んだ。二人の力の差は歴然だ、となれば、ファイアカロリーに相手を嬲る趣味はない。速やかに彼を倒し、無力化して、あの再生重人達を止めねばならないと考えていた。


「ククッ……!かかったな!」


「何っ!?」


 そう叫んだフィンガーライム重人の身体から、ミチミチ…という不気味な音がしたかと思うと、拳を入れた腹を中心としたその周りから、ちょうど拳ほどの大きさをした粒状の何かがせり出していた。そして、その粒は圧に耐えかねていくつもが大きく弾ける。


「ぐっ!?う、うわああああっ!」


 弾けたのはフィンガーライム重人の体内にある、果肉状の嚢胞である。そもそも、フィンガーライムという植物は、その果実の中に小さな袋状の果肉を大量に含んだ植物だ。一口にフィンガーライムと言っても複数の種類があり、それぞれが強い香りと酸味のある水分を蓄えた果肉を持っている。種類ごとに香りや味が違うので 料理によって使い分けられる調味料的な果実なのだ。

 フィンガーライム重人は、その果肉が持つ強い香りにいくつかの効力を持たせていて、それが先程、上級生達の身体を麻痺させて動けなくしたものの正体であった。そしてたった今潰れた果肉には、非常に強力な酸がたっぷりと蓄えられていた。ファイアカロリーは至近距離でそれが弾けたために、その酸を大量に浴びてしまったのだ。


「うう……て、手が……!」

 

「ハハハッ!俺の身体には、大量の強酸を含んだ果肉が詰まってるんだよ!それは打撃を加える事で体外へ放出されるようになってるのさ!お前はそうとは知らず、俺を殴りつけちまった、ざまぁみろ!マヌケがっ!」


「く、何て奴だ…!」


 ファイアカロリーの右手は、完全に爛れてしまい力が入らない。骨はなんとか無事だろうが、それでもしばらくは使えそうにない。これを勝機と見たのか、フィンガーライム重人は次なる攻撃に打って出た。


「お前達、来いっ!」


「!?」


 それは、最初からフィンガーライム重人の背後にいた三人の男達である。すっかり太りきってしまっていて解らなかったが、よくよくその顔を見てみると、それは大翔が従えていた鮫島を始めとする不良グループのメンバー達であった。


「鮫島に緒佐間…それに洞吹も!」


「ググ……ッ!炎上、野郎……殺ス……!」


「そうだ!お前ら、俺が与えてやった力を解放しろ!ファイアカロリーを殺すんだ!」


「グオオオオオッ!!」


 フィンガーライム重人の呼びかけに鮫島達は反応し、彼らの身体は一斉に変化して、それぞれが色違いのフィンガーライム重人に変化した。これで四体のフィンガーライム重人が現れた事になる。しかも、フィンガーライム重人はただ数を揃えただけではなかった。


「な、なんだ!?フィンガーライム重人の姿が……!?」


「クククッ!見づらいだろう?学のないお前に教えてやるよ。これはフォン・ベゾルト効果と言ってな。色の同化現象を利用した錯視さ。簡単に言えば異なる色同士を隣接させると、それらは互いに溶け合って中間色に見えるって現象だ。それにMBNの力を加える事で、より強力な錯覚を引き起こす……もうお前に、俺達の姿を正確に捉えることは出来ないぜ。…そらよっ!」


「う、うわああっ!?」


 ファイアカロリーの目には、四人居たフィンガーライム重人の姿が、大きくなったり逆に小さくなったりして見えていた。本来のフォン・ベゾルト現象には、そこまでの錯視効果はない。これと同じ現象が日常で使われている代表的なもので言えば、みかんが同系色の濃いオレンジ色のネットに包まれていることで、みかんそのものの色をより鮮やかに際立たせる事が出来るというものだ。フィンガーライム重人の言葉通り、それを自身の放つ香りまでもを使って強化し、強固な幻覚のように見せているのである。


 時に大きく、時に小さく見える彼らの攻撃を、ファイアカロリーは上手く避ける事が出来なくなっていた。何しろ、見えている形と実像が全く違うので、見切りが完全に効かないのだ。しかもそれは、ファイアカロリーが攻撃する時には間合いを測らせない防御術としても機能している。反撃すら封殺されたファイアカロリーに、四体のフィンガーライム重人から容赦のない猛攻が与えられた。


「ぐっ…ぁっ…!」


「ハッハハハ!いいザマだ!ちょっと力を手に入れたからって、俺を見下しやがって!お前なんかなぁ、同じ力さえ手に入れちまえば俺の方が上なんだよ!解ったか、クズの炎上野郎が!」


 それは以前、数の暴力に屈していた自分を思い起こさせるものだった。大翔を始めとした不良グループ相手に手も足も出せず、一方的にやられ続ける日々……結果的にファイアカロリーという力を得て状況を脱しかけていたが、結局の所、彼らが力を得れば元の状態へ戻ってしまう。その程度のものだったのだ。それに気付いてしまったファイアカロリーの心は完全に折れかけていた。

 

「そうだ、せっかくだからお前のだらしがない様を学校の奴らにも解らせてやろう。俺の香りの力は敵を騙すだけのものじゃねぇ…見てろ!」


 フィンガーライム重人が全身から目に見えるほど濃い霧のような物を吹きだした。それはMBNで作られた精神系の幻覚物質の一種であり、フィンガーライム重人の思考を伝達する能力を持っている。この霧の中では、フィンガーライム重人の見たものや、思考をテレパシーのように伝播させる事が可能なのだ。


「おい……なんだこれ?目を瞑ると何か見えるぞ!?」


「目を瞑ったらじゃねぇ。頭の中に勝手に流れ込んでくるんだ!」


「いやぁ!?気持ち悪い!私の中に入って来ないでっ!」


 (あ、あの赤いの……あの時、私と陽菜を助けてくれた…全裸の奴、どうしてここに!?)

 

 学校全体に広く薄く散布されていた香気の正体が、この霧である。重人として覚醒したばかりのフィンガーライム重人がこれほどの力を持つのは、やはり素体である間ヶ部大翔本人が優秀である事の証と言えるだろう。既にこの香りを嗅ぎ続けていた全校生徒は、あっという間にフィンガーライム重人と思考が繋がってしまった。彼らは皆、強制的に流れ込んでくるフィンガーライム重人の意識に恐れおののいているようだ。ただし、明香里だけは以前、ファイアカロリーに助けられた事を思い出していた。


「見ろ!コイツがお前達を助けようとして俺に負けたクズ野郎の末路だ!コイツを今から処刑する!俺に歯向かった人間がどうなるか、よく見ておくがいい!」


 生徒達の脳内には、跪いた状態で両腕を抱えられ、抑えつけられたファイアカロリーの姿が見えていた。その姿は痛々しくボロボロで、どれだけの暴行を受けたのか想像するに容易い様子だ。誰もが息を呑み、今度は自分達が同じような目に遭うのではないかと戦々恐々としている。その内に、生徒達の中からはフィンガーライム重人に媚び諂う者まで現れていた。


「お、俺は何もしてないじゃないか!?そいつをボコしたら、俺達は解放してくれよ!」


「そ、そうだ!そいつはちょっと前に噂になってた赤い男だろ!?そんな変な恰好したヤツどうなってもいい!俺達は助けてくれ!」


「な、何言ってるの?!アンタ達!」


 明香里は驚愕した、あの手の重人に出会うのは二度目…正確に言えば覚えていないが、カニ重人も入れれば三度目になる。どのパターンも重人達は人を傷つけたり太らせたりと、決して甘い見立てが通用する相手ではない。ここでファイアカロリーを生贄に差し出した所で、自分達が救われる保証など無いのだ。

 だが、恐慌状態にある生徒達に、そんな正論は通用しない。少しでも助かる可能性が上がればと考えてばかりだった。


「フハハ!おい、ファイアカロリー!お前が助けようとしてた連中が何を考えているか教えてやろうか?皆自分達が助かる事ばっかりで、お前なんてどうなってもいいとよ!解ったか?お前みたいなクズ野郎は、誰からも求められもしなけりゃ誰も救えはしないのさ。解ったか?解ったら絶望して死ね!アハハハハッ!」


 (そんな……!?いくらなんでもそんなの、酷過ぎるわ!)


 明香里は、ファイアカロリーが自分達を助けてくれようとしていた事を理解している。校庭の様子は見えなくなってしまったが、あの丈太でさえ、上級生を助けようとしていたのだ。自分だけが指を咥えて見ていていいとは思えなかった。そして、戦いの場所が屋上であると気付き、居ても立っても居られなくなって教室を飛び出した。


 明香里が屋上に辿り着くと、ちょうど扉の前には藍が居て、今にもそれを開けようとしている所だった。自分と同じように立ち上がった人がいる、明香里はその事実に背中を押された気がして藍に声を掛ける。


「アンタ、確か最近炎堂と仲良い子よね?アンタも黙ってられなくなったクチ?」


「あ……はい、せ、先輩がピンチだって…それで……」


「あの炎堂だって、先輩助けようとしてたもんね。あたし達だって黙ってられないよね。行こうか!」


 明香里はファイアカロリーが丈太であることを知らないので、微妙に噛み合っていない会話だ。あくまで藍は丈太に触発されてここへ来たと思っているらしい。藍は丈太本人を助けに来たつもりなのだが。


 そして二人が扉を開けて屋上に出ると、頭の中に流れ込んで来ていた映像と同じ光景がそこにはあった。違うのは主観がフィンガーライム重人のものか、自分自身の視点かの違いである。


「ん?お前ら……コイツがやられるのを見に来たのか?いいぜ、見ていけよ」


「せ、先輩を放して!」


「アンタ達、いい加減にしなさいよ!たった一人を寄って集って…!」


「う、牛圓さん……明香里さん、も?……ダメだ、逃げるんだ……」


「なんだ、コイツを助けに来たつもりかよ。丁度いい、コイツにたっぷり無力感を与えてやる。ついでにお前らも、俺に歯向かうとどうなるか教えてやるよ。お前らがズタボロにされる様を全校生徒に中継してやるぜ!」


「なっ!?」


「や、止め…っ……!」


 ファイアカロリーが抵抗の意志を見せると、フィンガーライム重人は更に笑った。彼女達を必死に守ろうとすればするほど、それが出来ないことでファイアカロリーの心を痛めつけられると解っているのだ。嘲笑と共に二人へ近づくフィンガーライム重人を止めようと、藻掻きながら空を見上げた時、ファイアカロリーの瞳に、天高く燃えて輝く太陽が映った。


 (俺は、どうなってもいい…二人を、皆を助けられるなら。……そうだ、俺は諦めちゃいけないんだ。例えあいつらに何度やられようとも、俺のはまだ、燃え尽きちゃいないんだ!)


 その瞬間、ファイアカロリーの身体が大きく燃え上がり、炎の嵐を巻き起こして二人のフィンガーライム重人を吹き飛ばした。巻き上がった炎は、ファイアカロリーの身体を包み、やがて、形を成していく。


 本来、ファイアカロリーの頭部に形成されていた触角のような二本のアンテナは、クワガタの角を思わせる二つのブレードに変わった。胸から肩にかけても生体ナノマシンが体表を覆い、それはアーマー状に形成されたようだ。全体的なフォルムはバニシングフォームに近いものの、歪にひび割れていた部分などはなく、完成された形に落ち着いたらしい。

 ファイアカロリーはFATエネルギーだけでなく、多量の太陽光とその熱を吸収したことで、バニシングフォームを更に超えた形態へと進化を遂げたのである。


「な、なんだこの変化は!?こんなの、アイツらは何も……くそっ!どうせたかが見た目が変わっただけだろう。俺達に勝てるはずがない!」


「フウゥゥッ……」


 声を荒げるフィンガーライム重人とは対照的に、新たな姿へと変わったファイアカロリーは大きく息を吐きながら、やや腰を落として構えを取った。刀こそ持っていないが、居合切りのような構えだ。そして、その目の奥が赤く光った瞬間、三体のフィンガーライム重人が一瞬にして打ち倒されていた。

 それはまさに電光石火の攻撃で、拳や蹴りがそれぞれに命中し、フィンガーライム重人は火柱を上げて倒れていく。残ったのは本体である大翔が変身したフィンガーライム重人だけだ。


「ば、バカなっ?!どこにそんな力が……」


 よく見れば、最初にファイアカロリーが受けた強酸による右手へのダメージも完璧に回復しているようだ。刹那の瞬間とも評すべき一瞬にして形勢逆転してしまい、フィンガーライム重人は動揺を隠せない。既に三人の仲間を失ってしまった事でフォン・ベゾルト効果も失われており、身を守るはずの果肉すらもファイアカロリーの圧倒的な熱量によって焼かれてしまうようだ。こうなればもはや、フィンガーライム重人に勝ち目はない。だが、ファイアカロリーに……丈太にだけは負けたくないというプライドだけが彼を突き動かした。


「くそ!ここまで来て負けて…負けてたまるかっ!死ねぇっ!」


「……ッ!」


 ファイアカロリーに、突撃するフィンガーライム重人の脳裏に浮かんだのは、これまでに丈太をいじめてきた過去である。度重なる暴力と、女子更衣室へ丈太を全裸で投げ込んだ仕打ち…それらが走馬灯のように巡っていた。そしてそれは、全校生徒の脳内にも伝わっていたのだ。


「ハイパーカロリー…スマッシュ!」


 ファイアカロリーは向かってきたフィンガーライム重人のパンチを躱し、返す刀でハイパーカロリースマッシュでカウンターを決めた。その威力は通常形態で放つそれよりも遥かに強力なエネルギーを秘めており、その一撃を受けたフィンガーライム重人は、断末魔の叫びを上げながら炎に包まれた。


「ぐぁっ!ば、バァーニーィィィングッ!!」


「フゥッ……」


 こうして、フィンガーライム重人による荒戸馬高校の襲撃は幕を下ろした。奇跡的に死者こそ出なかったものの、重傷者は多数いて、かなりの事件になってしまったようだ。だが、問題は他にもあった。この事件の裏では、栄博士の研究室兼自宅がハイカロリーの別動隊によって襲撃されており、博士が行方不明になってしまっていたのだ。


 ファイアカロリー達の戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。

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