第54話 ドリアン・グレイの猛攻

「久し振りな気がするな、ここ。って言っても、前に来た時はまだ二週間くらい前だったけど」


 廃工場の前で、ファイアカロリーが呟く。時間は夕方で、もうすぐ日が落ちきる頃合いだ。一応、三依に連絡を入れておいたが、彼女は米軍の指示を仰がなければならないので、すぐに来てくれるかは解らない。


 以前と変わらず人気ひとけのない工場は静まり返っており、警戒反応も消えている。何もないならそれに越したことはないが、栄博士を救う為には例え罠であっても飛び込まねばならないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ずである。


「誰もいない?いや、そんなはずないよな。なんかすごくイヤな予感がするし。でも、なんだ?なんか変な臭いがするような……?」


 ここで以前と変わった事と言えば、その臭いである。トイレのような、何かが腐ったような、かなり強い刺激臭だ。それは工場の中へ進めば進むほど強くなり、ファイアカロリーは顔を手で押さえながら歩いていった。


 そして、ちょうどザギンカリーと戦った広い場所に辿り着いた時だった。闇の中にひっそりと、何者かがそこに立っている。暗がりでハッキリとは見えないが、そこに立つ何者かからは、人のものとは思えない気配と臭気が感じられた。さっきから工場内に漂っていた臭いの原因はコイツなのだ。


「そこのお前……重人か?」


 この状況で、たった一人佇む存在。どう考えてもただの人間ではないのは明らかだが、確認しない訳にもいかないだろう、いきなり攻撃してただの臭い人だったら洒落にならない。重人かと聞いて素直に答えるかどうかも不明だが、ここへファイアカロリーを呼び出したからには、隠す必要もないはずだ。

 警戒するファイアカロリーに対し、それはゆっくりと身体を揺らしてみせた。

 

「クックック……グレ~~イ!」


「ぐ、ぐれい?なんだ、コイツは……うっ、臭いが……!?くっ、くっせぇぇぇ!」


 その重人が身体を揺らしただけで、常軌を逸したほどの臭気が辺りに撒き散らされた。顔を背けたくなるほどの臭いに巻かれ、一瞬、ファイアカロリーは視線を逸らした。


「ヒャハッ!」


「っ!?」


 その、ほんのわずかな隙を衝いて超重人ドリアンが動き出す。ドリアンは刹那の内に距離を詰め、ファイアカロリーの腹に強烈なパンチを繰り出してきた。腹に突き刺さるような拳の一撃は、これまでの重人のものとは明らかに違う威力だ。あの瞬間に接近してきたスピードも、パワーも常軌を逸していた。


「うぐっ…っ!」


 ファイアカロリーは耐えきれずに吹き飛ばされ、工場の壁に激突して止まった。少し前のファイアカロリーであったなら、確実に今の一撃で終わっていただろう。新たなフォームに目覚めて体内の生体ナノマシンが増殖し、また自らの意志で身体を鍛え始めたからこそ耐え切れた、そんな一撃である。


「な、なんてパワーとスピードなんだ……!あのザギンカリーって奴より強いぞ!?あと、すっごく臭い!」


「グレ~イ!俺にとっちゃ臭いは褒め言葉だぜぇ!この匂いもまた、として当然の味わいだからなぁ」


 ドリアンとは、果物の王様と称される食材であるが、その匂いは凄まじいという。ファイアカロリーは生まれてこの方、本物のドリアンを食べた事がなかったが、ここまで酷い悪臭がするのであれば、金輪際食べてみたいとは思えない。これは余談だが、超重人ドリアンの発する臭気はMBNによって兵器として調整されているからこその激臭であり、本物のドリアンはここまで酷いものではない。






 

「超重人ドリアンの放つ臭気は、MBNによって強化され、あらゆる防御を貫通する。例え世界最高レベルの軍用防毒マスクでさえ防げんじゃろう。……彼はかなりキツイじゃろうな」


 遠く離れた場所で二人の戦いをモニターしつつ、栄博士が一人呟いた。自身の家族と、丈太の家族までもを人質にされ栄博士は超重人の研究と開発を手伝わされているのだが、その表情はとても暗い。それは当然の事だろう、二つの家族を天秤にかけ、大切な友人を殺す手伝いをさせられているのだ。栄博士が拉致されてから一週間と少しの時間しか経過していないが、既に博士は憔悴してやつれはじめていた。


「ふん、ファイアカロリーめ、俺よりもドリアンの方が強いだと?……奴は敵を見抜く目が甘いな」


 その隣で、同じように戦いを見つめていた欧田は、ファイアカロリーのドリアンを評した言葉に苛立ちを隠せないようだ。超重人は戦闘に特化した重人である為、これまでの重人とは一線を画す力を持っている。しかし、仮にも欧田――ザギンカリーはハイカロリーの幹部クラスなのだ。彼ら幹部陣は特別に調整されたMBNを投与されており、一般の重人達よりも強く、また本人の意識が強く残るように設計されている。小麦や欧田、それに飽食が普通の重人と比べてまともなのは、それが理由であった。


「お主ら幹部共がいくら特殊でも、超重人に敵わんのは仕方あるまい。部下に嫉妬とは、ずいぶん見苦しいことをするもんじゃな。なんなら、お主も超重人化してみるか?お主ら用のMBNを研究せねばならんがな」


 欧田を怒らせるのは得策ではないが、この程度の嫌味くらいは言いたくなるものだ。博士がそう言うと、欧田はフッと肩の力を抜いて首を横に振ってみせた。


「そうしたいのは山々だが、俺達幹部用のMBNは養素やしもと様でなければ手出し出来ん。まぁ、それもいずれ…な」


「ほう……」


 その返事を聞き、栄博士は少し納得したようだった。超重人計画を手伝えと言われ、この一週間ちょっとの間は研究に没頭していたが、そのお陰でいくつか重人について解った事がある。その一つが、彼ら幹部達が持つ調整MBNの存在だ。これまではそれに関して一切のデータも何もかもが秘匿されていたが、今の欧田の口振りからして、それの情報は全て弟の養素がその手に握っているようである。ハイカロリーには元々、特別な研究チームが存在しており、かなり優秀な人材が揃っていた。そんな研究チームですら、彼らのMBNについての情報が無いのである。これは流石に何かがおかしいと、博士は感じていた。


 (もしかすると、調整用MBNには何か秘密が……?いや、或いはんじゃなかろうか?いずれにせよ、もうしばらくはこやつらに従っておくのが賢明じゃな。丈太君、すまぬ。耐えてくれよ……!)


 栄博士は胸の内で丈太に謝り、再び戦いの画面に視線を戻した。未だ超重人ドリアンは手の内を全て明かしていないが、ファイアカロリーの能力ならば、きっと勝利できるはずだ。そんな博士の願いとは裏腹に、戦いは更に激しさを増していくようだった。




 

 

 「くそ…!臭くて集中できないけど、このままじゃ負けてしまう。気を引き締めて、しっかりしなきゃ…!」


 先程の一撃を食らった時、ドリアンのスピードは相当なものだったが、ファイアカロリーが反応出来ない程の速さというほどではなかった。彼が臭気で目を逸らしてしまわなければ、十分に反応して防げる速さだったのだ。

 だが、そんなファイアカロリーの算段を知ってか知らずか、超重人ドリアンは更なる攻撃に打って出た。トゲトゲとしたドリアン状の頭部から、棘を一本引き抜いたのだ。一見するとそれは細めの絵筆のようだが、得体の知れないパワーを感じさせるものでもあった。


「なんだ?……えっ!?」


「グレ~~~~イッ!」


 超重人ドリアンはその筆を使い、空中にサラサラと絵を描き始めた。流れる様な筆さばきで、瞬く間に絵は完成する。そこに現れたのは、これまで目の前にいた超重人ドリアンと瓜二つの重人である。そう、超重人ドリアンは絵を実体化させているのだ。


「う、っそだろ!?」


「ヒャハッ!お前の負けだぜぇ!これこそが、超重人ドリアンの真骨頂『ドリアン・グレイの肖像』だぁっ!」


 二体に増えた超重人ドリアンを前に、ファイアカロリーは呆然とする他なかった。超重人ドリアンは、そんな驚くべき技を持っていたのである。

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