8部 円卓裁判
第71話
ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵並びに、ドッチ商会頭取であるドラン=ドッチ名誉男爵は、拘置所に拘留されていた。
〇 〇 〇
絢爛な屋敷の一室、香るは肉汁の旨味。
ゼファーリア大森林で伐採されたゼファリアオークの一等を使ったテーブルの上には超長綿のスピムコットンで織られたテーブルクロスが敷かれていた。
テーブルの上に乗るのは、白磁の皿。時価で小金貨一枚程度の『安物』である。そして皿の上に乗るのは、肉厚のあるラムステーキだった。
羊は牧畜される物である。羊からは羊毛を刈る事が出来る。羊毛は衣服を始めとする様々な布として加工することができる。牧畜は言わずもがな、当然ながら人の手で行われる。そして、牧畜を行うには広大な敷地、専門的な知識を持つ羊飼いが必要とされる。
ラウンドボアや、フォレストボアのように勝手いずる物ではない。必然的に羊肉は、猪肉より高値で取引される。
特に生後一年に満たない子羊肉などは高級肉として取り扱われ、腰肉などは市民ではおいそれと手の出せない値段に跳ね上がる。
皿の上に置かれていたのは、子羊の腰肉をステーキにしたものであった。絢爛な屋敷の主は、そのステーキに惜しみもなく喰らいつく。下品に、口から肉汁を垂らしながら。
デパール様式の部屋。絢爛に、様々な調度品で彩られた成金趣味の部屋。寝所の布も、テーブルクロスと合わせた超長綿のスピムコットンであった。
部屋の隅には、簡易なワインセラーまで置かれている。並ぶは熟成された黒葡萄を選んだワインと蒸留酒である。クラックバードのような場末の酒場ではまず提供されない高級酒である。こういう物は市民の手に渡る前に貴族の口に仕舞われる。
屋敷の主は口を拭う。安いハンカチーフで。これもスピムコットンの良い所を使用している。
「まずい」
十五年物のヴィンテージであるレッドロゼで口を直しながら、ダフトフは苛立ち紛れにそう給仕に言い放った。八つ当たり気味に吐き捨てられた給仕は恭しそうに頭を下げるが、彼が機嫌悪いのはこの館に入場してからの事である。そもそもが、この館に佇まう者は総じて機嫌が悪い。給仕も慣れた物である。
ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵は、『拘留』されていた。クリュール区における奴隷売買の重要参考人として。
セインブルグ王国において貴族が犯罪を犯した場合、貴族院裁判にかけられる事になる。貴族院裁判は爵位を賜る貴族全てを対象とされる裁判だが、この裁判は下院裁判と上院裁判があり、伯爵位以下は総じて下院裁判の対象となる。
とは言ったものの、上院裁判は輝爵十八翼しか適応されないので、実際に行われる貴族院裁判は下院裁判がそのほぼ、全てを占めている。
裁判の被告となった貴族は、一旦貴爵留居館と呼ばれる施設に拘留される。これがいわゆる『拘置所』である。重要犯罪の被告が海外逃亡しない為に用意された『牢獄』であった。
その『牢獄の外観』だが、先にも述べた通り、デパール様式の非常に予算の費やされた物である。浴場や娯楽施設等も完備されて、状況によっては酒を嗜むことも出来る。出される『臭い飯』も厳選された一流の調理人による舌鼓を打つ者ばかりである。何故なら、貴族に失礼があってはならないからである。
まるで、海外の大国の名高き高官が食客として訪れたような扱い。これがこの国の貴族への待遇であった。
勿論、爵位を持たない者もこのような厚遇というわけではない。現に共謀を疑われる亜人や従者達はクリュール区の警察組織が抱える拘置所に一時拘留されている。石畳に雑魚寝なので、寝返りをするだけで身体を痛めるような環境である。急な団体客の接待で、クリュール区の拘置所は大賑わいであろう。
そんなかつての部下達の辛苦を知ってか知らずか、ダフトフは風通しの良い一室で、ワインを転がしながら、裁判の開廷を待っていた。
「しかし、こうも開廷が長引くとはな」
開廷は長引いてはいない。ダフトフが拘留されてから、わずか三日程度しか経過していない。しかし、わずか三日としても、こうも焦らされるのはダフトフにとって耐えがたい事であった。
「根回しは済んでいるのだろうな。いざ判決が下って、王都追放でもなったら承知せんぞ」
ダフトフは対面に向かって言う。
彼が言葉を告げた人物は、ドラン=ドッチであった。ドッチ商会の商会長、闇金融の頭取である彼は商売の功績を称えられ、名誉男爵を賜っていた。一代限りであり、厳密には準男爵と言うべき物だが、結果的にその立場が彼を冷たい牢獄ではなく過ごしやすい温室に誘う事になった。
ドランは鏡合わせにワインを口に含み、ダフトフに言葉を返した。
「安心ください。すでに根回しは済んでおります。恐らく、悪いようにはならないかと」
「ならば、良いが」
ダフトフはそこで、留飲を下げるように息を吐く。
貴族院裁判は、純粋に法治律政院、言い換えるならば国家の法治機構の手、のみで行われるわけではなくそこに、大政法治院、つまり貴族の圧力が介入する。
セインブルグ王国の法治機構は表向き、分律されているが実際にはそのような事がなく、常に有力な貴族に介入されているという現実があった。裁判員は皆、貴族に懐柔された者であり、逆説的な事を言うのであれば貴族に忖度しなければ裁判に携わる事が出来ないきらいまであった。
なので、貴族に厳罰が下る事はほぼ、皆無であると言っても問題がなかった。
二人の悪党は、過去の事例から今回の一部始終についての落としどころを探っていた。恐らくは、罰則金と長期謹慎で収まるのだろうと。
実のところ、彼ら以外にも過去に奴隷売買を行った事例は多数、というほどではないが数えるほどに存在する。貴族が行った事例、爵位を持たない市民が行った事例、双方ある。
貴族が行った事例については、ダフトフ男爵ほどに大きく動きはしなかったが、両手で数えるほどの取引が立証された結果、謹慎一年、罰則金は取引額の三割と聞いている。白金貨換算で三十枚ほどで許されたと言われている。
その事例から鑑みるに今回の件も恐らくは、白金貨百枚超の罰則で収まると予想される。謹慎の期間も、恩赦次第だがもう少し伸びるだろうと思われた。
ただ、この罰則金は憾意寄金と呼ばれているのだが、なんだかんだで払った罰則金が何らかの形で罰則の対象となった貴族に還元される習わしになっている。事実上の罰則は謹慎のみと言っても過言ではない。
その上の罪として、毒杯や斬首が存在するが、その手の類が下される輩は大半が貴族社会で爪弾きにされているような者たちである。あの潔癖なレベリオンのような。貴族社会で癒着の関係を多く持つダフトフにとってそのような不安はなかった。
ちなみに、市民が奴隷取引を行った事例だが、これもまた語る事ではない。極刑である。情状酌量は無い。市中引き回しか、あるいは絞首か。死に様は如何様にも選択肢がある。
「しかし」
ダフトフは憎々し気に言う。
「あの、レベリオン家の小娘だけは許してはおかぬ。今回の件が落着次第、大后に進言し、処分してもらうしかないな」
「レベリオン家は、清廉潔白ゆえに敵も多いですからな。おそらく、この件を皮切りに、共謀してくれる者も多いかと」
「小娘は私の元に連れてこい。あの娘は自分の手でケジメをつけなければ収まりがつかぬ」
「御意に」
ドランは、そっと答える。
「それで」
ダフトフが片目をつむる。
「実のところ、どうなのだ。開廷の日取りはつかめたのか」
「通常は七日から十日ほどの拘留を終えてからの事になりますが、特別に計ってもらっております」
「日頃の心付けが効いたようだな」
「おそらく。そろそろの事だと思いますが」
と。
そこで。
部屋にコツコツと、響く。
「失礼いたします」
「入れ」
ダフトフの言葉に入室したのは、魔術師のローブのような厳かな法治律政院の制服に身を包んだ役員であった。つまりは、状況の進展に対する連絡であった。
「ダフトフ=ノーヴ=バンドゥ男爵閣下、並びにドラン=ドッチ名誉男爵閣下におかれます裁判の開廷日時が決定しました」
「待ちわびたぞ。それで、何時だ」
「明日の三刻より開廷する手筈でございます」
「なるほど。解った。下がって良い」
そこまで聞くと、ダフトフは不機嫌そうに役員を追い払おうとした。しかし、役員は退席する素振りがない。ダフトフは怪訝そうに重ねて、役員に聞く。
「なんだ。まだ何かあるのか」
「いえ。重ねてお耳に入れなければならない事が、一つございます」
「なんだ。早く言え。肉が冷める」
「は」
役員は敬礼を一つ、言葉を続ける。
「此度の裁判においてですが、開廷されるのは下院裁判ではございません。その事を付け加えさえて頂きたく存じ上げます」
「下院裁判ではない?」
ダフトフは首をかしげる。
「ならば、なんだ。市民と同じように民主裁判にでもかけるつもりか。そのような話、聞いた事は無いぞ」
「いえ、勿論そのような事は断じてございません。けれども、この度の閣下が裁定される場は貴族院裁判でもございません」
役員は、そこで息を吸うと、静かに告げる。
「この度、開廷されるのは円卓裁判と決定されました」
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