第31話


 イグナートは注意深く眼下の小さな小娘を見つめていた。金髪の小柄な少女。竜にとっては文字通り豆粒のような大きさしかない。

 矮小。虚弱。か弱き生物。

 金髪は非常に癇に障る。

 金髪のあの悪魔こそ、この我が人間を憎み、人間を敵視し、人間を滅ぼそうと誓った根源的な要因が筆頭だからである。

 金髪は、悪だ。滅ぼさなければならない。

 なので、まずセインブルグの王都、なんという名前だったか、確かなんとかガイア、その王都に攻め入ったら金髪のセインブルグ人を皆殺しにして、片っ端からゼファーリア大森林の木々に刺し貫いてバロック鳥の良き餌にしてやろうと考えていた。

 だが、目の前の金髪は少し手ごわそうだ。

 なにせ、四大憑きときている。

 自分の知りうる限り、四大と契約成功した人間は存在しない。一体、如何なる手段を用いて、あの調和と調停を何よりも大事にする四大の精霊どもを自らの傘下に収めたのか、それはわからない。

 だが、人間の魔術など蚊に刺された程度にしか効かない自分の堅く堅牢な皮膚を平然と抉ってくる数多くの呪文、それをまるで手足のように操るあの手腕から並みの魔術師ではないことは等に知れた。屠龍の一撃は比喩ではない。ロウドラゴン程度ならばすでに屠られていただろうにという確信もある。

 それほどの相手ならば、例え人間であろうとも油断はできない。人間ごときに情けなない話だが、全力で向かい撃たなければならない相手だと黄金竜、イグナートは確信した。

 なので。

 臆病だと笑うなかれ。玉座の裏に密偵は潜む。神話や伝承の先人が犯した愚をなぞることなく、そして無力と侮ることなく、全ての神経を目の前の金髪の小娘に集中する。

 すると。

 そこに一歩前に出てきたのは金髪の小娘の周りを目障りにうろちょろする蒼い髪の娘だった。手には、頼りない金属の棒を掲げている。あんなみすぼらしい棒で、いったい何をどうするつもりだろうか。見ていて滑稽にも程がある。

 蒼い髪の小娘には金髪の娘程の力はない。なので眼中にすら入っていなかった。あの強力な印術は目障りで厄介だが、逆に言ってしまえば多少目障りなだけで自分を害する程の力はないと感じた。

 つまりは、ただの蝿である。

 イグナートは、目障りな蝿に告げた。

「なんだ。いたのか。まだ生きていたのか。正直、歯牙にもかけなかったので生きているのかどうかも気に留めなかったぞ」

「そりゃどうも」

 青い髪の少女は剣を片手にそっけなく返す。

 イグナートはその姿に慈悲を見せる。

「貴様では相手にならぬ。今はそっちの小娘の相手で忙しい。今なら逃がしてやる。とっとと失せるが良い」

「そういうのが一番腹立つのよね」

 そう言い、カーリャはイグナートに剣を向けた。

「そんな言い草されて、引き下がったんじゃ完全に私はお荷物じゃない。少しは痛い目見せないと気が済まないわ」

「愚かな」

 イグナートは息を吐く。

 彼我の差がわからぬとは。

 だが、人の愚かは今に始まった事ではない。

 ならば。

 それをわからせるのは。

 死を持ってしかない。

「ならば、あの世で自らの身の丈を悟るが良い!」

 カーリャはその言葉に、臨戦の体制をとった。


 ーー一刻前。

「本当にいいの?」

 と心配そうに聞き返すミシューに。

「大丈夫。私を信じなさい」

 と、カーリャは答えた。

 華奢で白百合のように可憐で、そして白亜のように美しく儚いその背中を見せて。何の気なしもなく、その剣と同じようにまっすぐで眩い言葉を紡ぐ。

 この人はいつもそうだ。

 本当はたいして自信などないくせに。

 強くあろうと、背中を見せる。

 パーティは一蓮托生。

 生きるも死ぬも、仲間しだい。

 ならばと。

 ミシューは。

 カーリャに全てを預け。

 詠唱を開始した。


 暴風のような竜の左手が凪ぐ。

「!」

 カーリャは素早くそれをよける。

「ちょこまかと!」

 続いて右手が、はるか上空から襲ってくる。

「くっ!」

 続けて、飛び、避ける。

 一見、鈍重に見える竜の攻撃。

 だが、そのすべては遠近さでゆっくりと見えるだけで、嵐のように吹き荒れ、かすっただけで腕なら腕、足なら足が根こそぎ持っていかれるような死神の鎌だった。

 だが、反撃をしなければジリ貧である。

 カーリャは剣を払う。

「風刃殺!」

 生まれいずるは真空の刃。

 だが。

「ふん」

 竜はよける事すらしない。

 よける必要すらない。

 なぜなら。

 頑丈たる黄金竜の皮膚は、そよ風の様な生ぬるい刃など物ともしなかったからである。

「効かぬぞ!」

「なら!」

 カーリャは剣を腰だめに構え。

 そのまま、薙ぎ。

 更に次いで、一閃。

「風刃殺・蓮華!」

 続けて、ざまの真空の刃。

 交わりし風の刃が威力を増し、怒涛に竜を切り裂こうと飛翔した。

 だが。

「効かぬのだ!」

 その一撃も無駄に終わり。

 風の刃は、竜の肌を軽く裂くだけで消え去った。

 傷を与えられただけで僥倖というべきか。

 だが。

 戦いは点取りゲームではない。

 傷つけた分だけポイントが入り、多ければ勝利などという戯けた決着などありえない。

「貴様では相手にならぬと、悟ったか!」

 圧倒的に、威力が足りなかった。

 カーリャは、歯をかむ。

 やはり、ミシューの力に頼らなければならないのか。

「得物が魔術媒体として稀有なのだろうな。確かに素晴らしき印術だが、所詮は二流の芸当。その程度ならばドヴェルグの槌の方がよほど堪えるわ。人とは本当に無力なものよ」

 返す言葉もない。

 結局は、なすすべもないのだから。

 だが。

 すぐ背後で自分を信じて詠唱をつづける少女と約束をした。

 彼女が詠唱を続ける間は自分が守ると。

 たとえ、無力とも。

 時間ぐらいは、稼いでみせると。

 それが。

 自分の矜持であると。


 完全に劣勢だった。

 明らかに打つ手がなく、じり貧だった。

 ミシューはその光景を前に、焦りを浮かべていた。

 だが。

 あの少女が言ったのである。

 自分を信じろと。

 なら。

 ミシューは、静かに呼びかける。

「メルニド。ウィヌス。シュティア。ルガイア。力を貸して」

 その呼びかけに。

 ミシューの周りに四つの精霊が顕現した。

 神々しき神秘。

 魂界の大元。


「な!」

 イグナートが焦りを浮かべる。

 小蝿と戯れていたら、そのすぐ背後であの金髪の小娘が四大を召喚した。四つの精霊の内包する膨大な力、それを一身に纏ったあの金髪の小娘がただ事ではないのは、見てすぐ取れた。

 ならば。

 もはや、小蝿など無視してあの小娘の企みを阻止しなければならない。

 イグナートは、カーリャから意識を反らし、ミシューに向けてその巨大な爪を閃かせた。

 竜の爪。

 それは牙と並び、竜の最も堅牢な武器。

 黄金竜の皮膚がオリハルコンでしか傷つけられないというならば、黄金竜の爪や牙はオリハルコンすらも砕き、へし曲げるほどに強靭だった。竜種の中でも王と称される最も神話に近い生物、グランドラグーン種のもつそれは地上でも無比に強靭な一つである。

 それが。

 今。

 ミシューに襲い掛かる。

 絶体絶命という言葉がいつ使われるというのならばまさにこの時だろう。地上で最も強靭な刃が地上で最もか弱き生物に襲いかかる。過剰殺戮にも程があると言わざろう得ない。

 カーリャは戦慄した。

 手段がない。

 すでに、守る手段が。

 閾値に達した。

 後は、決断するのみ。

 何を?

 決まっている。

 カーリャは、手に握る剣の感覚を確かめた。

 もう、何年になるだろう。

 師から、まるでボールでも投げられたかのように渡された古ぼけた剣。名刀であるとは理解していたし、剣の持つ不思議な力にも幾度か助けられた。もはや、もう一人の自分かのような一体感すらある。この友人とどれほどの時を過ごしたか。

 けれども。

 別れの時は来る。

 恐らく、あれとぶつかったら間違いなく終わりを迎える事だろう。相手はオリハルコンや高度なミスリル銀すら砕く地上でもっとも硬い物質の一つである。

 けれども。

 今まで培った技を総動員すれば、そしてこの剣の並外れた硬度があれば、おそらくは反らすことぐらい出来るだろう。

 信じると、言われた。

 僅か、出会って二日の自分を。

 おそらく、この先ここまで心を交わせる相手は現れないだろうという予感さえする。

 ならば。

 その恩義に応えるのが礼節であろうと。

 カーリャは決意する。

 そして。

 剣を掲げ。

 祈り。

 最後の別れを心で告げて。

 駆け。

 飛び。

 切り。

 払った。

 無慈悲に。

 パキン、と。

 折れる音がした。


 ミシューは第一節を唱える。

「ーーアダマの土より生まれ出ずる」

 力が、生まれた。


「ぬぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおお!!!」

 イグナートは、今までで最も大きな絶叫を浮かべた。

 イフリートソードで焼き尽くされた時も、ヴェンディガストで熱閃を顔に浴びた時も、アータルサンダーで翼をぎたぎたにされた時ですら、これほどの絶叫はしなかった。

 実際に、それらと比べて痛みなど微塵もなかったのだろう。ただ、それらのかすり傷と比べたら、精神的な衝撃は圧倒的に大きかった。

 なぜならば。

 自らが誇示する最高の武器である黄金竜の堅牢な爪が、根元から根こそぎ切り落とされてしまったからである。

 ずさ。

 と、地面に頼りなく刺さる世界で最も硬質な物質。

 そして。

 それを斬り落としたところで、あいもかわらず涼しい顔をしているカーリャの相棒。手に持ったそれは、「とりあえず斬り落としたが、なにか?」といわんばかりにそっけなった。

 むしろ、唖然としたのはカーリャだった。

 だって、相手は天下の黄金竜である。皮膚すら純度の高い玉鋼ですら切り裂くのは困難なのに、その黄金竜の最も硬い個所を布切れのようにぶった切れるなどとは夢にも思えなかった。

 本当に、何なのだ。この剣は。

 唖然とするしかない。

 もしかしたら。

 いや。

 もはや、確信として。

 この剣は、オリハルコンより硬いのではないのか?

 師は、本当に雑に、まるでゴミでも渡すかのようにこの剣を投げてよこしたものだから、そこそこの名刀かと思っていたが、これほどの力があるとは夢にも思わなかった。

「ぐぬぅぅうぅ!」

 霹靂。

 黄金竜はいままで歯牙にもかけなかった小蝿の様な相手に、ここにきて初めて、明確ともいえる敵意を示した。

「貴様! なんだ、それは! 本当になんなのだ! ゆるさんぞ!」

 その恨み言も聞く耳もなく。

 カーリャは相棒を見つめて。

「そう」

 つぶやく。

「斬れるのね」

 そして。

「あれ、斬れるのね」

 カーリャの瞳は。

 捕食されそうな草食獣から。

 捕食しようと舌なめずりする肉食獣へと変化していた。


 第二節を告げる。

「ーーユグドラシルより生まれ出ずる」

 力が、昇華された。


「ぬおぉぉぉぉぉおおおお!!」

 イグナートは、自慢の爪を切り落とされた怒りを隠すこともせずに、もう一方の手を伸ばし、破砕の一撃を放った。

 襲い掛かる暴虐。

 それはまさに、巨獣の一撃。

 樹齢千年を超す大樹が意志を持って、駿馬や怪鳥のごとく勢いで牙をむくかの如く。

 必中瞬殺。

 恐らくは、神話の勇者も狼狽する程に強靭で、迫力のある一撃だったことだろうに。

 しかし。

 カーリャ=レベリオンは。

 剣を脱力したままに、それを見つめ。

 まるで、枯木が水の上を流れてきたかのを泳いでよけるかのように、あるいは木の葉が風に紛れて飛んできたのを何事もなく避けるけるかのように、何気ない所作で足を動かし。

 神速。

 一刀。

 流水、迅雷。

 右足と同時に身体を円のごとく動かすと同時にせせらぎのように刀身が光り、襲い掛かる竜の巨大な腕を優しくなぞった。同時に赤い線が走り、そこから溢れたのは膨大な体液だった。

 軽く血を纏いながら、カーリャは竜の血も赤いのだなと思った。そして、頬に偶々ついた赤い血を舌で拭う。

 カーリャは、紅い物を見ると切れる。

 まるで悪戯をしてきた幼子に、これから大義名分とばかりに折檻するような加虐的な表情を万面に浮かべてカーリャは竜に告げた。

「来な。ドラゴンステーキにしてやるよ」

 

 第三節を告げる。

「ーーラグナの光に照らされて」

 創世の光が紡がれた。


 イグナートは逡巡していた。

 動揺し、狼狽していた。

 先ほどまで、全く無力と考えていた蒼い髪の小娘が、突如として牙をむいた。それも、とびっきりの得物を手に携えて。

 どこにでもある人族が生み出した、脆く、たよりない金属の棒と侮っていた。そこいらにいるか弱き魔獣どもすら切り殺すのに苦労するただ硬いだけの頼りない武器、そう考えていた。そして、それは大抵の場合、予想を外れる事はなく、彼の者達の携える武器は黄金竜である自分の身体を傷つけることすら精いっぱいであった。軽く爪先でなぞればすぐにへしゃげる頼りない小枝の様な棒。それが、黄金竜イグナートの『剣』という人が武器と呼んでいる物に対する認識であった。

 しかし、この小娘の携える剣は、今まで相対したどれとも違う。堅牢だった。かち合った瞬間、悪寒が走った。硬質な巨獣の殻すら泥のようにあっさりと二つにする自分の爪がなんの手ごたえも生まない感覚。そして、続いて見たのは、あの巨獣の殻と同じように真っ二つになった自分の爪であった。

 深くは判らない。

 だが、確信を持って言えることがある。

 あの『武器』は、まずい、と。

 だが、いかにして強力な『武器』を携えようともそれを持つのは所詮、矮小な人間である。力もなく、魂も弱く、払うだけで吹き飛ぶエーテルしか持たない地上でもっとも無力たる一つ。油断さえしなければ我が敵ではない。

 すぐに払い、塵へと返そう。

 竜はそう考えた。

 だが。

「ぬぅん!」

 切り裂かれた片腕ではなく、まだ無傷な片手で振りかぶる。このまま肉片の塵へとすりつぶしてくれる、と。

 だが。

 カーリャは瞬時に剣の腹を触る。

 発現せしは、空の印。

 顕現せしは、天の加護。

 生み出せしは、俊敏たる跳躍。

 高い。

 人間の膂力では到達つ出来ない飛翔。

 それを印の力を頼りに行う。

 カーリャはそのまま。

 舞い。

 踊り。

 翻り。

 華麗にうつろう。

 それはまるで水鳥が如く。

 華やかに。

 しとやかに。

 転返り。

 ーー。

 斬!

「ぐぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 残った片腕にも、紅い血が吹き荒れる。

 天流初伝、水面斬り。

 水鳥斬りと呼ぶこともある。本来は印の力を借りずに行う技ではあるが、空中でひるがえりながら後の先を払う。見ての通り、比較的アクロバティクであり、状況が非常に限定されるが決まれば必中である。高い体裁きと現敵的な状況を読む選眼が必要であり、それがなければただの大道芸で終わる。本来は人の首を掻っ切る技だが、竜にも効果がはあるようだ。

 赤い噴水がにぎやかだった。

 それを横目に、カーリャは口元に笑みを浮かべた。やはり、斬れる。この剣は竜の皮膚を斬れる。それもあっさりと。まるで溶けかけのブトゥルムのように。

 斬れないと思っていた。

 さすがに、黄金竜の皮膚である。

 軍で戦術的に運用することを目的とし、大鬼ぐらいなら一撃で絶命至らしめるマギス式の魔術ですらかすり傷を与えるのがやっとである。こりゃあ、本当に王国の宝庫からグリムヴァンディでも持ち出さなければどうにもならないだろうなあと強く確信していた。

 だが。

 通用している。

 心底、わけがわからないがどうやらこの剣は竜すらも切り伏せるらしい。それも飛び切り最高位の、人外無双な黄金竜すらも。

 そんなものを持っていた師匠が何者なのかもわからなければ、そんなものを適当にポイする師匠の価値観も解らなかった。別れ際に、金に困ったら質屋に入れてもいいぞと言われたし。何度か飯屋の前で小銭がなかった時に未遂してしまったじゃないか。本当に売らなくてよかった。銀貨一枚じゃ売値としては安すぎる。

 カーリャは、軽く血振りするが、あいも変わらず、剣には刃こぼれ一つなかった。つまりは、まだ斬り足りないという事である。

 そうか。

 そうかそうか。

 なら。

 もっと、血を吸わせてやらなければな。

 おっしょうさんからの大切な預かりものだし。沢山食べさせてあげないとなあ。と、カーリャは愛子に向けるかのような目で刀身を見つめた。

 そして、うっすらと口角を上げた。


 第四節を唱える。

「ーーアグニの闇に包まれて」

 終末の闇に、紡がれた。


 四節目の詠唱を終えながら、ミシューは内心の驚愕を隠しきれなかった。

 確かに、時間を稼げとは言った。そして彼女、カーリャ=レベリオンを心の底から信頼するという誓いを立てた。

 だからといっても、まさかここまで拮抗するとは思っていなかった。

 別に彼女を侮っての発言ではない。むしろ、内心では様々な方面での尊敬の念を持っていた。けれども、いくら強くとも竜族、しかも黄金竜と拮抗する程の実力を持つなど想像もつかなかった。

 自分だって、すでにこの世界で十五年生きている。物事の善悪、そして真実はそれなりに理解してきている。神話の様な英雄がいないことも、理不尽な制約や不平等の中で生物の輪廻が起きていることも。そして、人間は竜とまともに戦うことができないとも。

 あちらの世界とこちらの世界をそれなりの時間、過ごしてきたから確信を持って言えるが、人というものの生物的な本質などそれほど変わっていない。猛獣の腕力には敵わないし、膨大な質量には問答無用で押しつぶされる。

 だからこそ、竜を退治する時は英雄談のように冒険者が颯爽と切り結ぶのではなく、様々な作戦を立てて、組織的に討伐を行うのである。

 自分だって、特別な才能があるわけではない。ただ、四大という強大な力をあの人から授けられたからこうして戦えているだけである。それがなければ、今頃はあの観光名所の丘の上で竜の栄養になっていた事だろう。肉食かどうかは知らないが。

 確かに、剣の力もあるだろう。どのような素性かは知らないけれども、ものすごい力を持っていることは見て取れる。

 けれどもそれでも、竜相手に正面から戦う勇猛さ、立ち回りの良さ、闘争に対する鋭敏な勘、どれをも群を抜いていた。なによりも、時に流水に、時に濁流へと変わる変幻自在の剣術が圧倒的だった。ものの見事にはまっている。愚直に続けた鍛錬と純然たる剣士としての才能、そしてそれを授けた者の意志。

 そう、彼女の剣術はまるで、こういった事態に正面から対処するために連綿と研鑽されてきたようにしか思えないのである。

 蒼海の髪がなびく。

 大海のように優雅な彼女の剣技にあやうく心を奪われそうになるミシューだが、すぐに集中を取り戻す。

 そして、再び詠唱を開始した。

 彼女の生み出した時間を無駄にしないために。


 イグナートは本格的に焦っていた。

 目の前の矮小な娘が与えた両の腕の傷、それは決して浅くはなかった。あの短い刀身でどのような奇策を使ったのかはわからないが、深く、長く切り裂かれており、動かすだけで激痛が走った。

 痛みには慣れていなかった。当然である。自分を傷つけ、害する存在などは本来、この地上に現れないからである。

 皇竜の称号は偽りではない。生まれながらにして強者として生を受けた我が身。それをこの目の前の小娘は、赤子に折檻するような表情で見つめてくる。

 あげくには、こうだ。

「もう終わり? 大したことないのね。お手手は痛い? なますにするのはこれからだから、覚悟する事ね」

 と、のたまう始末。

 許せぬ。

 このままではおけない。

 けれども、青い髪の娘の背後で、金髪の娘は着々と詠唱を続けていた。どのような魔術か知らないが相当なマナトゥースが流動しているのを見て覚る。あの娘の力は恐ろしい。なにせ、四大の契約者だ。普通の人間と侮っては痛みを得るのは自分だと十二分に学習した。それほどの者が、あそこまで練り上げた力ならば、もしかすると自分も危ういかもしれぬという予見もある。

 ならば。

 と。

 イグナートは再び、口元に力を収束した。

 ブラストフレア。

 黄金竜の息吹。

 先ほどはあの金髪の娘の反撃によって破られた技であるが、金髪の娘が詠唱している今ならば、この最大の武器である竜の息吹で一掃できる。青い髪の少女が生み出した結界にはこの黄金竜の熱閃を防ぐほどの力がないのはすでに察していた。

 ならば。

 この灼熱の閃光にてあとくされなく消し尽くすのが常道にして上策。。

 イグナートに力が収束する。

 大気が再び揺れる。

 木々が脈動する。

 大地も同時に脈動した。

 イグナートは悟る。

 これが、自分にとっての最後の攻撃だと。

 もはや、矮小だと侮らぬ。

 こ奴らは、宿敵。

 自分に明確に害をなす敵だと。

 それなら。

 自らの最大の武器で屠るのも恥ではない。

 アウラが、徐々に収束していった。

 力が、体内に満ち溢れる。

 火と光のエレメントが収束するのを感じる。

 だが。

「見切った!」

 カーリャは。

 再び、空の印をこする。

 発現せし、空の力。

 ライズの印が、光る。

 同時に。

 跳躍。

 再び、宙高く、舞う。

「小癪!」

 イグナートが、吼える。

 だが。

 カーリャの方が。

 ーー捷い!

 イグナートを見下ろす形。

 そのまま。

 カーリャは印に触れた。

 今度は二つ。

 発現せしは、力と魔。

 力の印は火を生み、その刀身に宿った。

 そして、魔の印がそれを増幅する。

 炎が灼熱へと昇華される。

 天流初伝、燕斬り。

 斬り上げから、斬り下ろしという所作。

 源流の道場では燕返しや燕天武と呼ばれることもあり、初伝とされるだけに、難しい技ではない。

 初太刀で牽制、二つ目で切り伏せる技であり、それなりに才能のある人間が一年から長くて数年修行すれば伝授される程度の難度である。返しに肝があるらしい。

 だが、これから演じるのは師から授かった技ではなく、なにげなく印をいじっていたら偶発的に完成した技であり、強大な熱と炎を纏った剣で切り伏せる奥義である。

 名付けるなら初伝燕天武改・焔とでもいうべきだろうか? だが、カーリャはせっかく自分の生み出した技だから、それなりに美学溢れた名称にしようと心に決めた。

 舞い散る焔。

 その優雅たる姿。

 そう。

 気高き鳳凰のように。

 ならばと。

 数か月思案して採用した名が。

「鳳凰ーー」

 焔が。

「ーー燕天武!」

 猛る。

 炎っ。

 断!

 天高く神話のごとく気高く美しき鳳凰の一撃はイグナートの肩先から落下する形で腹の先まで切り裂いた。竜の巨大な身体である。内臓を切り裂く致命傷とまではいかなかったが完全に深手だった。

「ぬごぉぉぉぉぉおおおおおおお!」

 イグナートが痛みに叫んだ。

 同時に、カーリャが地に足をつけた。

 そして。

「今よ!」

 すぐ背後のミシューに叫んだ。

 ミシューは、古木の杖を掲げると。

 一つ、うなづいた。

 そして、最後の四節を一気に唱える。

「ーー星に巡り、世界に巡り。

 ーー我が手に巡る大いなる根源たる力よ。

 ーー我が純然たる魂に呼応し。

 ーー我に世界を創りし光を与えよ」

 まず。

 一つ。

 始まり。

 原初が顕現した。

 次いで。

 二つ。

 陰・陽。

 世界が流転した。

 そして。

 三つ。

 体・心・魂。

 三界が統合される。

 続いて。

 四つ。

 火・水・風・土。

 四大が集いて、力と化す。

 ならば。

 生まれいずるは。

 真なる力であった。

 太陽のような金色の髪をした少女の手に収まった小さな小さな光。それは落ち着き、厳かで、静謐だった。同時に荒々しく暴虐的で力にあふれていた。紅く、蒼く、眩く、昏く、それを表現するには人間の持つ語彙は乏しく、それを観測するには人の五感は頼りなかった。まるである世界で語られた伝承にあるパンドラの箱のように不可思議で表現のしようがないその力はこの世界が根源たる一つ。万象に満たされし究極の力の象徴であった。なので、ある時には、この力はプリママテリア、根源物質と呼ばれることがあり、またある時は賢者の石、究極たる至高、万能たる壱つと呼ばれることもあった。

 精霊白書。世界に五部しか刷られず、現存が確認されるのはたった二部の伝説の魔導書に記された奥義。四大融合という様々な魔術師が求める到達点を得てしか実現を許されないこの世界で最も神秘に近い魔術。

 伝説の魔法使いであるリリス=リースティアが伝説と謳われた理由の一つ。そして、彼女が自らの後継者とされるものに授けた精霊魔術の最奥。

 特異点を。

 ミシューはゆっくりと掲げ。

 強大な黄金竜に向かって。

「エレメンタル……」

 解放した。

「ーーブラスト!」

 力が。

 放たれる。

 純然たる光。

 静謐な光。

 力が、輝く。

 アストラル光とも違う。

 エーテル光とも違う。

 スピリチュアル光とも違った。

 三界が集合した不思議な眩き。

 それが、世界を照らす。

 紅く。

 蒼く。

 天弓のように様々に色合いを変え。

 収束し。

 乱反射し。

 渦巻き。

 荒れ狂う。

 貴き光。

 それが。

 天槌となりて。

 黄金なる竜を包み込んだ。

「ぐおぉぉぉぉおぉぉお!!」

 その光景に、カーリャは唖然と呟く。

「……精霊波」

 まさにそれこそ、精霊白書に描かれた奥義だった。四大の融合と放出。言えば簡単だがその難度は他の追随を許さない。元素の根源たる四大を統合する技術は暴風の中で絹の糸を紡ぐようなものである。原初核の融合を手作業で行うようなものともいえる。

 力の結晶を身体に纏い、竜は徐々に押しのけさせる。しかし、抵抗はやめない。身体に残ったアウラを全身に巡らせて、力の波動に必死に抵抗した。

 じり、と巨大な足が地面を抉った。

 押しのけられそうになっている。

 この、我が身が。

 大樹よりも巨大で、城よりも重いわが身が。

 抵抗をする。

 だが。

 暴虐の力は、竜の抵抗を許さない。

 再び、地を脚の爪がえぐる。

「認めぬっ!」

 竜は、叫ぶ。

「認めぬぞっ!」

 さらに下がる。

「我は!」

 足をとどめることができない。

「人間などっ!」

 竜の頂点に立つ自分が。

「決して!」

 負けるなど。

「認めぬぞ!」

 身体が、地に留まることを許さない。

「人間など!」

 巨大な波動の結晶は。

「皆!」

 竜を地から遠ざけると。

「ねたやしにしてくれようぞ!」

 そのまま。

「人間は、皆殺しだぁぁああ!」

 吹き飛ばした。

 竜は、精霊の波動を全身に受け。

 その身体を雲よりも高く舞わせた。

「ぬぉぉぉおぉおおおおおお!!」

 巨体が宙を舞う。

 イグナートはそのまま。

 空の彼方へと消えた。


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