第30話
切り火は、イグナートの降下だった。
実際はただの踏みつけ、ストンピングでしかないのだがそれを巨体な黄金竜が天高くより降下しながら行うのである。威力は言わずもがなだった。
ミシューとカーリャはとっさに避ける。
カーリャは華麗に、ミシューは一歩遅れて逃げるように竜の足裏から離れた。
一つ遅れて、竜が地面に脚をつける。
土がえぐれる。
土飛沫が、まるで激流の滝つぼのようにまった。
その威力は激しく、一つ一つが土の弾丸だった。
「障壁よ!」
ミシューは、カーリャの前にかばうように立ち、古木の杖を前に突き出す。
同時に生まれたのは、五芒星の描かれた防御陣。マギス・クロニクルという魔導書に載せられた防御陣の一種である。調和と均衡を司り、超自然的な現象を調停することで外的な攻撃を防ぐ守護の結界である。
在野の魔術師に対して一般的なテレーマ式の術法ではなかったし、王立軍ダビデで使用されている六芒星の守護結界でもなかった。
むしろ、これはベルファンド王国の系譜。それも、隣国の王立軍を始めとする軍や一部の高位魔術師の系譜であった。
障壁は堅牢で、小動物なら一撃で絶命至らしめるほどの弾丸の嵐を揺らぐことなく、受け切った。
ミシューの魔術が鋭く、そして高い精度を持つことは知っていたし、彼女ならばこの程度の攻撃は容易く防げるともカーリャは予想していた。出し惜しみの部分も含めて。
けれども、彼女の魔術の系譜。そして、彼女が放つ空気のようなもの。それは今までカーリャが見てきたものとは明らかに違っていた。
「カーリャ」
ミシューが聞く。
「私たち、パーティーなんだよね」
「そうね」
「そうか」
ミシューは一つ、うなづくと。
「なら、仲間の為には頑張らなきゃね」
そう言い。
詠唱を開始した。
それは。
今までとは明らかに何か違っていた。
それまでも、流暢で美麗で、洗練されていた詠唱術は見目麗しく、ただ単純に、彼女がとても優秀な魔術師と感じさせるだけであった。
けれども。
それは、彼女の本来の姿ではなかった。
六重詠唱。
ヘクサグル・チャント。
それは、まず一番に彼女が彼女の恩師から与えられた技術だった。
名の通りの技術である。
同時に六つの詠唱を執り行う技術である。
ミシュー=スフィールはまず、恩師のリリス=リースティアから課題として、この六重詠唱を習熟することを求められた。
漫画や戯曲のように簡単に習熟は出来なかった。毎日毎日練習し、結局完全に習熟できたのはその一年後であった。
あまりにも体得するのに時間がかかったために、途中でミシューも自分には才能がないのだろうかとか、こんな難しいことできるかとか、そういう事ばかり考えた。同期が次々と新しい技術を体得する中で一つの技術に永遠と時間を喰い、何も新しい事が出来ない日々は辛いものだった。当然、同期からは落ちこぼれとして扱われる日々だった。
不満は徐々に鬱積し、最終的には師の顔面を張り倒してやろうかと思ったが無事、一年の時が経過し、六重詠唱を成功させることができた。
今思えば、その時の師はなにか、膨大な土台を作ろうとしているようだった。もっと手軽で簡単で、すぐに覚えられるような技術を得たいと言っても師は頑なに首を横に振ったものであった。
習熟した少し後。
六重詠唱は技術としては確立しているが、使い手は非常に限られており、現在のガリア大陸では二人を除いて、六重詠唱が可能な者はいないと知り、ミシューはそこで「よし、別の教室に移ろう」と強く決意した。
結局、それは師の謀略により阻止されたが。
多重詠唱技術は、度々『一人オーケストラ』と揶揄されることがある。
多重詠唱の本質は、『詠唱』を『詠唱』で補助する事であり、本来単一の詠唱しかできない部分を魔術を用いて補おうとするいわゆる暴論でしかない。その為に、二つ、三つと同時詠唱数が増す度に指数関数的に詠唱難度は上がる。腕のない魔術師が行えば足かせにしかならず、一般的な単一詠唱、を行った方がはるかに効率が良い。
つまりは、一人で木菅、金菅、打楽器、弦楽器等、膨大な数の楽器を演奏するような真似であり、それ故に、一人でオーケストラを行うような行為だとされる。現にリリス=リースティアが技術を確立され、ある程度の下地ができている者達が学べば体得できるように昇華されるまでは多重詠唱は獲得可能な術法として視野にすら入っていなかった。
だが、この技術がなければ行使が不能な魔術形態が存在した。
マギス式攻性魔術。
儀式用として開発されたこの戦術、戦略魔術の系譜は個人での行使を想定されているものではなかった。集団による複合詠唱、それがこのマギスクロニクルに記された攻性魔術の原点である。
それを昇華され、『下位ならば個人で行使できる』と理論づけ、個人行使の体系まで整理したのはリリス=リースティアの功績の一つであった。
ただ、この話には一つの裏がある。
『マギス式攻性魔術の個人行使』については体系付けられているが、高位魔術行使の最低条件である『六重詠唱』が誰もできなかったのである。
正直、隠しておこうと思っていた。
けれども。
仲間と言われたら、頑張るしかない。
顕現せしは、地獄の焔。
『猛き荒ぶるアラヴのジンよ。
紅蓮を纏いし貴きダイモン。
偉大な汝の慈悲に乞う。
偉大な汝の心に添えて。
我が呼びかけに応え。
万象焼き尽くす焔と化せ……』
ミシューは、古木の杖を振るう。
「イフリートソード!」
瞬間。
暴虐が舞う。
放たれたのは魔人が怒り。
生まれたのは破砕の炎。
それは、純然たる暴力だった。
「マギス式攻性魔術!」
カーリャは驚愕する。
それはまさしく、マギス式攻性魔術が一つ、イフリートソードであった。
魔人がごとき煉獄の炎を生み出し、それを一振りの剣と放つ魔術。マギス式攻性魔術の系譜の中では下位にあたる習熟難度であり行使の容易い術だが、当然ながら威力はダビデのあらゆる攻性魔術に匹敵するか、上回る。当然ながら、メルニドバレッドとは威力を比較することすらおこがましい。
ただ、燃やし尽くし浄化させるための炎。
熱量にして数千度。
地獄の火炎。
煉獄の業火。
紅き殺意。
それが、剣の形状として振るわれた。
広大な広場を丸々覆うほどの規模。
紅牙一閃。
巨大な竜に咢をむいた。
竜が咢をむかれる可能性など、果たして彼の者は想像すら出来たのだろうか。
黄金竜は。
「ぐぁぁああああ!」
雄たけびを上げながら、炎に纏われた。
響く絶叫。
猛り盛る炎。
消えぬ暴虐。
そして。
それが、鎮火した時。
黄金竜は。
「ぐるぅぅぅう!」
立ち尽くしていた。
「化け物」
正しく堅牢。
まるで、黄金を積み上げた要塞。
あの熱量を直撃し、いまだ健在。
その頑丈さにカーリャは驚愕を隠せない。
だが。
「なんだ、今のは……」
決して、無傷ではなかった。
ダビデ式攻性魔術ではかすり傷も与えられず、高位のミスリル銀ですら傷をつけるのがやっとである黄金竜の身体は健在ではあるものの、そのいたるところに焼け焦げの痕が滲み出ていた。
効果はあった。
無敵とされ、絶対無比、人の手で傷を与えることは難しいとされていた黄金竜は、確かに、そして明確な損傷をしていた。
「なんだ! 今のは!」
おそらくは痛みを与えられる経験すらほとんどもちあわせていないのだろうに、それほどまでに堅牢な皮膚と鱗を併せ持つ黄金竜は久方の身に纏う痛覚に怒り、打ち震える。
当然である。今までは目の前の者達がただ邪魔なだけの害虫で、どのような抵抗をしたところで蚊の一撃、ただ邪魔に飛び回るのを叩き潰せばよいだけの相手だと思っていた。
けれども、違った。
この羽虫は鋭き牙を持っている。
しかも、ともすれば自分をそのまま葬りかねない程に強大無比な力を。
ただの人間が、巨獣や悪獣ですらかすり傷与えられぬ自分の肌を貫き、あまつさえ自分を焼き尽くそうとした。
これは、驚異である。
イグナートは今まで内心で抱いていた余裕を捨て去ると、子虫を明確な敵だと認識を変え、警戒と共に睨みつけた。
「貴様、許さんぞ!」
竜は、口にアウラを収束すると、その膨大な肺活量にものを言わせて大気中に霧散するマナを収集し尽す。
ドラゴンブレス。
しかも、先ほど放った火炎竜もどきな火のブレスではない。
黄金竜が放つ真のブレスは金色に輝く。
黄金竜が本来持つアウラはまるで、太陽のコロナのように輝き、人が見るのも拒まれるほどに眩く瞬くという。
その熱閃は非常に美しく、見る者を恍惚の中で死に至らしめるという。痛みはない。痛みを感じる間もなく骨まで燃やし尽くされるからである。
まるで太陽のコロナのようなその光を、ある時から人々は恐怖と畏怖を持ってこう呼ぶようになった。
皇光の吐息『ブレストフレア』。
まずい。
カーリャはそう直感し、刀剣の腹に描かれた『魔』の意味を内包するスールズのリステルを指先で触れ、払った。
顕現せしは退魔の力。
「聖護方陣!」
守護の方陣が生まれる。
眩き輝く堅牢なりし結界。
光の方陣がミシューとカーリャを優しく、そして力強く包み込む。
同時に。
放たれたのは金色の熱閃。
収束した光。
暴虐の熱閃。
猛き狂う炎は慈悲なく、ミシューとカーリャの二人に容赦なく絶望の牙をむく。
熱。
光。
熱。
光。
守護の力を開放したら後、たちまちに燃やし尽くされ、溶けつくされ、一瞬で消失を免れないほどの桁外れな熱量の光は、しかし徐々に結界の生み出せし力を削り取っていった。
竜の光が強いのか。
結界の守りが堅牢なのか。
果たしてそれは判らないが、最強の盾と最強の矛、この双方の勝利者がどちらかなのかはいわずもがな、その少しずつ失われそうになっている方陣の生み出す光が物語っていた。
防ぎきれない。
カーリャは悟る。
師から承った刀剣の生み出す力は想像以上に堅牢だったが、それでも黄金竜の一撃を正面から受け止め続けるには力が足りな過ぎた。
それほどまでに、強力無比。
だが、今結界を解いたところで待っているのは瞬間的な死であり、たとえジリ貧だと理解していようともカーリャは耐え忍ぶしかなかった。
そこで。
ミシューが、古木の杖を掲げた。
次いで詠唱に入る。
あいも変わらず流麗で美麗、端麗。
まるで湖のほとりで歌う水鳥か妖精のように謳う。
『ボレアス、ノトス。
ゼピュロス、エウロス。
四方に集いし四柱のアネモイ。
四天の風に我が身を委ね。
四天の空よ、我が手に集え。
天廟、新たかに今、万象吹き荒びたれ!』
傍で見るほどに芸術だった。
なまじ、三界を跨いで見る力が強いだけに理解できる。傍らで詠唱を続ける彼女の中に流動する膨大なマナトゥーシス、そしてそれを魂界と結びつけるアウラ。巨大で今にもはち切れんとする暴虐のアニマをまるで、水遊びのように悪戯に、軽々しく戯れている。一歩間違えば消失するか、霧散するか、あるいは暴走し暴発するか、それほどまでに荒々しく力強いスピリチュアが三界に亘り、力を膨れ上がらせている。
確かにこれは交響曲だ。様々な力を、膨大なマナの流動を、その圧倒される情報量を、薄い氷で華麗なスキップするかのように処理していかなければならない。
失言だった。
彼女が、ダビデで一年も修行すれば、部隊長ぐらいならば圧倒できると言ったこと。
すでに今の時点で圧倒している。おそらく、あの者以外は彼女に手も足も出ないだろう。それほどまでにミシューの力は群を抜いていた。
騙された。完全に騙された。イヴリースと戦っているときなど、実力の半分も出していなかったのである。つまりは手抜きの実力で優秀だと錯覚させていたのである。それもこれぐらいならば自分に納得してもらえるだろうという微妙なさじ加減で。学生上がりならこんなものだろうね、と納得してもらおうとしていたのである。
何が裏表のない性格だ。完全に裏だらけだったじゃねえか。計算高いにも程がある。
そんなカーリャの内心の叫びなど気付いていないのか、ミシューの呪文が完成する。
「ヴェンディガスト!」
生み出されしは聖天の風。
放たれしは神の疾風。
暴虐の風が牙をむく。
うねり。
さかだち。
うねり。
さかだち。
風が、怒り。
風が、吼える。
碧の風が。
竜の熱閃を吹き返す。
「ぐがあぁぁぁぁあああ!!!」
熱閃といえども、所詮は息。
そのままに、灼熱の炎が主に牙をむいた。
人すら一瞬にて溶かしつくす炎が竜の顔を無慈悲に焼いた。
もちろん。
それは、並みの風では起こしえない現象だった。
竜の強靭な肺活量から放たれる炎は、テレーマ式の矮小なシュティアの系譜の魔術などそよ風のようにはねかえしてしまう。
けれども。
ミシューの生み出した風はさわやかなそよ風ではなく、巨獣も紙きれのように天高く跳ね除けるほどの突風だった。
竜巻と呼んですら良かった。
碧の風は暴風となりて竜の息吹を散らしつくしたのである。
自らの生み出した死の吐息を顔面に浴びせられ、竜は苦しみいなないた。
「ぐぬぉぉぉおぉおおお! 人間め!」
イグナートは怒りを更に増大させる。
そして、怒りのままにその身にアウラを収束し始めた。大気が揺れ、木々も揺れる。風が大きく振動を初め、世界が脈動を始めた。
イグナートは翼を大きく広げた。
まるで矮小たるものに己が偉大さを告げるように。大きく。大きく。広げた。同時に、羽も深く、強く、振動を始める。
カーリャはその攻撃が何であるかを察した。
振動波である。
黄金竜の巨大かつ堅牢な翼を媒体にアウラをその翼に収束し、大気を揺らし、強大な衝撃を生む一撃。
その威力は言わずもがな。
人を軽々と軽石のように吹き飛ばす威力である。背面にある洞窟の岩壁にでもたたきつけられたら、形も残らぬ無残な姿になることは考えるまでもない。本当に、すべての攻撃が一撃必殺のオンパレードである。こちらはちまちまと爪楊枝でほじくるように削っているのに。個体差としての能力が、理不尽極まりない。おとぎ話で誰もが憧れる竜退治を、誰もやりたがらない理由が良く分かる。
しかし、こちらの呪文はすでに完成していた。ミシューは古木の杖を再び掲げる。
『排火の神の一柱よ。
森羅を廻りし畏怖なる善神。
偉大な汝に乞い願う。
荒ぶる紅蓮、気高き雷閃。
偉大な御身を我が手に賜い。
集いし穿て。屠龍の轟雷!』
瞬間、手に集いしは閃熱の焔。
顕現せしは、屠龍の一撃。
怒りし豪胆なりし勇猛なる献火。
それは雷閃へと姿を変え。
轟雷と成り、目の前の巨竜へ牙をむいた。
「アータルサンダー!」
三度目のマギス式攻性魔術。
すでにカーリャは驚きすらしなかった。すでによもや納得はしていた。彼女の実力、そして彼女が幾多ものマギス式攻性魔術を習熟していると、完全に理解できた。
ダビデ式攻性魔術の習得を渋るわけである。個人で行使する事を目的に生み出されたダビデ式攻性魔術と集団で運用する事を目的としたマギス式攻性魔術ならば後者の方が圧倒的に威力は高い。これだけ自由自在に扱えるのならば、ダビデの威力に劣る攻性魔術など習熟する理由がない。
顕現した雷撃は数百にも数千にも広がり黄金の花を開かせた。輝けしは空を裂く天の雷。それがまるで極楽の蜘蛛が紡いだ黄金の糸のように無限に広がり、竜を、その巨大な翼ごと貫き、焼き尽くした。
「ぬおぉぉぉぉぉおおおお!」
再び叫ぶ黄金竜。
悲鳴を上げる度に、それだけの所作で大気が木々毎振動する。本当に洒落にならない化け物である。良く、持っているものだ。
轟音が鳴る。
轟音が鳴る。
轟音が、収まらない。
見ているだけで、本質的にダビデの攻性魔術とまったく違う性質の呪文であると理解できる。そのすべてが戦術的、戦略的運用を目的にしているとはよくよく言ったものである。このようなもの、人間に向けて放ったら瞬時に絶命は免れない。
轟音が、ようやく。
無数の煙と共にようやく。
静かに収まる。
そして、その先には。
「ぐぬぅぅぅううう!」
身体を、無限に焼き尽くした竜がいた。
黄金竜、イグナートは先ほどとはうってかわって怒りは内包しているものの静かで、厳かに、ミシューに向かって告げる。
「素晴らしい。感嘆に値するぞ。我が皮膚を、ここまで傷つけるとは。傷をつけられたのはそう、国を出立して以来だったから、そう。百年余年ぶりといったところか。久々の痛みに怒りで我を失ってしまった」
「ありがと」
ミシューはそっけなく言葉を返す。
「もしかして、貴様。ハイエルフか? いや、違うか。ハイエルフの持つ清浄なアニマを感じない。他の高位種族でもないようだ。人間、であるのには間違いはないのだな」
「ええ」
悠長に話す竜。警戒は解かない。
「ならば、なぜ……。いや、貴様の周りに大きな影が見えるな。四つ。ほう。なるほど。精霊か。いや……」
そこで、竜は驚愕に目を見開く。
「……なるほど。四大か。四大憑きか。人間に、四大の契約を成功させるものが現れたか。ならば、下位種族であろうとも、それほどの魔術行使ができるのも道理よのう」
「……」
「だが、惜しむべきはここで対峙したのは我だったことよ。ノーブル種程度ならばすでにその強靭な術の数々にアニマを砕かれていただろうが、な」
「負け惜しみを!」
と、言ったのはカーリャ。
すでに、再三の魔術行使。
どれもが一撃必殺のマギス式攻性魔術。
現に、竜の身体はぼろぼろだ。
皮膚は焼けただれ、体中が赤く滲む。
このまま、押し通せば何れ勝機は訪れる。
カーリャはそう、考えていた。
けれども。
「あいつの言う通りだよ。カーリャ」
「え?」
「全部、防がれてる」
「嘘……」
ミシューは黄金竜をまっすぐ見上げ。
「確かに皮膚は貫いている。身体には傷を負っている。それは間違いない。ただ、逆に言えば私の魔術は全部、皮膚を軽く傷つけているだけ。あいつは見た目ほど、ダメージを受けていない」
カーリャは竜を見上げる。
確かに、炎やら雷やらで身体はぼろぼろだったが、その割に瞳はしっかりとしており、その動きに鈍った様子もなかった。
派手な魔術の波状によってすっかり見誤っていたが、あの巨大な竜は身体を浅く傷つけているだけであった。
人間なら瞬時に絶命。人の数倍の体格を持つ猛獣でも耐えきることは不可能。巨城の壁に放てば壁が砕け、大樹に撃てば大樹を瞬時に塵へと変えるだろう。
それほどに研鑽された威力だった。
けれども。
「あいつには、まったく効いていない」
絶望的な言葉だった。
ミシューの蒼白な様子からそれは間違いないのだろう。術者本人が手ごたえを感じていないというのだからそこに偽りはない。
カーリャは、ミシューに聞く。
「打つ手は、あるの?」
「ある」
「なら」
「でも」
ミシューはそこで、カーリャに伝えなければならないことがあった。魔術師であるのならば誰もが内包する致命的な欠陥。しかも、相手は竜。それだけで人類には手が負えない。
それも、竜種の中でも最高位の力を持つ黄金竜を相手に、たった一人で、自殺しろというほどに無茶な要求をこれからしなければならない。
だから、ミシューは言葉を紡げずにいた。
なので、カーリャは。
「ミシュー」
カーリャから、言う。
「え?」
「私達は、パーティーよ。パーティーは一蓮托生よ」
「うん」
「何でも言いなさい。要求には答えるから」
「……」
ミシューはしばしの沈黙、逡巡の後。
「詠唱の時間が欲しい。練るのに三分……ううん、二アールはかかる。それまで、あいつを正面から引き付けてほしい」
自殺にも等しい無茶な要求。
すでに敵意を全部、自分に向けた相手、しかも大軍を運用しなければ勝負にもならないような黄金竜を相手にたった一人で時間を稼げと言う。
詠唱。魔術師の致命的な欠陥。
当然。
カーリャも薄々と勘付いてはいた。取り回しの良い、詠唱の短い呪文を矢継ぎ早に放っているが、戦いの中で全力を練り上げる隙は微塵もなかったと。
ならば。
自分に役割が存在するのならば、その時間を捻出する事ではないか、とも。
ミシューのその言葉に。
カーリャは。
剣を再び掲げると。
「あい、承った」
まるで昼食のパンを購買で買いに行けと言われたかのような軽々しさで頷いた。
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