第29話


「すっかり朝ね」

 洞窟から出ると、すでに日が昇りかけていた。

 洞窟の前は大きな広場になっており、ビレッジ・フォレスティアの住民ぐらいなら総動員して集会が出来そうなほどに開けていた。

 草を踏む。

 空気が頬にさわる。

 太陽の光は深緑を照らし美しく彩らせている。カーリャが辺りを見回すと、視線をさりげなく移した先にローザンスの切り立った崖の姿が見えた。迷うことなく言い切れるほどに気高い崖。岩肌が荒くて殺意も高い。自殺の名所とは良く言われるが、改めてこの目で見るとなるほど、確かにここから落ちたら絶対に助からないと確信できる。

 恐らく、自分もミシューがいなければ同じ運命をたどっただろうと心の底から納得できるほどに険しい崖であった。ならば、彼女は正真正銘の命の恩人である。この恩は一生かけて返さなければならない。

 そう思い、洞窟の中からのそのそと出てくるミシューの姿に視線を移す。

 そういえば、昨日こやつとパーティーを組むことになったらしい。基本的に冒険の仲間は一蓮托生である。ならば、そこまで気にする事はない。命を助けられる度に恩義を感じていたら恩返しで家まで抵当に入れなければならなくなる。感謝はせんぞとカーリャは思った。朝三暮四はここにあり。カーリャ=レベリオンはすぐ意見を変えるのが得意であった。

「そういえば」

 ふと、どうでもいいことを思いついたのでカーリャはミシューに問う。

「深い洞窟内で火を焚いた冒険者がなぜか、遺体になって発見されたという話があってね。不思議な事に外傷が確認されていないのに自然と死亡する事例が続いたのよ。原因を追究すると、密閉空間で火を長時間焚いた場合、呼吸ができなくなって死ぬらしいわ。一説には人体に必要な火のマナが大気中で消耗し尽されて、呼吸不全になるとか言われているけれども、それだと説明つかない点があって、いまだ実際の理由は不明らしいわ」

「へえ」

「あの洞窟って、空気穴は大丈夫だったの? 完全な密閉空間はなかったかのようだけれども」

「……」

「なんとか言えよ!」

 どうでもいい話ではなかった。

 二度目の命の危機だった。

 もう、この娘を信用するのは絶対にやめようとカーリャは心の奥底から誓った。

 ミシューは慌てて話題を変える。目ざといカーリャはミシューの額に一筋の冷や汗が流れるのを見逃さなかった。

「ところで、カーリャ。これからどうするの?」

「まったく」

 カーリャは何も考えていないのかと嘆息交じりに肩をすくめる。そして、耳元に手を当てた。ミシューはついに頭がおかしくなって猿の物まねを始めたのかなと思ったが、どうやら耳を澄ましているらしかった。

「水のせせらぎが聞こえるわ。おそらく、近くに川があるのね。ゼファーリア大森林に流れる川の多くは最終的にアークガイア近郊のユタナ大河と合流するわ。そこから大河沿いに下っていけばおそらく、アークガイアに到着すると思うわ。ビレッジ・フォレスティアを経由できないのと乗合馬車を使えないのが辛いけど、まあ何とかなるでしょ」

「仕方がないね。命あっての物種とも言うし」

「河川沿いといっても、出来る限り河川を確認しながら森の中を抜けましょう。あの巨体だから、そうすれば森の茂みに上手く隠れられると思うわ。頭は悪そうな竜だったから、おそらく見つからないでしょ」

「なるほど。さすが、カーリャ」

「もっと褒めてもいいのよ。私、褒められると調子に乗るタイプだから」

「それは知ってた」

 ミシューはそう頷く。

「まあ、実際にあのネチっこい竜がこのまま大人しく、私達を見逃してくれれば問題がないんだけど」

 カーリャはそう愚痴りながらも上空を見上げた。

 と、同時に朝焼けの空が黒の筆で塗りつぶされた。巨大な、大鷲よりもはるかに巨大な何かがはるか上空から陽光をさえぎった。

 それは、巨大だった。

 それは、偉大だった。

 そして、それは圧倒的だった。

 金色の神々しい色をした空の覇者。カーリャは本当に、あの質量の物体があの小さな翼で空を飛ぶのだなあと強く感動した。明らかに自然現象に反する飛翔能力だが、どうやらあの巨大な身体に人など及びもつかないほどの魔力、アウラが内包されているらしい。詠唱無く人を拭く飛ばすほどの衝撃波を放てるのだから、当然だろうに。

 その黄金の瞳は、忌々しそうに地上にのさばる二つの小さな物体を見下ろしていた。跳ね除けた小虫がひっそりと息をひそめていたことに苛立つように。

 おそらく、台所に巣くう害虫を追い払おうといった程度の事なのだろう。ゼファーリア大森林があの巨大な竜の台所なら、カーリャとミシューはさしずめ、そこに潜む害虫というわけである。

「まだ、生きていたか」

 黄金竜、グラン・ドラグーン、イグナートが口惜しそうにつぶやいた。それだけで、内包される敵意を強く感じることができた。

 見つかったのは失態だったが、正直、逃してくれるとも思えなかった。それほどまでに、あの竜の人に対する怒りと執着は強い。

 結局。

 ここを生きて帰るには、あの竜をどうにかするしかないのである。

 人類との戦力比、一対百は下位から中位までの戦力比率予想である。それはグラン・ドラグーンには当てはまらない。

 人類をあらゆる方面で圧倒する怪物。彼らと戦いを起こすとき、人類は必ず国家として対抗することを考える。個人としてどうにかしようという発想を持つ者は現れない。ヘラクレスのような冒険談の英雄などはそうそう存在しない。

 だが。

「ねえ、ミシュー」

「なに?」

「冒険には、伝説が必要よね」

「そうだね」

「まず、第一ページ目は、竜退治というのはどうかしら」

「いいね」

「相手が、黄金竜とかなら、すごく箔がつくんじゃないかしら」

「そうだね」

「じゃあ、まずはそうしましょう。それで名を上げましょう。素材は全部売り払いましょう。黄金竜はルートが特殊だから少々時間がかかるけど、それを冒険の旅費にしましょう。黄金竜が素材なら、最新の魔道車も買えると思うわ。旅が楽になるわよ」

「いいね。手抜き、大好き」

「じゃあ、決まりね」

 カーリャは剣を抜く。

 師の意志を、そのまま紡いで。

「あれを、ぶっ殺すわよ!」

「オッケー!」

 ミシューも次いで、古木の杖を構えた。

 あの人の背中に追いつくために。

 その光景に。

 その、戦う意志に。

 矮小な人間の強い戦意に。

 黄金竜は、口角を上げた。

「面白い。我に挑むというのか。人間が。あれほどまでに絶望を味合わせたというのに」

 そして。

「ならば、相手をしてやろう! そして、その意思を我の寿命が尽きるまで、永遠に語り継いでくれようぞ!」


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