第25話
ビレッジ・フォレスティアを抜けてからおおよそ二クラール三十アール、五時間程度が経過していた。東の空から顔をのぞかせていた太陽はすでに天頂へと到達し、はるか空から悠々と見下ろしていた頃合い、ミシュー=スフィールとカーリャ=レベリオンの両名はようやく、ローザンスの丘に到着していた。
大人の足で四時間の行程、カーリャ一人ならば三時間でも到達することができるのだがあろうことか同行する学生上がりのインドア派はナメクジどころかカタツムリのような牛歩でのそのそと歩くものだから、予想以上に大幅な時間を奪われたものである。
更に言うのならば、ゼファーリア大森林の景観が珍しいのか、事あるごとに「あれ、綺麗だね」とか、「あれ、何の植物だろう」とか、カーリャ=レベリオン子爵令嬢からしてみれば至極どうでもよいことでいちいちと足を止めるので子爵令嬢のストレスはマッハでローザンスの丘に到達する頃には眉間のしわが三重になってしまっていた。ローザンスの丘殺人事件が起きてもおかしくない程度にはカーリャ=レベリオンの内面にはいら立ちがあふれていた。お前も森の景観の一部にしてやろうかと思ったとか、思わないとか。
ローザンスの丘はセインブルグ百景というものがあるのならばその一つに数えられるほどには景観が良く、ゼファーリア大森林の未開な部分が多い自然の偉大さを一望できることで知られている。
ゼファーリア大森林という森の危険に襲われそうなきらいはあるが、第三林道の普段は林道の職員が平然と徒歩で移動できる程度には安全で、今日のように魔物の襲撃があることの方が珍しい。三百年以上も費やして明確な住み分けが行われることになったので、ある程度の知性を持つ土着の小鬼や人獣が第三林道に近付く事はほぼ、無い。
なので、第三林道を通り、ローザンスの丘に観光に訪れるセインブルグ市民は割と多い。乗合馬車を筆頭した移動手段も整っているので、敷居が低いことでも好まれている。勿論、第三林道を往復するには護衛が推奨されているが、中にはその経費をケチったあげく、信頼できないハンター職に依頼を頼み、そのまま森の中で不幸な目に、という事例もあったりする。
けれども、結局のところ環境名所として広まる程度にはローザンスの丘は有名で、毎年各国から様々な人々がこの美しい景観を眺めに来るらしい。観光業者が立ち上げられてローザンスの丘観光ツアーも開催されているとか、いないとか。それを聞いたミシューはファンタジー世界にあるまじき生々しさだなあとしみじみ思ったらしい。何時の時代も商魂たくましいものはいるという話である。勿論、林道で働く祥夫からはクレームの嵐らしい。
景観が美しい崖といってもそこに到達するには比較なだらかな斜面を登る必要性がある。急な崖を汗かきながら必死に上がる必要性は無い。子供でも労せず到達できる程度になだらかな斜面なので、気付いた頃には到達していたという感覚である。
崖から一望できる素晴らしき景観に。
「うわあ」
とミシューは歓喜の声を上げた。
青い空、白い雲。美しい木々。深緑が太陽に輝いている。手前からはるか果てまで続深い樹海に彩る樹林の圧倒感は如何なる賛辞も無為なものだと感じさせるほどに偉大だった。
俯瞰的な光景の中、いくつかの林道が姿を覗かせるが、三百年費やして人が開拓していった膨大な道も自然の偉大さに比べたら児戯であった。神の庭につまようじで悪戯するかの所業である。
そこにあったのは喰らいつくしても喰らいつくすことのできないほどに膨大な自然の恩恵にして実り。セインブルグの礎が一つ。三つの領土に広がる大国最大の大樹海、ゼファーリア大森林の一部であった。
「すごいね。カーリャ。本当にすごい。ゼファーリア大森林ってものすごく広いって聞いていたけど、本当に広いんだね。富士の樹海と、どっちが広いかな」
「はいはい。そうね」
軽く流す。歯牙にもかけない。
カーリャは懐から双眼鏡を取り出した。
「さてと」
「へえ、この世界にも双眼鏡ってあるんだね」
「クラリスコープのこと?」
カーリャの持っているのは双眼鏡だが、望遠鏡、双眼鏡等の遠方を見通す機器はセインブルグでクラリスコープと呼ばれている。セインブルグでは凹凸のあるガラスの加工がまだ上手く行かず、大量生産が行われていないために軍の一部にしか配備されていないのが難点だが、なにかと有用な道具であった。
「便利なものがあるんだねえ」
「魔道技術が発展しているとはいえ、魔術師だけが魔道の恩恵を受けられるという時勢も間違っているからね。魔術の使えない一般市民にも十分使い勝手の良い技術の流通、発展がもっとも重要な事なのよ」
「王様みたいなこと言うね」
「私は女王様よ」
「カーリャが女王様だったら、私は女神さまだけどね」
「馬鹿なこと言ってないで、あんたも手伝いなさい。遠視の魔術とか、そういうなんか、実用的なの、使えないの?」
「ごめん。遠視は使えない。でも、水の精霊魔術とか上手く活用すればレンズ的な何かを生み出せるような、生み出せないような」
「つかえねーわね。なら、草でもむしっていなさいよ。ちゃんと数は数えるのよ。後でレポートにして、軍に報告するから」
「それって、なにか意味ある行動なの」
「あるわけねーじゃねえのよ。ただの嫌がらせよ。馬鹿じゃないの。頭使いなさいよ。あと、薬草があったら別途保管しておくこと。後で王都に帰ったら売り払うから。あんたが三で私が七よ。所得分は勿論引いておくから」
「鬼だ」
「それと、当然のことだけど、竜の姿を目撃したらちゃんと報告しなさいね。どんな些細な事でもいいわ。ちなみにくだらない情報だったら瞬時にブチ切れるけど、報告しなければ逆キレするから。いい? 解った?」
「カーリャ。友達いないでしょ」
「最大の友は、自分自身よ」
「あ、そ。聞いてごめん」
それきり、カーリャは双眼鏡を片手に森を注意深く観察し始めた。ミシューはそれを見ながら、たまにいるよな、仕事になると急にカリカリし始めて怒り出す人って、と思った。そういう人は大なり小なり仕事嫌いなんだろうなあとも思った。そして、それは真実でカーリャは仕事になると人に当たり始める典型的に駄目な社会人であった。こういう人が将来は立派なパワハラ上司になるんだろうなとミシューは思ったが同時に、絶対に出世しないタイプだろうなとも思った。人望なさそうだし。
怒られるのが嫌なので、ミシューは地面の草をむしり始めた。薬草の類は一切なく、雑草ばかりだった。途中、岩陰にダンゴムシを見つけたので転がして遊び始めた。異世界にもダンゴムシがいたんだと思うと妙に感慨深くなった。
ミシューが若々しい間の希少な時間を悲しいほど無駄に消耗している横で、カーリャはそんな些事には気を止めず、双眼鏡を片手に森の隅々を見通す。
森は深く広く、ローザンスの丘からでも全貌をすべて確認することはできないが、それでも俯瞰的光景から明らかな異常を感じることができた。
やはり、生気がない。普段はバロック鳥やグランファルクを始めとする原生生物が飛び回っているが、ゼファーリア大森林の広大な森上空には鳥の姿一つない。
普段は活発な原生生物も息をひっそりとひそめており、平時は定期的に聞こえる獅子の唸り声等も全く聞こえず、まるで森自体が巨大な墓地にでもなったかのような錯覚を覚えた。
「やはり、変ね」
「そう?」
「ええ、とても変。あんたの頭より変よ」
「ナチュラルにディスってくるね」
「多分、いえ、おそらくほぼ確実にいるわね。それもかなり力を持ったやつよ。そいつのせいで、森が大人しくなっているのね」
「ドラゴンって恐ろしいんだね」
「まあ、自然界のまごう事なき頂点だからね。生態系も狂わせるのよ」
「迷惑な話」
「できれば、巣穴を見つけたいわ。欲を言うのならば姿も目視で確認したい。そうすれば、軍を動かす大きな口実になるから」
「軍を動かすのも大変なの?」
「まあね。簡単には動かないわ。確固たる証拠がないとね。悪戯に消耗させるのも宜しくないから、戦術行動をとる上で、地の利になる情報も確保しないとね。無駄に消耗させると軍費も馬鹿にならないし」
「いつの時代も、お金から先なんだね」
「実際、すでに目撃情報も多く上がっているし、軍が動かない可能性は皆無ね。ただ、竜種を相手にするのだから、種族と生体情報、まあ大きさとか、羽が生えているかとか、体色はどうかとか。後は行動の特徴とか。そういうつつがなく討伐を円滑化する情報が欲しいわね」
「なるほどね」
「なるほどじゃねえわよ。あんたも、ちゃんと探しなさいよ。見つけたら即効で報告するのよ。あと、金目になりそうな薬草は見つかった? ちゃんと探すのよ。手持ちぶたさにダンゴムシでも転がしていたらブチ殺すわよ」
「はーい」
と、生返事をしながらミシューはダンゴムシを開放した。
「まったく。もう昼を回ったじゃない。野宿とか嫌よ。用意していないんだから。もし野宿になったらあんたの餌はダンゴムシだからね」
そう、悪態をつくカーリャに。
ミシューは静かに言葉を返す。
「ねえ。カーリャ」
「なに?」
「この世界の竜ってさ、やっぱり大きいの?」
「そうね。大きいわよ」
「そのあたりの木より大きいの?」
「そうね。大きいわね。普通に八ルゥースから十ルゥースはあるんじゃないの?」
「やっぱり、トカゲみたいな姿をしているの?」
「分類的にはリザード種の高位種族だからね。説明したでしょ」
「じゃあ、漫画やアニメで良く良く知っているあの竜の姿でいいんだね。なるほどなるほど」
「なに、一人で納得しているのよ。私が求めているのは有益な情報よ。見つけたらすぐに私に報告しなさいよ。すぐによ。間断も許さないわ」
「見つけたよ」
ミシューのその一言に。
カーリャは双眼鏡を手放し、求めていた一報に顔を緩ませ、心を弾ませてすぐさま振り返った。
「本当!」
「うん」
「どこ?」
「そこ」
ミシューは指さす。
崖とは反対。
自分達が通ってきた道程の最中。
つまりは、すぐ背後。
そこにいたのは。
身の丈十ルゥース、三十メートルは届くかと思えるほどに巨大な体躯、そして黄金の体色をした姿。
そう。
すぐ目の前に、カーリャの探していた竜、その姿がそびえていた。
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