第24話


 カーリャは、魔獣の血糊が付着した刀を素振り、血を払う。そして、残心、納刀。

 残心は非常に重要な技術だと師は言っていた。まだ生命を断ち切れていない魔物が息を吹き返し襲ってくるからである。死に体の魔物が放つ最後の一撃に相打ちという形で命を落とす冒険者が多いと師匠は言っていた。

「ふぅ」

 と地面に腰を落とす魔術師の相方。残心もへったくれもねえ。油断の塊のような少女であった。こういう手合いが戦場で真っ先に命を落とすんだろうなあとカーリャは思った。

 いや、気をそらしてはいけない。残心、残心、と。つられて忘れてしまう所だった。おそるべし油断の権化、ミシュー=スフィール。

 しかし、驚くべきはやはり師匠から受け継いだ愛刀の切れ味であった。あれほど乱雑に斬り続けたのにもかかわらず、血糊で濡れることも刃先に零れが生まれることもなかった。もしかしたら物凄い名刀なのではないだろうかとカーリャは思う。

 視線を移すと、イヴリースの横たわる六つの死体が静かに消滅し始めていた。三界の調和を失って魔獣へと変貌を遂げたイヴリースは死後、その死骸を大地に残すことは無く、静かに粒子へと変貌し、消失する。自然のサイクルに取り込まれることは無い。死後に素材を回収する事が出来ないのも、イヴリース種が嫌われている理由の一つに挙げられる。ハンター職など、よほど高額な懸賞金が提示されなければ関わろうともしない。

 しかし、実際に危なかった。まさか、遭遇したのがイヴリース種だとは。小鬼や人獣ならば軽く捻ってくれるものを、危うく命を落としかけた。遺族年金をレベリオン家に支給することになるところだった。ラファール小隊長は大手を振って喜ぶことだろうて。

 視線を更に移すと、座り込んだミシューがそのまま、消失するイヴリースに向けて拝んでいた。不自然な祈りに。

「なにそれ。ベルファンドで流行っている新手の祈祷? 魔物の魂を迷わせないように、みたいな感じの」

「まあ、祈祷といえば祈祷かもね」

「へえ、あんた。そんなことも出来るのね。あの国、国境がリースライト神教だっけ。もしかして、敬虔な教徒だったりするの?」

「まさかまさか。いくら私でも聖職者の真似事はできないよ」

「そうなの。そこまで多才なら神術の一つや二つぐらい使えると思ったのに。じゃあ、ただ祈っているだけ?」

「うん。まあね」

「それ、意味ある?」

 と、現実的に問うカーリャに対して。

「意味は、あるかどうかわからないけどね。ただ、かわいそうだと思って」

「かわいそう?」

「この子達も成りたくて魔獣になったわけじゃないのにね。それを思うと不憫だなあって」

「へえ。優しいのね」

「えへへ、褒めてくれてありがとう」

「いや、褒めたんじゃないけどね」

 カーリャはそこで息を吐き。

「偽善だな。と思って」

「そう?」

「結局は命を奪ったんじゃない。その相手に対して哀悼の意を示すことを悪とは言わない。けど、会う魔物一匹ずつに祈りを捧げていたら、日が暮れても終わらないわよ」

「でも」

「私は祈らないわよ。そんな暇、無いもの。この行程だって時間計画的にカツカツなんだから、リースライトだかコーリアガイアだかしらないけれど、のんびりと拝み倒している暇はないのよ。それで、彼らが何かしてくれるわけではないしね」

「そんな言い方しなくても」

「死生観の違いね」

「解ってるけど」

「ましてや、急に行方をくらませたり、野猿のように木に登って果実採取をしたり、くだらない些事に時間を取られているのだから。どうせ机に噛り付いてたのだから足も遅いんでしょ。なら、なおさら急ぐわよ。ナメクジの真似事をされても困るのだから」

「……わかった」

 ミシューは一通りの嫌味を聞き終わると、しぶしぶと立ち上がる。

「酷い言い方。少しは良い人だと思い始めていたのに」

「何か言った?」

「なんにも」

 ミシューが突っぱねた言い方で返す。カーリャにだって解っている。明確に機嫌を損ねている。

 けれども、カーリャも嫌味の一つも言っておかなければ気が済まない程度には癇に障っていた。

 自分で言った通り、単純な死生観が原因の話だが、過去に様々な魔物を討伐し、軍の仕事においても、登録している狩人職のライセンスを起因した仕事においても、無数の魔物を狩ってきた。そんなカーリャにとって手を汚した数だけ祈りを捧げていてはそれこそ日が両手で数えても足りないほどに上っては沈んでしまうのである。

 おそらく、人によっては「優しい子なのだなあ」と感動に胸振るわせて好感を持つのだろうが、カーリャは、自分でやっておいて何を綺麗事を、ぐらいにしか思えなかった。祈るぐらいなら、初めから喰われてやればよいのである。

 カーリャはそこで、ミシューが少し不機嫌になっているのに気付きつつも、いつものあえて空気を読まない態度で話しかける。

「それにしても」

「なに?」

「見事な手並みだったわね」

 カーリャは実務的だ。ロマンではなく、過程でもなく、結果をほめる。

「何が?」

「あなたの腕よ。あれ程までとは思わなかったわ」

「ありがとう」

「アーシュナイド魔法学院を卒業したら正のホドか従のホドの位階をもらえるんだっけ? けど、従のネツァクぐらいは評価されても良いのかもしれないと素直に思ったわ」

「そう?」

「魔物退治を行っていたのも本当らしいわね。気負いが無いのが素晴らしいと思ったわ」

「うん」

「あなた、ダビデに入りなさいな」

「え?」

 カーリャはそこで、軽くミシューを見つめる。まっすぐに、真剣な瞳で。

「ダビデ。セインブルグの王立魔道軍よ」

「知ってるけど」

「理由はある。ダビデに入るとダビデ式の攻性魔術が学べる。条件は軍属でホドの位階以上。軍属勤務期間等の条件もあるけど、そこはまあ、裏で上手くやるわ」

「なんで?」

「ん?」

「なんで、ダビデの攻性魔術を学ばなければいけないの?」

「そうねえ」

 と、カーリャは少し思案し。

「もったいないと思ってね」

「もったいない?」

「それだけの技術を持っているのだから、更に磨いて、活かすべきだわ。魔物が跋扈する時代だし、戦う手段はいくらあっても足りないぐらいだし。テレーマ式の攻性魔術は便利だけど、威力がなさすぎるわ。今のだって、貴方がダビデの攻性魔術を使えたらおそらく、一人でも切り抜けられたわね」

「そんなこと、無いと思うけど」

「いえ。これは確信だわ。あなたはもっと強くなる。ダビデの攻性魔術を学んで、一年も軍で修行したら、魔道軍の幹部連中程度なら足元にも及ばなくなるでしょうね。さすが、名門の首席だけあるわね。見直したわ」

「ありがと」

 感謝の意と不服な態度。そこに喜びは無い。

 カーリャは言葉を続ける。

「だから、考えてみなさいな。初めは従騎士という形でも良いわ。私もそうだし。それでやってみて、それからこれから先のことを決めればいいんじゃない?」

 良い提案だと、カーリャは思った。

 素晴らしい才能を感じた。

 この才能を伸ばし、育てたいと思えた。

 だから、告げた。

 けれども。

「ねえ」

「なに?」

「一つ、聞いていい?」

「いいわよ」

「そのダビデの攻性魔術だっけ? それを私が覚えて、何をするの?」

「え?」

「それって攻撃魔術なんでしょ。それで私は何を傷つけるの? なにを傷つければいいの? なんで、傷つけなければいけないの?」

「それは、弱い者を守る為……」

「それって、私の仕事なの? それを、私は仕事にしないといけないの? なんで、私がそんなことをしないといけないの?」

「それは、力無いものを守るのは、力ある者の義務だから……」

「なんで、私が守られる側だといけないの? 身勝手じゃない。そうやって、なんでもかんでもやりたくないことを人に押し付けようと。軍隊だって毎年、入隊希望者がいるんでしょ。そういう、やりたい人にやってもらえばいいじゃない」

「いや……」

「遠慮します。軍属になったら戦争とかもしないといけないんでしょ。私には無理だから。人を傷つけるとか。漫画じゃないんだし、絶対に嫌」

 それきり。

 ミシューはカーリャを置き去りに一人、歩き出した。それだけで、完全に機嫌を損ねたとカーリャは確信した。さすがに、いくら鈍感で無神経な性格でもそれぐらいは察することができた。

 揺れるローブ、なびく金髪。魔道を拒む魔道の申し子のその背中にカーリャは思う。

(まあ、ガームヴォルフを殺した事に気を病むような子だし、軍属は無理かもね。あの子の言った通り、人間との殺し合いをする可能性もあるし。むしろ、本人の言う通り、研究機関や管理機関の方が適性があるかもしれないし)

 そこまで考え、カーリャは気づく。

 すでに自分が、あの子を取り込む事を前提にものを考えていると。軍属は無理でも、手放したくはない。どのような手段を用いても、手元に置いておきたいと考えていた。

 そして、それに気付き、カーリャはその思考に自嘲気味な嘆息をすると、先を歩くミシューに続いた。

 ナメクジに追いつくのは簡単であった。



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