3部 ビレッジ・フォレスティア

第13話


 その日は、良い天気だった。

 空は晴れ渡り、風も暖かい。

 鳥は、心地良さそうにさえずっている。

 新緑は太陽に輝きを失わない。

 水はせせらぎ、世界を祝福をしているかのようだった。

 世界はとても美しい。

 けれども、馬車の空気は最悪だった。

「……」

「……」

「……」

「……」

「何か、しゃべりなさいよ」

「何か」

「殺すわよ」

「うるさいな」

「聞こえているわよ」

「地獄耳ですね」

「殺すわよ」

「地獄に落ちろ」

「殺すわよ」

 清々しいほど、ギスッていた。

 これが、専属の貸し切り馬車ならば、まだ、迷惑を被るのは当事者と御者だけで済む話である。二人だけの空間で好き勝手、非生産的な悪口の応酬を続ければ良い。好きにしろというやつである。

 ただ問題なのは、これが乗合馬車だという事であった。

 セインブルグ王都からは各方面に対して乗合馬車が運行されている。

 魔道機関の発達によりオートマタ、自動機械の運搬手段が複数開発された昨今だが、それらの乗り物はコスト的に高く、依然として動物を利用した貨物運搬の需要が失われることは無かった。

 セインブルグ王都アークガイアと、ゼファーリア大森林の近隣に位置する集落、ビレッジ・フォレスティア間も同様で、ランバード運搬という運送会社が二間の運送全般を取り仕切っていた。

 乗車人数は十名ほどであり、中流階層の市民等に度々利用されるそれは木造の、安普請とまでは言わなくとも決して高級とも呼べる代物ではなく、座り心地は悪く、石を踏む度に大きく揺れて、心地よい旅路を約束する造りではなかった。

 けれども中銀貨一枚、宿一泊分程度の値段で十フィール、徒歩にて七時間以上の行程を短縮できるのだから、利用客は意外にも多く、二間の移動には度々利用されるのが実情だった。オートマタの発展により馬車の製造技術も向上しつつある昨今、馬車運搬による道程の所要時間も各段に向上し、現在は半分まで時短している。

 実際、徒歩と馬車、どちらか早いかといえば馬車の方が若干早いと言える程度の話ではあるが、重い荷物を背負い、身体を痛めながら歩くのと、揺れを我慢しながら馬車に運んでもらうの、どちらが良いかというのならばならば、やはり後者を選ぶ者が多かった。

 カーリャ=レベリオンとミシュー=スフィールの両名も同様で、わざわざ街道をえっちらおっちら歩くのならば多少の出費がかさんでも馬車を利用した方が良いのではないかというのが両名の共通見解だった。

 偶々、午前の最終便に席が空いていたので荷造りも中途半端に慌てて乗り込み、今に至るというわけである。

 行き当たりばったりな。

「……」

「……」

 不機嫌そうに腕組みをするカーリャ。

 不愉快そうに俯くミシュー。

 五席ずつの向かい合わせな構造になっている古びた席に並んで座る二人は、互いに対して明らかな嫌悪感を丸出しにしていた。

 周りの客は大迷惑である。

 ほら、隣に座っている老夫婦は顔をしかめている。小さな赤子を連れた若い新婚の男女はあからさまに困っていた。険悪な空気を無垢な感性で機敏に感じてか、赤ん坊まで泣きだした。地獄絵図である。

 いい加減にしてくれ。

 カーリャの軽装は元から変わっていないのに対して、ミシューは接客用ウエイトレスの姿から、魔術師然としたローブ姿に変わっていた。

 黒のローブ。

 素材は亜麻だろう。

 特筆する程、高級な代物ではないなとカーリャは感じていた。

 一般的な魔具を扱う商店に行けば、通常の衣服に多少の色を付けた程度の額で買えるようなありふれたローブだ。

 おそらく、なんらかの魔術的加護が施されているのだろうが、それすらも特筆するべき価値は無い。風が吹けば吹き飛ぶような弱々しい加護だろう。

 要するに安物だ。

 ローブの上に、寒さ対策なのだろうか、ケープも纏っている。

 色合いは、ローブと同じく黒のケープである。

 まだ、春の半ばなので防寒対策は重要である。

 セミショートの映える金髪をまとめる為か、色合いの鮮やかな赤のリボンを付けている。

 可愛らしい。

 腹立だしいが似合っている。

 しかし、旅支度に可愛らしさ重視というのはどうなのだろうか。

 旅を舐めているのだろうか。

 お上りさんなのだろうか。

 足元は皮のブーツである。

 丈夫そうで、中々の高級品に見えた。

 上から下からすべてが安物で構成されているのに、足元だけ拘るのが微妙に憎らしい。

 ただ、旅というのは路面の心許ない道を歩くことが多いので、意外と理に適っているのかもしれない。

 貧民街の住民で金の無い者などは、動物の皮を紐で括っただけの物で用を足そうとするが、それで路面の厳しい道を歩いた後は目も当てられない。

 まあ、そんな人間はごく一部だが。

 安物の衣にキャピキャピしたリボン、高そうな靴。

 そこまでは良い。

 そこまでは我慢できる。

 そこまでは、我慢しよう。

 しかし。

 なんだ。

 その、手に握っている杖は?

 杖なのか?

 枝じゃないのか?

 魔術師と呼ばれる人種は、魔術行使の媒体や護身の用途として杖を持っていることが多いが、一言に杖といってもその素材は多種多様である。

 純粋な護身用としての用途を期待できる鉄や鋼。効率の良い魔術媒体として利用される樫やトネリコ、アカシア、魔法銀。東方ではサクラやタケといった変わり種も生産されているらしい。セインブルグ王都では、オーク材が主流である。

 高品質の魔法銀を素材として使用した杖などは価値が高く、クリュール区等の中層に一戸建てが買えてしまうほどの値段で取引されることもある。中流階層ならば数年程度なら遊んで暮らせるほどの価値と言い換えた方が良いだろうか。

 魔法銀は特殊な事例としても、魔術媒体としての杖は総じて高価である。セインブルグで量産されているオーク材の杖でも、小金貨ぐらいなら平気で飛ぶ。

 魔術師家業というのは何かと出費がかさむ。世知辛い世の中である。

 その話から逆行して、どのような杖を所持しているかでその魔術師の位階や実力を測るという事も可能だったりする。

 やはり実力の高い魔術師ほど精度の高い魔装衣であるのが一般的である。もちろん、ただの見栄で高価な魔具を所有する者もいたりするのだが、基本的には高い実力がなければ一流の道具は使いこなせないのだから、それもまた特殊な事例として処理して良い話である。

 さて、それを踏まえてこの娘の得物は。

 ……。

 うーん。

 なんだろうか。

 なんなんだろうかと、カーリャは思った。

 樫ではない。

 アカシアやトネリコとも違う。

 勿論、セインブルグで一般的なオーク材でもなかった。

 木材を原料としているのは解るのだが、二トゥース、ミシューの手を大きく横に広げて収まるかどうかという長さの杖は古木であり、くすんでいた。

 重さは比較的ずっしりとして、重量感を感じさせる。

 おそらく使い古されているのだろう。節々に傷があり、それが痛ましさを感じさせた。

 先端には同じように、くすんだ色合いの宝珠が装飾されており、表面に散りばめられた無数の傷が哀れさをこれ以上ないほどに増長、演出していた。

 店の隅にある在庫処分の棚に小銀貨一枚、ランチ一食分の値段で大放出してあるのを適当に掴んだとしか思えないような粗雑極まりない一品だった。

 端的に還元して、ひでー杖だった。

「……」

「……」

「ねえ」

「……」

「ねえ」

「……なんです」

「その杖」

 あえて、重箱の隅を突いて藪から蛇を出すこともないだろうと頭の中では理解していながらも、好奇心と疑念を抑えられずに、カーリャは思わず聞いてしまった。

 ミシューは怪訝に聞き返す。

「杖?」

「杖」

「杖がどうしたんです?」

「どこで買ったの?」

「貰ったんです」

「貰った?」

「はい」

「誰から?」

「先生です」

「先生?」

「はい」

「先生って、学院時代の?」

「はい」

「へえ」

「何か文句でも?」

「いや、別に」

 と、そこでカーリャは軽く言葉を区切り。

「餞別?」

「はい。卒業祝いです」

「へえ」

 卒業祝いとは。

 卒業祝いか。

 卒業祝いなら、もう少しちゃんとした代物を渡すだろうに。

 ずいぶんと変わった教師だと思った。

 もしかしたら、嫌がらせだろうか。

 ゴミ押し付けられたのか?

「先生が、愛用していた杖らしいです」

「へえ」

「餞別に貰ったんです」

「なるほど」

 自分の愛用品をお守りかわりに、という話だった。

 確かに、そういう話なら納得もできる。

 納得も、できるが。

 だが。

「それを、使うの?」

「はい」

「マジで?」

「悪いですか?」

「悪いというか、何というか」

 小鬼の棍棒でも打ち砕かれそうなくたびれぶりである。

 身を守るにも、もう少し何かがあるだろうに。

 身を護り、命を護る道具であるのだから。

 仕方がない。

 カーリャはコホンと咳ばらいをすると。

「この先の集落で、大森林への遠征に向けて、ちょっとした武具屋が営業してたと思うわ。確か、杖等の魔道具も置いてあったような気がするから、そこで新調しなさいな」

「結構です」

「お金なら出すわよ。出張費用はたんまり頂いているし、必要経費は軍に請求すればいいんだから。出費がかさんでも、痛むのは軍部の懐とうちの小隊長の胃袋だけよ。遠慮しなさんな」

「余計なお世話です」

「くだらない得物が理由で死なれたら、寝覚めが悪いんだけど。あんた、外国人だし国元に連絡するのも面倒なのよね」

「この杖が気に入っているんです」

「あのねえ」

 思った以上に頑なだった。

 まあ、短い付き合いで重々承知しているが。

 おそらく、これ以上言っても耳を貸しはしまい。

 それにしても、義理堅いというか、変な愛着心があるなとカーリャは思った。

 まあ、そういうのは嫌いではないが。

 カーリャは自分の得物である、セインブルグでは誰も愛用しようとしない刀に触れた。。

 カーリャは嘆息交じりに言った。

「なら、好きにしなさいな」

「好きにします」

「死んでも、私は国元に連絡しないわよ」

「いちいち、縁起でもないことを言う。厭味ったらしい」

「悪かったわね」

「悪いです」

「殺すわよ」

「地獄に落ちろ」

 馬車が揺れる。

 傍の若い夫妻の内、夫の方が顔を青ざめて吐きそうにした。つわりだろうか。

 馬車が揺れる。

 安普請で、乗り心地が悪い。

 車輪が岩を踏む感覚が、大げさに伝わる。

 きっと、この若い夫も、馬車の揺れにやられてしまったのかもしれない。

 決して、馬車の空気が悪いわけではない。

 それが、乗客の体調を崩す理由ではない。

 赤ん坊が、更に声を大にして泣き叫んだ。

 若い夫が我慢して、遂に馬車の外に身体を乗り出し、口から粗相をした。

 地獄絵図であった。

 小さな乗合馬車で起きる小さな地獄絵図は、まだ始まったばかりである。

 老夫妻がパタリと倒れた。



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