第11話


「お待たせいたしました」

 待たせられたのか、あるいは大して待たせられていないのか、それほどまでせずとも、すぐに軽食は運ばれてきた。

 軽食というだけって、ボリュームはそこまで無い。

 女性や子供ならば喜んで食べるだろうが、傭兵や兵士、あるいはハンター等の肉体を資本とする職業ならば少しばかり文句をつけたくなる程度の量である。

 かくいうカーリャも、華奢な外見の割には食は太く、実家の気取った料理などでは不完全燃焼の事が多い。

 フォンディヒラメのスープ? なんじゃそりゃ。肉を出せ。肉が食べたい。

 ただ、値段は銅貨五枚なので、相応の分量とも思えた。小腹を満たすにはちょうど良いのかもしれない。

 珈琲は、透き通り黒澄んでいた。とても珍しい色合いだった。珈琲は焙煎した豆を潰し、それをお湯に溶く。特有の黒い泡立ちのようなものがあり、非常に苦みが強い。

 だが、この店の珈琲はそのような特有の泡立ちがなく、苦みも弱く、飲みやすいものであった。カーリャの知っている珈琲とは違うがのど越しが良かった。なにか特殊な製法で使っているのだろう。

 生野菜はチシヤだった。

 チシヤはセインブルグ王都近郊で栽培、採取される菜の一種である。菜なので味は薄いが、シャキシャキとした食感が市民の間で好まれている。

 エライアーオイルという食用油と、岩塩をまぶしていた。エライアーオイルは植物油で、エライアーという樹木から採取される実を加工して精製される。セインブルグでも定番のドレッシングである。

 珈琲もチシヤも決して珍しい食べ物ではなく、このクリュール区でも扱っている飲食店は割合多いので、カーリャはそこに対しては別段、驚かなかった。

 エライアーオイルもアークガイア近郊では生産されておらず、南方の領から長い距離を輸送しているので未だに高価であり、それを瑞々しいチシヤに惜しげもなく使う所から店主の食への拘りを強く感じさせられた。

 なるほど。はじめは量が少なく、多少の物足りなさを感じさせられたが、よくよく見ると、一つ一つの商品に対する強い情熱を感じさせられる。これなら、銅貨五枚は安いとさえ思えた。

 ただ、問題は。

 そう。

 問題は、である。

 目の前の、これである。

 良くわからない。

 良くわからないこれだ。

 形は四角い。

 四角くて、平べったい。

 なんか、ふわふわしている。

 良く見ると、気泡のような穴が開いている。

 四角くて平べったい物体は、その縁が茶色い色合いをしていた。

 焼いたのか、白い表面に仄かな焦げ目がついている。

 縁が茶色い焦げ目で、表面にも茶色い焦げ目である。

 もしかして、二度焼いているのか。

 まさか、まさか。

 触ると、ほのかに温かい。

 不思議な物体だった。

 初めて見る食べ物であった。

「……」

 カーリャは目の前の物体を静かに見つめる。

 目の前の、皿の上に乗っかった四角い何かを黙って眺めた。

 うん。

 どうやって、食べるんだろう。

 顔を横に向ける。

 すると、先ほどの小柄な金髪のウエイトレスがニコニコとカーリャを見つめていた。

 早く、食べろと。

 そして、感想を聞かせろ、と。

 無言。

 そして、すげー圧力。

 血の繋がらない母親が偶に鬼の形相でカーリャを睨みつけるが、どことなくその圧力に似ていなくもなかった。

 まあ、当然ながらその圧力に居たたまれなくなり、カーリャはすぐ傍らで何かを期待しているかのようにそわそわとこちらを見つめ続けるウエイトレスに思わず声をかけた。

「ねえ」

「はい」

「聞いていい」

「どぞどぞ」

「これは?」

 と、白いこれを指さす。

「これ」

「これと申しますと」

「だから、これ」

「ああ」と、ぽんと手を叩き「トーストでございます」

「とすと?」

「トーストでございます」

「とすと?」

「食パンでございます」

「しょぱん?」

「食パンでございます」

「はあ」

 カーリャは、気のない返事をした。

「しょぱんのとすと、ね。それで、これはなに?」

「何と、申しますと」

「何が原料で、どうやって作ってるの?」

「ああ」と、またぽんと手を叩き、「マームでございます」

「マーム? マームなの」

 マーム。

 小麦。

 それは、言わずもがな。

 セインブルグ王国でも主食とされている穀物の一つだった。

 セインブルグ王国の主食と呼ばれるものは主に二種類ある。

 一つはポタト。馬鈴薯。じゃが芋と呼んでも良いのかもしれない。

 栽培が比較的容易で急激な気候変化にも強く、取れ高も多いのでセインブルグ王国のみならず、ガリア大陸全土で好まれ、食されていた。

 そして、もう一つが麦。

 セインブルグ王国ではマームと呼ばれる。

 水と混ぜる事によって白い団子状になる。

 セインブルグでは主に団子状にしたものを煮たり焼いたりと、調理して食べることが多い。小麦団子はグルムと呼ばれ、ポタトと双璧をなす主食として好まれていた。

 マームは他にも水を多めにして煮込み、小麦粥として食するやり方や、細い麺状にしてパスタとして嗜むなど、様々な方面でレシピが発展していった。

 けれども。

「マーム?」

「はい」

「本当に、これがマームなの」

 麦とはこういう物ではない。

 こういう物は見たことない。

 なんで、マームがふんわりして柔らかいのだ。

 マームは固くて弾力があって、歯ごたえがある。食した後はずっしりと腹が重くなるものである。だからこそ、腹持ちが良いからこそ、主食として好まれている。

 試しに、皿の上に乗っている二切れのうち、一切れを手に取ってみる。

 表面は焼きあがっており、軽く力を込めただけで千切ることができた。

「本当はバターかマーガリンがあればよいのですが、あいにくと入荷しておらず。そもそもマーガリンがこの世界、というかこの国で生産されていないので。商品開発と新規メニューの考案に関しては当店舗といたしましては命題と心得ておりますので、本日はこのままお召し上がりくださいませ」

「はあ」

 バターはともかく、マーガリンという名称の食材は聞いたことがない。

 バターはいわずもがな、乳原料を加工したものである。セインブルグ人はブトゥルムという名称を使う。セインブルグでも一般的な食材である。だが、バターという呼び方は珍しい。目の前の娘はセインブルグ人ではないのだろうか。

 マーガリンについてだが、残念ながら初耳である。ブトゥルムに近い食材なのだろうか。分からない。目の前の白い物体と同じようにわからない。

 カーリャは、しょぱんと呼ばれたマームを加工した不思議な物体を千切る。

 千切る。

 千切る。

 千切る度に、目の前の向日葵色なウエイトレスは何かを待ちわびるように目を輝かせる。

 期待に満ちた瞳。

 羨望と待望。

 賞賛への期待。

 苦手だ。

 カーリャの苦手なものの一つだ。

 期待されても、自分から出るものは耳垢ぐらいしかない。

 心無しに、少し不愉快になったカーリャは、まことに自分事だったのだが食欲を失い、手を止めて目の前のウエイトレスに聞いた。

「一つ訪ねたいことがあるのだけれども」

「はあ」

「いいかしら」

「はい」

「実はね」

「あの」

 と。

 ウエイトレスは千切りに千切って、十六等分になって、結局はただもて遊んだだけの結果になった目の前の、しょぱんだかなんだかいう不思議な名称の物体を指さして。

「召し上がらないのですか?」

「え」

「それ」

「ああ」

 カーリャは、肩をすくめ。

「いいわ。なんか、食欲無くなったし。ああ、サラダと珈琲は頂くから。これは下げていいわ」

「え?」

「え?」

「あの」と、指さし「美味しいですよ」

 カーリャは、うるさいと言わんばかりにわざとらしい嘆息を演出した。

「金は払うわ。残して悪いけど」

「残す?」

「ええ。ごめんなさいね」

 だからどうして。

 どうしてそこで。

 少女の顔色が今までの愛想の良い蒼天の天使のような朗らかな夏の太陽から、屍人もはや厭うほどの昏き呪詛の相貌に変化したことに気付かなかったのか。

 実際のところ、このカーリャ=レベリオンにはそういった、他人の顔色をあまり気にしないという悪癖のようなものがあった。

 空気を読まないとも言う。

 しかもあろうことか。

 この女。

 膿んだ傷口に泥を塗りたくるかのように、いらんことを、食通グルメを評しているかのごとく、それこそぺちゃくちゃと話し始めるのだった。

「いや、目の付け所は良いのよ。どうやって加工したかは知らないけれど、マームをこのようにふわふわとした食感になるように焼き上げる。それは立派な創意工夫に値すると断言できるわ。けれども、我がセインブルグの伝統的な調理法はまず団子、次に粥。麺という方向性もあるわね。そういった常套かつ一般的なのが好まれるのよ。ショパン、だっけ? お世辞を九つほど重ねてもこのようなものが流行るとは思えないわね。店主はいる? 伝えて頂戴。食品関連の組合に腕の良い調理人がいるから紹介してあげるわ。そこで、もう一度、色々と勉強しなおした方が良いんじゃないってね」

 だから気付けって。

 目の前のウエイトレス、プルプル震えてるぞ。これは、かなりマジ切れしている様子だって。

 けれども、そこは私は空気を読みませんとのこと、第七師団第七小隊で有名なカーリャ=レベリオン。踏んだ地雷をその足で、再び豪快に踏み抜ていく。

「それにねえ。山の手の高級住宅街ならともかく、こういう一般向けの飲食店はやっぱり肉よ。魚でも良いわ。労働者が好むようながっつりしたメニューが好まれるのよ。なんか、食べただけで胃にがっつり響くような。それを何? このスカスカなのは。空気玉じゃない。こんなもの、いくら食べてもお腹なんて満たされるわけがないじゃないのさ。こういうのは駄目。中層では売れない。ましてや、飲食に力を入れているクリュール区の競争を生き残るにはいささかパンチ不足に感じるわね。あれ、キックの方が得意? なんちゃって。とにかく、目の付け所は良いし、独創性も認めるわ。けれどもインパクトだけで勝負すると長期的な経営では失敗するわよ。これも店主に伝えて頂戴。店を持つのは勝手だけど、まずはきちんと下積みをして、それからでも遅くはないんじゃない。もしかしてどこかの貴族のたしなみで運営している口? まあ、成果は生まれないと思うけれども思うだけはやってみたらいいわ。無駄な努力を積み重ねるのも人生には大切なことだし、きっとそれが実らなくても血肉にはなるかもしれない。そう、無駄だとしても。でも、私としては……」

「食べてもないのに……」

「え?」

「食べてもないのに、知ったような口をきくなクソ女地獄で死ねぇぇぇ!」

 パキィィン。

 しょっぱんの乗っていて白い皿が、大きな音を立ててカーリャの顔面にめり込んだ。

 衝撃と共に皿もしょぱんと同じように十六の破片へと姿を変えた。

 見事な投擲だった。

 銅貨五枚の食器だった。

 椅子を十二分に巻き込んで、カーリャは一緒に吹き飛んだ。

 もちろん椅子もぶち壊れた。

 オーダーメイドで銀貨一枚の椅子だった。

 と。

 まあ。

 片や琴線をガリガリと削り、逆鱗ごと引き抜き。

 対する者は短絡的に暴力での解決を試みた。

 ファーストコンタクトとしてはとりあえず、考えうる限り最悪の部類に入るだろう。

 人と人がわずかな齟齬から争いを生み出し、憎しみの輪廻が永劫であることを端的に示す事象であった。

 もはや、関係の修復は絶望的である。

 しかしこれが、カーリャ=レベリオンとミシュー=スフィールの残念なファーストコンタクトにおける一連の顛末だったというしかなかった。


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