第9話


「ない!」

 おおよそクリュール区の地図の区画を一時間ほど歩き通した末に、怒り交じりに出た言葉がそれであった。

「やっぱり、ない!」

 同じ場所を永遠と行ったり来たり。

 結果的に何週も同じ場所を回り、それらしき魔道を扱う店を何度も覗き込んだが、やはり目当ての人物はどこにもいなかった。

「ないわ!」

 苛立だしげに獣皮紙を引っ張る。

「これ、ガセじゃないの!」

 あの忌々しき小隊長の憎たらしい顔が浮かぶ。お前、こんな簡単な仕事もできないの? そういわれているような気までしてきた。

「あーもう」

 カーリャはイライラする。

 ついでに地団駄もした。

 すぐ近くのクソガキが、「かーちゃん。あのねーちゃんブチキレてるよ」と指さして馬鹿にしてきたので、目つきが悪くて大変ですねでおなじみのやぶ睨みをかましたら少しだけ涙目になったので溜飲が下がった。

 子供泣かして大人げないのもなんのその。

 なんか、偉く疲れたのでカーリャは肩を落とした。

 そして、視線をよそに向ける。

 視線の先には飲食店があった。

 なんの飲食店かわからない。

 いや。

 正確には、飲食店の看板はあった。

 看板にはこう書かれていた。

 ブーランジェリー・スフィールと。

「ぶ、ぶーらん?」

 聞いたことのない言葉だった。

 ジェリーとは、ゼリーのことだろうか。

 スライムなどをジェリー・スライムと呼んだりもする。

 ゲル状のあれである。

 つまり、ブーラン・ゼリーというゼリー専門店なのかもしれない。

 スフィールは、まあ屋号だろう。

「なぞの店ね」

 飲食店には間違いないだろう。

 外からも、店内で飲食をするための机や椅子が幾つか置かれていた。

 内装は外から見ても綺麗である。

 だが、致命的に人がいない。

 営業しているのだろうか。

 店回りは花など飾ってあるし、軒下にもゴミや塵が落ちていないところを見ると、店主は衛生感覚に優れているのだろう。

 建造物自体もまだ綺麗で、おそらく新築だという事が素人目に見ても理解できた。

 どちらかといえば、アンティークでシックな良い店構えである。

 カーリャは割と店構えは初見で気に入った。

 けれども、やはり人がいないのが気になる。

 何を喰わせられるんだろう。

 カーリャは、はるか昔に森で餓死しそうになった時にオークの肉を焼いて喰った昔の苦い思い出が脳裏に横切った。

 魔物とはいえ、二足歩行は辛かった。

 若干生焼けだったし。

 師匠は「肉は生が上手いんだよ」と言っていたが、どう考えても食中毒になるから肉はじっくり焼いた方が良いと思った。

 次の日、お腹を壊したし。

 あれと比べたら、どんな下手物料理も可愛いものである。

 王都の中にある飲食店なんだから人に喰わせられないようなものはさすがに出さないだろうと、カーリャは考えて勇気を踏み出して入ることにした。

 我ながら物好きだと思いながらも、「一人空いてる?」と手垢の付いていないドアノブを回した。

「いらっしゃいませ~!」

 若い少女の声が店の中に響いた。


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