第一章 竜と刀とブルーベリー
1部 円卓議会
第3話
アークガイアは蒼天だった。
一切の雲がなく、天の頂に究極の造形物として君臨する無比に眩き太陽の光に煌煌と照らされ、青々とした空が広がっていた。まるでセインブルグ王国の繁栄を祝福しているかの如く。
風もとても清々しかった。
時節はノーゼス・シュテーム。シュティアの時節と呼ばれることもある。春夏秋冬とがはっきりと感じ取れるほどに季節の移り変わりが鮮やかなセインブルグ王国において『春』と称される時節であり、風は暖かでありながらも心地よく、花々は咲き乱れ、新緑が徐々に色付いている頃合いでもあった。
セインブルグにおいても万人が何かの始まりを予見する時節であり、これから徐々に熱を帯びてくる世界に心震わせる時期でもあった。
それは、巨大な人口三百万人都市、セインブルグ王国首都アークガイアの中心に聳え立つ首都の巨大な象徴、セインブルグ城、グラン・ゼ・アートにおいてもそうであった。
堅牢な城壁に囲まれた幽玄な城。王都を見下ろす絢爛たる楼閣。それがグラン・ゼ・アートを目撃した者達の抱く第一の印象であろう。
大きい。とにかく大きい。天高く貫くバベルの塔、というのは大げさな言い方だが、その頂点に存在する見晴らし台から巨大な都市の先にある平原まで見通すことができると知れば、それがどれだけの質量を誇るのかという片鱗を僅かに知ることができるだろう。
王都の中心でホルスのように万象見下ろす壮大なる城。当然ながらそこは、伽藍の洞では決して無く、王侯貴族と騎士、そしてそれに付き従う従者を中心に様々な人々が千差万別、万華鏡の様な色合いの人生模様を映し出していた。
舞台はその一角に移る。
瑠璃の天廊と呼ばれている。
その名の通り、本殿から円卓院に繋がる廊下の一つである。グラン・ゼ・アートに複数存在する道の一つであり、名の通りに瑠璃の意匠が各所に施されているのが特徴である。
回廊は大理石造りであり、美麗である反面、採掘が限られている希少な石を惜しげなく建築材として使用しているところに気品と尊さを感じる。
その気品あふれる廊下を優雅に、そして厳かに歩くのは、それにふさわしい身なりをした一人の少女と、それに付き従う初老の男性であった。
足音が木霊する。
大理石の床に木霊する。
コツコツと、小気味良く木霊する。
煌びやかな大理石。
踏みしめるは、女神の現身。
神々しくも、気高き聖女のごとき御姿。
美しい。
美しいという言葉すら色褪せる。
至高の皇玉。
無二の玉石。
麗しき銀髪。
樹氷の白銀がごとく眩き銀髪。
長き銀髪。
腰ほどまで、長き銀髪。
眩き銀髪。
そして瞳。
切れ長の瞳。
強い意志を感じさせる瞳。
透き通った琥珀の瞳。
純金の瞳。
深い、深い、見通す瞳。
魅了の魔眼ではないかとも噂される瞳。
硝子の様な肌。
金剛石の様な肌。
真珠の様な肌。
細身。
麗しの最身。
美麗の最身。
高名な芸術家が生み出した彫刻が如く。
高名な職人の作り出しだ飴細工が如く。
自然の生み出した奇跡。
神の造形と表される事がある。
神の寵愛を受けし御方とも謡われる。
シルクドレスを身に纏っている。
瑠璃のような青のシルクドレスである。
シルクは高価である。
セインブルグにおいて、シルクの生産は一切行われていない。セインブルグが存在するガリア大陸においても、生産できる環境は皆無である。セインブルグに流通するシルクは全て、海外からの輸入品に頼っている。出航した船が無事に対岸にたどり着ける保証のない時代、命がけで航海は行われる。だからこそ、シルクは、高価な代物である。一反、衣服一着分が白金貨三枚に相当する。平民は白金貨三枚あれば一年は遊んで暮らせるといわれている。
瑠璃のようなシルクドレスに映えるブルーサファイアのネックレスも着用している。このブルーサファイアは、リムサスクサファイアと呼ばれておりルダーバ渓谷と呼ばれる場所でごく少数、採取する事ができる。五カラット程度のサファイアで、値段はシルクの三倍以上であった。
ブルーサファイアの高価なネックレスは、紋章の意匠を象っていた。杖と盃を携えた神を象徴する紋章であった。セインブルグ王国の守護神である大地神コーリアガイアの御姿を象徴する紋章であった。そして、この国において知らぬ者のいない紋章だった。
王家の紋章。
セインブルグの王族以外が身に着けることは断じて許されない。もし王家に連なる者以外がこれを身に纏う狼藉を犯したのならば、不敬としてその場で断罪、処刑される可能性さえすら考慮できるほどに神聖で不可侵な紋章であった。
そういった代物であった。
白銀よりも眩い銀髪と、真珠よりも白い肌を持つ宝石より美しい少女は、金貨よりも高価なシルクのドレスと、セインブルグ王家の紋章を象ったブルーサファイアのネックレスを身に纏っていた。
身に纏うことを許されていた。
高貴な御方に対して、すれ違う侍女や兵士、あるいは貴族達は、こぞって敬礼をする。その所作には、彼女に対する明確な敬意と畏怖が含まれていた。
身分問わず。
彼女に敬礼を行う。
是非なく、疑念すらなく、敬礼する。
齢二十を超えていない小娘に対して。
それどころか、少女はつい最近、十六歳を迎えたばかりである。数え歳ならば十七年目なのだろうか。成人の儀が満十五歳で行われるセインブルグにおいても当然のように若年として扱われる年代である。
年若い。
少女といっても良い。
だが、城内の誰もが彼女に傅く。
身分、問わず。
性別、問わず。
年齢、問わず。
老いた侍女長も。
それに付き従う若き新人の侍女も。
若々しい屈強な兵士達も。
老獪そうな貴族達も。
彼女の背後に付き従う初老の男性は、この国における宰相の身分に近しい。いわば大国の政治の中枢にいる人物である。王家の親族にあたる血統であり、公爵ですら敬意を失する事は許されない。
そのような身分と血統を与えられた彼ですら、目の前の齢十五、六の少女に対して礼を崩す事は決して無かった。
もしこのセインブルグ王国に、彼女を傅かせる者が存在するのならば、それこそ大国の守護神、豊穣の大母神と万人に謳われ、信仰の象徴とされる地神コーリアガイアしかいないのだろう。
それほどの人物である。
ギュースの称号を持っている。
ギュースの称号は、この国で爵名と呼ばれる者の一種である。爵名とは、自らの身分を示す称号の一種であり、この爵名においてその者がどれほどの爵位を持つか知らしめることができる。
一般に倣って公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順に爵位は並び、爵位を持つ者は爵名を名乗ることを許される。伯爵位以下は状況如何によって無制限に、比較的緩やかに爵位の下賜が許されるが、侯爵位以上は数が制限されており、公爵位は六、侯爵位は十二しか爵位は存在しない。
爵名を騙る事はセインブルグ王国において重罪の一種であり、爵名偽証罪にあたる。軽度では手足の粉砕、眼球等の器官を潰したのちに放免、重度は一族断首、のちに三日から一週間のさらし首になる。
ギュースは、少々特殊な爵名であり、厳密には下賜されるわけではないので爵名ですらないのだが爵名と同じように扱われるのが通例であった。
ギュースの爵名は、現政権におけるセインブルグ王国の専制君主、つまりは国王のみが名乗る事を許されている。王位を継承した者に対して前国王から与えられる、この国で最も崇高な身分の証明である。
王以外が、ギュースを名乗る事は許されない。それこそ、我らが崇め奉る偉大なる大母、コーリアガイア聖神に心より誓って。
彼女は神と、このガリア大陸において最も広大とされるセインブルグ王国に住まう全ての国民に、ギュースの称号を名乗ることを認められている。
正しく彼女こそ、この国の女王であった。
この国で、神に次いで気高く、冒しがたく、貴き御方は、広大なセインブルグ王国を継し十五代目の国家君主と認められ、セインブルグ十五世と名乗っていた。
女王は、背後に付き従う宰相に問う。
「それは本当なの?」
「はい。陛下。まごう事なき真実でございます。ビレッジ・フォレスティアに駐在中の斥候が目視したとの報告が入っています」
「原生生物の何かと見間違えた可能性も考慮できるのでなくて?」
「目視報告を受けたのは昨晩の五刻を過ぎた頃合いですが、報告元でもあるロライ小隊は遊林行偵部隊でも中々に信頼度の高い部隊との話も聞いております。他にも集落に居住する村民や林道を利用する職種の者達からも多数の目撃情報がある模様です」
「となると、中々に真実味が増してみたわね」
「本日は、バナン総大隊将公とゼナン騎兵大隊長補佐も参列しているので、そこで詳しい話は聞けば、と」
「ファラリスは顔を出さないのかしら?」
「殿下、いえ、騎兵大隊総大隊長閣下は本日、別件の公務の為、欠席されるそうです」
「中々に、姉想いの弟ね」
「メリアリア派閥の渦中にいながらも、陛下に心を砕く殿下の御心をお察しください」
「わかっているわ」
セインブルグ十五世は、軽く振り返ると麗しの相貌を軽く微笑ませた。正しく天女の微笑であった。
初老の男性は、その笑みに一つ頷いて答えた。ほりの深い相貌は、険しい圧力を人に与え、魔獣ですら勇敢に打ち倒す騎士ですら、彼に見つめられると腰を砕くと噂されていた。
付き従う男性。
名を、グランクという。本名は、グラング=エクニルプ=グランサー=グラニュール。この国の宰相である。
正確には、大関自治長と呼ばれ、国家運営に携わる政治組織の統括を行う部署における最高責任者であり、国家君主に最も近い人物でもあった。
専制君主であるセインブルグ王国において、君主の片腕とされる人物でもある。
限りなく銀髪に近い金髪を、まるで絵の具を塗りなおすかのように白髪に変色させた男性は中肉中背のしまった体躯で、女性としては平均的な身長の女王よりも頭一つは大きかった。
質の良い麻のコートとウエストコートに、ブリーチズという出で立ちであり、セインブルグ十五世はそれが、シャーレ区にある高級服飾店のオーダーメイドであると知っていた。
セインブルグ十五世は、天女の相貌にわずかな陰りを浮かべる。
「竜の目撃情報。私が即位してからは初めての事態ね。議会前に少し情報が知りたいわ。最後に討伐戦を行ったのは何年前?」
「領内で最後に行われた討伐戦は、アファート草原での一戦です。おおよそ十四年前の事例です。その際は、百人規模、一個中隊の制圧部隊が編成されたのを覚えております」
「もう少し、正確な情報が知りたいわ」
「騎兵一個中隊。百二十人編成。当時の精鋭が中心に招集されたそうです。全騎、火よけに魔法銀の装備をしていたと聞いております」
「ブレス対策ね。火よけ。ということはケルドゥン種かしら」
「おっしゃるとおりです。騎兵によるかく乱を主軸に、ダビデの魔導士部隊が攻性魔術を放つという戦術を採用したらしいです。騎兵は当時、最も名馬とされたサゼラン馬に騎乗。もちろんこれも、ブレス対策に魔法銀を装備。ダビデの魔道隊も編成されたのは十名程度でしたが、その全てがホド以上の位階であったらしいです。竜一体に一個中隊。定石ですな」
「ホドの位階以上で構成された魔道部隊ね。もしかしたら、ファラン小隊の話かしら」
「ご明察です」
魔術師には位階が存在する。
通常、ホドの位階に到達にするには一般的に五年以上の英才教育、ないしは魔道に携わる業務への同程度の期間における現場経験が必要とされていた。マルクト、イェソド、ホドの順で昇格していくのだが、ホドの位階が一般的に意味する所は魔術師としての大成である。他者への指導資格が与えられるのもこの頃で、ホドの位階に到達しているだけで無条件の信頼が得られる。
当時も今も、王立魔道軍ダビデに、ホドの位階以上の魔術師で構成された小隊はいくつか存在する。十余年前で、その条件に当てはまる部隊。セインブルグ十五世が真っ先に思い浮かべたのは、ファランという子爵の末弟が率いていた魔道部隊である。
とても優秀だったと聞く。
爵位を継げる立ち位置ではなかったから、せめて努力で見返そうとしたのだろうか。おそらく、騎士として功績を上げて士爵の位を狙ったのだろう。竜退治など、世評を得る良い機会である。印象にも残る。
そして、彼と彼が率いた優秀で勇敢な小隊の悲惨な末路も知っていた。セインブルグ十五世はその結末を知りながらも、あえて確認の意味も込めて背後に付き従う宰相に聞いた。
「結果は?」
「討伐には成功したそうです」
「成功、はしたのね」
「被害は甚大でしたがな」
宰相グランクはそこで軽く顔に陰りを浮かべた。彼と付き合いが長くなければ気付かない程度に。おそらく、今は天に召された若き大願を求む勇敢な若者に心の中で黙祷でも捧げているのであろう。
「すでにご存じの事でしょう。ファラン小隊は全滅。騎兵隊も損耗率は、八割を突破したようです。コーリアガイア神の下に召されたファランには申し訳ないが、大敗、といって良いでしょうな」
「過去の過ちを責めても何も生まれないわ。過剰の戦力と装備を投入したのに、なぜそこまでの損耗を生み出したのかが知りたい。魔法銀を装備していたのでしょう? ブレスには、効果がなかったのかしら」
「適切な効果は発揮されたらしいですがな。けれども、魔法銀が耐えられても、それに守られた騎兵や騎馬が、膨大な熱量に耐えられるというわけではありますまい。完全に、見通しが甘かったですな」
「足の速い騎兵でかく乱、竜種からの直接的な攻撃をいなしつつ、ダビデの攻性魔術で殲滅するのが手順だったはずでしょ? もとより、当時の騎兵隊だって竜種からの直接的な攻撃を防げるとは考えていなかったはずだけど」
「功を焦った当時の中隊指揮官が前線に出すぎ、戦端を開くと同時に戦死。指揮系統を失った所を各個撃破されたらしいです。よくある話ですな」
「ファランも浮かばれないわね」
セインブルグ十五世は天で眠るファランに哀悼の意を示した。おそらく、数分で戦場は混沌を極めた事であろう。護られなければ十全に戦えない魔術師が十倍以上の体躯を誇る竜種に無防備なまま、詠唱を続ける。それがどれほどに勇気と覚悟を必要とすることか、セインブルグ十五世にはわからない。
竜種に直接的な打撃を与えられるのはダビデの攻性魔術だけである。そして、竜種は殲滅された。つまり、ファラン小隊は最後まで逃げずに、勇敢に戦い抜いたのであろう。それほどに勇猛な青年だ。生きていたらきっと大成していただろうに。セインブルグ十五世は世の無常を感じずにはいられなかった。
だが、この話で最も肝なのは、ファランに同情する事でも勇猛な戦士達に黙祷を捧げる事でもない。
竜種という存在の持つ圧倒的な戦闘力。
たとえ指揮官が失われてしまったとしても、腐っても王国軍である。三流喜劇のようにあたふたと取り乱したりはしない。ダビデの魔術師も居た。盤石の布陣である。八割の損耗など、通常の魔獣殲滅戦ならば考えられない数字である。
それでも、それを覆してしまうほどに竜種の戦闘力というのは圧倒的なのであろう。人類との戦闘力比率は一対百とされている。それが比喩ではない事は、アファート草原での戦況結果が明確に物語っていた。
「なるほどね」
そこでセインブルグ十五世は緊張に息を詰まらせる。焦燥に胸も詰まった感覚を覚えた。ファランは愚かではない。おそらく、一歩采配を間違えれば、自分も同じ過ちを犯すであろうという確信を、セインブルグ十五世は感じずにはいられなかった。
「つまりは、伝承で謡われているように一筋縄ではいかない相手なのね」
セインブルグ十五世の言葉に、背後のグランクは沈黙を持って肯定した。
そこで、二人は目的地に到達した。
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