6部 竜と刀とブルーベリー
第34話
その日のアークガイアは青天であった。
空には雲一つ無く、眩き太陽が今日も多くの民衆住まう広大なアークガイアを天上の祝福が如く照らしていた。住まう膨大な数の民草は各々が思い思いに今日という日を過ごしていた。その営みすら神々しき太陽は祝福をしているかのようであった。
そう。つまりはいつもと同じ、代り映えのある、代り映えしない一日であった。
王城、グラン・ゼ・アートの一角、瑠璃の天廊。名の通り、瑠璃の意匠が施されている大理石造りの美しき様式。その長き廊下を二人の人物が歩いていた。
一人は銀髪の少女。輝く髪。深い琥珀の瞳。本日は何時ぞやと違い、パールホワイトのシルクドレスを身に纏い、何時ぞやと同様に王家の紋章の意匠を施したサファイアのネックレスを首に携えていた。
セインブルグ十五世の御姿である。
すぐ後ろに控え、少女に付き添うのは彫りの深い老齢の男、宰相のグランク=グルニュールである。国営に関わる様々な難事を抱える彼は今日も難しい顔をしている。
セインブルグ王国に一週間という概念はないが、前回の円卓議会からすでに七日が経過していた。定例議会はおおよそ十五日毎に行われるのがセインブルグ十五世の即位してからの通例であったが、今回に関してはゼファーリア大森林における竜種の案件が命題として挙げられているために特例として緊急に議会の開催を早めることになった。
ただ、不思議な事にバナンからグランクに対する音沙汰は一切なかった。軍部の総括を任せられるほどの人物であるのだからバナンの仕事は迅速で手落ちが無く、無駄も少ない。平時ならばいい加減、状況に進展の一つや二つ、合っても良い頃合いであったし、普段のバナン=バルザック総大隊将ならば竜種の種族や特徴、巣穴を看破した上で遠征の部隊編成まで終わらせ、行軍の許可を貰う態勢まで組んでいるのが常だったが、軍の遠征を準備している様子もなかった。
あまりにも沈黙を長引かせるので、グランクもいよいよ痺れを切らしつつあった。今日の定例議会がなければ軍部に乗り込み直接問い詰めようかと思うほどであった。
それに加えもう一点、グランクにとって非常に胃の痛くなるような事件も起こった。なのでここ数日は心中穏やかではなく、心穏やかに眠ることもままならず、それがグランクを余計に大きく苛立たせる原因でもあった。 ただ、そちらの問題に関しては一応の解決となったのだが、解決したからといってそれがグランクにとって納得のできる形であるかどうかはまた、別の話であった。
グランクの前を歩く花のように可憐な少女は口を開く。
「私がいない間、何か変わったことは?」
「ありませぬな。先日、報告したばかりがすべてでございますな」
「そう。ならいいのよ」
おそらくは、世間話程度の気持ちなのだろう。ただ、グランクとしても悪戯に気をもませるものだから、遠回しに嫌味を言ってやらなければ溜飲が下がらなかった。
「カチューシャは大変良い仕事をしてくれましたな。まるで誰もが本物と見紛うような立ち振る舞い。さすがの一言。もう数日、陛下がお戻りにならなくても誰一人、気付く者は現れなかったでしょうな」
「それは良かったわ」
セインブルグ十五世はやんわりと微笑み。
「なら、ある日急に私がいなくなっても、この国は困らないという事ね」
と、グランクの胃に穴の開くような事を天使の微笑で言うものだから、初老の身にとっては大変堪える思いであった。グランクはこれでもかというほどに顔をしかめ、聞き捨てならない面白くもなんともない冗談を言う主に対して戒めるように告げる。
「たとえ戯れでも二度と、そのような事はおっしゃられるな。御身はこの国にとって至高の宝玉。贋作とて、替えにはなりませぬ。次に同じ戯れをされるならば、このグランク、自らの首と心臓を以て陛下を戒める所存でございますぞ」
「ごめんなさい。冗談が過ぎたわ」
「王が簡単に謝りなさるな」
なら、どうしろというのだとセインブルグ十五世は思った。謝らなければ謝らないでこの初老の男はいつまでも気をもみ続ける。歳を重ねた男というのもなにかと面倒くさいものだとセインブルグ十五世は感じる。
ただ、同時に嬉しくあるというのも本音であった。針のむしろで味方と呼べる味方が城内に少ないセインブルグ十五世にとって、グランク=グリュニュールの親身さは心強いものであった。
セインブルグ十五世はすぐ後ろを従順に付き従う宰相に問うた。
「今日の定例議会、まずは前回の洗い直しで良いのよね。ゼファーリア大森林の一件と、フォルスから頼まれていたダビデの採用案件から始める形にしようかしら?」
「魔道大隊長補佐官の一件については、そこまで気を入れ込む必要はあるませぬ。ラプラスも陛下の勅令に随分と真摯な対応を見せたようですがな」
「有難いかぎりだわ。成果にはつながらなかったらしいけど」
「と、申しますと?」
「それも議会で詳しく話すわ。ゼファーリア大森林の一件と重ねて、ね」
主の突如の言葉に、グランクは疑念を得る。おおよそ察するのはここ数日、女王が自らの立場も顧みず王城から姿を消したことに起因する事だろうが、女王の悪癖についてはグランクも良く把握していたので咎めることはなかった。咎めて直る者でもなし。ただ、三日も続けて雲隠れをする経験は初めてであった。毎夜、暇を見ては教会に立てこもり、神に対して無事を祈る日々であった。
そのような戯れを送る間に、一行は円卓議会の行われる円卓院へと到着していた。
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