第35話


 白一色、神殿か教会のように厳かな造りである円卓院の空気は、暖かな春の中頃というのに妙に寒々しく張りつめていた。おそらくは、先日に提議されたゼファーリア大森林における竜関連の事案が依然として停滞を続けているからであろう。

 円卓議会の顔触れは前回と全く同様であり、軍部の総括であるバナン=バルザックを筆頭に、騎士大隊の隊長補佐であるゼナンと魔道大隊の隊長補佐であるフォルス。そして都市長のバッファであった。円卓院の椅子が満席で埋まる日はいつか来るのだろうかと思いつつもセインブルグ十五世が上座の椅子に座ると、同じように椅子に腰を下ろし議会の開催を待つバナンは難しい表情をしていた。竜関連の案件が思ったように進展していないことに対しての苛立ちなのかと思ったが、良く観察すると苛立っているというよりも、何かに対して怪訝に感じているという印象であった。まるで、狐につままれたように、腑に落ちない表情をしている。

 何かを深く考え込んでいるバナンは女王の到着に気付くのを僅かに遅らせる。隙の無いこの男にしては珍しいが、バナンは慌てて立ち上がるとセインブルグ十五世に対して間の悪い敬礼を見せたが、後ろに控えるグランクはそれを許すかのように軽く手を上げた。

 そして、グランクは厳かに告げる。

「さて、会を始める。全員、女王陛下に敬礼」

 その言葉に、一同は起立し、女王に対して最敬礼行った。軍部の敬礼が規律正しい事も、都市長のバッファの敬礼が若干たどたどしいのも、前回の議会と同様であった。

 グランクは、咳ばらいをすると手元からアカシア紙を取り出し、議会の内容を再度確認するかのように書かれていた内容に軽く目を通した。そして顔をあげる。

「さて、前回の議会からまだ七日ほどしか経過していないが今回は、ゼファーリア大森林における一連の騒動が未だ、解決をなして事も含めて、緊急で行わせてもらう事にした。忙しい中、皆には済まない。と言いたいところだが軍部より、新しい情報が届かない事に私は一抹の疑念を覚えている。バナン、進展があれば私に一報を送れといったが、何も音沙汰がないのはどうしてかな?」

 バナンはそこで難しい顔を更に難しくする。

「実は、私も大変に困惑しているのですが……」

 と、付け加え話を始める。

「斥候を三倍に強化したのにもかかわらず、ここ数日、今までに頻発していた竜種に対する目撃情報が一切途絶えておりまして。それは軍部の斥候に限らず、ビレッジ・フォレスティアに居住する者達からも同様でありまして」

「集落の村民に対する森への侵入に関しては、軍部から大きく制限をかけているのではないかな?」

「それは勿論です。ただ、それにしても驚くほど突然に途絶えたもので。林道における斥候は依然続けておりますが、先日も、本日も、存在すると推測される竜種に対する目撃情報は一切ないというのが実情です」

「それは、不可思議だな」

 グランクの言葉にバナンは頷く。

「正確には、もう五日になりましょうか。そこから突如、途絶えたという形です。斥候の強化に警戒して森の奥に潜んだか、もしくは住処を変えたか。実際が判明していない現状は目下、調査を続行中です」

「それが連絡の滞った原因か」

 バナンは再び、頷く。

「状況が混沌として取り留めなく、悪戯に宰相を困惑させることになりかねないと考えまして、こちらでそう判断させていただきました」

「なるほど。そういうことなら仕方がない」

 そこで、グランクは非常に困ったように顎をさする。

「しかし、突如として、か。下手に村民に牙をむかれるよりは厄介な状況かもしれんぞ。彼の一件が解決しないうちは林道における業務の一連を止め続けなければならないだろうし。そうなれば木材の供給に明確な不備が生じる事であろう。難しいな」

 すでに、木材の価格は高騰をはじめている。ゼファーリア大森林からの木材の供給が停止しているからである。王都アークガイアにおいても机や椅子は木製が中心である。霞の上に茶碗を置くようなファンタジーは存在しない。

 討伐するにしても、和解するにしても、どうにかしてゼファーリア大森林に巣くうとされる竜種の問題は早急に解決しなければならない。グランクとバナンが解決の日の目を見そうにない難問に頭を抱えていると。

 突如、上座の女王が口を開いた。

「その問題は、すでに解決したわ」

 不可思議、ここに極まれりとばかりの女王陛下の発言に、グランクとバナンが困惑を露わにセインブルグ十五世に向き直る。国家の重鎮二人がこうも動揺する光景は、簡単に拝めることではない。それを見れただけでも役得だとばかりに、セインブルグ十五世は言葉を続ける。

「結論としては、森に出没していたのは群れから追放されて野生化したロウドラゴン。最下級の竜種でした。ただ、老齢化のために体躯はかなり肥大化していたようね。ただ、実際には十ルゥースには満たなかったようですけど」

「信じられませぬな。戯れでしょうか?」

 バナンの珍しく辛辣な、場合によっては不敬ともとられかねない発言に、しかし女王は首を静かに横に振ると。

「先日、討伐の証としてヴォフト区の狩猟組合支部に竜の爪が納品されたらしいわよ。竜の爪なんてめったに拝めない物だからヴォフト区の組合は大騒ぎのようね。流通経路が確立していない品だから、現在も組合で保管されているらしいわ。嘘だと思うなら、議会が終わったら諜報員を派遣すると良いわ。それとも、自分の目で確かめに行くのかしら」

 そういう女王の口ぶりには明確な自信と確信が含まれていた。言われるまでもなく、議会の終了後にバナンは、ヴォフト区に足を延ばそうと決めていた。

 竜の爪など今日、明日中に捌けるものではない。おそらく、急がなくともあと数日はヴォフト区の狩猟組合に保管されたままの状態になっているであろう。

 実際。

 竜の爪など珍しいもので。

 竜などは、下位、中位、上位に関わらず数年から十数年に一度、遭遇するかどうかの存在であって。

 結局のところ、ヴォフト区の目の肥えていない組合員にとってその竜の爪が下位種であるロウドラゴンの希少な爪なのか、上位種であるグランドラグーンが落とした神話級の代物なのか、判断などできないのである。

 雑な対応だと痛感していたが、竜種の討伐が証明されるべき品は明確に必要である。実際に討伐されたかどうかは、それこそ神のみぞ知る事態だが。捏造はいくらでもできる。

 それに、あれがまた牙をむいてきたら返り討ちにすればよいだけの話である。それだけの話である。それだけの話なのだ。

 バナンはしばし、何かを思い耽るかのようにうなると、肩をすくめ、息を吐き、観念したかのように頷くと、半ば納得いかないような表情で女王に告げた。

「いいでしょう。討伐品の検証。後にもう五日間の斥候を継続し、それでも竜種の存在が確認されないようでしたら、討伐されたとみなし、森林を開放することにしましょう」

 バナンの言葉に、女王とグランクは頷いた。森への侵入が以後、五日も開放されないのは痛恨だが、慎重を重ねる事は大事である。人命は替えがきかない。

 女王は満足そうに微笑むと今度は魔道大隊の隊長補佐であるフォルスに向き直り。

「それと」

 話題を転換する。

「フォルス。この間の話だけど」

「はい」

 頷くフォルスにセインブルグ十五世は言葉を続ける。

「例の特待生の件。残念だけど期待外れの結果になりました」

「え?」

 間抜けな返事だと思いつつも女王は軽く手を上げる。傍に控えていた男性の補佐官が、アカシア紙をフォルスに手渡した。フォルスは手渡されたアカシア紙に目を通すとすぐに、その表情に失望を浮かべた。

「例の特待生の諜報結果です。結論から言うと明確な誤報。クリュール区の役員に踊らされたわね。卒業生なのは間違いないですし、調査結果によると中々優秀な生徒だったらしいわね。けれども、すでに王都に転居後、魔道協会に引き抜かれて同区の組合で働いているらしいわ。勤務状況は良好。引き抜くのは難しいと思うけれども、引き抜きたければ自由にすれば良いわ。同様の情報をすでに、秘錬官監院にも報告しておきました」

 アカシア紙には、十五歳、男性の情報が書かれていた。成績は中の上。魔導の最高位学府を卒業したという実績はとても魅力的だが、意欲的に引き抜きたいかと言われればそこまでの熱意を得られない程度の経歴であった。

 どうやら、歴史に残るような大魔術師がひっそりと王都に転居するようなファンタジーもまた、存在しないらしい。フォルスは落胆と共に肩を落とした。

 女王はフォルスの落ち込んだ様子に何かを思うかのように息を吐く。なにか後ろめたい隠し事をしているかのような表情であった。

「と、いう事で良いかしら。バナンは斥候の強化状況を維持。竜種の出現の後遺症で森の生態系も乱れているし、その点も考慮して頂戴。ゼファーリア大森林における一連の経済活動を復興する為ならば、あなたの裁量で自由にしていいわ。私の名を使う事も許可します」

「御意に」

 バナンは頷く。

 そこで。

「時に、陛下」

 バナンは、聞く。

「何かしら?」

 神妙な顔を崩さないバナンにセインブルグ十五世は首をかしげる。バナンは少女らしい仕草の女王に、心の底にある疑念を遠回しにぶつけて見せた。

「陛下は、レベリオン家をご存じでしょうか」

 思わぬ質問に、多少狼狽しそうになるが表情に出すことは堪え、セインブルグ十五世は首を縦に振った。

「子爵の家系ながらも誇らしき忠臣と思っています。王家になくてはならない伝統ある名家の一つだわ。それが、なにか?」

「いえ。数年前に失踪後、一年程前に戻ってきたレベリオン家の三女が騎士大隊の第七師団で従騎士として働いているという話はご存じですかな」

「初耳ね」

「そうですか。それならば良いのですが」

 バナンは、それ以上何も言う事はなかった。ただ、何か憑き物が落ちたかのように野獣の様な顔を緩やかに微笑ませるだけであった。ただ、小さく「面白いお方だ」と呟いているようにセインブルグ十五世は感じたが、おそらくそれこそ気のせいなのだろうと、円卓の生み出した虚ろな幻覚として処理することにした。

 一連の議案が一様の解決をし、セインブルグ十五世は自分の仕事は終わったとばかりにグランクに向き直る。グランクもまた、先ほどまでのバナンと同様に腑に落ちない表情を崩せないままでいたが、気を取り直すと一連の状況を割りきり、咳払いをした。

「では。次の議題に入ろうか。続いての議題は……」そこで眉間に深くしわを寄せ「王都における新しい名産品の産出? なにを下らぬ。そんな物は王都治水院で勝手に決めればよい。バッファ、また貴様か」

 グランクは臆病なバッファを睨みつける。バッファはいつものように狼狽し、しどろもどろになってしまう。このような気弱で流されやすい男が都市の自治管理、運営を行っているとなると非常に不安な事だが、こう見えて優秀であると知っているゆえに同情を隠せえなかったセインブルグ十五世は、静かに挙手をする。

「グランク。それも私なの」

 敬愛する女王の意外にも意外過ぎる言葉にグランクは驚愕と共に目を見開いた。まさか自らの主が、それも大国を統べる王ともあろう者がこのような俗な議案を提議するとは予想だにしなかったからである。グランクは、思わぬ地雷を踏んでしまったことに罰悪そうに咳ばらいをして場を濁した。

「失礼致しました。女王自らの立案とは思いもよりませんでしたので。議案があるのならば事前に仰って頂けたらよろしいのに」

「ごめんなさい。貴方を驚かせたかったの」

 そういい、多少意地悪に微笑むセインブルグ十五世の横顔にグランクは苦渋を隠せない。すりつぶした苦虫を舌で味わって飲み干したような表情である。

 セインブルグ十五世はその愉快な表情をしばし味わった後、軽く手を上げて付き人の補佐官を促した。補佐官は頷くとあらかじめ段取りを理解していたかのように隣接する給湯室に向かった。来賓を持て成す為の簡単な調理が出来る設備で、円卓議会における飲食物の準備は全てここで行われる。隣接させることで、毒等の混入を監視する役割も兼ねている。

 一、二アール。おおよそ二分か三分ほど後、付き人の補佐官が運んできたのは銀皿に乗った奇妙な物体だった。議会の参加者の前に差し出される謎の食材。

 秋の空に彩り輝くような鮮やかな小麦色。地平線の果てまで続く麦畑を彷彿とさせるような色合いのそれは女性の拳ほどの大きさ。表面は、何か塗られており宝石のように輝いていていた。

 バナンは差し出されたそれに警戒するように議案の定義者である王に問う。

「陛下、これは?」

「小麦を特殊な加工して焼いた物よ。小麦が主食のこの国で、新しい特産物としてどうかと思って出させてもらったの。中に練りこんでいるのはブルーシュよ。これからブルーシュが旬を迎えるので時事的にも良いと思って提案させていただきました」

 各々は面妖そうな表情で目の前に出された不思議な小麦の加工品に触れ出す。バナンが軍部の総括らしく勇ましくも先陣を切って不可思議な何か二つに割ると、中には鮮やかな紫と白の層が現れた。白水晶の様な色合い。初めて目にするそれを口にするのは躊躇するように見つめるバナンだが、しばしの逡巡後、意を決してそれを一口含む。

 そして、そこで表情が変わった。気難しい野生の獣の相貌が貴族の飼い猫のようなったのを見て、女王は確かな手ごたえを感じた。

 バナンに続いて軍部の二人、そして都市長のバッファもブルーシュが練りこまれたマームの加工品を口に含む。そして各々が各々の表情でその不可思議な食材の感想を露わにした。花開いた男達の表情は見ていてマームの加工品以上に奇妙な物であった。

 グランクは、ここ数日の不在で何をしていたのか多少察したのだろうか、今までにも増して難しそうな表情をする。その横で、グランクの内心の苛立ちなど気にも留めないように、女王は一堂に麗しく微笑んでみせた。

「皆さん。ブルーシュはお好きかしら?」


 セインブルグ十五世。


 本名は、カーリアリア=ギュース=セインブルグ=フラングルブという。この王都アークガイアと十八の領地で成るガリア随一の大国セインブルグを統べる若すぎるほどに若き女王である。

 ちなみに幼少のみぎりには、家族や親しき隣人からカーリャという愛称で呼ばれていたのは他意無き余談である。



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