第70話


「強いって、何ですか」

 剣を握っているのである。

 ましてや、毎日剣をふるっているのである。強くなりたいから、剣をふるうのである。このような質問、そこいらの道場や訓練場の若造が毎日のようにするであろうし、取り立てて珍しいものでもなかった。なので私がこの質問を、自らの師に投げかけるのもまた、自然の理と言える事であった。

 だが、投げかけられる質問は単純であろうとも、答える者には深い質問である。答える中身によって、その者の真価が問われかねない。

 実のところ、何も考えていない師ならば、こちらの心が白けるような大層浅い答えを返すのだろうなあと期待せずに私は言葉を待った。

 師は、しばし迷い。

 そして。

 答える。

「知らね」

 いや、ちゃんと答えろよ。

 子供心にそう思ったもので、今度という今度ばかりはそれが顔に現れていた。なので師は珍しくも少々悪びれる態度である。

「いや、解んねって。それが解りゃあ、アタイも武者修行なんてしてねえって」

 そりゃあそうだ。解っていれば、もう少し丸くなって、もはや三十路が近いというのに旅烏などという破天荒な真似をせずに、腰を据えてどこぞの道場主か、剣術師範でもやっているであろう。

「でも、師匠はこの前、うちの城に押し寄せた悪い奴を何十人も倒しましたよね。本当に、すごいと思いました。最近は少々呆れていましたが、見直しました」

「呆れてたって、おい。ひでえな」

「普通、一人の人間が何十人も相手に勝ってしまうなんて、ありえない事だと思います。それはやっぱり、師匠が強い事の裏付けかとおもいます」

「裏付け? 裏付けってどういう意味?」

 師匠は語彙が足らないので、熟語はきちんと開かないと駄目な人だった。裏付けという言葉の説明を十分ほどした後、言葉の意味をようやく理解した馬鹿、いや師匠はなるほどとうなづき、答える。

「つまり、カーリャはアタイが、何十人も倒したから、強いって言いたいわけだな」

「はい」

「なりゃ、それは間違いだ。アタイは全然強くねえ。それこそ、この世界で数えて行けば、下から数えた方が早いぐらいだ」

「それって、謙遜ですか。師匠らしくもない」

「なんだよ。お前、アタイことをどう思ってるんだよ」

「傲慢不遜」

「え、それどういう意味?」

「素敵だという事です」

「あーそう。解ってるじゃん。さすが、師匠思いの良い弟子だな。うんうん」

 師匠は喜ばしそうに笑った。そして、その後に肩を竦めて自嘲気味に言ったものなので、十年以上たっても今でもよく覚えている。そもそも、師匠と過ごした日々で忘れた思い出など無い。

「別に、大した話じゃないさ。アタイも天狗になっててな。随分とムチャやヤンチャもしたものさ。けど、いくら粋がったところで、上には上がいてさ。結局、思い返してみれば随分と負けが込んでしまったものさ。それで骨の髄まで思ったわけさ。アタイは別に、実のところ大したことないって」

「そんなことはないと思います」

「そんなこと、あるんだよ。残念ながら。まあ、そんなどうしようもねえ師匠だけど、小娘に剣術教えるぐらいは出来るからさ、きちんと聞いていけや」

「はあ」

「それに」

 そこで。

 師匠は。

 いつものように。

 憧れるようなキラキラした様子で、心底楽しそうに笑うと、旅路の果ての様々な出会いに心躍らせた小娘のように私に言った。

「そういった、強い奴がたくさんいるんだ。だから、世の中、おもしれえと思わねえか」


 思えば、美談など思いつきもしないどうしようもない人だったが、あの人と過ごした日々はひとかけら残らず覚えていた。

 ちなみに。

 あの人が柄にもなく、『剣聖』などと呼ばれ、ガリア大陸どころか他大陸まで名の知れるとんでもない人だと知ったのは、あの人と別れてから暫く経った後である。


 〇 〇 〇


 始まりは、閃耀の如き一撃であった。

 迅雷の剣閃。

 そして、疾風。

 電影の如き一閃が、放たれる。

 それは、今までカーリャ=レベリオンの見てきた、クレハ=カズヤの放つ斬撃の中で最も鋭くも苛烈な一撃であり、その剣閃の無比なる鋭さに、彼の持てる最後の力を振り絞っての一撃であると確信した。

 なればこそ。

 正面切って、仕る。

 カーリャは、古びた打刀を鞘に納め、そっと柄を振れる。心は水面。そして、凪。一切の情動と衝動を刀身と共に鎮める。

 彼の者の言葉、其が真ならば、故に、当方も最大の奥義にて迎え撃つのが必定。なればこそ、今こそ解き放ちうる。

 納刀の儘に、カーリャは無数の斬撃を、老齢の巨木のように受け入れた。正に、ヤドリギの名の冠するが如く、無数の斬撃。それが、死角から死角へ、間断なく、残酷な万華鏡のように襲い掛かる。

 これは、魔技だ。

 到底、防ぎきれるものではない。

 カーリャは、再び四肢より力を抜く。

 身体は、柳。

 心は、流水。

 師にしては随分と、小難しい事をおっしゃったと思うが、恐らくはそれすらも、誰かからの受け売りであろう。そうでなければ、あの単細胞なお方が、柳だの、流水だのという小難しい言葉を使えるはずがない。

 だが、結局。

 未だ、師の言葉を体現できる自信はない。

 凶刃を前に、無防備に曝ける。

 そして。

 柔来から、剛来に。

 最小の動きで。

 最大の動きで。

 無数に襲い掛かる死に神の鎌を躱す。

 でなければ。

 この神速の斬撃に対処できない。

「チィ」

 クレハの舌打ち。

 彼の苛立ち。

 そして、感じうる警戒。

 恐らく、再び水凶刃による後の先が待ち構えていると察したのだろう。だが、それすらが幻刃。見えぬ二太刀目を無謀に恐れる。かつて見せた水凶刃の幻影が、クレハの動きを一瞬、遅れさせた。

 だが、その一瞬で事足りた。

 カーリャは、空の印に触れる。

 アウラが循環する。

 力が滾る。

 四肢に、風を切る感触が宿る。

 その感覚に。

 ままに、身を預け。

 襲いうる。

 剛剣。

 大気ごと、地が裂ける。

 レーヴァ・シュナイデン。

 巨神の焔が如き、無比なる斬撃。

 喰らえば、骨すら砕け散るだろう。。

 その、炎帝の灼熱かと紛うほどの強靭な一撃を、カーリャは余力を以て躱す。皮一枚などと、小洒落ておらず、しかと見据え、彼の者と間を取る。

 空の印が生み出したアウラの助力にて、カーリャは瞬時にレーヴァ・シュナイデンの生み出す強大な破砕から身を避ける。

 そして。

 彼女は。

『全ての印』を一挙に触れた。

 天流に、皇龍剣という技がある。

 秘伝に位置する。

 つまりは天流において極伝に当たり、一子相伝、重ね、門外不出とされる技である。開祖の一族にしか伝わらぬ技であるらしい。なぜ師がこの技を知っていたかは存じぬが、つまりは恐らく、そういう事なのであろう。

 技の本質は、難解ではない。

 虚閃、つまりは抜刀術。それに重ね、縮地法の習熟、更には消力の奥義が必要とされる。その全てが初伝から中伝に置いてまで伝授される事であるが、言い換えるならば、全ての基礎を皆伝の領域まで昇華させなければならぬという事でもある。

 極限の脱力からの縮地、よりの神速の抜刀。これが皇龍剣と呼ばれる技の実態である。一瞬にて間を詰めて放つ。起死回生の一撃と呼んでも過言ではない。

 だが。

 足りない。

 これでは、足りない。

 この世界の魔性と相対するには。

 人の領域を超えはしない。

 けれども。

 この技に、師から賜った剣の力が上乗せされた時、この技はその持った本質から化ける。まるで大いにて無慈悲なる何かに対する反逆かのように。

 かつて、師に問いた。

 もし、六つの印を同時に発動させたらどうなるのか。至極当然の疑問である。一つでも強大な力を発揮するのだから六つ同時に発現されたら無敵の力が生み出されるに違いないと、そう考えるのは道理であり五歳の子供でも思いつく単純無垢な疑念である。

 そんな純粋な子供の問いに。

 師は答えた。

 六つの印の同時発現は、莫大な力が瞬間的に生み出される。だがおとぎ話のように対価無しに得られる物ではない。発現させたら最後、自らのアウラもすべて力へと転化させてしまう。そうなれば、後に残るは動けない無防備な身体だけである、と。

 そこに残心も何もない。もし発現させて、敵を以て打ち倒せない場合、待ち受けるのは敗北と死、のみであると師はおっしゃった。

 つまりは、正真正銘の最後の切り札。

 なので、師は言った。切り時は、しかと見極めるようにと。そのような言葉と共にあの人に、最後に伝授されたのがこの技であった。

 クレハ=カズヤが死力を尽くし、最後の力にて仕る以上、こちらも全力を以て相手するのが武士の一分。

 クレハが、掌を掲げる。

 発現せしは、死神の誘い。

 漲るは黒のスピリチュア。

 シール・ジ・ユグス。

 世界樹の根元よりいずるミーミルの泉のように溢れ出る魔性のアウラから生み出されしは彼の者の最後の一撃、名はユグス・ランツェ。

 大樹の根のように太く、鋭き一撃。

 貫かれれば、待つは絶命。

「終わりだ!」

 その言葉と共に。

 クレハ=カズヤは。

 天貫の一撃を。

 今、放つ。

 紅と黒。

 クレハのアニマが荒れ狂う。

 黄昏の破砕。

 輝滅の魔槍。

 闇よりも闇の光。

 その、脅威成る一撃に持して。

 対する者を屠る為に。

 その一撃に対し。

 カーリャは。

 鞘から。

 静かに。


「天流秘伝」


 抜く。


「皇龍一閃」


 先ずは。

 閃光が、先に走った。

 次いで。

 刀が、瞬く。

 正しく、神の妙技のように。

 語るべき言葉すらない。

 それを表すのは、ただ一言。

 黄金の剣閃であった。

 抜いた瞬間。

 光は奔り。

 稚技の如く。

 クレハの切り札が儚く散った。

 そして。

 その強大な陣術ごと。

 剣閃は。

 クレハを跳ね上げた。

 そして。

 残ったのは。

 なびく蒼海の髪と。

 はためく洋装の和服と。

 古びた安っぽい刀の鞘に収まる音であった。

 そこにあるのは、ただの白。

 目が霞むような白。

 染まらぬ白。

 語るに、一瞬の事であった。

 そして。

 僅かな目にしか留まらぬ達人の剣舞は。

 こうして。

 蒼の女神の勝利で閉幕した。


 〇 〇 〇


「ふう」

 カーリャは、静かに息を吐く。

 ようやく終わった激戦の疲れをその細い玻璃のような身体で感じながら。残心などしない。どのみち、もはや指先一つ動かない。膝は震え、四肢からは完全に力が抜け落ちる。指先も動かず、もはや剣を抜く事すら不可能であろう。辛うじてまだ、立ってはいるが気を抜けば膝を地面につきそうなほどに消耗していた。

 六つの印の同時発現。

 師から教わった通りの結果であったし、かつては何度か同時発現に挑戦したことがあったので結果は知っていた。だからこの状況に対して驚きはしなかったが、想像通りの負荷であった。

 クレハが最後に放ったラグナ・フィンスターニスは今まで見た中で最も鋭い一撃であった。おそらく、全力で迎え撃つしかなかったであろう。こうすることでしか、勝機を得ることは出来なかった。

 けれども、ここまで消耗してしまうのはいただけない。師のおっしゃったとおり、本当に使い時は考えなければならないとしかと、肝に刻まれた。

 カーリャは、億劫そうに背後のクレハを覗き見る。彼は完全に意識を手放していた。絶命にまでは至っていない。彼の陣術の生み出した防御力が辛うじて、彼を両断するのを拒んだのである。陣術の防御力によって斬り伏せられる前に跳ね飛ばされた。それが彼の幸運であった。簀巻きにされる前に、一命をとりとめたのである。

 ミシューとフィリアの傍に付き添うシラギクが、彼女の主である自分に視線で訴える。止めはどうするかと。

 その問いに、カーリャは静かに首を横に振った。何か、思う事があるわけではない。強いて上げるのであるのならば、剣を交える間に、不可思議な情を得たと言えば良いのだろうか。もしかしたら田舎娘の暢気がうつったのかもしれない。カーリャは不思議と、手心を加える気になった。

 カーリャは一息つくと共にクレハの動かぬ姿を見届けると、よろよろと死に体寸前の身体で心を許した田舎娘の友人の傍に歩み寄った。

 僅か、数ルゥース、十数歩の距離が長く感じる。カーリャは普段からは考えられないほどの時間を費やしてミシューの傍に歩み寄るとそっと、その顔を見下ろした。

 治療を終えたフィリアが、言葉を渡す。

「もう大丈夫だと思う。あくまで応急処置だから、専門の医者に診せた方が良いとは思うけど」

「そう。ありがとう」

 カーリャは普段の破天荒からは考えられないほどに優しく笑う。その慈悲深き笑みに、フィリアは思う。そう言いたいのは自分の方だと。知り合って大した時間もない自分を危険を冒してまで助けに来て、こうまでボロボロになって、死にかけすらして、そこまでして、その果てにこの情深き言葉である。フィリアは今更ながら、アーシュナイド学院時代に誰にも真に心を開かなかったミシューがここまで気を許した理由を明確に理解した。

 カーリャは、静かに眠るミシューに、聞こえはずもないと解りつつも静かに、彼女が待ち受ける言葉を投げかけた。

「約束は果たしたわよ」

 そして、そっと気になり振り返る。

 ふと見ると。

 ダフトフは事の劣勢を察したのか、護衛にわずかに残った亜人と共に、ドラン=ドッチを引き連れてそそくさとその場から逃げ出そうとしていた。カーリャはそれを目で追うが、すでに追いかける力もない。

 傍らのシラギクに頼もうかと思ったが、自分がここまで消耗している状況、出来ればミシューとフィリアの護衛として手元に残していたいと思ったし、シラギク一人では、一人か二人、隙を見て取り逃される恐れもあったのであえて、命を下そうとは思わなかった。

 しかし。

 シラギクは、ご安心くださいとばかりに、主に視線を向ける。その視線の意味、カーリャは疑念を浮かべるがすぐに理解することになった。

「なっ!」

 と、ダフトフか、ドランか、もしくは両方か、悪役らしい三下の台詞を放つ。

 その意味が示すところ、それは彼の邸宅に訪れた無数の警察であった。数は十か、二十は下らないであろう。この手はずであるから、おそらくは邸宅周りもすでに、別動隊に包囲されている可能性が大きい。

 これだけの人数ならば、屋敷の捜索もすでに行われているであろう。地下室の奴隷、無数に溢れる亜人の奴隷達。動かぬ証拠があれば、貴族でも言い逃れるのは至難である。

 ダフトフ一派が逃走を図るのは、もはや不可能であろう。

「レーヴェリッター名義で、クリュール区部のポライズンを出動させました。バナン総大隊将公の口添えや、ライナス区長の進言ならば、渋るポライズンも動いてくれるようですね」

「随分と、準備が良いのね。私がいない方が、国が上手く回ると思うのだけど」

「ダフトフ一派始めとする貴族を敵に回してまで、総大隊将公が何故動いてくれたのか、その意味はきちんとご理解頂きたいと存じます」

 理解しろといわれたところで本当に理解できない。バナンにしろ、グランクにしろ、こんな喜劇の王様みたいな人間に熱心に仕える意味が判らない。だが、いずれにしろ、あの二人も裸の王様を掲げる愚かさを何れ知る事であろうとカーリャは深く想像した。

 だが。

 これで、事件の一部始終が収まった。

 後は。

 いかにして、この腐敗した貴族社会の中で、のらりくらりと罪を避けるのばかり上手な悪党どもに裁きを下すか、というだけの話である。三流戯曲のようにいちゃもんつけて、この場でぶった斬った方が手っ取り早いのにとすら思える。

 カーリャはその事について考えるだけで陰鬱になった。


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