5部 カーリャ「想像以上に貧乏だったので驚いた」

第53話


「どうして、こんな事に……」

 カーリャ=レベリオンは、強い悔恨の念と共に一人ごちた。


 〇―〇―〇


 ここは、クリュール区の外層よりに建築された小さな一軒家だった。まるで廃材と見紛う品質のオーク材で建築された馬小屋のような建物は涙が出る程にほどに小さくみすぼらしい。平屋の一階建てであり、玄関を潜ると居間に台所、寝室だけの粗末な造りになっていた。

 立地も至極最悪で、まず外層寄りと言ったが王都名物の一つである完全な『壁際建築』である。正確には二層と三層を隔てる巨大な防壁であるラウンズ・スフィリアに隣接している。王都を跨ぐ巨大で壮大な壁がすぐ隣にある為に日当たりは最悪に近く、基本的に城壁寄りの建築物は多少良条件であっても嫌厭される傾向にあった。

 城壁に面していると言っても、三層と二層をつなぐ門と近い立地というわけではない。門と近ければまだそれが付加価値となり多少不便でも買い手がつくのだが、門との距離も中々に離れていて、当然クリュール区随一の大通りであるクラムストリートからも遠い距離に位置している。結局のところ、どこに行くにも不便さを感じずにはいられないような場所に存在し、何らかの事情がない限り、積極的に住もうと思えないような悪条件の物件であった。

 外装が貧しいならば、内装はどうかというと、これもまた悲しくなるほどに草臥れている。建築されて相応に年月が経過しているのか、建物はところどころ経年劣化を起こし、壁の間から隙間風が吹き抜ける。部屋もどことなく黒ずんでおり、老朽化が進み過ぎているの為に多少、手を加えたところで焼け石に水としか言えないほどに古めかしい。業者を入れて清掃をするぐらいならば、取り壊して一から作り直した方が安上がりかもしれないと思えるほどであった。新築であり、大通りに隣接しているブーランジェリースフィールとはまるで鏡合わせの非対称のような物件であった。どちらが良物件かは説明するまでもないが。

 持ち家か、借家かと家主に聞くと、借家という解答を得た。いわゆる訳あり物件で、見てくれが酷くても、定期的に入居する人間が後を絶たないらしい。もちろん、訳あり物件らしく入居者も例にもれず訳ありではある。

 実情、先立つ物さえ手に入れれば、あまりの劣環境に耐え切れず大抵の人間は去ってくらしいが。まあ、冬場に部屋の中で凍死していてもおかしくないような哀れな一軒家である。そう聞いて、素直に納得するしかあるまい。

 三部屋しかないうちの一部屋である広くない居間で、次の瞬間にでも光が切れそうな安物の魔灯が点る小さな小さなオンボロ小屋の、中古でたたき売られていたような廃棄寸前の机の前に置かれた、ささくれだって木片が刺さりそうな安物の椅子に座り、カーリャは温くドリップしていない珈琲を飲みながら心底疲れていた。

「おいしい?」

 家主が聞いてくるのでカーリャは答えた。

「クソまずい」


 〇 〇 〇


 事の発端はこうである。

 耳と頭が痛くなって仕方のない拷問のような会合が終了した後、ブーランジェリースフィールに戻って再度説教をしながら、これからの傾向と対策について計画を練る事にしようと、カーリャは考えていた。幸い、事の黒幕であるダフトフ=ノーヴ=バンドゥとドラン=ドッチの顔を肉眼で確認できたのは収穫だったし、ハラムの実情についてその目で確認できたのはとてもおおきな功績であった。グランクにまた、勝手に王宮を抜け出したことをネチられても随分とおつりがくるように思える。

 ただ、実態調査についてどうかといえば、まだ検討する余地はあるし、チラホラと身をやつしている人間が確認されるだけで、明確な被害者の情報について知ることはできなかった。そちらについては警察機構と、バナンが出張らせてくれた軍部の諜報機関に任せておいた方が良いとカーリャは思う。本音を言えばそのあたりの実態調査も行いたいが、あまりに王城から離れてしまうとグランクの皴が六割増しになる事であろう。公務の代行を何時までもカチューシャに任せておくわけにはいかないという考えもある。

 結局のところ、ダフトフとドランが結託し、民衆を食い物にするようなビジネスを展開しようが、ドランが食い物にした民衆の骨をしゃぶる為に高利貸し事業に精を出そうが、国家の法案と照らし合わせるのならば厳罰に処す事はできない。どこまでいっても、非合法寄りの合法でしかないからである。精々が、関連機関からの厳重注意と業務見直し程度の処置に終わるであろう。それでは問題は何も解決しない。

 結局は、あの二人が人権の保障された自国民を不当に拉致監禁し、海外に売り払っている動かない証拠が必要なのである。

 いっそ、隣でニコニコと手提げ袋一杯のハラム製アミュニティグッズをぶら下げている小娘をドブ沼に沈めて、売り払われる寸前で颯爽と助けると同時に、奴隷売買に携わる関係者を一斉検挙するのはどうだろうかとカーリャは思う。いや、案外名案かもしれない。奴隷売買の問題は一応に解決するし、隣の小娘も一生、自分に感謝する事であろう。なら、このままダウンラインとか、ダウントラインとかいう謎の物体に変貌して、上手い事言いくるめて、もう一度白金貨投資とやらにダブルアップで挑戦させるのはどうだろうかと良からぬことを考えていると。

「待ったわよ」

 と、ミシューとカーリャ、二人の前に現れたのは紅葉色の髪をした少女であった。フィリア=フェルトである。理由はわからないが、顔の左頬をこれでもかというぐらい青く腫らせており、正直見てかわいそうだなと思った。まあ、すでに見てくれも貧乏くさくてかわいそうなのでこれ以上同情の余地がないのだが。

 カーリャは心配そうに聞く。

「どうしたの。顔をそんなに面白くして。一体、誰にやられたの? 形だけ同情してあげるから、教えて頂戴」

「あんたにやられたのよ! 暴力女!」

 そういえば、そんな気がしたなあとカーリャは思った。渾身の右ストレートをこれでもかというほど思いっきり叩き込んだ後、担架に運ばれてそれっきり、見ていなかったのでてっきりお早めにご帰宅されたのかと思っていたのだが、まだいたのかとカーリャは思った。印象が薄いのですっかり忘れていた。

 フィリアは、さらりと髪をなびかせると。

「これから、暇かしら」

 と聞いてきたので、カーリャは答える。

「自宅の床のタイルの数を数えるという重大な仕事があるからあなたに割く時間は全くないわ。あなたと話しているよりはるかに有意義で重要性のある仕事よ。そういうことだから、今日はお別れね。また、いつか会えると良いわね。ふぃ……ミシュー。名前、何だっけ」

「フィリア=フェルト」

「そう。フィラーフェ=ルト。じゃあ、アポの予約が取りたいのならば、レベリオン家か、王立騎士大隊第七師団第七小隊まで連絡して頂戴。早ければ七日以内に可否の連絡を自宅まで返送するわ。日取りはそれから決めましょう。そういうわけで、お疲れ様。今日は楽しかったわ」

「全然、時間作る気ないじゃない!」

 わかっているのなら聞くなとカーリャは思った。馬鹿でもわかるように遠回しに見えて直接的に断ってやったのである。うちの大事な娘を変な宗教もどきに勧誘した諸悪の権化が顔を見せるなとカーリャは思う。もう一度、閃光のような鉄拳が顔面を砕く前にとっとと退散してほしい。

 しかし、フィリアは食い下がる。空気が読めない系女子だろうか。こういう所も自分とキャラが被っていて嫌になる。

「これから、うちに来なさいな」

「え、やだ」

「即答!」

「だから、そういうのはレベリオン家の執事を通してから……」

「そうやって、永遠とのらりくらりとかわし続けるつもりでしょう!」

「解ってるなら、食い下がらないでくれない。ケッ」

「今、ケッて吐き捨てた! なんて素行が悪い! ミシュー、こいつなんなの。もしかして、ヴォフト区のチンピラ上がり? ヤクザみたいな性格してんじゃないの!」

「だから、私たちでカーリャを更生させるんだよ。カーリャに必要なのは愛情だから。私たちチームの愛情でしっかりと包んであげて、みんなでカーリャを立派な真人間に近しい何かに正してあげよう。大丈夫、魔物と人間が仲良くなれた物語はたくさんあるから、カーリャだってきっと、人間と仲良くアダダダダダッダダッ!」

 ミシューがナチュラルにひどい事を言い始めたのでカーリャはミシューの耳を引っ張り始めた。この娘の悪い所は、悪気の無い所と裏表のない所である。つまり、十割本音という事だ。こいつは本気で自分の事をそう思っているのである。ぶっ殺してやろうかと思う。

 フィリアは、目を細めてあきれるように言った。

「あんた、よくこんなのと付き合えるわね」

「でも、慣れてしまえば良い人だよ。血に飢えた狼みたいで楽しいよ。腹を空かせていなければ凶暴ではないから。フィリアも仲良くしてあげてね」

「いや。ええ。まあ、努力はするけど」

 なんともあいまいな返事である。自分とは仲良くできないと。こんなに社交的でオープンハートな聖女のような自分と? なんと心の狭い。きっと前世は蟻かミジンコだ。ぶっ殺すわよとカーリャは思った。

 そんなこんなで、口直しにブーランジェリースフィールで美味しいドリップ珈琲を飲みながら大量に置いてあるハラム商品の不良在庫処分の方法等、これから先の事を考えたいと思っていたので、良く解らない自称ミシューの古い友人にはお引き取り願いたいと考え、適当にごねていると。

「カーリャ。行こうよ」

「ミシュー」

「せっかく、誘ってくれたんだしさ」

 こういうのが社交性というのだろうか。人同士の距離感のはかり方とか、フットワークの軽さとか、そういう所が自分に足りないのかもしれない。

 ただ、手に握っているハラムへのご案内、お前、とどのつまり隙あらば、二人掛りで勧誘するつもりじゃないのかと思わなくもなかったが、その時は力づくで強行突破すればよいだろうと思った。兎に猫が戦力として加わっても虎や狼には勝てない。

 まあ、実際。

 こういう時のミシューには何ともなしに弱い自分がいるのは承知していた。

 カーリャは軽く息を吐くと。

「仕方ないわね」

 と観念したのだった。

 そこでミシューの顔に花が咲いたのだから、まあこの顔を見られただけでどんな地雷が待ち受けていてもいいかと思える程度には気が安らいだものであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る