第5話


 円卓院の扉の前には、屈強な兵士が二人、その堅牢な門を護っていた。セインブルグ十五世はその二人が、定期的に行われる騎士道の木剣を使用した模擬戦で優秀な成績を残している事を知っていた。レーベリッターには勝てないが、かなり良いところまで勝ち進むといった印象であった。

 円卓院の円形の形をした円周の回廊にも、幾人もの兵士が巡回していた。一時とはいえども国家の要職に就く人間が一堂に集まるのだから当然の警護といえる。

 ただ、普段に増して、警護が手厚いとセインブルグ十五世は感じた。おそらく、本日は軍部の総長が出席するからであろう。城内の警備体制も軍部の裁量で行われているのが実情である。その軍部を統括する最高責任者が議会に顔を出すとなれば警備も強固であってしかるべきであろう。

 バナンは実直で実務主義な人間であり、現状の軍部は貴族の癒着が少ない。貴族社会から敵視されているセインブルグ十五世に対して表立って敵対することはないが、明確な味方になるわけでもない。それが現在の軍部の立ち位置であった。

 だから、メリアリアの威光に対しても表立って逆らうことなく、セインブルグ十五世に対しても対外的には従順さを見せはするものの、彼女に対して命を賭してまで護ろうという意志は薄氷のごとしである。王が変わるのならば変わればよいという本音が硝子細工のように透けて見える。現に先週行われた定例議会における警護の人数はこの三分の一程度であった。

「ご苦労」

 グランクの淡白な労いに、二人の屈強な兵士は最敬礼で答える。無礼を働けば首が飛ぶ。敬礼一つにも余念がない。

 絢爛な円卓院の華美な装飾が施された扉の美麗な取手にグランク=グルニュールは指を絡ませ、そこで視線を傍らに佇む敬愛すべき主に向けた。

「よろしいですかな」

 それは、まだ若さと瑞々しさを捨てきれていない主に向けた、これから対峙すべき老獪な者達に対する心の準備を問う言葉であった。無礼と問われれば無礼であるが、実際にセインブルグ十五世は内心の緊張を隠しきれていなかったし、それをグランクに見透かされる未熟さも恥ずべきものだった。

 けれど、王位を掲げる者が不安と焦燥を他者に見せてはならない。王は不安も焦燥も持たない。王は超然としていなければならない。

 だから、セインブルグ十五世は微塵の狼狽も見せず、グランクに言葉を返した。

「ええ」

 グランクは、敬愛すべき主の言葉に一つ、頷くと円卓院の扉を力強く開いた。

 厳かな音が響く。

 音が響くのは、修繕を繰り返しながらも膨大な歴史を刻んだ証であり、その数えきれない時間の流れが老齢な音を奏でるのである。

 内層も、また耽美であった。

 アークライツ建築様式は華美な装飾を好まない。コーリアガイアやリースライトを崇める教会の建築に度々利用されるその様式は見る者に神聖な印象を与える。寒色の白を主色とした内装は淡白だが眩く、余計な彩を一切見せない神聖で清楚な白であった。

 強欲な貴族が膨大な資産を費やして行う成金趣味の装飾とは対照的に無駄がなく、かといって雑なわけではない。清潔感のある白であり、無駄な装飾はされていない。華美な装飾がないという事は雑念がない事であり、純真という事であり、敬虔という事である。おそらく、初代はこの場所を偽りと邪念のない純粋な場所としておきたかったのだろう。ただ、歴史の淀みはそれを許さなかった。三百年も国が存続すれば淀まないはずがない。神聖な大理石の隅々にこびりつく汚れはそれを証明していた。

 中央には大理石の円卓が鎮座していた。カラールストンと呼ばれる最高級の白大理石を惜しげなく使用した一品であり、セインブルグ十五世の身に着けたドレスやネックレスが可愛く見える程の価値はあるだろう。

 大理石の円卓には木製の椅子が十三脚並んでいた。どれもが有数の家具職人の拵えた希少なセイレンマツの一品である。これも相当に値の張るであろう。だが、要人を安価で耐久性の良いゼファーリアオークの椅子に座らせるわけにもいかないのだろう。是非難いとセインブルグ十五世は思った。

 円卓は拡張も可能な仕掛けが施されており、拡張を行えば最大で二十人から三十人が円卓を囲むことができる。初代は大人数で円卓を囲む必要性が生まれる状況も想定したのであろう。だが、それは杞憂だとセインブルグ十五世は思う。十三の椅子は、全ては埋まっていない。それは今に始まった事ではなく、自分が即位してから、永遠と続いている現実であった。

 セインブルグ十五世は円卓に座る人間を一瞥する。

 まず、王国軍の軍部の総長であるバナン=バルザック。本名はバナン=トニュック=グランジェネル=バルザックという。伯爵位を持つが要職との兼ね合いで領土は持っていない。軍部の総括をしながら領地運営は出来ないからである。

 四十過ぎの老齢な印象の男性であり、ジャケットタイプの軍服に身を包んでいる。身長はグランクと同程度だが、細身なグランクとは対照的に軍服の上からも鍛え上げられた屈強な肉体を感じることができ、軍人らしく隙を感じさせない威圧感を持つ。グランクがフクロウならば、バナンは獅子であろう。荒野を駆け巡る雄獅子のような土色の髪に、口髭を生やしている。

 軍部の総大隊将公とグランクは言ったが、正確な役職は六星大将公といい、セインブルグ王国の軍を総括する立場である。

 バナンは、セインブルグ十五世の姿を確認すると、恭しくも頭を下げた。

「陛下。ご機嫌麗しゅう存じ上げます。本日も大変にお日柄が良く、まるでこの王都を偉大なるコーリアガイア神が祝福しているかのようでございますな」

 屈強な印象に似合わぬ慇懃な挨拶。グランクは軽く頷くとバナンに言葉を返す。

「円卓議会は平等な場であるからに、悪戯な気遣いは無用だと陛下は考えておいでである。バナン将公、よろしいかな?」

「は。仰せのままに」

 バナンは胸に手を当てて首を下げた。

 セインブルグ十五世は、円卓を更に見渡す。

 他に参席しているのは騎兵大隊総隊長である王弟の補佐官であるゼナン=フェルランドゥ。まだ二十代後半だが、王弟が騎兵大隊の総長になっていなければ、最も総長に近い立場の男性である。軽く赤みがかった髪の美男子で実直な印象がある。もう一人は魔道大隊の大隊長補佐を行う男性でフォルス=クレイレン。どちらかといえば細身で男性にしては小柄である。女性であるセインブルグ十五世より少し上背が高い程度だろうか。青みがかった黒髪である。美青年ではあるが、ゼナンと違いどことなく頼りなさげな印象をセインブルグ十五世は感じた。二人とも、軍服に身を包んでいる。騎兵大隊、魔道大隊共に総長は出席していない。

 次いで、バッファ=ザーヴィス。アークガイアの都市運営に対する総括を行っている。正確には王都治水院という部署の総責任者である。眼鏡をかけた几帳面そうな印象の男性で、礼服としても通用する薄手のコートを纏っている。几帳面で生真面目な性格と聞いているので、几帳面にも毎回、円卓議会に顔を出す。自分に信頼を置いているというよりも、単純に断る事が出来ない性格なのだろうとセインブルグ十五世は感じていた。

 以上、四名が本日の参席者である。

 空席は、女王の鎮座する席を除き八つ。これが今の国家に対する女王の揺るぎない評価である。

 これでも、参席者があるだけ珍しい。軍部の騎士大隊、魔道大隊、そして都市の総括は毎回、誰かしらが参席してくれるが、本来、円卓議会に対する暗黙の参加義務を持つ六公爵家が顔を出した事は即位以来、一度もない。巨大な力を保有する六公爵家に王位を認められていないのである。

 六公爵家の力は未だに強い。そして、その強大な権力と発言力を持つ六公爵家が味方に回っていない現在の状況は、セインブルグ十五世にとって、真綿にくるまれたまま、針のむしろに落とさるようなものである。何時、むしろの針が刺さるかは見当もつかない。

 けれども、現状を嘆いていても状況は改善しない。現状を嘆き憂いている哀れな兎を狼は見逃さない。喰われたくなければ、例えそれが棘の道であっても、傷だらけになりながら進むしかない。

 セインブルグ十五世はグランクに視線を移す。グランクは頷くと、空席の目立つ円卓に視線を移し、言葉を紡いだ。

「皆の者。足労、ご苦労。これより陛下主催のセインブルグ王国定例議会を開催する。一同、陛下に敬礼」

 円卓議会に参加した一同は、右手を心臓の位置に当て、背を大きく曲げる。これは王位継承者に対する絶対的服従と、自らのアニマ、別の言い方をするのであれば、自らの魂を捧げるという意を示す。敬礼一つでその者の真意など図れはしないのだが。

 数秒、その姿勢を維持し、全員が同じ挙動で体を起こす。さすがに軍人が多いだけあって敬礼一つも様になっている。都市長のバッファが少し遅れたが、それはご愛敬というべきなのかもしれない。

 グランクは、再び頷くと言葉を続けた。

「では、議会の進行は平時の通り私が勤める事にする。自己紹介は、まあいいだろう。見知った顔ばかりだからな。略式な挨拶だが、皆の者、自らの職務で忙しい事だろうし、無礼講の場である。煩わしい流れは陛下の好む所ではないし、無駄を省き、円滑に議会を進めようと思う。意義のあるものは……」と、わずかな時間が刻まれ「いないようだな。では、第一の議題だが。これは緊急を要する案件の為、私の独断で優先して提議する事にした。知っての通り、昨今、セインブルグ王都アークガイア、つまりはこの都市の北西に存在する大樹海、ゼファーリア大森林において竜種の目撃情報が挙げられた。総大隊将公のバナンが参加してくれたのもそこに起因するものだと考えている。相違ないかな」

 バナンは静かに、しかし強く頷いた。岩場でくつろぐ肉食獣の様な挙動である。グランクが話を続ける。

「私が聞いているのは、ビレッジフォレスティア駐留の斥候が竜種を発見したとの報告を挙げてきたという事ぐらいだ。軍部の方がはるかに精度の高い情報が伝わっているとは思うのだが、バナン。話を続けてもらっていいかな?」

 バナンはグランクの言葉に再び頷く。そして、眠りから覚めた虎のように威圧的な響きの声で話を始める。

「斥候からの目撃証言が挙げられたのは先日だが、実際の目撃情報自体はもう少し早くてな。一番古い情報は、そう。おおよそ七日ほど前だったか。ビレッジフォレスティアを拠点に狩猟業を営む数名の若者が、森で大型の生き物を発見したと、そこから始まっている。ああ、失礼。女王の御前でありましたな。戦しか知らぬ無粋者ゆえ。失礼な口の利き方をしました。申し訳ありませぬ」

「かまわぬ。続けなさい。バナン」

 そう、告げたのは女王であるセインブルグ十五世であった。バナンは少々驚き、目を見開く。まさか陛下自ら、言葉を発するとは思っていなかったからである。無礼講の場、というのは偽りではなかったらしい。

 こほん、と軽く乱れた調子を取り戻すように咳ばらいをすると、バナン大将は再び口を開いた。

「では、お言葉に甘えて。組合所属の狩猟者数名による目撃情報を皮切りに、樵夫や採取職の者達からも提言が続きましてな。その全員が取り留めのない話をしておりまして。山が動いたとか、森が揺れたとか。そういった情報をつなぎ合わせていくうちに出た結論が……」

「竜種ではないか。という事か?」

 グランクの言葉にバナンは頷く。

「真に信じられぬ話ですがな。辺境ならともかく、この王都で竜種の目撃情報など十年以上無かったものですからな。アファート草原での討伐戦は、陛下はご存じでおられますかな?」

 セインブルグ十五世は静かに頷いた。

「あのぉ、私は存じないのですが」

 都市長のバッファが空気を読まない発言をするが、バナンは無視し、話を続ける。

「実際、臆病な樵夫などが大樹や大岩を魔物と見紛う事は良くある事で、今回の件も巨獣の類が、大森林における生態系の乱れを始めとするなんらかの外的要因によって人里まで下りてきてしまい、それを見た者が恐れに狂乱し、必要以上に情報を誇張して伝えてしまったのではないだろうか、という推測もありましてな。そのような経緯が理由で基本的に軍部以外の情報は鵜呑みにしないと共有しているのです。なので、情報の精査という意味も込めて、斥候の強化をしたところ……」

「本当に遭遇したわけか」

 グランクの言葉にバナンは頷く。

「実際に遭遇した斥候部隊の評価についても信頼に値するもので、軍部の推察においては、おそらく今回の件、黒かと」

「そうか」

 グランクは困ったように顎をさする。バナンはこのような件に対しては堅実だ。情報の精査がいかに重要か、知っている。様々な戦を経験した男だ。情報の精査を誤ったら、先のアファート草原のように無駄な犠牲がでると骨身にしみて知っている。そのバナンが言うのならば、おそらくは間違いないであろう。

 グランクは、続けて聞く。

「それで、竜種の種族は? 斥候は見たのであろう。ゼファーリア大森林の地理に詳しいビレッジフォレスティアの駐留部隊だ。相応に、詳しい情報が報告されているはずだが」

「それが、間が悪かったのでしょうな。実際に接触が行われたのは日の沈みかけた刻限でして。撤収からの帰投の最中の遭遇だったと聞き及んでおります。逆光だったのもありまして、正確な種族までは看破しておりませぬ」

「そうか」

「ただ、現状で判明していることもあります」

「ほう。報告を」

「では簡潔に。体長はおおよそ十ルゥース。次いで、二足歩行だったと聞き及んでおります」

 その言葉に、軍部のゼナンとフォルスがあからさまに顔色を変えた。明確な動揺が伝わる。セインブルグ十五世はバナンに厳かに聞いた。

「それは、大きいの?」

「アファート草原での討伐戦において交戦したヴェルズ・ケルドゥン種が七ルゥース強。種族や個々の特性によっても変わってくるのが実際ですが、一般的な竜種の大きさはそんなものだと我々は認識しておりますな」

 セインブルグ公用単位で一ルゥースはおおよそ三メートル。つまりは、七ルゥースだと二十メートル超。そして、今回目撃された竜種は三十メートルをくだらないという話らしい。単純な体長比率ならば二対三だが、重量の比率で考えれば倍以上の怪物である。アファート草原で辛酸を舐めさせられたのに。軍部としては胃が痛む思いであろう。

 グランクがまことに困ったように息を吐き、そしてバナンに話の続きを促した。

「他に、判っていることは?」

「現状、判明しているのは以上の事ですな。もう少し女王陛下に耳聞こえの良い話を持ってきたかったのですが、まことに申し訳ありませぬ。引き続き、精密な情報を得る為に斥候を平時の三倍にして調査を続行しております。近日中には確実な情報が得られるかと」

「討伐の遠征部隊編成に関しては? 規模から推測するに最低でも二個中隊以上の投入は必要なのでは?」

「それも、現在準備を推し進めております。第二師団、第四師団から優先的に選抜を行おうかと。ゼファーリア大森林一帯は、元々第四師団の管轄ですからな。それと、おそらくは魔道大隊からの支援も必要とされるでありましょうから、その部分の折衝も推し進めている最中です」

「なら、確実な情報さえ得られれば、すぐにでも遠征に出られるという事なのだな?」

「御意に」

「兵は資産だ。アファート草原のような悪戯な損失は控えるのだぞ」

 グランクの言葉にバナンは頷く。竜相手に随分と無茶な要求だとセインブルグ十五世は感じたが、それはグランクもバナンも解っている事であろう。

 グランクはバナンに対してそこまで告げると、提議された議題を終わらせようと試みる。

「では、ゼファーリア大森林における竜案件については以上の対策で様子を見ることにしよう。バナンは状況に進展があり次第、私にも一報をくれると有難い。陛下、何かございますでしょうか?」

 グランクの言葉にセインブルグ十五世は頷くと、その視線をゆっくりと、まるで天女のように麗しい瞳で見つめて、告げた。

「バナン。頼んだわよ」

「有難きお言葉」

 バナンは王の言葉に座ったまま、敬礼で答える。グランクはそこまで見届けると、咳をはらい、話を続ける。

「では、続いての議題だが……」

 議事を進行しようとするグランク。

 だが。

「あの」

 そこで、おずおずと手を上げた。またバッファが空気を読まない発言をしようとしたのかとセインブルグ十五世は訝しむが違うらしい。挙手をしたのは、魔道大隊大隊長補佐のフォルス=クレイレンだった。割と良い年齢なのに少年らしさを捨てられない青年は告げる。

「実は、女王陛下に私事の提言があるのですが」

 グランクはそこで、銀のナイフで刺すような強烈な視線をフォルスに向けた。

「事前に提示された議題ではないな。急な提言とは、身の程を知っての発言か? フォルス=クレイレン五芒杖元帥補佐官」

 グランクが静かながらに圧の強い声色になる。このような態度のグランクは大抵、本当に怒り心頭であるとセインブルグ十五世は肌にしみて知っていた。執政官として叩き上げられたグランクは規則や規律に準拠していない行動に対して厳しい。本人に悪気はないのだろうが、度々侍女に詰め寄って泣かせているのも目撃している。この歳で、独身でいるのも良く解るとセインブルグ十五世は思った。

 当然のように、フォルスは首を下げる。

「申し訳ありません。身の程を弁えぬ発言を」

「提言、というがな。ここは貴公の私利私欲を満たす為に女王陛下に嘆願する場ではないのだが、それを理解しておいでか。フォルス=クレイレン五芒杖元帥補佐官。まさか、貴公がそのような常識さえ知らぬとは考えにも及ばなかった。セリナに対しても、部下の指導を行うように厳正に言い含めなければならぬだろうに。そこに対して、どう考える? フォルス=クレイレン五芒杖元帥補佐官」

 グランクとしては当然のことを当然のように言っているだけなのだろうが、場の空気は悪くなっている。ただ、気を緩み口を滑らせただけなのにフォルスは針のむしろである。これだから、グランクは怖い。こういう時、この男を敵に回さなくてよかったとセインブルグ十五世は心底思う。

 だが、さすがに状況は悪いし、普段はそこまで出しゃばった真似をしないフォルスが如何なる提言を持ってきたのか、セインブルグ十五世は興味があった。

 なので。

「いいわ。聞きましょう」

 グランクは険しい視線をセインブルグ十五世に向けた。

「陛下!」

 咎めるグランクの言葉にセインブルグ十五世はにっこりと水の羽衣のように応えると。

「グランク。ここは平等の場よ。ここでは王も平民も区別は無いわ。それが初代が円卓議会に残した遺志。ではなくて?」

「そうは、申しますが」

「ただ、前例になってしまっては困るので、フォルス魔道大隊長補佐は以後、議会における議事は事前に提言する事。それは約束しなさい。解ったわね」

「はい」

 フォルスは、救われたように頷く。

 セインブルグ十五世は頷き返し。

「では、話を」

「はっ」

 フォルスは、セインブルグ十五世の言葉に頷く。そして、中背という割には少し小柄な身体で姿勢を正し、話しを始めた。

「話の前にお聞きしたい事が一点あるのですが。陛下はアーシュナイド魔法学院という学府の存在をご存じでしょうか?」

「アーシュナイド魔法学院?」

 聞き覚えのない名を挙げられて、少々戸惑うセインブルグ十五世。傍らのグランクに軽く視線を向ける。グランクは察したとばかりに頷くと、セインブルグ十五世の疑念を解消し始めた。

「隣国ベルファンドに存在する教育機関の一つです。彼のウォルフ=アーシュナイドが創立者であり、総合的な魔道、魔術の教導を行うと聞いております」

「すごいのかしら?」

「すごいと聞き及んでおります。セインブルグ王国にもいくつか、魔道に関する教育、教導の機関はありますが、属の幅広さと教育水準の高さは、悔しいながらガリア大陸随一かと」

「なるほど」

 感嘆する。

 セインブルグ王国の魔道に関する教育水準は低くない。むしろ、隣国を始めとする諸外国に誇れるほどである。ベルファンド王国の方が魔道に関する教育水準が高い傾向にあると聞いていたが、魔導や魔術に興味が沸かないのも重ね合わせ、そのような教育機関が存在するとは知らなかった。

 グランクはフォルスに銀の槍で刺し殺すような視線を向けると。

「それで、フォルス五芒杖元帥補佐官。意地悪くも恩を仇で返すかの如く、大海の心を持つ陛下を試す真似をして、話は終わりかね」

 やはり、まだ怒っている。年齢を重ねると沸点が下がり辛くなる傾向にあるという噂が真実だと、セインブルグ十五世はグランクの姿を横目に実感を覚える。

 フォルスは再び狼狽し。

「いえ、本題はこれからです。決して、陛下のお心を乱すようなつもりは……」

 グランクの「どうだか」と言わんばかりの視線を浴び、居心地悪そうに話を続ける。

「実は、前年、いえ本年に当たるのかな? ノーゼス・ウォヌスの末期、卒業となった者が突如、ベルファンド王国から行方をくらませまして、このセインブルグ王都のアークガイアに移住を行ったらしいのですよ」

「学生? たかが学生の話?」

「いえ、実はその学生は三年連続、学内で行われる定期試験で全生徒内一位の成績を残しまして。いわゆる本年度の首席生徒という事です」

「そう」

「我々魔道大隊ダビデと致しましては、ぜひ、そのような優秀な人材は内部に問い入れたいと思いまして、陛下に陳情した次第でございます」

「人員の採用案件なら軍の計務課に申請しろ。悪戯に陛下の時間を奪うな」

 と叱責したのはバナンであった。実際、そのような案件ならば直属の上司に相談。フォルスの場合はセリナに対してだろうが、彼ほどの立場になれば採用案件の一つ程度、独断で進めてもだれにも文句は言われない。

 だが。

「秘錬官監院も勘付いておりまして。そういった優秀な人材を研究機関の連中に採られたくないのです。なので……」

 それで、慌てて、つい、という話なのだろう。気持ちは解るが、副官が浮足立った性格ならばセリナも苦労するだろうにとセインブルグ十五世は少々思った。

 グランクは先ほどから厳しい視線を更に厳しくしてフォルスに問う。

「ちなみにどこからの情報だ?」

「王都治水院の戸籍課です。クリュール区の役所から流れてきた情報です」

 そこで、グランクの射貫く視線がバッファに向かった。心の弱いバッファは後で問い詰められるのかと普段から若干おかしい挙動を更におかしくした。とんだとばっちりである。

「なるほど」

 セインブルグ十五世は彼の前で手を組み、少し思案した。そして、軽く目を細めると。

「解りました。この件は私が預かりましょう」

「陛下!」

 グランクは狼狽する。たかが採用案件一つを大国の主が手掛けるなどと、聞いたことがないからである。だが、王は。

「私が動いた方が、軍の計務課も重い腰を軽くするでしょう。それにもし人材がフォルスの言うように本当に優秀なのであれば、国で囲う事に利はあれど、害はないわ。ただ」

 そこで、王はフォルスに言い含める。

「本人の個人意志は尊重します。もしその者が危険な軍属を厭い研究職等を強く希望した場合、私は咎めません。それでいいですね」

「はい。有難うございます」

 少々、不満げなのが見て取れた。どうしても手元に欲しい人材なのだろう。基本的に王国における優秀な人材は自国で囲う。人もまた資源であり財産であるからだ。優秀であればあるほど、他国への流出は阻止する。まして学徒など、自国の技術が他国へ流出する恐れがあるので尚更である。

 話にしばしの空白が生まれ、グランクはそれを埋めるように口を開いた。

「さて、話は以上で良いかな。では、議題が詰まっているので次の話題に移ろうと思う。次の議題は……」

 グランクの響く声を横にセインブルグ十五世はしばし思案に耽った。

 優秀な学徒。そして、ゼファーリア大森林に巣くうと目される巨大な竜。複数積み重なる問題。悩みの種は多い。

 セインブルグ十五世の内心とは裏腹に、議事は刻々と進んでいった。

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