第27話
開幕に放たれたのは如何にもな炎の吐息であった。
火竜種の吐息は生態的に火炎袋のような器官を設けられており、生態活動、進化形態の一種として火炎を放つ能力が獲得されたのだが、黄金竜の場合は少し事情が違う。
黄金竜の放つ炎は魔術の一種である。彼らは総じてブレス、厳密には『ブレスト』と呼ばれる形態の魔術を行使することによって吐息のような現象を起こす。
その熱量は一説には数千度とも言われており、テレーマ式の高位魔術すら及びもつかないほどの熱量と威力であった。
すでに、駆けて逃げ回れる状況ではない。
仕方がない。
カーリャは剣を素早く抜刀するとその側面に描かれていた文字の一つを素早くなぞった。
描かれた文字の意味する所は『魔』。
発現するは守護の障壁。
「聖護方陣!」
刀の側面に描かれた意味ある文字が力を生み出し、万象を防ぐ結界を生み出した。
カーリャの前面に顕現した青より蒼き聖なる障壁は絶対無比な竜族の焔を正面から受け止め、四散させる。
「なに!」
さしもの黄金竜、イグナートも驚愕を隠せなかった。
まさか、矮小なると思い込んでいた人間に正面から自らの生み出した炎を受け止める力があるとは想像もしていなかった。
蒼き障壁は、炎を全て受け止めきり、役目を終えて消失する。
ルーン・キャスト。
文字魔術とも呼ばれる。
六種のリステルと二十四種のフサルクと呼ばれる意味のある文字を媒体に超常的な現象を起こす魔術である。
術の行使に必要なのはただ、描かれた意味のある文字をなぞるという行為だけである。詠唱も知識も必要ない非常に単調な魔術であり、行使に必要なのは文字の描かれた魔術媒体である。
魔術媒体は、ルーン・キャストに対応しうる力を宿していることが条件であり、これがまず難しい。ミスリル、アカシア、トネリコ等の魔力を多く内包している素材は媒体として適しているが、行使する術と媒体の相性もあり、それが発現する魔術の威力にも直結する。勿論、媒体に十分な力が内包されていなかったり、媒体と術式の相性が悪かったりすると威力が失われたり、術式が発動しなかったりもする。術式の行使は単調だが、術式を刻む行為、つまり事前準備が非常に難しいという魔術形態である。
威力も乏しく、精霊を媒体にした精霊魔術等と比べても見劣りすることが多いが、術式を理解しなくても魔術媒体に描かれた文字をなぞることで力が発現するので、非魔術師職に好まれる傾向がある。
そう。
威力が乏しいはずなのである。
それが、ルーン・キャストの特徴なのである。
なのに。
「なんだ。その剣は。その剣に描かれた力は。スールズのリステルという事は解るが。我の炎を正面から受け止める文字魔術など、初めて見たぞ」
「おほめに預かり、どうも」
もはや敬語など使わない。
敵対する以上、気など使っていられない。
そもそも、剣士として魔術に頼るのは信条に反する。
それを、恥を承知で行っているのである。
カーリャは剣を軽く振る。
「そっちがその気ならこっちもその気よ。簀巻きにして尻尾を十等分に刻んで今夜の晩飯にしてやるわ。余った分はビレッジ・フォレスティアの酒場に配って今夜はドラゴンステーキでパーティよ。皮も残らず剥いで、ドラゴンスケイルにしてやるから覚悟なさい」
「ぬかせ、小娘!」
「と、いうわけよ。ミシュー。行くわよ!」
「交渉、失敗したね」
「うるさい。これ以上気に障ることを言ったなら、口を縫い付けて二度と話せなくするわよ」
「ごめんなさ~い」
そこで、ミシューは心配そうに聞いてくる。
「それで、勝算は?」
「ねえわよ。やけくそよ」
「あ。そう」
「あんたも、死にたくなければ必死に抵抗しなさいね!」
「なんて、過酷!」
そう不服そうに言いながら、ミシューは古木の杖を構えた。
カーリャは身構えながら思う。相手は彼の黄金竜。勝算は勿論、無い。しかし、自分の知りうる限りの知識によれば相手は飛行能力を有している。簡単に逃げられる相手ではない。
かと言い、正面から打ち砕けるかといえばそれに関しても毛頭自信がない。逆立ちしながら足の指で針の穴に糸を通して蝶々結びをするよりもはるかに難しい。
さすがに、詰んだかなとカーリャは思う。
「では、行くぞ!」
正直、心底来てほしくないがイグナートは手を掲げ、それを振り下ろした。
単調な攻撃。
ただ、手を振り上げて振り下ろすだけの工夫が微塵にもない行為。
けれども、それだけで人は抵抗できない。
カーリャはとっさにミシューを抱きながら横に大きく跳躍する。
一瞬遅く、カーリャ達がいた場所をイグナートの強大な爪が襲い掛かる。
大地の抉れる音がする。
爪はそのまま硬い地面を大きく抉り、大地に爪痕を残した。
よけるのが一瞬遅ければ、そこに二つの赤い花が咲いていただろう。
状況は笑えるほどに絶望的であった。
「このっ!」
カーリャが、剣を煌めかせる。
大地を踏みしめ。
膂力を溜め。
解放!
一閃!
だが。
「無駄だ!」
子虫を払うかの如く、実際に彼の者にとってはそれほどの造作ない仕草で軽く竜が手を払う。それだけで突風が生まれ、粉塵が起こり、カーリャは返り討ちばかりに吹き飛ばされる。
吹き飛ばされた瞬間。
そのまま、カーリャは後ろに跳躍。
宙で逆宙返りを行い。
地に、足を踏みしめた。
「くっ」
カーリャが悔恨を胸に息を飲む。
巨体な癖して、挙動は早い。
一撃を叩き込む事すら難しい。
「ならっ!」
カーリャは再び、剣の側面にある文字をなぞる。
発現せしは、『空』。
生み出せしは真空の刃。
力が、顕現する。
「風刃殺!」
カーリャが一閃と共に生み出した風の刃は、真空のうねりとなりて巨竜に牙をむく。
獅子やヒグマのような猛獣すらも一撃で唐竹にする、名の意味する通り、殺意の刃。
けれども、それすら。
「生ぬるい!」
鉄製の攻城槌程度なら跳ね飛ばす黄金竜の鱗を切り裂く事は敵わなかった。
カーリャは奥歯が折れるのではないかと思えるほどにを強く噛み締めた。
「硬すぎる!」
すると、背後のミシューがカーリャに言う。
「私がやってみる!」
ミシューが古木の杖をイグナートに向ける。
召喚せしは火の要素。
生み出せしは焔の弾丸。
「メルニドバレッド!」
一瞬にて詠唱を完了。
あいも変わらず、惚れ惚れする程の手際だった。
それは、先ほど悪獣を一瞬で燃やし尽くした魔性の炎。
炎は鋭く、イグナートに襲い掛かる。
けれども。
「小癪!」
よけることもなかった。
よける必要すらなかった。
千度を超える熱量を内包する炎は、イグナートに当たると、何事もなかったかのように霧散し、無へと帰した。
「効かないっ!」
バレッドスペル、要素を巨大な弾丸へと昇華し放つ魔術はテレーマ式でもかなりの威力を誇る。
そのテレーマ式の高位魔術が、イグナートという黄金竜相手には全くと言っていいほど無力だった。
黄金竜の皮膚は王金や魔法銀、あるいは戦術級の魔術でしか貫けない。
伝承の通りであった。
イグナートはさも面白くなさそうに言う。
「ふん。これが人間の魔術か。人間というのもさぞ不便なものだな。魔術に傾倒したところで、所詮はこれほどの力しか生み出せないとは」
イグナートの言い分は的を得ていた。
人は力が弱い。
総合的、絶対的な力で、アールヴやドヴェルグ、亜人といった様々な他種族に一歩劣る。
人が多用する精霊魔術の領分ですらエルランドのエルフには逆立ちしても勝てはしない。
それが、人間の限界でもあった。
もはや、打つ手段がない。
カーリャは、状況を打破する手立てを見つけられなかった。
だから。
覚悟を内包して、ミシューに告げる。
「ミシュー」
「なに?」
「私があいつに打って出るから、その隙に逃げなさい」
「カーリャ?」
「ここに連れてきたのは私で、これは私の責任よ。ここまで巻き込んで無責任だけど、あんたが逃げる時間ぐらいは稼ぐわ」
「カーリャ……」
「林道は駄目。見つかる。森の中を歩きなさい。できれば河が良いわ。うまく河を見つけたら川の流れる方に下っていきなさい。そうすれば王都に抜けられると思うから」
「……」
「解った? 解ったなら頷いて」
カーリャはそうまで言い、黙る。
いくらなんでもこの子を巻き込む必要はない。
森の中を隠れて歩き、川沿いを下れば王都に続くユタナ大河に抜ける。
そうすれば、上手くすればこの竜を出し抜ける。
可能性の低い苦肉の策であるし、上手くいくとも思えなかったが、現状それぐらいしか手立てが見つからなかった。
それに。
仁義として、命を賭して、この娘が完全に逃げ切る時間ぐらいは稼いでみせると、そう胸に誓っていた。
だから。
そう言った。
けれども。
「やだ」
「ミシュー」
「そんなこと言って、一人で死ぬつもりでしょ? それじゃあ、置いていけないよ」
「……」
「私も、戦う」
馬鹿な子だと思った。
大人しく、逃げればいいのに。
僅か二日の短い付き合いだが、少々わかってきたことがある。
この娘は、基本的に脳たりんだ。
あまり、頭とか要領が良くない。
今だって、逃げて良いと言っているのに、逃げずにここに留まるという。
単純な計算、二人死ぬより一人死ぬ方がはるかに効率的だというのに。
そんな簡単な算数も解らない。
竜の危険性も、昨日散々説明したのに。
きっと、果実を採取している時に木の上に脳みそを置いてきたに違いない。
本当に頭が、スポンジで出来ている。
まあ。
実のところ。
そんな馬鹿がそこまで嫌いではなかったりするのだが。
カーリャは笑みを浮かべ、剣を再び構える。
「なら、行くわよ! 出来るだけ派手に討ち死にしましょう! 王都の連中に、この森に恐ろしい魔物がはびこっていると知らしめるために!」
「私、まだ死ぬつもりはないよ!」
ミシューも対面で杖を構えた。
「ふん!」
イグナートはその光景を鼻で笑う。
「子虫どものはかない友情か。みていて怖気が走ったぞ。ならば、餞別に、最後の情けに、本当の魔術というものを貴様ら、矮小な人間に見せてやろう!」
そうまで、イグナートは言い放つと。
その、両の背後の翼を。
大きく。
威圧的に。
広げた。
翼が、震える。
大気を揺らす。
森が、鼓動する。
地が、振動する。
「魔術というものは、こう行使するのだ!」
振動波。
翼を通し、己が振動を伝える技。
森の木々の枝が音を立てて折れる。
子供ほどの岩石が砕ける。
草花はことごとく蹂躙される。
強大な圧力。
ミシューとカーリャは、その圧力を正面から浴びる。
「くっ!」
カーリャが声をあげる。
地に足をとどめることができない。
圧力が強すぎる。
瞬間、気が抜ける。
同時に。
「あ」
カーリャは、体制を崩し。
そのまま、後ろに吹き飛ぶ。
まるで、木の葉の様だった。
身体は大きく飛んでいた。
支える事すらもはや、できない。
そして。
当然ながら。
背面には、崖。
自殺の名称と名高いローザンスの崖。
落ちたら、まずは助からない。
崖下は、岩場になっていて、人にやさしく止めを刺してくれる。
終わった。
カーリャは思った。
視線を移すと、近くには地面がなかった。
かわりに、遠くに岩場が見えた。
「カーリャ!」
連れ立った少女の叫び声が聞こえる。
視線を逸らすと、少女は青ざめていた。
なるほど。
これが走馬灯かと思った。
死の瞬間は、時間がゆっくりになるらしい。
神も、中々粋な事をすると思った。
死ぬまでの間、十分に今までの思い出を振り返ることができる。
まあ、今更ながら。
今回は、少々無茶が過ぎたなあと思った。
御自愛下さいと散々、言われたのに。
結局、自分を大事にする気にはならなかった。
これでいい。
これでいいのだ。
しかし。
そこで、連れ立った少女が叫んだ。
「シュティア!」
同時に。
少女の傍に、何かが顕現した。
まるでエメラルドのような輝きを持った何かが。
それは強い霊力を宿し、神々しかった。
まるで、神霊のように。
神霊?
そう。
少女の呼びかけたのは神霊。
正確には、四大の一柱。
風の元素の根源。
大精霊シュティア。
ミシューの身体が、突風のように奔る。
そして。
少女は横に神々しき霊を連れ立ったまま、カーリャにとびかかり。
そのまま、抱きかかえ。
風を纏ったまま、地面に下りて行った。
カーリャはそこで悟る。
なるほど。
そういうことか、と。
ただ、残念なことに。
カーリャの意識は。
そこまで考えると。
それよりは、完全に思考を止めて深い闇へと沈んでいった。
最後には。
連れ立った少女の真剣な横顔があった。
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