第67話


 幕開けは、単純な斬撃であった。

 ただ。

 一歩踏み込んでからの斬り下ろし。

 カーリャは考える前に即座に抜刀、そしてクレハの剣を受け止めた。だけではない。勘の領域で正面から受け止めることを拒み、そのまま受け流した。

 ガリガリと、意味の分からない音が鳴ったと思ったら振り下ろした剣がそのまま、石の床を叩いた。そして、衝撃波と共に石床が大きく抉れ、半ルゥース、人が三人は余裕で入れそうな大穴を地面に生み出した。

 衝撃の余波、だけである。

 まず、見えなかった。一連の動きを目で追うだけで精一杯であったし、威力も目を覆う程であった。横に正面から受け止めていたら身体ごと両断されていたし、流すにしても鈍らな得物ならば受け止めるだけで砕け散っていたであろう。そうなれば、すでに戦いは終わりと言わざろう得なかった。

 戦慄した。

「へえ」

 クレハが、感嘆交じりに声をあげる。

「並みの奴ならば今だけで終わっていたんだけどな。あんたは確かに並みじゃねえ。俺の一撃を受け止めるとはな。確かに、あんたには俺と戦う資格がある」

 クレハは、嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。対して、カーリャは緊張にこわばり、笑みを浮かべる余裕すら微塵もなかった。

 そして、内心で悟った。確かにミシューを前に出さなくて良かった、と。あの鈍くさい娘ならば今の一撃を確実に避けられなかったし、あれで確実に終わっていた。ミシューを戦わせないのは明らかに正解であった。

 クレハは剣を弄びながら、ゆっくりとカーリャと距離を取る。飄々と、しかし油断なくゆっくりと。

「七星に侍はいなかったな。あんた、剣術に名前とかあるのかい。一刀流とか、二天一流とか」

「天流」

「へえ、随分な名だな。由緒正しいのかい」

「知らないわ」

 彼の問答に偽る事無く、本当に知らなかった。師からも、どのような流派かは聞いていない。ただ、シフォンではそれなりに名の通った流派だとは聞いていた。

 クレハは、答える。

「俺は、恥ずかしながら我流でね。西洋剣術なんてゲームの中でぐらいしか知らないからな。身振り手振りで覚えたって感じさ。だから、あんたのような相手に満足してもらえるかは、少し心配でさ」

「心配ないわ」

 満足しているどころか、戦慄している。

 クレハは、剣先を遊ばせながら言葉を続ける。

「難しい事は苦手な性分でね。だから、単純に済ませることにした。あんたに敬意を称して紹介しよう」

「随分と、サービスが良いのね。どんな下種な思惑があるのかしら」

「美人には優しいんだ。紳士なんだよ。まあ、勿体ぶらずに聞いておきな。俺には大きく分けて三つの技がある。簡単に言うと剛剣、瞬剣、そして盾だ。おれはこの三つの技を使い分けて戦っている。状況に応じて、だ。それがこの俺、クレハ=カズヤの戦い方さ」

「なるほど。見た目通り随分と底の浅い男なのね」

「柔軟なのさ。それに、現実はゲームのようにパラメータ欄を満載にするほどの技は必要ない。俺はそれをこの数年で嫌と言うほど思い知った。だから、シンプルこそ万能たる壱つであるということを信条にしたのさ」

「そう。シンプルなのは良い事ね。私も、難しいのは苦手だわ」

「初めて、気が合ったな。嬉しい限りだ」

「そりゃあどうも。私は胸焼けしそうだわ」

「そう言うな。俺はとても楽しいぜ。ここに来てから、誰も彼も手ごたえ無くて飽き飽きしていたんだ。経験点集めの雑魚狩りなんて虚しい事この上ない。その点、あんたはとても楽しませてくれそうだ。久しぶりに胸が高鳴って仕方がない」

「こっちは動悸で反吐が出そうだわ」

「なら、反吐すら出ないほどのスリルを味合わせてやるさ。王宮御用達の絢爛な晩餐のフルコースでな」

 その言葉を皮切りに。

 クレハ=カズヤの構えが変わった。

 長剣を肩に担ぎ、半身になる。

「熱い物を壊れるぐらいブチ込んでやるから、精一杯受け止めてくれよ。あっさりと簀巻きなんて、面白くないオチは勘弁だぜ」

 瞬間。

 気が、爆ぜる。

 人間の体内を循環するアウラ、言い換えるのならば霊的な力圧が増す。第二層の界を循環せしは真紅と漆黒の霊気。それが複雑に折り重なり、禍々しい波長を生み出す。なまじ霊界を見ることができるカーリャだからこそはっきりと感じ得ることができた。この荒々しくも闇深く激しい闘気こそ、クレハ=カズヤの惑う事なき本性だと。

 クレハは、告げる。

「俺は、彼の世界の神話になぞってこの剣をこう名付けた。一の剣、レーヴァ・シュナイデンと」

 そして。

 それは、放たれる。

 担ぎ上げられた剣が、ただ真直ぐに振り下ろされただけの単調な所作。なのに、その剣はとても鋭く、激しく、凄まじい勢いでカーリャに牙を剥いた。

 まずい。

 咄嗟に、感じ得たのがその感覚。

 これは、受けることすらも許されない。

 カーリャは咄嗟に。

 空の印に触れる。

 瞬間。

 身体が、風のように軽くなる。

 その感覚に逆らうことなく。

 カーリャは一瞬にて、クレハの間合いから大きく離脱した。

 そして。

 次に起きたのは。

 先ほどの初撃がまるで、稚戯のように感じられるような衝撃と爆音。

 剣閃は岩を砕くだけでは飽き足らず、その衝撃の余波にて円型の石畳を大きく削り切り、それでも勢いを収めることなく、屋敷の壁を紙板のように斬り裂いた。視線を軽く移すと衝撃にて、観戦しているミシューやダフトフ達が吹き飛ばされそうにしているのを目視で確認できた。まるで豪風のような一撃であった。

 レーヴァ・シュナイデン。

 かつて、クレハとダフトフが初めて邂逅した時に、太く逞しく、純度の高い鋼ですら貫くのが難しい竜の首を軽々と跳ね落とした一撃である。

 クレハは、振り下ろした剣を再び構えながら感嘆交じりに口笛を吹いた。

「勘が良いな。切れも良い。よくぞ避けた。へえ。その剣は飾りじゃないって事か。なるほど。昔、つぐみが言ってたな。印術ってやつか」

 あいも変わらず、軽口混じりの様子だが、対峙するカーリャは一切の余裕が失せていた。それもそのはずである。

 冗談ではない。なんだ。これは。規格外にも程がある。一撃一撃が、受けてみて人間のそれではない。まるで大型の猛獣か、マグナグランドの高位魔族を相手取っているような感覚である。

 前にも言ったが、人間の力などそうそう、変わるものではない。人は空を飛べないし、象と相撲取って勝てるものではない。技術、魔術を用いれば話は別だが、人間本来の力などその程度の物である。

 なのに、この目の前の男は違う。

 どのような奇術を用いているのかはわからないが、猛獣すら正面から薙ぎ倒す一撃を放つ。レーベリッターを圧倒するかもしれない? 冗談じゃない。レーベリッターが束になったところでこの正面に対峙している男に勝てるか、知れない。それを証明するようにレーベリッターの中でも王族の傍付きに抜擢される実力すら持つシラギクが顔を蒼白にしている。目算を間違ったとばかりに。

「主!」

 シラギクが一歩、足を前に出そうとする。が。

「黙って見ていなさい!」

 カーリャはそれを強い言葉で止める。

 シラギクは、逡巡しながらも、歯がゆそうに足を止めた。

 カーリャは、苛立しそうに留まるシラギクを横目で確認すると刀を構える。そして、思う。

 確かに、鋭く激しい斬撃だが色々と感じ得る事もあった。まず、溜め。あの威力を練りだす為にはやはり、ある程度のアウラの溜めと昇華が必要とされる。

 次に、アウラの流れが激しい為に、明確に挙動が分かりやすくある。つまり、技の激しさに比例しての見切りやすさがある。受けたら恐らく終わりだが、空の印を用いれば躱せぬ技ではないというのがカーリャの見解であった。

 そして、やはり振り下ろしに甚大な隙。大きな挙動故に、明確な弱点が発生していた。その無防備に打ち込めば、勝機もある。

 つまり派手さ程、怖い技ではない。

 カーリャは一つ、息を吸い込む。

 そして、吐いた。

 それだけで、クレハは察する。

「なるほど。もう、見切ったという顔だな。たしかに、あんたの思う通りさ。こいつは大層隙が多い。派手で勝手が良いんだが、挙動が多い所を、メアリやギルに散々、してやられたものさ」

 その言葉に、カーリャは内心の動揺を抑えきれなかった。これほどの手練れを、『散々してやる』者がいるとは思いも寄らなかったからである。師ですら、この目の前の難敵をどのように相手取るのか予測がつかない。そのような難敵を凌駕するほどの猛者がまだ数えるほどに存在するとは、世はとんでもなく広いものだとカーリャは強く感じ得るしかなかった。

 クレハは、余裕そうに軽口を叩きながらも剣をだらりと脱力かのように下すと、そのまま脇構えのような体勢に移行した。構えのまま、力は込めず、多少脱力した様子を見せる。

 その緩やかな握りに、カーリャはふたたび警戒を強める。実際に、クレハを取り巻く見えない霊圧のような物は再び増大し、カーリャに大きな圧力を与えていた。

 カーリャは予見する。おそらくは、先ほど告げた三つの技のうち、残る二つのいずれかが放たれるのであろうと。

 クレハは、再び口を開く。

「じゃあ、第二回戦だ。これは先ほどとは対照的に、威力を絞り、速度に注力した技だ。レーヴァ・シュナイデンを見切るような手練れを翻弄するために生み出した。あんたみたいな相手の為に、な」

 その言葉に。

 カーリャは緊張を背に対峙する。

 クレハは。

 静かに。

 剣を振り上げた。

「二の剣、ミストル・シュナイデン」

 影が、消えた。

 同時に、四方から見えない斬撃が生まれる。

 一瞬。

 カーリャはそれが風刃殺のような飛ぶ斬撃かと予見したが、実際は違う。単純に早く、鋭い剣撃が、見えない程の鋭さであらゆる方位から牙を剥いてきただけの話であった。

 確かに、単調。

 だが、単調こそにその内包しているフィジカルの差異が明確に感じ得る。カーリャからして、ほぼすべての方面から同時に襲い掛かる斬撃の嵐に対抗する術はなかった。

 だから。

 カーリャは大地を貫くように軸を意識し、その場で身体を捻る。完全な脱力と共に、翻し。

 歩を、退ける。

 そして。

 次にクレハが視界を確認した時。

 カーリャは遙か間合いの外にいた。

 クレハは、驚嘆を隠せない。ミストル・シュナイデンは彼女のように、正面切っての単調な攻撃ではいとも容易く見切ってしまうような手練れに対抗する為に生み出した。単純に剣速を跳ね上げたのみだが、この技で、自称剣豪や剣聖を、数えるほどに打ち破ってきた。

 それを。

 初撃で見切るとは。

 ハトラーの戦友以外で、この技で決着がつかなかったのは初めてだった。クレハの胸は、故国を出奔してから初めて強く高鳴った。

「あんた。すげえな。この世界にも、居るところには居るもんだな。手練れって奴が」

 だが、そんな称賛にも、カーリャは余裕を見せることができなかった。

 天流奥伝、水鏡面。

 奥義の一つである。高い精度の脱力と体感覚操作が必要で、極めれば魔法のように相手の死角に回り込むことができると師はおっしゃった。大目録を掲げる師範や師範代のような位になってようやっと習熟できるらしい。

 実際、自分は目録なんぞと縁のない、旅烏から教わった青空剣法である。だから、斬った張ったと縁のないただの足運びの技、随分と軽視していた物だが、師から首根っこ絞めつけられて強引に習得した甲斐はあったらしい。また一つ、命拾いした。

 ただ、足運びを軽視した報いは受けた。

 カーリャは頬を撫ぜる。

 そこに。

 鋭い切り傷から、血が滲んていた。

「カーリャ!」

 ミシューが必要以上に叫ぶ。

 煩い。黙っていろと思った。

 裂傷、計五ヶ所。いずれも軽傷。

 頬、肩、左腕、大腿部、それに脇。腱の断裂や内臓の損傷はない。戦闘の続行に一切の支障はない。

 クレハは、面白おかしそうに聞く。

「さあて。まだやるかい。奴隷落ちして旦那の金塊になるっていうのならばこの辺りで見逃してやっても良い。いや、あんたなら俺専属の玩具になってもらうのも良案かもな」

「冗談」

「だろうな。俺も、不完全燃焼といった所さ。あんたみたいな奴とは、最後まで殺り合いたいからな」

 そう言い。

 クレハは、今度は脱力したまま無防備になった。カーリャはその奇異な行動に眉をひそめる。

「どういうつもり」

「撃って来いよ」

「え?」

「俺ばかり、攻撃して不公平だろ。今度はあんたの番だ。古臭いRPGゲームのように、交互に殴り合おうぜ」

「ふん」

 余裕を、とカーリャは苛立ちながら思った。同時に、RPGという言葉にどこかで聞き覚えがあったがどの道、意味ない戯言だろうと聞き逃すことにした。

 カーリャは、納刀する。

 奇策は好まない。

 正面から、打倒する。

 放つは、神速の一撃。

 柄に。

 手を。

 腰を切る。

 そのまま。

 抜刀。

「ふ!」

 一息と共に、一閃。

 天流初伝、虚閃。

 鞘で滑らせた太刀は、速度を増す。

 軍の演習に混じってチャンバラを行った際、この技でダース単位の軍人を地に伏せた物である。故郷で熊や猪を相手に研鑽したこの技を、軍の演習でまともに見切れる相手は、いなかった。

 だが。

 しかし。

「早えな」

 クレハは、またしても感嘆交じりに言う。

 予測していた事だが、甘かった。

 これほどの手練れなら、抜刀術の一つぐらい、安易に見切るとは予測していたし、その目算が当然のように果たされたのだから、カーリャとしては驚くべきことではない。

 だが。

 予測と反することは別のところにあった。

 カーリャの神速の抜刀。

 それは、クレハの片手の平にて、素手で受け止められていたという事である。魔獣すらも幾多も切り裂いた自慢の一閃を、まさか手で受け止められるとは思っていなかった。

 カーリャはここに来て、初めて狼狽する。予想もしていなかった状況に取り乱し、次の手をどうするのか、一切考えられないほどに困惑した。

 その様子にクレハは苦笑し、告げる。

「シール・ジ・ユグス。いわゆる防御陣の一種だ。分類的には白魔術に該当するらしいんだが、理論そっちのけの鵜呑みで覚えた魔術だから詳しい事は説明できない。が、見ての通り色々と便利でな。眉間に突き付けられた鉛玉もビー玉みたいに弾き飛ばせるらしい」

「……あ」

「あんたの一撃は、鉛玉より鋭かったぜ。手の皮、一枚は持ってかれた。そこは誇って良いな」

 カーリャが視線を移すと、彼の者の、皮一枚切り裂かれた掌にはうっすらと小さな魔法陣が発言していた。陣術はウィッチクラフトの得意とする分野である。まさか、ここに来てカームファニアの魔術が表れるとは思っていなかった。

 動揺を抑えきれないカーリャに、クレハは皮肉交じりの微笑を浮かべ、その目を鋭く細めた。

「そして、これが」

 クレハは、そのまま。

 腰を落とし。

 鋭く、掌底を放つ。

 カーリャは、ハと我に返り刀の腹でそれを抑える。愚策と思いつつも、それしか打つ手がなかった。刀の腹で直撃を抑えつつも、脱力をし、そのまま衝撃に逆らうことなく後ろに跳んだ。

 竜ほどの大きさに育ったカームヴォルフに角を突き付けられたような感触だった。

 吹き飛んだ距離は、おおよそ三ルゥース、十メートル弱といったところか。得物がナマクラ刀でなかった事と、直撃を防いだことで致命ではなかったが、ダメージは大きかった。

「が、ハッ」

 無様に転げまわることはなかったが、地に足を付けた瞬間、口から赤い液が吐き出された。口を切ったのか、あるいは臓腑をやられたのか。いずれにせよ、勢いを完全に殺すことはできなかった。

 クレハは、カーリャの苦しむ様を嗜虐的な笑みで面白可笑しそうにに観察する。

「ユグス・ランツェ。陣術を攻性魔術に発展させたものだ。しかし、流石だねえ。これで終わると思っていたが、まだ立っているとは」

 あいも変わらず五体満足なクレハに対して、カーリャはすでに満身創痍に近づいていた。力量の差は想像以上で、辛うじて捌いてはいるが、決着がつくのも遠くない。それも、望まぬ形で。

 しかし、僥倖もある。

 これで、彼の言った手札がすべて露見した。見切ったというにはおこがましいが、手札が解っているのとそうでない状況には雲泥の差がある。手札をさらすまでの代償は大きかったが。

 カーリャは気を緩めば恐怖という暴風に吹き飛ばされそうになる揺らいだ闘志に再び火を灯し、クレハに刀の切っ先を向けた。その様子を一瞥したクレハは、さぞ嬉しそうに口元をほころばす。

「へえ。ここまでしてやられているというのに、まだやるのかい。その白玻璃のような手も、足も、水鳥のように張りのある頬も、すべてがボロボロじゃないか。そろそろ、降参した方が良いんじゃないか。命を失ってからじゃあ、ごめんなさいの言葉すら言えないんだぜ」

「死んでも、御免だわ」

 と、言いながら痰をペ、と飛ばす。痰は血で赤く滲んでいたし、カーリャ自身も傷ついた玻璃の彫像のような姿になっていたが、依然としてのその眼光は強く輝いていた。

 クレハは、身震いをする。

「本当に、いい女だな。ここまで絶対的な力の差を見せたというのにまだ、心が折れないとは。初めてだぜ。殺すには惜しいと思わされたのは」

 クレハは、そこまで心中を吐露すると。

 静かに。

 静謐に。

 剣を腰だめに構えた。

 そして。

 恐ろしいまでに神妙な顔つきになり、厳かにカーリャに告げる。その表情には、今まで垣間見せていた軽々しい雰囲気は全く、無く、冷酷な覚悟のみが只、浮かんでいた。

「女。名を、なんという」

 クレハの言葉に。

 カーリャは、答える。

「カーリャ。カーリャ=レベリオン」

「そうか」

 クレハは、頷き。

「カーリャ。これが今宵の最後の通告だ。負けを認めて俺の女になれ。そうすれば、命だけは許してやろう」

「何度、言わせるつもりかしら。例え殺されても、それだけは御免被るわ」

「まあ、聞け」

 と、クレハは言葉を遮る。

「これより披露するのは、奥義と呼べる技だ。今まで魅せた三つの技、レーヴァ・シュナイデン。ミストル・シュナイデン。そして、ユグス・ランツェ。この三つを複合した俺の奥の手だ。俺は、この技を神々の蝕、ラグナ・フィンスターニスと名付けた」

「事前に手品の種を教えてくれるとは、随分と気前が良いのね」

「ほざけ。俺は確信したんだ。今までのあんたの動きを見て。あんたの力量を感じて。はっきりと。あんたには、この技を捌き切ることは出来ない。放ったら最後、あんたは立っていられない。そして、恐らく、死ぬ」

「偉い自信なのね。天狗の鼻は伸び切った?」

「これは、確信さ。だから、カーリャ=レベリオン。大人しく降参しな。そうすりゃあ、命まで取らねえ」

「はん」

 命を取らずしてどうだというのだ。この男は口で、甘言を言うがその後、降伏した者を宝石箱の指輪のように愛で愛することなど無い。もし、言葉通りの情を持つような人物ならば、奴隷売買になど加担せず、多くの無辜な民を地獄に落としたりなどしない。

 どの道、この男の凶行はここで止めなければならない。民の肩にまた一つ、奴隷印が増える前に。

 カーリャは、決意と共に剣を構える、が。

 そこで。

 思わぬ横やりが入った。

「あの」

 視線を移す。

 その横やりの正体。

 それは、意外にも大人しく自分の戦いを観戦しているはずの友人であるミシュー=スフィールであった。ミシューはおずおずと、カーリャ、ではなく意外にも、クレハ=カズヤに語りかけた。

「ちょっと、いい?」

 急な横やり。

 快いはずがない。

 クレハは、不機嫌そうにミシューを睨みつける。

「なんだ。小娘。大人しく友人の血に染まるさまを見ていろ」

「そうじゃなくて、ええと。なんて言えばいいんだろう」

 と、ミシューはしばし戸惑った後、率直に言葉を投げかける。

「あなた、もしかしてニホンジン?」

 カーリャはその言葉に、怪訝に思う。前から、時折不可思議な単語を挙げることがあったが、ここに来てとは。緊迫した空気が最高潮に達した時のこの横やり、カーリャもおもわず顔をしかめる。

 が。

 クレハは、その言葉に急に顔色を変え、興味深そうにミシューを上から、下から嘗め回すように眺め、告げた。

「へえ。見てくれからこちらの世界の人間だと思い込んでいたが、そうか。お前もか。居るところには、居るんだな。今宵、二度目の驚きだ。つまりは、お前もミトラの元から逃げてきた口か?」

「ミトラ?」

 そこで、ミシューは首をかしげる。その様子にクレハは何かを察したような表情になり、なるほどと一人、納得した。

「ミトラの呼んだ者ではないのか。ならば、他の者に呼ばれたのか。確かに、そういう事もあるのかもしれないな。お前は、どういう経緯で来たんだ?」

「それは、ええと……」

「解らない。か」

「うん」

「そういう事も、あるのか」

 クレハは、そう言いながらも一人、納得する。対するミシューは、考え込むクレハに向かって、責めるように問いかけた。

「ねえ。あなたもニホンジンなら、どうしてこんな事をするの。どういう理由でここに飛ばされたかは知らないけど、わざわざイセカイで、悪事に加担する事はないでしょ。正義の味方になれなんて言わないから、せめて人の迷惑にならないように生きようと思わないの?」

 ミシューの。

 その言葉に。

 人として、当然なまでに正しい言葉に。

 クレハは。

 口元を抑え。

 顔を震わせ。

 口も震わせ。

 肩も、小刻みに揺らした。

 その異様な姿が。

 彼の、笑みの形だと理解した時。

 魔性のような表情で彼の者は語った。

「何を、戯言をほざく?」

「え?」

「あんな、地獄のような世界からようやく抜け出せたんだ! そして、たどり着いた先は、こんな楽園みたいな世界だ! だったら、俺がこの楽園を、俺が授かった神のような力でどれだけ黒く! 紅く! 自堕落に! 退廃的に! 塗り潰そうが、構わねえだろ! 俺はそれだけの業と、それに見合うだけの報酬を得たんだ! お前も、同じ世界の人間なら、解るだろう! 俺達は、この世界で不幸に見合った幸福を手に入れる権利を得たんだ! それが、たとえこの世界のモブ共を、絶望に叩き込む事になったとしても、問題ねえだろうが!」

 その表情は。

 人の物ではない。

 同じ、郷里を持つ者として、あまりにも違いすぎる本性を彼の者は持っていた。それは、この世界に生まれ出、様々な愛情を受けて育ったミシューにとって、全く理解できないものであった。

「でも……っ」

 ミシューはしかし、クレハに何かを語ろうとする、が。その言葉を留めたのは意外にも、この世界で心を通わせた友人であった。

「無駄よ。ミシュー」

 カーリャは、凛と言う。

「あんたが、正直何を言っているのかはわからないけど、あんたと奴は全く違う。異世界人に話しかけるようなものよ」

 カーリャが真相を知っているはずはないのだが、それは正に的を得た言葉であった。異世界人。いや、言葉の通じない別の星の人間に話しかけるような無力感。それが、彼の者との会話の中に含まれた唯一無二絶対的な物であった。

 カーリャは、刀を構え直し、クレハに告げる。

「来なさい。小悪党。駄賃を捨てられた丁稚のように泣きべそをかかせてやるわ」

「はん」

 吐き捨てるような嘲笑。

 共に。

 クレハの霊圧が、爆ぜた。

「ならば、望み通り見せてやろう! 絶望を骨の髄まで堪能した後、あの世で、自らの愚かさを後悔するが良い!」

 それは。

 今宵もっとも、激しい霊気。

 脈動するは不動のアウラ。

 暴虐の赤と黒が荒れ狂う。

 正しく、暴虐の脈動。

 小さな嵐が大きく成りて、彼の者を包む。

 見て、察す。

 これが、目の前に対峙した者の奥義と。

 クレハは。

 眼光を魔人と化し。

 其の剣技を。

 放つ。

「ラグナ・フィンスターニス」

 間が。

 一瞬にて。

 潰れた。

 次に、カーリャが見たのは。

 剣を振りかぶるクレハの姿。

「ーーーっっ!」

 入りに放たれるは、ミストル・シュナイデン。ありとあらゆる死角から放たれる神速の連撃。だが、一度見たはずの技である。剣士に同じ技は通用しない。ならば、見切れぬどおりはない。

 カーリャは。

 全身の力を抜く。

 一度目は、失敗した。

 だが。

 二度目は。

 必ず、躱せる。

 天流奥伝、水鏡面。

 流れ出、流水のような所作。

 上段からの斬り下ろしを、反らし。

 流星のような袈裟に、髪を触れさせ。

 閃光のような薙ぎを、足運びで躱す。

 大丈夫。

 見切れる。

 と。

 仄かな確信を、交えた。

 次の瞬間。

「っ!」

 返しの斬撃が、逆流の滝のように放たれた。

 カーリャは。

 その場で、後転し。

 紙一重にて、躱しきる。

 眉間の上の皮が、軽く裂ける。

 一瞬遅れたら、頭蓋が持っていかれていた。

 紙一重の攻防。

 だが、それが次の手の命取りになった。

 後ろに跳ねたことで。

 明確な、隙が生まれる。

 それを、見逃すクレハではなかった。

 次いで。

 放たれる。

 レーヴァ・シュナイデン。

 予測はしていた。

 恐らく、瞬撃にて撹乱し、本命の強撃を叩き込むのが、クレハの奥義の本質だと、彼の言葉から推測しており、そしてその推測は真実の的を得ていた。

 だが。

 それでも、初撃を捌き切れなかった。

 そのつけは、明確に表れる。

 体勢を整える事を待つ暇もなく。

 クレハの重撃が。

 カーリャに牙をむく。

「くっ!」

 選んだのは、最も愚策だった。

 刀で、受けてしまった。

 あの、強撃を。

 膂力の違いは、明確である。

 龍の首を一撃にて、落とす剛剣。

 それを、華奢な腕で受け止める。

 当然。

 受け止め切れるはずがない。

 片方の手を剣の棟に当て。

 両手で受けたのにもかかわらず。

 一気に、肩口まで持っていかれた。

 骨に達する程、肩が斬られる。

 意識が、遠退く。

 カーリャは膝をつき、体制を低くし。

 強引に。

 クレハの剛剣を跳ね除けた。

 肩の肉が、そぎ落とされる。

 鮮血が、滴る。

 次の瞬間。

 剛剣が、大地を抉る。

 だが、辛うじて。

 強靭な剛剣を捌き切る事が出来た。

 その代償は大きかった。

 左肩の重傷。

 腕が跳ね飛ばさなかった事だけが救いか。

 それほどに、紙一重の攻防だった。

 けれども。

 彼の者の連撃が、いまだ終わらない事。

 それは自明の理であった。

 死に体の身体。

 もうろうとする意識。

 そこで見た物。

 それは。

 クレハが放つ。

 陣術の掌底であった。

 威力は、当に知る。

 剣で防いでも、臓まで達した。

 ならば。

 直撃すれば。

 一撃で、命の華を散らすであろう。

 だが。

 先ほどの一撃の傷で、膝が笑う。

 手も、痙攣を止めない。

 動く事すら、出来ない。

 カーリャは、クレハの一撃を。

 ただ、見ているしかなかった。

 馬鹿な事をしたと思う。

 大人しく。

 三人がかりで戦っていればよかった。

 誰かが、死んでも誰かが倒しただろうに。

 そう、思う。

 けれども、思う。

 死ぬなら、自分が一番の適任だと。

 なぜなら。

 なぜならば。

 そこに。

 慈悲無き一撃が。

 牙をむいた。

 カーリャは、覚悟を決める。

 そして。

 ユグス・ランツェの強烈な一撃は。

 無常に。

 少女の柔らかな身体に。

 突き刺さった。


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