第22話


「カーリャ。とてもいい天気だね。素敵なピクニック日和。お弁当、持ってくればよかったね」

「ピクニックじゃねえわよ。殺すわよ」

 快晴の空。太陽の眩き恩恵は深緑を神々しく照らしている。何の脈絡もない本日一回目の殺す発言が陽気な日和の中、無邪気な隣人に向けて飛び出した。今日もカーリャの殺意は絶好調だ。

 材木資材の運搬車が頻繁にビレッジ・フォレスティアとの間を往復する第三林道は、とても開けており、大人五人ぐらいなら横並びに歩けるほどの余裕があった。ただ、現在は状況が状況なので運搬車どころか、人の姿一つ見えなかった。

 そのような道幅の広い林道をミシューとカーリャは二人、連れ添って歩く。荷物はそれぞれの得物と、簡易糧食、そして皮袋に入った水だけであった。

 糧食はマーム、つまりは小麦をブトゥルム、バターで混ぜて焼き上げたもので、小麦菓子、ハードクラックと呼ばれている。とても硬い食感で、日持ちするのが特徴である。後は干し肉と干し果実。果実は柿である。セインブルグではノミスと呼ばれており一般的に食されている。典型的なセインブルグ軍の遠征用糧食である。

 簡易な荷物で、森に侵入するには無謀な軽装とも見做されるが、貴族が遊楽に訪れる程度の険しさなのでこの程度の準備で事足りた。むしろ、慎重に警戒して重装にしたとしても、荷物が重いだけで疲れてしまう。そもそもカーリャには森や山での遭難時の知識があるので、最悪、何とでもなる自信はあった。師匠、遭難させてくれてありがとう。

「ミシュー。急ぎなさいよ。あんた、どこからどう見ても足が遅そうなんだから。あんたのペースにあわせていたら年が明けてもローザンスの丘にたどり着かないわよ」

「酷い言われよう。辛くて思わず崖にたどり着いた瞬間に飛び降り自殺してしまいそうなほど深く、深く傷ついた」

「うるさい。鋼の心臓。そのあたりに転がっている岩石よりも頑丈な神経しているのに腐った女みたいなこと言ってんじゃねーわよ。あと、ローザンスの丘での自殺はやめて。王立民主法で禁止されているから」

「私、ベルファンド人だから適応されなくなくなくない?」

「移住した時点で適応されるわよ。移住した時に役所で言われたでしょ」

「そういえば、リュートゥスさんにそんな事言われたような気がする」

「誰それ?」

「私の移住手続きをしてくれた担当者。とっても優しいの。書類から引っ越し手続きから、全部代行してくれたんだ。すごく良い人」

「それって、絶対に下心あるんじゃない?」

 カーリャがジト目でミシューを見やる。意外と天然の小悪魔なのかもしれない。

 道すがら、軽口を叩きあう二人。ビレッジ・フォレスティアを出発してからまだ、それほどに時間は経っていない。

 王都アークガイアを出立しはじめた頃は険悪だったが、なんだかんだで少しずつ打ち解けているとカーリャは感じていた。犬猫だってしばらく一緒に暮らしていれば情がわく。蛙やゾウリムシだってガラス瓶に入れて飼っておけば親近感がわくだろう。ゴキブリだって叩き殺さず食堂を徘徊させておけば家族のような錯覚をするものである。おそらく、それと同様の感情なのだとカーリャは思った。

 整備されているとはいえ、王都の石畳が懐かしくなる程度には歩き辛い道を踏みしめながらカーリャは歩く。

 軽く横を見ると、ミシューは若干遅れていた。日頃から身体を鍛え、王立軍でも定期的に訓練を行っているカーリャの体力に、学院で座学ばかり行っていたミシューが敵う道理はない。カーリャ自身もそれは自覚していたが、あえて歩く速度を落とすような真似はしなかった。なのにミシューは文句を言うことなく、一生懸命についてくる。案外、我慢強い性格なのかもしれない。

「カーリャ。歩くの早いよ」

 いや、言った。やっぱりヘタレだ。カーリャは少しだけ歩く速度を落とそうと思ったが、今の一言が非常に癇に障ったので逆に歩く速度を速めることにした。ーーーついて、来れるか?

「閑散としているね」

 と、ミシューが不安げに呟く。

 ミシューとしては、誰一人すれ違わない今の状況を指して言っているのであろう。だが、カーリャの捉える見解はもう少し違うところにあった。

 たしかに、閑散としている。

 それは、単純に林道に人がいない事だけではなかった。うまくは言えない。だが、森自体が重苦しい雰囲気に包まれているのである。

 いつもは、静かで荘厳な森の中に様々な生物の活きた気配を感じることができる。そういった肌感覚のようなものが今日は無いのである。鳥の鳴き声一つ、聞こえることがない。そういった平時とは違う、異質の不気味さに森全体が包まれていた。

 緊張感が走る。警戒心を強める。

 カーリャの勘が、今日の森は危険だと明確に警鐘を鳴らしていた。

「ミシュー。気を付けなさい。普段とは違う。何かおかしいわ」

 と、蒼海の髪をなびかせながら、カーリャ振り返り背後に視線を向けた。

 すると、そこには人の姿はなかった。

 そう。

 連れ添った束の間の相棒の姿が。

 消えていた。

 消えていたのである。

 姿が、失われていたのである。

 忽然だった。

 影も、形もなかった。

 カーリャは狼狽する。

 迂闊としか言えなかった。

 些細な一言に苛立ち、意地悪とばかりに悪戯に引き離してしまった。彼女は自分と違い、旅慣れてもいなければ、身体も鍛えていなかったというのに。

 本来、連れ添った人間の責任として最後まで守り通すのは義理であり道理であるはずなのに、一時的な感情に身を任せてその本来、必ず守らなければならない至上の使命から目を背けてしまった。森が、普段とは違う群生になっていることは昨日の情報から明らかであったはずなのに。その油断が、彼女をいたずらに危険にさらしてしまった。

 カーリャは動揺を露わに叫ぶ。

「ミシュー!」

 静かな森に声が響く。

 静かだからこそ、響く。

「ミシュー! 返事して!」

 声に森の魔物が集まってしまうかもしれない。だが、自分なら身を守れる。問題は独り、孤立した状態で連れ添った彼女が襲われることである。戦闘経験が薄いならばなおさらだ。それならば、危険は自分が引き受けた方が良い。声を張り上げることで、彼女の囮になれるのならばその方が良い。

「ミシュー!」

 再三の呼びかけ。

 しかし、返事はなかった。

 見失ってからまだ、しばしの時しか経っていない。しかし、それでも返事がないという事は近くにいると考えるのは絶望的かもしれない。

 もしかしたら、すでに森の奥に入り込んでしまったとか。林道から外れたら自殺行為だと口酸っぱく教えたが、どこかしら間の抜けた彼女なら迷い込んでしまうこともあり得る。

 もしくは、小鬼等の魔物に連れ去らわれたから。連中は狡猾である。林道の神隠しとされている事件の大半は、小鬼の巧妙な人さらいが原因とされている。連中は弱い者をかぎつけるのが極端に上手い。そして、連れ去る手口も熟練の盗賊が舌を巻くほどに鮮やかである。

 動物の餌とされてしまったと考える事もできる。森には獣が多い。肉食獣の狼も数多く生息している。林道から逸れて森の奥に入り込み動けなくなった人間の末路は餓死ではなく、狼の餌になるという事も多い。

 失策だった。

 見える位置に自分が陣取れば良かった。

 後悔は先に絶たない。

 起こってしまったことは、消え去らない。

 悔恨は霧散しない。

 カーリャは、強く歯を噛み締める。

 強く、こぶしを握る。

 そして、怒りまかせに。

「くそ」

 と、傍らの木を力強く叩いた。

 葉が揺れる。

 葉が、落ちる。

「ちょっと! 揺れる! 危ないって!」

 上から、声が聞こえる。

 ……。

「……は?」

 上から聞こえる声。

 カーリャは思わず、視線を上げる。

 すると。

 そこには、一生懸命果実を採取するミシューの姿があった。

 ……。

「……ねえ」

「ん?」

「何をしているの?」

「見てわからない?」

「いや、木の実を採っているのは見て分かるけど。なんで? なんで唐突に? なんで唐突に木の実を採っているの? なぜ? なぜなの? 換金するの? 殺すの?」

「違う違う。パン作りに使うんだよ」

「はあ。……はあ? はあ。パン作り。はあ?」

 理解が及ばない。

「いやー。探していたんだよね。ブルーベリー。市場に全然並んでいないからさ。こっちの世界には無いのかなあってちょっと諦めていたんだけどやっぱりあったんだね。良かった。これで、溜めていたレシピが処理できるよ」

「はあ」

「たしか収穫時期は六月過ぎからなんだよね。こっちでいうシュティアの時節の後期に当たるのかな。まだ、収穫には早いから少し糖度が低いかもしれないけど、次にいつ来れるかわからないし、ある程度は採って置かないとね。グラニュー糖や上白糖みたいな精製した砂糖があまり流通しないから中々糖度を出し辛かったんだけど、これでなんとかなりそうだよ」

 そう言いながらミシューが皮の荷袋に詰め込んでいるのはブルーシュの実だった。ゼファーリア大森林の第三林道沿いに生える樹木に生る実で濃く青く丸いのが特徴である。大きさは親指と人差し指で作る丸と同じ程度。一口大の大きさである。

 採取時期はミシューの言う通り六月過ぎからで、市場に並んでいなかったのは単純に収穫時期ではなかったからである。ゼファーリア大森林以外でもいくつかの地域で栽培に成功しており、セインブルグでは割と一般的なのだが、たしかベルファンド王国では土壌や気候的に栽培が難しいと聞いたことがある。

「こっちのブルーベリーは少し大きいんだね。でも、味はさっき食べたら同じような感じだったからなんとかなりそうだと思うよ。潰して生地に練りこんでも良いし、ジャムにしても良いし。そのまま包み込むのも良いかもしれないね。それともブレードに巻き込んじゃおうか。糖度が低いのが気になっていたんだけど、これで味に深みができるね。でも、これだけ大きいとデニッシュの上に乗っけて彩りにするのは難しいかも。大きすぎて可愛らしくないからね。でも、それもやり方次第か。そうそう。バター、こっちではブトゥルムっていうんだけ。バターがあるならバターをふんだんに使ったブルーベリーブリオッシュっていう手もあるよね。シュクレみたいな形にして、最後にそこにジャムを絞って実をのせるの。できればもう少し見栄えを良くしたいけどそれは後日考えましょう。あー、色々と捗って夢ひろがりんぐ。どうしよう、カーリャ。どうしたら良い?」

 早口だった。オタク特有の早口だった。

 出会ってわずかに二日目だが、今まで見た中で一番目が輝いていた。盛りの付いた犬のように何かに興奮しているようだがその興奮している理由がカーリャにはまったく、全然、微塵もわからなかった。ぶ、ぶりぶり? また新しい不思議単語が出てきたぞ、と戸惑うばかりであった。

 一通り鞄に詰め終わり、いい加減満足したのか、ミシューはスルスルと木を伝って下りてきた。普段は運痴の癖してこういう所は器用である。カーリャは雌の山猿のようだと思ったがあえて口には出さないでおいた。

「雌の山猿のようね。殺すわよ」

 いや、やっぱり我慢できなかった。一言、ネチってやらなければ気が済まなかった。カーリャの心は盛りの付いた雄の山猿より狭い。

 この娘、箱入りに見えて実のところ田舎育ちなので幼少のみぎり、木登りや山登りでもして過ごしていたのだろう。そしてきっと大型の肉食獣か何かに悪戯して怒らせたに違いない。きっとそうに決まっている。そういう短慮で短絡的で脳みそがスポンジで出来ているような娘だ。山に帰れとカーリャは思った。

 ミシューはするりと地面に足を付けるとポンポンと埃を払った。すでに昨日から歩き通しで手遅れなのに無駄なことをと、カーリャは思った。

「カーリャ。お待たせ。待った?」

「ええ、待ったわよ。気は済んだ? 時間は希少なのよ。私、とても暇人だけど時間にはうるさいと言ったでしょ。それを待たせるなんて万死に値するわ。ギロチンで切腹よ。殺すわよ」

「さすがに首と腹を両方斬られたら死んじゃうね。あと、言葉がいつも通り乱暴だね」

「転ばすわよ」

「派生だよね。社会的倫理感に気を使えてとても素敵だね」

「とにかく、行くわよ。時間は有限よ。私はいくらでもみんなの時間を奪うけど、みんなは私の時間を一瞬でも、奪ってはいけないのよ。急ぐわよ」

「傲慢だね」

「私は偉いのよ」

「子爵令嬢だけどね」

 実際、ローザンスの丘までは徒歩で時間がかかる。出来れば正午までに丘にたどり着き、日が暮れるまでに引き返したい。スケジュール的にはタイトだが、どこぞの天然で空気の読めない最低最悪な小娘のようにのんびりと気長に木の実拾いなどに興じることなく、普通の足の速さの人間が普通に急げば何とかなる程度の行程であった。

 野営の準備等はしていないので、森で野宿する予定はない。最悪、到着するまでに日が昇り切れば途中でも、そこで折り返すつもりであったが、本音を言えば森を一望できるローザンスの丘までは到着したいとカーリャは考えていた。

 なので、些事に気を取られるという事態は避けたかった。

 避けたかった。

 しかし。

 結局のところ、その願望は叶わない。

 本懐は潰える。

 希望は再び、さえぎられた。

 それも。

 先ほどより最悪な形で。

「ミシュー」

 カーリャは、背後の少女に告げる。

 先ほどのどことなく余裕あり気の抜けた声色ではなく、逆に限界まで気を張り巡らせた、それこそ命のやり取りを控えたかのような緊張感を前面にして。

 触れるは柄。

 向けるは、森の闇の先。

 迂闊だった。

 恐らくは、先ほどの大声で呼びかけたのがいけなかったのだろう。

 ここは危険な森だというのに少々短慮すぎた。

 それが、森に潜む悪魔を呼び寄せてしまったのだろう。

 カーリャは、静かに告げる。

 すぐ背後の少女に向けて。

 まるで、自分が今まで冗談交じりに口にしてきたギロチン台に、実際に誘うかのように。

「魔物よ」

 森の奥から静かに姿を見せるは、人を凶刃により地獄へと誘う死出の番人。狼の姿をした、けれども狼とはまごう獰猛な大型の影だった。



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