Lost Memories.――センリ※

 きみは、自分がどれ程の人を笑顔にしてきたのかも、今は忘れてしまっているんだろう。どれ程の人に愛され、大切にされていたかのかすらも。

 ぼくのことも忘れてしまったのは悲しいけれど、きみにとって“それ”が辛い記憶だというのなら仕方がない。

 それは分かっていても、こうして触れられる距離にきみがいるのに。あの頃と変わらない笑顔で笑いかけてくれるきみがいるのに。同じ記憶を共有できていないという事実が、無性に苦しくて。

 またいつか、あの日のようにぼくの前から消えてしまうんじゃないかと怖くなる。

 ひゅうと流れる風に誘われて、隣で気持ちよさそうに眠るきみの顔を見つめた。規則正しい寝息に、きみが隣で生きていると実感出来る。

 小さい声で「ソウヤ」と、きみの名前を呟く。ただなんとなく、呼んでみただけ。

 その呟きがきみに聞こえることはないと思っていたのに、きみの瞼がゆっくりと開いた。まだ寝ぼけているのか、きみの顔を見下ろすぼくをぼんやりと見つめてくる。ぼくもきみのくろい目を見つめ返した。

「よかった、泣きやんだんだね。大丈夫、わたし圏はずっと傍にいるよ」

 ふわり、と微笑むきみの掌がぼくの頬を優しく撫でる。

 それはあまりにも懐かしい温もり。

 別に疑っていた訳では無いけれど、きみの中に、今でもあの日の少女が確かに存在しているのだと、しっかり思い知らされた。

 懐かしくて、苦しくて、嬉しくて、切なくて。いろんな感情がぼくの中でぐるぐると渦巻いて、そして視界がぼやけたと思ったら、一粒の雫がきみの顔へと零れ落ちていた。

「っえ、ちょっ、センリ!? ど、どうした?」

 完全に睡眠から覚醒したきみが、慌てて身体を起こす。

 自分でもどうして涙が出ているのかが分からないから、説明のしようがない。

 ただ、たぶん。

「僕圏がなんかしたか? 寝言で変なこと言ったとか?」

 きみが、なにも覚えていないからで。今のきみが、ぼくの記憶にいるきみと、重なって見えたからなんだろう。

 ぼくは、あたふたするきみの胸にぽふ、とよりかかった。トクトクと、心地よいきみの心臓の音が聞えてホッとする。

「セ、センリ?」

「……」

 なんと言葉にしていいかわからなくて、きみの背中に腕をまわして、ぎゅうと抱きつく。ビクッと体を震わせたきみの鼓動が、どんどん早くなっていくのを感じる。

 きっと物凄く恥ずかしいと感じているだろうに、きみは無理やりぼくを離そうとしないでいてくれる。そんな優しさが、嗚呼……。

「手、震えてるよ」

「…………」

「……センリが感情を露わにするなんて珍しいな」

 ぼくは長い間、あの隔絶された場所にいたせいで、感情をうまく表現することが出来なくなってしまった。声も、言葉も、うまくでない。

 せっかくきみと一緒にいられるというのに、それがもどかしくてたまらない。だからぼくは念話で、たどたどしくきみに気持ちを伝える。

『こう、してたら、おちつく』

「………そ、そう。なら、もう少しこうしててもいーけど」

 少し照れたようにそう言うきみの言葉に甘える。

 きみの鼓動と、きみの匂いに包まれているこの時間が、とても幸せに思えた。

 だから、ずっと恋い焦がれたきみに触れて、言葉を交わせる今を大切にしていこう。


 それからいくら経っただろうか。タッタッタッと規則正しい足音がこちらへ近づいてきているのが聞えてきた。

「そーちゃーーんっ!」

「ごべぶっ!」

「っ!」

 きみの魔力で人化してしまった帝の仮面、リンがきみの背後から突進してきた。その衝撃でもきみもろとも倒れてきて、少し体が痛い。

 きみとの二人の時間を邪魔されたことにも腹が立つ。けれど、相手は子供だから、と自分を諌めた。


 きみと紡いだかけがえのない日々を忘れてしまったのなら、これから先、もっとたくさんの思い出を作っていけばいい。

 そしていつか、きみが記憶を思い出せた時には、ぼくもあの頃のぼくに戻れるような気がするんだ。


――

―――

あるのどかな日の一コマ。

無口なセンリの内面を描写したかったのだと思われる……。

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