サブリエ――奏夜

 居間の大きな窓から差し込む眩い陽光が、じりじりと白い肌を焼く。じわりと滲む汗。生ぬるい風を起こす扇風機は、もはや意味をなしていなかった。

 夏休みも終盤に差し掛かり、自堕落な生活が出来るのもあと数日。そんな中、真っ白な冊子を前に、黒髪の少女はテーブルに突っ伏して唸っていた。

 冊子の表紙に書かれた『夏休みの宿題』という文字をチラリと見て、深く長いため息をつく。

 そう、黒髪の少女――奏夜は夏休みの宿題がちっとも終わっていなかったのである。

 カラン、と氷が溶けてはねる音。結露した水滴が垂れて、テーブルに水たまりを作った。

 奏夜は投げ出した腕に頬を付け、僅かな涼を求めてコップの中で弾ける炭酸を眺めた。

 しかしすぐにハッとして、このままではいけないとかぶりを振って目の前の冊子に向き合い、鉛筆を構える。

 先程から何度もこの工程を繰り返しているのだが、彼女自身は全く気付いていない。それほどまでに、照り付ける陽射しが全力で奏夜の気を散らしていた。

「一行日記って、なにを書けばいいのかな」

 宿題のプリントがまとめられた冊子の裏表紙に、夏休みの出来事を毎日一行で記す欄がある。

 毎日書いていればそれほど苦にはならないはずだが、溜めこんでしまっては書くこともすぐには思い浮かばないものだ。

「うーんと、あ、夏休みにはいった次の日、桜ちゃんと一緒にうちの庭で花火をしたっけ」

 最初に思い浮かんだのは、得意げな顔で花火を五本同時に点火し、母親にひどく叱られてふくれっ面になっていた少女。学校では見せることのないその表情が、なんとなく記憶に残っていた。

 順を追って思い返してみれば、どの思い出にも全身全霊で感情を表現する美少女の姿があった。ほぼ毎日顔を合わせていたといっても過言ではない。

 部屋で駄弁っていた日が多いものの、海や山、少し遠い街のプールや遊園地にも一緒に行っていた。連れていかれた、と言うのが適切かもしれないが。

「でも、これは書けないよね……」

 一行日記に書いてしまえば、人気者の桜と毎日のように遊んでいたと知られてしまう。そうなれば嫉妬を買い、よりひどい嫌がらせを受けることは目に見えていた。ただでさえ奏夜はクラスの皆に嫌われているのだ。これ以上、扱いが酷くなるのは避けたかった。

 結局、奏夜は当たり障りのない所だけを抜き出して、他は適当に想像して書いた。

 自分が書かなくても、桜が書いてしまうという可能性まで読めていないあたり、幼かった奏夜の詰めの甘さが伺える。


 暑い暑いとうわ言のように呟きながらも、漢字の書き取りなど簡単に出来そうなところだけはなんとか自力で終わらせた。午前中から夕方まで粘って終わったのは三分の一程度だが、よくやった方だと奏夜は自分を褒めた。

「残りは、おとーさんに手伝ってもらおう……手伝ってくれるかな?」

 算数は端から自力で解くのは諦めて、高校で数学教師をしている父親を頼ることに決めていた。

 普通なら手伝わずに自力でやれと逆に叱られてしまうところだが、父親は奏夜に激甘なため、頼めば確実に引き受けてくれる。そんな事とはつゆ知らず、奏夜は怒られたら怒られた時だなぁと呑気に考えていた。

 気の抜けたサイダーを飲み干して、せめてもの賄賂にと、汗だくになって帰ってくるであろう父親のためにはちみつたっぷりのヨーグルトラッシーを作って冷やしておくのだった。



――

―――

夏休みの宿題を貯めに貯めて、終わらないと嘆く奏夜の話でした。

結局はお父さんに手伝ってもらって宿題は無事提出できた。


Twitterのワードパレットをお借りしています。

22.サブリエ【散る・日記・庭】

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