死神の罰――フラーウム※

 朝が来る。おかあさん、わたしのことが嫌いなのですか。

『大好きだったわ。あんたがあの人を私から奪うまではね』

 髪を引っ張られる。憎しみを宿すおかあさんの瞳が、炎みたいに燃えていてきれい……なんて場違いな事を考えた。瞬間。じんわりと頬に痛みが広がって、ぶたれたのだと気付く。

 ――痛い。

 でも、これはおかあさんを傷つけたわたしが悪いの。そう、これは仕方ないこと。

 だからわたしは、次々に振り下ろされる理不尽な痛みに耐え続けた。時には刃物で切り付けられることもあった、息が出来なくなるまで顔を水につけられたこともあった、背中を炎で焼かれたこともあったけれど、いつも決まっておかあさんは涙を流していた。

 自分もおとうさんに愛されたいのだと、そう嘆いて。あの時、わたしはどうすればよかったんだろう。どうすることもできなかった自分を恨んだ。


 夜が来る。おとうさん、わたしのことが嫌いなのですか。

『嫌いな訳ないだろう、世界で一番愛しているよ』

 そう言ったおとうさんの劣情を滲ませた昏い瞳が、怯えたわたしを映す。おかあさんにぶたれて赤く腫れた頬をふわりと優しくなでられて、肩が震えた。震えるわたしを見て、おとうさんは愉快そうに口の端を歪ませる。恍惚とした面持ちで荒い息を吐くおとうさんの唇が、わたしの耳をゆっくりと這った。その、虫が蠢いたようなおぞましい感覚に悲鳴を上げそうになるのを堪える。

 その感覚は耳から首筋、肩、胸……。ゆるゆると下へ下へと下っていく。

 おかあさんとは真逆の優しい手つきでわたしの体に触れるおとうさんは、愛しそうにわたしを見る。

 いやだ、やめて。わたしをそんな顔で見ないで。

 ごく優しく与えられる刺激にきつく目を瞑って耐える。大人しくしていたら、すぐ終わるはずだから。

 そんな風に考えるわたしが気に食わなかったのか、内腿をおとうさんに強く噛まれた。突然の痛みにちいさく悲鳴を上げ、反射的に身を捩る。

 怯えた瞳でおとうさんを見ると、彼は満足そうに微笑んで、わたしの瞼にキスを落とした。

 こんなのは異常なんだって、幼いわたしでも分かっていたのに、あの日まで拒否できなかったのはそれでも愛されていたかったからか、諦めていたからか。

 もう遠い昔の事で思い出せないな。


 あの日は、おかあさんもおとうさんも揃って朝から家に居なくて、独りぼっちだった。

 物心ついてから初めて一人になって、おかあさんとおとうさんが急に怖く思えてきた。何故、急にそう思ったのかは分からない。

 切りつけられた手首から止めどなく溢れ出る赤のせいだったのか、体中についた“痣”のせいだったのか。 

 とにかくあの時、急に今までの事が辛く思えて、これからもこんな辛い思いをするのは嫌だと願ってしまった。

 倦怠感の残る体に鞭打って窓際に近づくと、外を仲良さそうに歩くおかあさんとおとうさんが見えた。見えてしまった。

 それを見てようやく、わたしが邪魔者だったんだって。わたしなんていないほうが二人は仲良しさんなんだって気付いて、もうどうでもよくなって、そのままわたしは窓から飛び降りた。

 もう死んで楽になりたかった。

 穢れたこの体を捨ててしまいたかった。


 なのに。


『アッはッは! 死んだら楽になれるとでも思ったァ? そんな訳ないじゃん。馬鹿だねェ? 自らの命を自分で絶つような傲慢なクズに楽になる資格なんてあると思わないでよ。周囲が原因で辛かったんだとしてもねェ、自分で環境を変える努力もしないで“死ぬ”っていう逃避方法を選んだお前は間違ってるんだよ。その選択を一生後悔し続けろ』

 気付けば、額から角の生えた女の子にそう捲し立てられていた。

 誰だろうと思う間もなく、その角の人に肩をドンっと押されて、抵抗も虚しく後ろにあったらしい穴へと、わたしは堕ちていった。暗く、深い、場所へ。

 ぱちりと目を開ける。いつの間にか気を失っていたみたいだ。わたしは死んだはずなのに、さっきから一体どうなっているのだろう。

『冥府へようこそ、お嬢ちゃん』

 どこからか、声がした。

「おじょ……お嬢! お嬢、起きてください!」

 棒状のものでわき腹をつつかれて、意識が急上昇する。

 どうやらわたしは寝てしまっていて、夢を見ていたようだね。随分と懐かしい夢を見たものだ。

 目を開くと、わたしの大鎌を持ったオウィスの姿が見えた。

「やーっと起きてくれましたか」

「あは、おはようオウィス! いい朝だね!」

「もう夜です。仕事行きますよ、とりあえず涎ふいてください」

「涎出てた!?」

「冗談です」

「もーっ!」

 大丈夫、大丈夫。忘れてない。

 これは罰。

 自らの命を絶った者に対する罰。

 この罰から解放されるには、死んで楽になりたいと願わない事。過去を忘れて死神の職務を全うする事。

 わたしは今でも自分の姿を見るたびに嫌悪感で体が震えるし、死にたいと願ってしまうけど、死神になってしまった以上、死ぬことは許されない。もう既に死んでいるようなものだから。

 ああ、早く罰から解放されて、楽に、なりたい――。



おまけ


「お前、アレは言い過ぎだったろ、まだ幼い子だったのに……」

「自分で死を選ぶ馬鹿にはあのくらい言ってやればいいの。楽になりたくて命を絶ったァ? ふざけないで、命をなんだと思ってるワケ? 楽になる方法なら他にもあったろうに、よりによって死を選ぶとかホント最低の選択だから」

「……たとえお前がそう思うんだとしても、もっと優しくしてやれって。少なくとも説明もしないで突き落とすのはやめてやれ」

「い、や、だ、ね。というか、自殺したゴミが死んだ後の方が生き生きしてるとか滑稽すぎて虫唾が走る。お前は死にたかったんじゃないのか、って」

「お前ほんとなんでこの仕事してんだよ……」



――

―――

死神、フラーウムの生前の夢。

彼らは幸せにはなれない……。

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