幸福を祈る花冠――カノン※

「お兄さま! どうしたのですか?」

「……いいや、なんでもないよ。あまりにも天気が良くて、少しぼーっとしてしまったみたい」

「風がここちよいですものね。アシュリーも、ぼーっとしてしまいそうです」

 隣で満開の花のように顔を綻ばせる弟につられて、オレにも自然と笑みが浮かんだ。風が頬を撫で、髪をさらう。

 そうだった、弟に強請られて王都郊外の丘に来ていたんだった。ここは見晴らしが良く、王都を一望できる隠れた名所だ。水の都と呼ばれる王都アクアの街は水路が多く道が迷路のように入り組んでいる。この丘の上から見るとまさに迷路の絵図のようで面白く、オレも弟もこの場所が好きだった。

 今日は天気も良く、春の麗らかな日差しと花の香りを運ぶ風が心地よい。花咲き乱れる野原に腰を下ろして、弟と共に寛いでいた。ここは家にいるよりもずっと心休まる。アレらと顔を合わせることも無いし。なにより、弟に寂しげな顔をさせなくて済む。

「おーにーいーさーまー! アシュリーの話をまた無視して!」

「ご、ごめん。次からはきちんと聞くよ」

 弟は頬を膨らませ、眉を吊り上げて怒ってみせる。どうやら、オレに話しかけていたらしい。考え事をすると周囲が疎かになる悪癖は直さなければ。

 咄嗟に謝るものの、すっかり愛想つかされてしまった。拗ねた様子で立ち上がり、少し離れた花畑に走って豪快に飛び込んでいく。女児のように華奢で可愛らしい容姿の弟だが、こういう豪快なところは男らしさが垣間見える。

 ふわり、花弁が舞う。緩やかに落ちてきた白い花弁が弟の赤茶の髪を彩った。

 オレはそれを微笑ましく思いながら、弟の機嫌を取りに腰を上げた。

「アシュリー、さっきは考え事をしていた兄様が悪かった。ごめん。機嫌を直してくれないか?」

「ふーんだ。お兄さまなんてしりません」

 そっぽを向いて、乱暴に花を手折りながら器用に花冠を編んでいく弟。さすがに謝っただけでは機嫌を直してくれないか。

 しかし、オレはアシュリーの機嫌を治すとっておきの言葉を知っている。一呼吸置いて、その魔法の言葉を口にした。

「お詫びに、帰る途中でアシュリーの好きなケーキを買ってあげるから」

「ケーキ……! 約束ですよ、お兄さま!」

 瞬間魔法にかけられて、薔薇色の瞳をキラキラさせてこちらを振り向く現金な弟に苦笑しながら「約束だ」と頭を撫でてやる。アシュリーは完成した花冠を手に持ちながら、嬉しそうに目を閉じて無防備に身を委ねてきた。

 こんな風に甘えてくるなんて珍しいと考えて、ハッとした。家ではこんな隙を見せることさえ許されない。今日ここに来たいと強請ったのはあの場所にいるのが限界だったからなのではないかと、今更ながらに気づいたから。

 母の疎ましげな瞳に晒され、父に無いものとして振る舞われながらも、普段は気丈に振る舞ってみせる弟でも限界は来る。その事を分かっていたつもりで、守っていたつもりでいたのに、何も見えていなかった自分が腹立たしい。無力さに唇を噛んだ。

 オレに凭れかかったままいつの間にか寝息を立てるアシュリーを楽な体勢に移動し、ついでに手から落ちた花冠を被せてやった。妙に様になっていて、少し笑えた。

 今はまだ辛くとも、アシュリーの進む先が幸福に満ちていることを祈って、額へ軽く口付けを落とす。その幸福な未来にオレが変わらずいることを願った。



「カノンくん、そんな所で寝てたら風邪ひくぞー」

「ん。……ソーヤか」

「ソーヤですよー。珍しいね、優等生のカノンくんがこんな所で寝過ごすなんて。もう後半の授業始まってるぞ」

 しゃがんで頬杖をついたソーヤが目の前にいた。藍色の髪から覗く光を吸い込む漆黒の瞳で、愉快そうにオレを見ている。

 制服の襟は乱れ、赤いタイが緩んでぶらさがっていた。髪はあちこちハネていて、直前まで寝ていたのではないかと推測出来た。

「お前も人のことは言えないだろう」

「いや~今日はお日様ぽかぽかでお昼寝日和だよね! あっはっは」

 悪びれもせずに笑う姿はいっそ清々しかった。



――

―――

カノンとアシュリー兄弟の幸せだった昔の夢の話。

早くアシュリーを出したいなあ

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