守護精霊の祝福――水・風・炎・地・炎※

水精霊の祝福――ウンディーネ


 また同じ夢を見た。ボクが見えないと泣くキミの涙を、拭うことさえ許されなかったあの日の夢を。


 キミと出会ってからの日々が楽しくてすっかり忘れていたけれど、人間と精霊の世界が交わることは無い。あの時になって改めてそう突き付けられた。

 〝守護精霊・ウンディーネ〟の代替わりを経て戦争は終焉を迎え、平和になりゆく今代だったから、イレギュラーなボクなんて誰にも気付いてもらえないまま三百年と少しの時を守護して泡のように消滅するものだと思っていた。

 だからこそ、キミが初めて話しかけて来た時は酷く驚いたし、同時に歓喜に沸いた。

 そのせいで、知らなかった頃よりずっとずっと寂しくて、虚しくても。

 ボクが誰の瞳にも映らないとしても。

 キミの望むこの国の未来が幸せに満ちているのなら、ボクはきっとそれだけで充分。




風精霊の祝福――シルフ


 都合の良いお伽話に夢を見ていた彼女へと、花の雨を贈ろうか。

 私にはそのくらいしか出来ないから、せめて灰色の世界に彩りを添えてやりたいと思った。


 初めて見かけたとき彼女は、冷たい雨が降りしきる戦場を激流のような荒々しさで駆けていた。

 自らの命を危険に晒す戦い方に興味を惹かれて、私は気まぐれにその女性を観察してみる事にした。瞬またたく命の行く末への、ただの好奇心だった。


 彼女は誰にも涙を見せない人だった。

 戦火に巻き込まれて死んだ子どもたちを見た時も、彼女以外の団員が全て殺された時も、配偶者が戦場で命を落とした時さえも。

 彼女が出陣する戦場は全て雨天。

 空が、泣けぬ彼女の代わりに泣いているようで。

 鉄臭さを纏い、血の雨で赤く染まった彼女の姿が、ただ哀れだった。


 いつしか戦は終わり、私の国の空は晴れてゆく。

 それでも彼女の空は。


 虚ろな目の彼女は生きる目的を失って、目に見えて消耗していった。

 毎日、花を贈った。私にはそれくらいしか出来ないから。

 ある日、いつもの様に花を届けに行くと、彼女はおもむろに自らの胸に手を当て、魔法の詠唱を始めようとしていた。水魔法には詳しくない私でも、それが攻撃魔法だということはすぐに分かった。彼女が戦う様を、ずっと見続けてきたのだから。

 自殺する気だと悟り、思わず声を上げた。彼女には私の声が届かないと、理解していても。


 無力な私が何も出来ないまま、滞りなく詠唱が紡がれる。

 ああ、あと一節で、魔法が完成してしまう――。

 寸でのところで、かつて彼女と背を合わせて戦った男が駆けつけた。彼は魔法を強制的に解除させると、真剣な表情で言った。

 一人で苦しまなくていい、自分も共に背負うから、一緒に未来へ歩もう、と。

 男の真摯な言葉に、呆気に取られた彼女。大きく見開かれた瞳から、はらはらと透明な雫が溢れ出す。

 彼女はこの時、ようやく泣く事が出来た。感情を冷たく覆っていた氷が解け出すようにぼろぼろと大粒の涙を流し、大きな声を上げて。


 私は守護の祈りを捧げ、彼女らの幸せを願った。


 そして今、戒めのように数百年を生きた彼女は、とても自然に笑えている。良い仲間たちとの出会いと別れを繰り返し、あの日の痛みも風化させて。

 砂糖たっぷりの甘い紅茶を淹れる彼女に、今日も祝福の花を捧ぐ。

 ああ、世界は限りなく優しい。




炎精霊の祝福――サラマンダー(先代)


 ぱちりと目が合った。視線の先には人族の童子。

 童子は稀な白銀の毛髪と、歳にそぐわぬ濁った瞳を持ち、人族ならざる程の魔力量を有していた。どろりと澱んだ灰の瞳が、儂の姿を真っ直ぐ捉える。

 〝見える〟者との邂逅は久方ぶりで、面食らう。儂は不覚にも、近くに仕掛けられた拙い魔法陣に捕まってしまった。逃げ出そうとするも、ひょいと尻尾を摘み上げられ、失敗に終わる。

「あ? んだコレ。蜥蜴?」

『ぐ、やめんか!』

「喋った……知能のある蜥蜴の魔物かぁ? テレパシーの使える魔物は初めて見たな」

 童子は儂の声も聴こえるようであった。ますます稀有な人族よ。

 むんずと胴体を無遠慮に掴まれ、至近距離で観察される。ぐえ、と無様な声が出た。

(売ったら金になるか? もしくは実験の材料に……)

 不穏な心中が聞こえてきて、さすがの儂とて落ち着いてはいられぬ。表皮を燃やし炎の膜を張る。人族の皮膚では耐えられるはずもない高熱だ。童子は反射的に儂を離し、難を逃れた。放り出された儂は、岩に着地。

 呆然と己の手を眺める童子を横目で眺め、暫し思案する。大きすぎる力と理不尽な運命を押し付けられた、童子の行先を。


 去り際、童子の体内にある魔力の核を、幾ばくか破壊した。強大すぎる魔力は僅かずつ体外に漏れ出し、いずれ人並み程度の魔力量に落ち着くであろう。

 そして、儂らの声も聴こえなくなるよう処理した。無用な諍いに巻き込まれぬためにも、その方が良い。

 守護精霊である儂の姿が見えたこの童子が、激しく燃え盛る大いなる運命の炎に呑み込まれてしまわぬようにと、せめてもの祈りを。


 だが、きっともう、全てが遅すぎた。

 次代のサラマンダーに祈りと願いを託すしかない無力さは、いずれこうなると理解していても辛いものがある。

 儂が還ったのちの世を案じ、深く息を吐いた。




地精霊の祝福――ノーム


 探し物はここにあるのに、別の場所ばかりを探しているような気がしていた。

 

 ──消滅。それは守護精霊にとって当然の摂理であり、定められた結末。一個体が足掻いたところで、それを覆すことなど出来るはずがない。そのはずだった。

 しかし何の因果か、ワタシは辿り着いてしまった。

 ワタシという個が存在し続けられる方法に。風とは違う。記憶を引き継ぐようなやり方ではなく、ワタシがワタシであり続けることが可能なやり方で。

 世界を廻す歯車にすぎない矮小な存在が、運命を変えることは神々に叛く行為に他ならない。ワタシが成したのは、そういう事象だった。

 それを承知で、自分勝手な願ネガイに手を伸ばした。

 己が国を他の地精霊に託すのではなく、ワタシ自身が見守り続けてゆきたいという願。それは消滅の恐怖からの逃避でもあった。

 かつてノーム守護国は滅亡の危機に陥った。現在は持ち直したものの、一度思い知った消滅の恐怖は今なお心を蝕む。それは守護精霊としてあるまじき不要な感情。

 あの時からワタシに守護精霊たる資格はすでになく、ただその座に醜くしがみつくだけの愚かな存在へと成り下がっていたのだろう。

 土の棺に横たわる自分圏の姿を見下ろす。泥人形のように生気のない顔、ひび割れ崩れかけた手足。祝福を授ける側とは到底思えない有様を見て、嘲笑気味に唇を歪ませた。

「おーいノーム。あたしが会いにきてやったぞ!」

『……そのような気軽さで聖域に入ってくるのは、アナタくらいなものですよ』

「褒め言葉として受け取っておこうかね」

 大声を上げながら訪ねてきたのは、我が国の指導者であるノーム騎士団の女団長。恐れも礼儀も知らぬ、大胆不敵な人族の女性だ。人族の少ないこの国で、持ち前の胆力と豪運を遺憾無く発揮しのし上がった傑物。

 そして聖域にずかずかと入り込み、ワタシの本体を見つけ出した唯一の存在でもある。

 生命力に満ちた彼女には、この墓場じみた地下洞窟の陰鬱さは似つかわしくなくて、思わず目を細めた。

「守護精霊サマは、今日もジメジメしてんなぁ。ちゃあんと外に出て日に当たっているのか?」

『日の光など、ノームであるワタシには不要なのですがねぇ』

「そういう屁理屈は今求めてないんだわ」

 彼女はやれやれと首を振る。これだから陰気な奴は、などとぶつぶつ文句を垂れて、ぞんざいな仕草で地べたに座り込む。

 守護精霊相手でも、清々しいほどに対等な態度が好ましい。ワタシのことを視える者とは過去に何人か出会ったが、こんな人物は初めてだった。

「よぉし、ノーム。あたしがその根性を叩き直してやろう!」

『必要ありません。待ちなさい、なんですその笑みは!』

 腕まくりをしてやる気満々といった様子の彼女を見て、思わず顔が引き攣った。


 ワタシの国──彼女らの命の煌めきは、暗闇に目が慣れすぎたワタシでは直視できないほど強く、眩い。

 それらの輝きが最期を迎える時まで、ずっと見守り続けてゆこう。変わることのない祈りの言葉と、ともに。




炎精霊の祝福 弐――サラマンダー


 振り返ることはできなかった。

 大好きだったあのひとのチカラが、うずくまるオレへと流れ込んでくるのを感じて、振り払うように首を振った。

 憧れだったけど、目標だったけど、大切なひとを犠牲にしなければいけないのなら、手を伸ばしたりはしなかった。

 守護精霊の寿命は四百年近くあるはずなのに、二百年あまりで役目を終えるなんて、あまりに早すぎる。かの地精霊は五百年以上も存在し続けているというのに、どうして。

『泣くでない、坊。誇り高きサラマンダーの名を継ぐ者が、そうメソメソするな』

 背後にいたはずの彼が急に目の前へ現れ、かぱっと威嚇するように口を広げた。魔力のほとんどを失って消えかけている姿が、ぼやけた視界に映った。

 あんなに大きい存在だったのに、今はこんなにも弱々しく、小さい。

 込み上げる嗚咽を抑えきれず、泣くなと言われたばかりなのに自然と涙が溢れ出す。手のひらに爪を立て、歯を食いしばり、力の限り拳を握った。

「オレは、オレはこんなのを望んでたわけじゃないッス。なんで……ッ」

『随分前から予兆はあったのだ。坊の選択如何の問題ではない』

 反論を許さない調子で無情に告げられる。その声はどこまでも落ち着いていて、往生際悪く喚き散らすオレを咎めているようだった。

 頭ではすでに分かっている。たとえオレが手を伸ばさなくとも、別の誰かがその器に選ばれていたことを。

 彼が遠からず消滅する事実に変わりはないし、未熟なオレに出来ることなど何もない。

 無力さで俯いた拍子に、ぺたりと小さな前足がオレの鼻に触れた。鋭い熱さを感じ、反射的に顔を上げる。

 視界に映る火蜥蜴の姿。息を飲んだ。もう尻尾の先が完全に消え失せていた。

 驚くオレの声を遮って、彼は話し出す。

『儂はこの国が好きだ。賢人も愚人も、動植物も皆等しく愛おしい。まあ、炎を冠するせいか、少しばかり血気盛んなものが多いがな』

 そう言い、爬虫類の姿で器用に喉を鳴らした。

 ああ、後ろ足まで消えてきている。何か言いたかったのに、喉が詰まって声が出ない。もどかしさに唇を噛んだ。

 そんなオレをジッと見上げ、火蜥蜴はゆっくり瞬きをした。

『……次代の〝サラマンダー〟よ。この代替わりが、我が国に安寧を齎すものになることを祈っておる。あとは、頼んだぞ』

 その言葉を最後に、彼の体がぼうと燃え上がる。オレは呆然と座り込んだまま。

 うねるように勢いを増す業火の中から、よく見なれた褐色の腕が伸びてきて、オレの頭を乱暴に撫で回す。大きくて豪快な、慣れ親しんだ温もりに鼻の奥がツンとした。

 名残惜しそうに頭を離れた手が、昔みたいに額を小突き、再び炎に飲み込まれていく。

「首長……!」

 思わず伸ばした手は届かず、空を切った。炎はさらに勢いを増し、火の粉が舞う。

 オレは乱暴に目を擦り、先代の最期の勇姿を焼きつけるために、瞬きも忘れて見つめ続けた。

 

 オレを選び、託してくれた先代の為に、彼が愛したこの国を守護していく覚悟を。

 いつかこの国を愛せるように、オレの国だと胸を張って言えるようにと、願って。



──

───

守護精霊たちによる掌編

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