青き花の丘にて誓う――オルラとクロノス※

 見渡す限り一面の青。そう聞いて連想するのは空か、海か。


 人が滅多に足を踏み入れぬ、鬱蒼たる森を抜けた先にその場所はあった。淡い青色の小ぶりな花が地面一杯に咲き乱れる青き丘。

 そこに一人の小柄な女がいた。そわそわと周囲を気にしながら、花をひとつ手折って自身の髪にそっと差し込む。魔法で水鏡を発現させて覗き込み、笑ってみる。引きつった笑みの自分が映り、ひとつため息を吐いた。

 そんな女に、背後から近付いてくる男が一人。

「オルラ! 悪い、待たせたか?」

 オルラと呼ばれた女は、飛び上がるように振り返った。黒と薄水色のハーフツートンヘアーが大きく揺れる。

「っ……! クロノスッ、貴方、その足音を消す癖はやめて! びっくりするじゃない、もうっ」

「ぶはっ! おまえ、それが魔王様の言う台詞かよ」

 愉快そうに噴き出す、薄茶の髪の男――クロノスという名の勇者だった圏男だ。

 両者は、決して相容れないはずの勇者クロノスと魔王オルラ。

 長らく敵対してる二種族。その象徴である二人が親しくするのは、人族にも魔族にも理解されようのない、異質な光景だった。

 しかし同時に、両種族が手を取り共存する夢物語のような光景でもあった。


 ひとしきり笑った後、クロノスはオルラの姿を見て、いつもと違うところがあるのに気付く。

「あれ、その花、可愛いな? 似合ってる」

 ごく自然な動作で、するりと指を髪に絡ませる。オルラの大嫌いだった、右半分の黒い方の髪に。

 クロノスの人懐っこい笑みを間近で見てしまい、みるみるうちに赤く染まる頬。オルラはわなわなと唇を震わせて、対面する彼を睨むように見上げる。

 何かを言ってやろうとしたものの、手の甲で慈しむようにやさしく頬を撫でられて、結局何も言えないまま視線を落とした。惚れた弱みというやつである。

「ああ、ここに咲いてる花なのか、それ」

 クロノスはいい雰囲気を天然でスルーし、しゃがみこんで地に咲く青い花を人差し指でちょんとつつく。よく見ると中心部は白く、外側に向かうほど青が濃い花だった。

 心の中で「鈍感!」と叫び、釈然としないながらも、オルラは彼の言葉を肯定する。

「ええ、綺麗な花でしょ。それにこの場所も」

「ああ、こんな場所があったなんて知らなかったな」

 言って、眼前に広がる光景を仰ぎ見た。オルラも隣にしゃがみ、同じようにする。

 一面に広がる花の淡い青色と澄み切った空の青色が重なり合ってグラデーションを作り出し、境界線を霞ませる。淡く発光する蝶が花畑の上をひらりひらりと優雅に舞い、虹色の蜜蜂は花から花を渡り歩く。

 鳥のさえずりが奏でる幻想の調べが、現実から切り離されたこの空間を彩っていた。

「世界には、私たちのまだ知らない美しい光景がきっとたくさんあるわ」

 地面に腰を下ろして、遠くを見つめたままオルラは口を開く。凛とした横顔が美しかった。

「こんなに美しい世界を、戦火で包みたくはない。……けれど一人では、魔族と人族の恨みの連鎖までは断ち切れないわ」

「オルラ……」

「ねえ、クロノス。今日はこの話をするために貴方を呼んだの」

 柔らかく吹き抜ける風が、オルラの髪を攫う。髪を手で押さえて、クロノスを見た。藍の瞳に、決意の光を宿す。

 その佇まいには、小柄で華奢な女とは思えぬ凄みがあった。

「私は同族を大勢殺した人族が憎い。……貴方の事もよ、クロノス」

 底冷えするようなインディゴの瞳に見据えられ、クロノスは総毛だった。冷や汗が顎を伝う。息を呑んだ。

 いくら普段はちゃらんぽらんな男であろうと、仮にも勇者。警戒しながら、腰に下げた剣の柄に手をかける。

 彼もまた、師や仲間を魔族に殺されていた。憎いのはお互い様だった。

「……でもね、憎しみ合ったところで何も変わらないのよ。私と貴方が、世界の歯車として殺し合う運命に組み込まれるってだけ。それでどちらかが死んで、おしまい」

「つまり、おまえは何が言いたいんだ?」


「クロノス……私は貴方を許すわ」


 束の間の静寂。一触即発の雰囲気は霧散し、二人の間を爽やかな風が抜けていく。

 驚きに目を丸くするクロノスを見て、オルラは困ったように微笑む。

「急にごめんなさい、それを伝えたかっただけなの。……貴方がそんなに驚くのは予想外だったわ」

「いや、そりゃ驚くわ! 急に魔王っぽい雰囲気出すんだもんよ。こんな綺麗な場所で最終決戦かと思って焦ったぞ……」

「貴方、今まで私とそれなりに言葉を交わしてきたのにそんなことを思ったの? 心外だわ」

 今度はオルラが驚く番だった。

 顔を背けてへそを曲げるオルラに謝り倒してなんとか機嫌を直してもらったクロノスは、花をひとつ手折ると器用に花指輪を作る。

 そして、不思議そうにクロノスの手付きを眺めていたオルラの手を掬いとった。

「オルラ」

 いつになく真剣な眼差し。

 触れた手から伝わってしまいそうなほど、オルラの体温は上昇し、心臓が早鐘を打つ。

「な、なによ?」

「俺も、お前のことを許す! ……といっても、とっくにお前個人には恨みも憎しみも持ってなかったけどな」

 人好きのする笑顔を浮かべ、オルラの白魚のような指に青い花の指輪をはめた。

 オルラは目を見開いて彼を見つめる。彼もいつかは同じ気持ちになってくれることを期待していたが、こんなにも早く応えてくれるとは思いもしていなかったからだ。

 しかし彼女が驚いたのは一瞬で、花が咲くように、たちまちぱあっと破顔した。それはそれは可憐で美しい笑顔だった。


 この青い花の花言葉は『どこでも成功』『可憐』『初恋』。

 そして――『あなたを許す』。

 それをオルラが知っていた訳では無い。が、何故だかどうしてもここで伝えたいと思ったのだった。

 吹き上がる風に乗って青い花片が舞った。あなたを許すとお互いに誓った、二人を象徴するかのように。



――

―――

かつての魔王と勇者であり、センリの両親でもあるオルラとクロノスのお話。

魔王と勇者のこういう関係がけっこう好きです。

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