不必要な自己犠牲――ヨルナ※
街ではそこそこ有名なお貴族様の馬鹿でかい屋敷。そのベランダで、男が糸の切れた操り人形みたいに脱力し、前のめりに倒れる様を私は見ていた。倒れた男を暁の空が照らす。
もし今の光景を誰かが目撃していても、まさか彼が“射殺された”とは思わないだろう。
血は一滴も流れず、銃声も聞こえず、苦痛に声をあげる間もなく、倒れただけなのだから。
いい加減、私に任務圏を回してくるのはやめて欲しい。
心の中で不満を漏らしながら、両手に握る魔導銃をホルスターに収め、ひとつ息を吐いた。
王国潜入中、学園に通っていれば任務の量が減らされるんじゃなかったんか。そっちが契約無視するなら私も命令無視したってええって事やんな?
苛々と左耳のピアスを指先で引っ張るように弄り、みったんへと念話を繋げる。
『みったん、後処理』
『ええ、分かっているわ。それよりヨルナ、ルカさんが貴女がいないことを心配してる。早く戻っ』
頭の中に、みったんの艶やかな声が響く。不快なその声に顔を顰めた。
――ほんと、あの女とよく似た、厭な声。
強制的に念話を終了させ、私は転移の詠唱を始めた。
寮の部屋へ入ると、どたどたとルカぴょんが駆けてきた。
「ヨルナー! こんな朝から、一体何処に行っていたんだい!」
「ちょっと散歩。ルカぴょん、今日は珍しく早起きやね」
「ふふん! フェンリルくんに起こされずとも、ぼくが本気を出せば、朝に早く起きることなんて造作もないのさ!」
ルカぴょんは得意げな顔をして胸を張った。
いつも起きるのを渋って狼くんを困らせてるくせに、たいした自信やねぇ。
勝手に機嫌を良くしたらしいルカぴょんが、私の手を引っ張り部屋の奥へと移動した。そして珍しく紅茶まで自ら入れて、席に着く。
いったいどういう風の吹き回しや。……紅茶、入れ慣れてないからまっずいけど。
「ヨルナ、ヨルナ。実はね、今日は王都でお祭りをやっているんだよっ」
「へえ、祭り」
「うん! だーかーらー」
若草色の瞳を輝かせるルカぴょんを見て、次に言おうとしている言葉はだいたい予想がついた。
きっと、「一緒にお祭りに行かないかい?」だ。
しかし何故、私を誘うんや? こういう時こそ愛しのフォンくんとやらを誘う絶好の機会のはず。もうすでに断られたから、その代わりって事なんかな。
「一緒にお祭りに行かないかい? ヨルナに拒否権はないけどね!」
「……はぁ。一年の緑髪くんには振られたんか?」
「しっ、失礼な~! 違うよ、ヨルナと一緒に行きたいって思ったの!」
むっとした顔でそう言われてしまった。
毎日ストーカーの如く追い回している程大好きな緑髪くんよりも、私と、と望んでくれるんか。
正直、うれしい。
しかし、顔には出さず「……拒否権がないなら行くしかないやんね」とつっけんどんに告げた。
それでも、それだけでルカぴょんは嬉しそうに太陽の笑顔を見せた。
その顔にどれだけ私が救われているかも知らないで、アホ面を晒す彼女の鼻をつまむ。苦しそうにふがふがしていて笑えた。
彼女が言うには、祭りは昨夜から夜通し行われていたらしい。
昨夜は別の街に行っていたし、帰ってくるときも学園の結界ギリギリに転移したから、気付かなかった。
試しに遠耳の魔法で王都の様子を探ってみると、どんちゃんと賑やかな音や声が聞こえてきた。
一晩中寝ずに騒ぎ通しても、まだまだ元気が有り余ってるんか。本当にこの国の人達はパワフルやなぁ。
学園の敷地を出て中心街まで歩く。閑静な居住区を抜け、徐々に祭りの賑やかな音が耳に聞こえてくる。
あっちでは、こんな呑気な祭りはなかった。思わず炎を冠する母国の事を思い出して、乾いた笑いが零れる。
シルフ王国の首都ウェントゥスは常日頃から活気に溢れた街やけど、今日は特別騒がしい。祭りの中心である広場までやってきて、改めてそう感じた。
まだ日が昇ったばかりだというのに大勢の人が各々祭りを楽しんでいるのが端からでも見て取れる。
これだけ人が多ければ任務を遂行するのも容易くないな、などとつい考えてしまうのは、長年の経験による悪い癖か。
「うひゃー、朝なのに思ってたより人が多いね!」
「そうやね。これじゃ、屋台を見て回るだけでも一苦労やなぁ」
「でもさ、この雰囲気が楽しいじゃないか。ねっ?」
笑顔のルカぴょんに手を引かれて、私たちは人の波に入っていった。
それから私たちは日が暮れ始めるまで、散々祭りを堪能した。
異国の食べ物の屋台や旅芸人たちの見世物、景品の当たる運試し。
中でも私は射的っていうのが気になったな。威力の弱い魔導銃で景品を撃ち落とす、遊び。
やけど、魔導銃って一般には出回っていないはず。なんで祭りの出店なんかにあったんだ?
加えて、あの魔導銃は私のと違って、扱う本人の魔力を必要としないみたいやった。そんなのあの国でも開発されてない、はずだ。
しかもあの店員、ルカぴょんと知り合みたいやったけど、あれは危険だ。近付くべきではない。
直視したら呪われる圏という、黒い死神の目。そんな目を持つ人間なんて普通やない。
呪われるだなんて今まで信用してなかったけど、本当に光すら吸い込む歪な瞳だった。あれはあながち嘘ではないのかもしれない。
「ヨルナってば、射的のセンスあるんだね! 初めてなのに景品ぜんぶ撃ち落とせるなんてすごい!」
「……あー、まあ、ルカぴょんよりは器用やし」
「あ! またそういう事言う! たしかにぼくは一つも撃ち落とせなかったけどっ」
ぷくっと頬を膨らませてわざとらしく怒ったという顔をしながら、私が撃ち取った景品のお菓子を爆速で放り込んでいくルカぴょん。
こういう顔をする時は本気で怒っているわけではないから、大丈夫。
適当に謝れば、「こら」と軽く小突かれて、お互いに顔を突き合わせて笑い合う。
一時は緊張したけど、今日は楽しかったな。こういうのを幸せって呼ぶんやろな。
『……ヨル』
突然、キィィンと耳鳴りのような音。次いで、頭の中にこの世で一番嫌いな低い声が響いた。
あの人からの念話だ。直接念話をしてくるなんて珍しい。
嫌な予感がした。
『……何』
『フフ、丁度そこでやってもらいたい仕事がある。今の場所からすぐ近くだ。隣の可愛い娘さんに気付かれないでやれるだろう』
『学園生と一緒にいる時は仕事をまわさない契約やろ』
苛々と左耳のピアスを指で弄る。
あの人はどこかで私たちを見ている? 隣を歩くルカぴょんに気付かれない程度に周囲を探ったが、人が多すぎて見つけることは出来なかった。
『へえ、いいのかい。俺は君の大事なものなんか、簡単に壊せるんだよ。例えば、隣の娘さんとか、なあ?』
愉快そうな感情を含んだ声に顔を顰める。
失敗した。浮かれ過ぎていた。いつまでも隠せるとは思っていなかったけど、今のは態度があからさま過ぎたか。私がこの子を大事に思ってしまっている事に気付かれた。クソったれ。
そっとルカぴょんを見やる。フルーツ飴の屋台に目を惹かれて、何も気付いている様子はない。
この子だけは、絶対に私の事情に巻き込んではだめだ。
『…………分かった』
『よし、ヨルは良い子だ』
などと思ってもない事を口にして、標的の特徴と現在地を伝えると向こうから念話を終了させた。
私はすかさず、みったんに念話を繋げる。
『みったん。こっちはいいから、ルカぴょんの護衛して。もしルカぴょんに危害を加えようとする奴がいたら、即座に排除していい』
『……分かったわ。ヨルナ、十分に気をつけ』
要件のみを告げると一方的に断ち切った。
……はぁ、やるか。
人ごみに紛れてさり気なくルカぴょんから離れ、標的の元へと向かった。
標的ははシルフ王国の魔法師団の元団員。そこそこの権力者らしいけど、まあ、そんな事は私には関係ない。粛々と目的を果たすだけだ。
路地へ入ると一気に人は減り、目的の人物をすぐに発見できた。
ここからでも十分に狙える距離。スカートの下から魔導銃を取り出し、狙いを定めた――――。
「がはっ……!」
気付いた時にはすでに、背後から首を絞め上げられていた。
急に現れた謎の男が、下卑た笑みを浮かべて私の顔を後ろから覗き込む。睨みつければ、男はヘラヘラと笑って手に力を込めてきた。苦しい。
「これが例の魔導銃使いみたいっスね」
「ああ、魔導銃使いが儂を狙っているという情報は誠だったようだな」
いつの間に近付いてきたのか、憎らしげに私を睨み付ける標的の男。
標的に私の事が知られていた?
まさか。まさかあの人が私を嵌めたんか? でも何のために。私を殺したところであの人に利なんて一つもないやろ。
……どういう魂胆かは知らんが、そう簡単に殺されてたまるか。
手に持ったままの魔導銃に素早く魔力を込める。が、目ざとく気付いた男にあっさりと銃が奪われてしまった。
その上、いつの間にか現れた屈強な男たちに、抵抗むなしく全身を弄られ、ホルスターに入れたままのもう一丁の銃も発見され取り上げられた。
「どんな野郎かと思えば、可愛らしい娘だったとは驚きやしたね。どうします? この娘」
「適当に処分すれば良い。だが、その前に……」
標的の男はこちらに近付いてくると、おもむろに振り上げた拳を容赦なく私のお腹に叩き付けた。
内臓が抉られるような、尋常じゃない衝撃が襲う。続けて二発、三発、四発。何度も、何度も何度も何度も石のように硬い拳が腹部めがけて飛んでくる。
暴れてみたところで意味は為さず、首を絞める力が強まっていくだけだった。
あまりの苦しさと痛みに、今すぐに意識を手放して楽になりたいとさえ思った。
でも、そうしたら私は確実に。
死ぬ……っ!
その時、脳裏に太陽みたいに笑うルカぴょんの姿が浮かぶ。
……そうだ、私は、まだ死ぬわけには。
「ルピエ!」
初めて口にしたかもしれない使い魔の名を喚ぶ。
瞬間、しなやかな紅の線が男達を襲った。みったんの尾が鞭のように男達に叩き付けられたのだ。
男達は総じて怯み、私の首を絞めていた背後の男にも隙ができた。素早く鳩尾に肘を入れ、その手から抜け出す。
咳き込みながら大きく息を吸った。圧迫されていた喉は痛むが、正常に呼吸が出来るようになった。
みったんが吹き飛ばした時に男たちが落とした、私の二丁魔導銃を拾い、勢いのままそれを男たちに向けた。
私の目の前には、任務の標的と私の首を絞めていた男。
みったんの方を横目で確認すると、柔軟な蛇の胴体を利用して他の男たちを締め上げていた。
「さて。私を殺せなくて残念やったな。ゲス野郎共」
「ヨルナを傷付けた罪は重いわ。死んだ方がマシだって、思わせてアゲル」
締め上げられて恐怖に震える男たちに、みったんは不気味な笑みを向ける。
「……みったん、悪趣味。さっさと片付けんよ」
私は無言で目の前の二人に魔弾を撃ち込んだ。
血は一滴も流れず、銃声も聞こえず、苦痛に声をあげる間もなく、彼らはその場に頽れる。
撃つ前に何かを喚いていたようだけど、そんな事はもうどうでもよかった。
痛みで震える手でも撃てた事に安心し、壁に背をつけてずるずると座り込む。ゲホゲホと止まらない咳、じんじんと痛む腹部、魔力の込め過ぎによる反動での両手の痺れ。
こんなに追い詰められるのは久しぶりやなぁ、と呑気に茜色の空を見上げた。
「ヨルナ、傷見せて」
絞め殺した男たちを捨て置いて、するするとこちらに向かってくるみったんが心配そうな顔で言った。
逆らう気力もなく、のろのろと服を捲り上げた。所々滲む血とぶす青い内出血が痛々しいが、顔が殴られなかっただけマシやんな。
「あっはは、こんな時に二人とも治癒魔法を使えんとか笑える……ったた、笑うと余計腹が痛いわぁ」
「……ヨルナ、笑い事じゃないのよ」
「で、みったん。ルカぴょんはどうしてるん?」
あからさまに話を変えた私を胡乱な目で見て、呆れたようにため息を吐いたみったんは、無駄に色っぽい手つきで髪をかき上げ、話し出す。
「あの子は貴女を探しているわ。今すぐ戻りたいでしょうけれど、そのまま戻ったら勘の良いあの子には気取られてしまうわよ」
確かに、それは最もだ。ルカぴょんは妙に人の変化に敏感だかんな。
彼女には悪いけど、先に寮に戻っていよう。この腹の痛みも、戻る間に少しは回復するやろ。
みったんにルカぴょんへの言付けを頼み、全身を引きずるように重い足取りで帰路についた。
寮に向かう途中、ルカぴょんがいつも追いかけまわしてる緑髪くんが背の高い藍色の髪の女の人と歩いているのを見かけた。
もしルカぴょんがこの場にいたら、颯爽と邪魔しにいくんやろな。そんな様子が安易に想像出来て、少し笑えた。
いたた、笑うと腹が痛い。笑わなくても痛いけど。あの男、おそらく拳に強化魔法かけてたろ。じゃなきゃ殴られた程度でこんなに痛むわけがない。
私みたいなか弱い女子相手に大人気のない男やなぁ。
学園の敷地に入る直前で、キィィンと耳鳴りのような音が頭の中に響く。
『ヨル、お疲れさま』
『あんたが私の情報流したんか?』
『あ、気付いていた? 最近はあっさりした仕事が多かったから、たまには苦戦するヨルも見たくて、ついね。使い魔を呼んじゃったのは興が冷めたけど、任務はちゃんと遂行できたし、許してあげよう』
……こんの、ゲス野郎が。人が苦しむの見て楽しんでたってのか。
苛ついたから、聞こえるようにわざわざ脳内でも舌打ちをして念話を断ち切ってやった。左耳のピアスを引っ張る。
そんな下らない事のためにわざわざ任務の成功率下げるような事をするなんて、正気の沙汰とは思えんな。狂ってる! ああ、狂ってんのは最初からやな!
苛々しながら、乱暴な手つきで女子寮の扉を開ける。お腹は相変わらず痛いけど、どうにか平静を装って階段を上がった。
階段を上がりきったところに、窓の外と同じ夕日の色をした髪の少女が仁王立ちをして待ち構えていた。
……ルカぴょん、それは下からだとスカートの中が見えるからやめたほうがええと思うわ。今日のパンツ派手やね……。
「ヨルナ! 先に帰ってるっていうから急いで戻ったらいなくて、ぼくより後に帰ってくるってどういうことだい!?」
「……実は、目の前を横切った奇麗な蝶々を追いかけてしまって、遠回りして帰ってきたんよ」
「ヨ、ヨルナにそんな子供っぽい一面が!? って、さすがに騙されないよ!」
くるくると表情を変えるルカぴょんの姿を見て、ひどく安心感を覚える。私の帰る場所はここだと、そう思った。と同時にどっと疲労が襲い、今にも倒れてしまいそうだった。
こんなところで倒れるわけにはいかないと、普段通りを装いながら気合いで踏ん張る。
「まあま、そう怒りなさんな。そういえば、来る途中で一年の緑髪くんが女の人と歩いとったの見たよ」
「ええっ!? フォン君が!?」
愛しのフォンくんの名を出した途端、表情がころりと変わった。信じられないといった様子で、私を見る。
「そそ。藍色の長髪で、結構背が高めな女の人やったな」
「むむむ~、フォン君がお姉さんと歩いているなんて珍しい……。も、もしかして、まさか、彼女とか!?」
「あ~、あの雰囲気はそうかもしれんなあ」
適当に話を合わせる。ルカぴょんはカッと目を見開き、「確かめてくる!」と言って一目散に階段を駆け下りていった。
あの子は本当にあの緑髪くんのことになると周りが見えなくなんね。まあ、それを知っててけしかけたんやけど。このまま一緒にいたらこの腹の怪我がバレるのも時間の問題やったし。
私は一人で部屋に戻る。なんとかベッドまで辿り着き、倒れこむように寝転がった。
今日は大変な一日やった。そもそも、昨晩も任務やったのに日中にも任務って仕事量おかしいやろ。本当に何を考えてんだ、あの人。
「はぁー。この腹、応急処置せんとだめや、けど疲れたなぁ」
ベッドから起き上がるのも億劫で、ごろりと寝がえりをうつ。
なあ、ルカぴょん。私にとっては君だけが生きる希望で、帰る場所なんよ。
初めて見つけたその希望を私は、闇で、血で、染めたくはない。
ほんとうは、私がルカぴょんから離れられれば一番いい。でも、それはもう出来そうにないから。
だから、どうか許して。
血で染まった私がそばにいることも、それを隠していることも。
――
―――
ヨルルカでお祭りに行くお話。
ヨルナにとってルカは一番大切だけれど、ルカにとってはヨルナ<フォンなんだよなあっていう。そういう。
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