幸福の蛇――ソウヤ※

 シルフ王国、ウンディーネ王国、フォルモーント王国。三国の国境沿いに聳え立つ山脈。その主峰である霊峰リュックドラグラート。

 人族に住処を追われた数多の龍族が暮らし、山頂には神龍の巣があるともいわれる。強力な魔物も数多く生息し、上位の冒険者パーティでも滅多に足を踏み入れることのない危険区域。

 そんな霊峰の麓、シルフ王国側に広がる森林地帯の何処かに、幸福を運ぶ白蛇が住まうという。



「起きてー。もう六時半だよ」

「んん……んー」

 まだ眠い。肩を揺さぶる手を振りほどいて、ごろりと寝返りをうつ。

 そもそも今は朝早くに起きないとだめな生活じゃないし。早朝のギルドは混んでるし、あと二時間くらい寝ていても……。

「一年一組、出席番号四十番、椛もみじ奏夜そうやさん!」

「は、はい! ……って、あれ?」

 名前を呼ばれて、反射的にガバッと体を起こした。寝起きだからか、頭がうまく回らない。

 きょろきょろと周囲を見回した。ここは僕の部屋。間違いなく僕の部屋圏だ。

 そして、ベッドの脇で仁王立ちをしているのは、相変わらず童顔を極めた僕のお父さん。すでに学校に行く支度は終わっており、上着も着ていた。手には、この間返却された数Iのテスト用紙。

 ……テスト用紙?

「ああ! それ!」

「奏夜、伊佐木いさき先生が嘆いていたよ。数学教師の娘なのに、奏夜の数学の点数がコレだから」

「伊佐木せんせー、余計な事を……!」

 にっこりと人好きのする笑みを浮かべて、ぴらぴらとテスト用紙を振ってみせるお父さん。そのテストには赤字で『二十九点』の文字がでかでかと書かれている。ああ、笑顔が怖い。

 こっちは寝起きだというのに、軽いお説教を受けた。そのおかげですっかりばっちり目は覚めたけど。

 代わりに精神的なダメージを負った僕は、よろよろと洗面所に向かう。途中まで一緒に降りてきたお父さんは、玄関でゴミ袋を掴むと「いってきます。奏夜も遅刻しないように」と釘をさして家を出て行った。

 洗面所ではお母さんが支度をしていて「おはよう。寝癖、すごいわよ」なんて声をかけてくる。鏡には、あっちこっちに髪がはねた僕の姿が映る。これはひどい。


 いつもの日常。代り映えのない、普通の朝の光景。そのはずだ。

 でも、なんか、おかしくない? なにか大切なことを忘れてしまっているような気がして。モヤモヤした思いを抱えたまま、学校に行く準備を始めた。


 簡単に卵とベーコンを焼いて、バタートーストと一緒に食べていたら「おはようございまーす!」なんていう元気な声が、玄関の方から聞こえてきた。隣の家に住む幼馴染の声だ。

 丁度家を出るところだったお母さんが応対しているのがかすかに聞き取れる。短いやり取りの後、お母さんはバタバタと出勤し、桜は部屋に入ってきた。

「奏夜、おはよ! 今日はいい天気だね」

「おはよう。でも午後からは雨らしいぞ」

「ええ!? じゃあ今日の体育はバスケかなー、バドミントンかも?」

「どっちでも持久走よりマシじゃん」

 確かに、と笑った桜は勝手知った風にソファに座る。今日は珍しく首の後ろで三つ編みにしてるな。まあ、こいつならどんな髪型でも似合うんだろうけど。紛れもない美少女だし。

 残りの朝食を牛乳でググッと飲み下し、歯を磨いてから桜と共に家を出た。


 見慣れた自宅、見慣れた街並み。小学生の頃によく通った抜け道。遊具の少ない公園の大きな桜の木。学校帰りによく寄るコンビニ。イチョウの街路樹が並ぶ大通り。

 何もおかしいところはないのに、何かがおかしいような違和感。

 隣を歩く桜の顔をじっと見てみる。

「な、なに? どうしたの? そんなに見られたら恥ずかしいよ」

「……べつに。今日も可愛い顔だなって」

「へ!?」

 うん、いつも通りだよな。やっぱり気のせいなのかな。

 バスに乗って学校に向かう桜を見送り、僕は伯父の家へ向かう。昨日発売したゲームを回収にいかなければ! 帰りまで待ちきれない。


 学校まで伯父に送ってもらい、生徒玄関近くで挨拶運動をしている生徒たちを横目に、靴を履き替えて教室に行く。気配を消したまま自分の席に座ってゲーム機を取り出した。カセットは『しすこんっ!』シーズン5のファンディスク。成長した妹ちゃんたちとの後日談らしい。ドキドキ。

 担任の先生が来るまで、ずっとゲームをして過ごした。クラスで僕はほとんど空気だ。話しかけてくる友人はいないけど、別に気にならない。ゲーム楽しいし。

 桜の周りには今日も人がたくさんいて、教室のあの場所だけ陽のオーラがすんごい。カースト上位グループ、こえー。

 一時間目に返却された英語のテストは惨敗だった。日本語でおk。

 二時間目、三時間目とつつがなく授業は進み、昼休みは屋上に繋がる階段でパン片手にひっそりゲームに勤しむ。一足先に進めていた同志の先輩からLINEでネタバレを食らいながらも、昼休みが終わるまでずっと攻略を進めていた。ソウ子ちゃん可愛い。

 体育のバスケでは桜のチームにぼこぼこにされ、他の授業は寝てたら終わっていた。午後の体育の後って満腹なうえに疲れてて、絶対寝てしまう。

「奏夜! 一緒に帰ろ~」

 ホームルームが終わった瞬間、桜に捕まった。後ろの取り巻きの皆さんにめちゃくちゃ睨まれる。おお怖。

「無理。今日は伯父さん家に寄るし、オトモダチの皆さんと帰ってどーぞ」

 勉強道具を全部詰め込んだリュックを背負い、桜を残して教室を出る。今週は掃除当番ではないし、早く帰って伯父さん家でアニメの続きを見たい。


 主人公体質の桜と帰って面倒に巻き込まれるわけにはいかない。と、思っていたのに、伯父さん家の近くでひょっこり現れた桜と遭遇してしまった。

「ばあ!」

「うわっ、桜、お前! なんで」

「わたしも一緒に音依路さん家行こうかなって思って! しばらく会っていないし」

 桜の言葉を聞きながら、周囲を見回す。うん、取り巻き達はいないみたいだな。それなら、まあ、いいか。美少女すぎる姪を見て、きょどる伯父さんを見るのも面白そうだ。

 許可すると、桜は嬉しそうについてきた。多分桜にとって面白いことはなんにもないし、陽キャのオトモダチとタピっていた方が楽しいと思うけど。


 何がそんなに楽しいのか、ニコニコと話しかけてくる桜の話に適当に相槌をうっていたら、視界の端に異様なものを捉えた。住宅街で見ることはほとんどないであろう、その生き物。

「もう、奏夜きいてるの? 何見て……へ、蛇? しかも白い!」

 そう、白蛇。幸福をもたらすという縁起の良い蛇が、道を挟んだ向こうの側溝の上に鎮座していた。

 僕たちが見ていることに気付いたみたいに、蛇は鎌首をもたげる。ゆったりとした動き。チロチロと舌を出し、こちらの様子を伺っているようにも見えた。

 蛇なんて動物園の爬虫類館で見たくらいだぞ。白蛇なんて初めて見た。

――ほんとうに?

 住宅街の風景から異様に浮いてるその白蛇を、興味津々覗き込もうとする桜の腕を掴む。不用意に近付いて毒でもあったらどうするんだ。

「白蛇なんて、珍しいね。ペットが逃げ出しちゃったのかな」

「ああ、かも……痛ッ!」

 急に激しい頭痛に襲われた。立っていることも間々ならないほど、ガンガンと何度も頭を殴られているような痛み。

 心配する桜の声が遠くに聞こえた。

 支えが欲しくて近くの塀に手を伸ばす。しかし塀につくはずの手が、そのままスルリとすり抜けた。あっ、と思った瞬間には、なすすべなく前に倒れ込んでいた。



 がっしりと誰かに受け止められる感覚がして、咄嗟にしがみ付いた。

「おかえりソウヤ。楽しかったか?」

「え、な……え? え?」

「だいぶ混乱してるみてえだな、しっかりしろ」

 至近距離に整いすぎた顔面があって、こちらを見下ろす薄紫色の瞳を見上げた。ああ、顔が良いな。銀髪? なにかのコスプレ?

 違う。この男は、彼は。

「ル、ルシファー? あれ、僕……」

 そこでようやく自分がどういう状況なのか顧みる余裕が出来た。でも気付きたくなかった。自分がルシファーの腕の中にいて、しかも己の腕もしっかりと彼の背中に回してあった、なんてこと。

 慌てて距離を取ろうと両手で突っ張れば、簡単に開放される。二、三歩後退ると、ドンと何かにぶつかる感覚。

 振り向く。と、そこには、象さえも簡単に丸のみ出来てしまいそうな巨大すぎる大蛇がいた。その鼻先にヒップアタックをかましてしまったらしい。

「ぎゃー!? 食べないでください!?」

「お、おい。水神様だぞ」

『宜い。ソウヤ様、驚かせて申し訳ない。食いはせぬ』

 え、水神様? え、えっと。今だ混乱中の脳内を、順序だてて整理する。

 確か僕は、ルーシィの気分転換のために国境付近の森にきていた。それで、その森には魔物がうじゃうじゃいて、僕は足手まといすぎるから、ルーシィには先に行って自由にしてもらうことにした。

 そしたら、ルシファーが「“幸福の蛇”に会いに行こうぜ」とか言い出して、森を探し回った結果、この白い大蛇と出会った。……んだったよな?

「……ええと幸福の蛇、じゃなくて水神様? さっきのは、一体?」

『我の力で、幸福な日を夢見せていたのだ。幸福の蛇、というのはその力が所以で人族が呼び始めた名だ』

 夢。あの中で感じていたどうしようもない違和感は、それだったのか。異世界にいる僕が、両親のいる世界で当たり前みたいなごく普通の生活を送れるわけがないもんな。

 なんだ。ただの、夢だったのか。やけにリアルな夢だった。

「で、どんな夢見てたんだ?」

「それは……」

 僕が見ていたのは、ただ、いつもと変わらない普通の日常。お母さんとお父さんがいて、桜もいて。早起きして学校に行って、ゲームをして。そんなごく普通の、ありふれた一日だった。

 それが、僕の望む、幸福な日。

 言葉が途切れた僕を覗き込む、整った顔立ちの堕天使。

 木漏れ日が銀髪の髪に反射して、キラキラと輝く。二次元みたいな顔面から目を逸らすように、空を見上げた。生い茂る木々の隙間から見える、青い空。

「ソウヤ?」

「それは、秘密。絶対教えない」

「なんだそれ」

 なんとなく、言うべきではないと思った。何かを期待しているような、彼には。

 僕の幸福は、元の世界に戻って以前のように過ごす事、だから。



――

―――

幸福の日を夢見させられたソウヤの話でした。

Twitterでタイトルを頂いて書きました。

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