他愛もない夏の話――奏夜

 冷房で冷えた部屋から一歩出ただけで、むっとした空気が肌に纏わりつく。トイレに行く事さえ億劫になる暑さだ。家中の空調を整備して欲しい。

 こんな暑さでは宿題をやる気にもならないな。出来る事といえば冷房の前に陣取ってゲームをするかアニメを見ることくらいだ。

 ドン! ドン! と外から花火の音が聞こえる。そういえば、今日は夏祭りがあるっておとーさんが言ってたな。巡回がてら祭りを見に行ってくるとも。

 一緒に行こうって誘われたけど、もちろん断った。

 だって学校の外で先生と歩いてるところとか普通に見られたくない……。親子だという事は割と知られているとはいえ、嫌なものは嫌。もし誰かに見られたら、嫌がらせが酷くなるし。

 おとーさん、そういうとこだぞ。多感な思春期の娘の心情を敏感に察せないと、簡単に嫌われてしまうんだからな。もっとていちょーに接してよね。

 まあ別に、暴力とか陰口はもう慣れたからどうでもいいんだけど、物に対する嫌がらせは地味に効くから辞めて欲しい。弁当を捨てられるのはもう勘弁。

「あーやめやめ。夏休みだってのに、なんでこんな楽しくない事考えてんだろ」

 トイレから戻り、台所の冷蔵庫を物色する。おっ、スイカバーあるじゃん。

 スイカバーをこっそりくすねて、自分の部屋に向かう。

 おかーさんもおとーさんと一緒にお祭りに出かけたから、今のうちに存分にだらけまくるぞー。

 あ、そうだ。音依路さんから借りた〝まじょみな〟でも見るか。十年くらい前のアニメだけど、今見ても普通に面白い。女児アニメと侮るなかれ。

 ペリリ、とスイカバーの袋を口で破きながら、DVDの準備をした。



「うっ、うう……紅緒ちゃん…………」

「自分を犠牲にして仲間を助けるなんて、いい子だねぇ」

「っ……!? さ、桜! いつの間に」

 自分以外の声が聞こえると思ったら、いつの間にかちゃっかりと座椅子を占領している幼馴染がいて、大慌てで目元を拭う。泣いてるの見られた!

 リモコンをべしべし叩いて、映像を一時停止させる。主人公の篝紅緒かがりべにおが、幼なじみの仲間を救って身代わりになる時の晴れやかな笑顔のドアップで停止してしまい、引っ込みかけた涙が再び滲む。あっこれ止めるの無理なやつ。

 ぎゅっと目をつぶっても息を止めてみても、やっぱり涙が引っ込む気配はない。必死で声を押し殺したら、啜り泣いているみたいになってしまって、余計に恥ずかしい思いをした。

 もう、もう! こんなタイミングで来るなんてありえないんだけど!?

 しかもなんかめっちゃいい笑顔でこっち見てくるし! なんなのこいつ!

「こっ、ち……ぐす、見ん、な。っく……ばか!」

「あー! もう! 奏夜は可愛いなぁ。えへへ、そりゃあ見ちゃうよ。こんなに泣いてる奏夜なんて、滅多に見られないもん」

 うぐぐぐ。ギリギリと歯噛みしながらも涙は止まらない。紅緒ちゃんしんどすぎてむり…………。

 せめてもの抵抗に、顔を見られないよう背を向けて、体育座りになって感情が落ち着くのを待つ。ヒッヒッフー。いやこれ出産の時の呼吸法やないかーい!

 なんてベタなボケとツッコミを心の中でかましていたら、背中に柔らかい感触が。

「なに……して」

「えへへ~。泣いてる奏夜を慰めてみたくて。よしよし~」

「うざ……」

「酷い!?」

 すこぶる楽しそうな桜に、後ろから抱きしめられていた。

 いや、この涙は自分じゃなくて紅緒ちゃんを想っての涙だから慰められても意味無いんですけど。

 でも。なんだろう。こうやって後ろから抱きしめられる事なんてあまりないから知らなかったけど、結構……うん。落ち着くもんなんだな。包容される感じが安心する。

 多分、泣いていて正常な思考じゃなかったんだ。いつの間にか僕は素直に体を委ねてしまっていた。

 視線を上に向けると、ふにゃふにゃと惚けた笑顔の桜が目と鼻の先にいた。

 ビックリして体を起こそうとしたものの、ガッチリと固定されていて身動きが取れない。なんつー馬鹿力だ。

 というか、今僕が枕にしてるのって、もしかして桜の胸? 見ればわかるけど、改めて何このボリューム。妬ましい通り越してむしろ心配になるわ。肩こり大変そう……。

「ふふふ~。奏夜はほんとうに可愛いなぁ。こんなに可愛い奏夜を知ってるのは私だけだね!」

「し、知らんし。もう! 大丈夫です!」

 乱暴に桜の腕を振りほどく。それでも桜は何が楽しいのかあははと笑って、今度は前から飛びついてきた。

 おっ、やる気か? 僕はすかさず避ける。彼女は不満げな表情で僕を見た。

 一瞬の間があって、それから二人して顔を突き合わせて笑った。


 そんな他愛もない夏の日。異世界に召喚されてしまう、半月ほど前の出来事だった。



――

―――

奏夜と桜が召喚されてくる半月くらい前の話。

家が隣同士でよく行き来するタイプの幼馴染なんだな。

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