宿命めいた巡り合わせの様で――桜

 小学生の頃、桜の花びらが舞う高台の公園で、私たちは出会った。

 私の従姉妹いとこであるその子は、大きな桜の木の下で、こっちに背を向けてベンチに座っていた。隣に、奏かなでちゃんと日依路ひいろ叔父さんがいたから、すぐにそうだとわかった。

 日本人らしい真っ黒な髪の毛を腰まで伸ばし、真っ直ぐ前を向いたまま静止した女の子。

「奏ちゃん、それに日依路。遅くなってごめんなさいね」

「姉さんが時間を守らないのはいつもの事だから、気にしてないよ」

「大丈夫です、色葉いろはさん。桜ちゃんは久しぶりだね」

「うん! 久しぶりっ」

 小さく手を振る奏ちゃんに元気よく返事をする。奏ちゃんは美人でかっこよくて、優しいから大好き。お母さんと違ってガミガミ叱ることも無いもん。

 駆け寄って抱きつけば、奏ちゃんは抱き締め返して頭を撫でてくれた。

 それでも奏ちゃんの横に座る女の子はこっちを気にした様子もなく、ひたすら前を向いたまま。お人形みたいに動かない。それが不思議だった。

 だって、誰かが近付いてきたら普通気になってみてしまうものでしょ?

「早速ですけど、色葉さんと桜ちゃんに紹介しますね。この子がわたし達の娘、奏夜そうやです。桜ちゃんとは歳も同じ……だから、仲良くしてあげてね」

 “そうや”と呼ばれた女の子は、そこでやっと反応を見せた。

 奏ちゃんに促され、ゆっくりと振り返る。肩にかかった黒髪が流れて、背中にはらりと落ちた。私は息を飲む。

 第一印象は、こわい、だった。

 作り物じみた黒い、黒い瞳。絵の具で塗りつぶしたような、何も映さない二つの眼まなこ。私たちではなく、何か別のところを見ているような空虚さが不気味だった。

 表情の抜け落ちた顔で、ぼんやりとしたその真っ黒な瞳を私とお母さんに向ける。どうしても真正面から目を合わせられなくて、私はすぐに逸らしてしまったけれど。

 そして彼女は目を伏せ、口を開いた。

「はじめまして。椛、奏夜……です」

 想像していたよりずっと頼りない、小さく平坦な声だった。

 声を聴いたせいなのか、何故かどうしようもなく胸が高鳴る。どくんどくんと、心臓の音がうるさかった。おかしな感覚だった。

 ぼーっとしてしまった私小突きながら、お母さんが挨拶を返す。ハッとして、私も慌てて自己紹介をした。

「はじめまして、私は葉月桜。よろしくね、奏夜ちゃん」

 笑顔で手を差し出す。心の中を知られないようにするのは、得意だった。

 奏夜ちゃんは私の差し出した手を見て、それから奏ちゃんを見上げる。変わらず表情は無かったけれど、戸惑っているように見えた。

 優しく微笑んだ奏ちゃんは小さく頷く。それを見た奏夜ちゃんは私に向き直り、恐る恐るといった様子でそっと手を握り返してくれた。

 冷たくて小さな手だった。


 それから、お母さんたちは大人だけでお話することがあるからと言って、私と奏夜ちゃんは二人きりになった。

 桜の大樹の下で二人。ピンク色の花びらがひらひらと舞い散る中、横に並んでベンチに座る。

 さっきの感覚がなんあったのか知りたくて、奏夜ちゃんの声をまた聴けば分かるような気がして、積極的に話しかけてみることにした。

「お母さんたちは向こうで話すみたい。私たちは何しよっかー。奏夜ちゃんは何したい?」

「なんでも」

「なんでもいい? じゃあ、ブランコ乗りながらお喋りしよ! 私、奏夜ちゃんともっと仲良くなりたい」

 地面を見つめたままの彼女の手を取って、ブランコへと歩き出す。握った手はやっぱり冷たい。

 振り返れば、驚いたように目を丸くする奏夜ちゃんがいた。初めて見た人間味のある生きた表情。もう作り物みたいな黒い目を怖いとは感じなかった。

 私が先にブランコに座って、軽く揺らしてみせる。奏夜ちゃんは私の様子をじっと見たあと、恐る恐るブランコの鎖を掴み、そろりと座った。

 まるで、初めてブランコに乗ったみたいな反応だなあ。まあいいや、それよりももっとお話しして仲良くなるぞ!

「奏夜ちゃん! 奏夜ちゃんの好きなものってなあに?」

「……」

「えっと、私は! 私はね、短剣とか散歩するのが好きなんだぁ。家を出て、適当に歩いてみるの。そして、思うままに道を曲がってみたりして。知らない公園とか、すっごく安い自販機とか、そういうのを見つけるとちょっと嬉しくなるの」

 路地の先にひっそりとある小さな神社とか、住宅街の奥にある急な階段の上の広場とか。そこから見る橙色の街並みとか。知らなかった場所が知っている場所に変わるのが、好き。その道中での人との出会いも。

 でも、それは変わってるって言われたから、学校の友達には言わないようにしてた。みんなみたいに、アイドルが好きとか少女漫画が好きとか、当たり障りない程度の好きを言うようにしてた。

 なのに、なんで初めて会った奏夜ちゃんには言ってしまったのかな、私は!

 我に返って、慌てて言い訳しようと奏夜ちゃんの方を見た。

「……あなたも?」

「え?」

 奏夜ちゃんはやや驚いたような表情で、私を見ていた。

 てっきり変わってると言われると思っていたのに、違う反応が返ってきてこっちも驚いた。

「わたしも、好き。探検……」

 そう言って、奏夜ちゃんは目を伏せるようにふわりと微笑んだ。

 ちょうど良く差し込む光が当たって、彼女の輪郭をぼかす。その浮世離れした姿は、どれだけ手を伸ばしても届かない、どこか遠いところにいるようにさえ見えた。

 咄嗟に言葉が出なくて、ただ奏夜ちゃんの姿に見惚れた。

「隠れて、色んなところに行くのが好きだった。お気に入りだった青い丘のせいいきも、迷路みたいな迷いの森も、けんそうに包まれたひとっぞくの街も」

 なんの話をしているのかほとんど分からなかったけど、なんとなく懐かしくて、ちくりと胸が痛んだ。

 でも、そんなのがどうでも良くなるくらい、楽しそうな奏夜ちゃんの声が沢山聞けたのが嬉しかった。私は笑顔で相槌をうつ。

 だいぶ緊張がほぐれたらしい奏夜ちゃんと、少しだけ仲良くなれたような気がした。


 それから何度も会って、色んな話をして、時には探検もした。

 奏夜は同級生と会うのを嫌がったから、もっぱら校区の外ばかりを探検してたなあ。

 隣町にこっそり二人だけで出かけて、迷って、お母さんたちにこっぴどく怒られたこともあったっけ。

 泣いた私の手を握って「桜ちゃんは、絶対守るよ」だなんて、かっこいい台詞を言ってくれたこともあった。奏夜に言ったら、記憶にないって言われそうだけど。

 最近は小さい時ほど気軽に外で一緒に遊んでくれなくなっていたけれど、それでも親同士の付き合いもあって、顔を合わせない日はなかった。ずっと一緒に育ってきた。

 でも私、ずっと奏夜に隠していることがあるの。

 初めて会って初めて声を聞いたあの時から、少しずつ少しずつ時間をかけて私も気付かないうちに、たしかに形になっていた。異世界に来てからはより強くそれを感じる。

 それは、奏夜と私圏がどんなに仲良くなっても届かない。意味がない。私の魂に深く深く刻み込まれた呪いのようなもの。抗うとか抗わないとか、私の意思なんて関係なく心さえ蝕む。

 日に日に肥大化するそれ。従姉妹で幼馴染で親友の貴女に抱くには不相応なそれを抱えたまま、私は今日も過ごしている。

「桜、出かける支度は出来たのか?」

 ふいに顔を覗き込まれる。相変わらず光の反射しない黒い瞳がわたしを見上げていた。今はもう、こわいだなんて思わない。

 私は自然と笑顔になる。

「出来たよ! 変装の準備もばっちり」

「よし。使い魔達も巻いたし、王都探検行くぞ!」

「おー!」

 楽しそうな奏夜の後をウキウキしながら追う。

 勇者として、魔王から人々を護らなければならない。その使命は忘れていない。忘れられるはずもない。けれど。

 今は、今だけは、昔のように童心に帰って小さな幸せを噛みしめたいと思った。

 学園の門のところで奏夜と頷き合うと、私たちは王都の街へと一緒に歩き出した。



――

―――

奏夜と桜、出会いのお話でした。

おや……?桜の様子が……?

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