誕生日とひな祭り――桜

 その日は、朝からいい匂いがしていて目が覚めた。

 寝起きでぼんやりする頭で、なんの匂いだろうと考えながら階段を下りる。

「あら、おはよう桜」

「おはよー、お母さん。なんかいい匂いしてるね?」

「うふふ、匂いの正体はキッチンに行ってみたら分かるわ」

 何故か楽しそうなお母さんは、そのまま階段を上がっていってしまった。なんだろう、そうやって勿体ぶられると余計に気になる。

 顔を洗うのを後回しにして、わたしは好奇心のままキッチンに続くリビングへと真っ直ぐ向かった。

 リビングに入るとテレビが付けっぱなしになっていて、朝の女児向けアニメが流れていた。珍しいな。

「奏夜もこういうの見てるのかな」

「んあ? ああ、桜じゃん。おはよう」

「えっ!?」

 思わず漏らしたつぶやきに返答があってびっくりした。

 対面キッチンからにゅっと顔を覗かせたのは奏夜で。その手には銀色のボウル。

 どうしてわたしの家に奏夜がいるの!?

 驚きで言葉の出ないわたしを見て、ふっと笑った奏夜は白い粒の入った袋にハサミを入れながら言葉をかける。

「まずは顔でも洗ってきたら? 前髪の寝癖凄いことになってんぞ」

「ええっ!?」

 指摘された前髪を両手で押さえつける。

 そういえば、匂いの正体が気になって、まだ顔も洗ってないんだった。

 どうして奏夜がいるのかも気になるところだけど、今は身だしなみを整えるのが先! 急いで洗面所へと向かった。想定外の出来事で、一気に目が覚めた。

 うう、最近は奏夜にも完璧なわたししか見せてなかったつもりなのに……失敗したなぁ。

 洗面所に立って鏡を見て愕然とした。

「わたし……寝間着のまま!」

 どうせ家族しかいないんだしと、ヨレヨレのキャミソールにショートパンツといういでだち。しかも色は地味すぎるグレー単色。

 お泊まりする時は可愛さにも気を配っているのに、不意打ちすぎて油断していた。

 奏夜にも指摘された前髪はぴょこんとはねて、変な跡がついたまま。髪の毛もぐしゃぐしゃ。こころなしか、顔もむくんでいる感じがする。さいっあく。


 大慌てで朝の身支度を終えて、なんとか見られる姿になって再びリビングに戻った。

 入ってすぐのところに、ソファに座ってコーヒーを飲んでいるお母さんがいた。

「お母さん! 奏夜が来てるならさっき会った時、教えてよー」

「あっははは! いいじゃないの、幼馴染なんだし。だらしないあんたの姿も見慣れてるわよ」

「よくない!」

 スーツ姿のお母さんは愉快そうに笑う。笑い事じゃないんだよ、もうっ。

 笑い続けてるお母さんは無視して、キッチンに立つ奏夜の元へ。前にわたしが贈ったエプロンをつけて、オーブンの前にいた。

「奏夜、おはよう」

「おー。三つ編み? 珍しい」

「髪の毛がまとまらなくて……って、そんな事はいいんだよ! なにしてるの?」

「何って、料理だろ。誕生日おめでとう、桜」

 作業を中断して、しっかりとこちらを見て言ってくれた。真っ黒の瞳と視線がしばらく交わり、スッと自然に逸らされる。

 そっか、今日って三月三日。起きたばかりで気付いていなかったけど、今日はわたしの誕生日。

「ありがとう、奏夜!」

「別に。誕プレは後で渡す」

「料理だけじゃないの!? 嬉しい!」

「食材はおかーさんたちが用意してくれたやつだし。料理は、お前も作るんだからな?」

 ん、と手渡されたのはエプロン。

 奏夜と一緒にお料理出来るだなんて、それが一番のプレゼントだよ。奏夜は気付いてないだろうけど。

 受け取ったエプロンを付けて、ウキウキと手を洗う。

 ソファの方を見ると、いつの間にかお母さんがいない。仕事に行ってしまったみたい。そういえばさっき、行ってきますって聞こえたような気もする。

「今は何を作ってるの?」

「桜餅。お前いつもこれ食べたいっていうから」

「やったー! 奏夜の作る桜餅、大好き」

「何度も言うけど、誰が作っても味同じだぞ」

 そんなことないと思うけどな。もしかすると気持ちの問題かも。


 何をすればいいかと訊いたら、桜餅の中身の餡子を丸めておいてと言われた。大きさの目安として見本をひとつ作って貰って、それを見ながらひたすら丸める。

 奏夜はというと、桜の葉の塩抜きをしてから、鍋に張った水に砂糖を入れて火にかけていた。

「鍋で作るんだ?」

「そー。煮るんだよ。レンジでも出来るけど。桜、それ少し大きすぎる」

「わっごめん」

 奏夜の方を見ていたら、あんこ玉が大きくなってしまっていたみたい。

 砂糖が溶けたら火を止めて、爪楊枝の先に食紅を付けて色の調節をし、道明寺粉を投入。焦げ付かないようヘラで適度に混ぜながら煮ていく。

 レシピも見ずに流れるように作業をこなしていく奏夜は凄いなぁ。

「桜、それが終わったら向こうの部屋にある蚊帳の中身を持ってきてくれる?」

「蚊帳? 分かった~」

 蚊帳なんてあったかな? 奏夜が持ってきたのかも。

 餡子を丸め終え、隣の部屋の机の上に置いてある蚊帳の中身をキッチンに運ぶ。なにこれ、乾燥したお餅?

 キッチンに戻ると、奏夜は天板にクッキングシートを敷いて待っていた。さっきの鍋はラップをして放置されている。

「鍋はいいの?」

「手で触れる熱さになるまで蒸らすんだよ。その間に別のもの作る」

「分かった~。じゃあこれを天板に並べればいいのかな?」   

「正解」

 持ってきた乾燥切り餅を重ならないように天板に並べていく。それを余熱していたオーブンに入れて、二十分熱する。

 どうやら、これはひなあられになるらしく。手作りのひなあられ。すごく楽しみ。

 待っている間、朝食食べたら? と提案された。簡単なものなら作ってくれると言うので、オムライスをお願いしたら少し引かれた。ひどい!


「ごちそうさまでした! 美味しかった~」

「お粗末さまでした。しかし朝からよく食うなぁ。といっても、もう十時か」

 食べてるいる間に切り餅は焼きあがっていて、奏夜はキッチンでずっと作業をしてくれていた。

 今はカリカリに焼けた餅を鍋に入れて、溶かした砂糖を絡めて味付けをしていた。

「桜、その袋に粉を用意しといて。粉はそっちの買い物袋の中にあると思う」

「はーい!」

 ガサガサと袋を漁ると、ピンクと緑と黄色の粉が見つかった。順に桜の花パウダー、抹茶パウダー、きな粉と書いてある。これでひなあられに色を付けるんだね。

 桜の花パウダーなんて、初めて見た。

 ひなあられの色は春夏秋冬を表しているらしいから、わざわざ三色の粉を用意したんだろうな。

「あ、袋に入れる粉はそれぞれ半分か、それより少なくていいぞ」

「うん。カラフルで可愛いね」

「だな。んじゃ、余熱の残るうちに餅を粉の袋に入れて振るぞ。あとは広げて冷ませば完成。火傷に気をつけろよ」

 意外と簡単に作れてしまうものだなぁと思いながら、奏夜と一緒に袋を振って砂糖でコーティングされた餅の欠片にパウダーをまぶした。

 ピンク、緑、黄、白の四色のひなあられが完成! こっそり味見したら、カリッと軽い口当たりで甘くて美味しかった。


 次はさっきの桜餅の続き。すっかり粗熱が取れた道明寺粉の生地を奏夜が等分しておいてくれたので、これからあんこを包んでいく作業が始まる。

 いつの間にか桜の葉の塩抜きも完了していて、水気を切ってキッチンペーパーの上に置かれていた。

「桜とこれを一緒に作るのは初めてだな?」

「うん。よろしくお願いします、先生!」

「はいはい。まずは手に水をつけて、生地を手のひらで薄く伸ばす。そして真ん中あたりにあんこ玉を置いて包み込む」

 ボウルに張られた水に手をつけて、丸く分けられた生地を手に取り、伸ばしていく。うーん、こんな感じかな。

 そしてあんこ玉を置いて、包む。あっ、少し餡子がはみ出ちゃった。

「大丈夫、どーせ葉っぱ巻くから見えないし」

「そっか。でも気になる~」

「次から頑張れよ。まだ一個目だろ」

 最後に桜の葉。葉脈のある方を外側にして巻き付ける、っと。はみ出てしまった部分を下にすれば、うん、一応大丈夫そうかな。

 ちらっと横見たら、奏夜はすでに三つ目に取り掛かっていた。早い!

 真剣になるあまり、暫く無言のまま桜餅作りに取り掛かっていた。四つ目を作る頃にはコツを掴んできて、作るスピードも上がる。

 全部で十一個の桜餅を作り終えたところで、生地とあんこ玉がなくなった。

「おつかれ。やっぱ桜は上達がはっやいな」

「おつかれさま! そうかな~、奏夜の方が早くて形も綺麗だよ」

「何度も作ってる僕と比べるのは違うだろ」

 おぼんに並んだラップに包まれた桜餅を見下ろす。

 いつも作って貰って食べるだけだったけど、奏夜となら作るのも楽しいな。

 桜餅を見ながら笑っていたら「つまみ食いすんなよ」と釘を刺された。食べないよ! ちょっとしか。


「そういえば、これは?」

 鍋敷の上に置かれた鍋を指差す。

「あ? あー、はまぐりの吸い物。作り方は調べたし味も見たけど、これであってるのかは分からん」

「そっか、ひな祭りだもんね。あとは何を作る予定なの?」

「あとは、ちらし寿司くらいか。ひな祭りだからな」

 奏夜がリビングに飾られたひな人形に目を向ける。五人囃子までが揃った三段のひな飾り。

 昔は奏夜とお雛様とお内裏様の格好をしたりもしたっけ。お雛様の格好した奏夜、すっごく可愛かったな。

「もし桜に食べたいものがあるなら、それも作るけど?」

「ううん、十分だよ。奏夜が作ってくれるものなら、なんでも嬉しいし」

「ああ、そう」

 ふいっと素っ気なくそっぽを向いてしまった奏夜の耳は、赤い。ふふ、可愛いなあ。これでいて、本人は照れてるのを顔に出していないつもりなんだもの。


 昼食を挟んで長めの休憩を取っている最中、奏夜が「ほい」と可愛らしいラッピングの包みを差し出してきた。

 それが誕生日プレゼントだとすぐに察し、お礼と共に受け取る。奏夜はいつも可愛らしい桜色の小物だったり、桜の香りのものをくれるけれど、今年はなんだろう。

 破かないよう丁寧に包装紙を取り、箱を開けた。

「和柄のシュシュとこれは……」

 控えめな雫型をした紅色の石が一つあしらわれたシンプルなネックレスだった。今回は桜色じゃないんだ、と不思議に思う。

「好みじゃなかったら売ってもいいから」

「絶対売らないよ! ただ、珍しいなと思って。でも、すごく嬉しい。毎日つけるね!」

「いや、それはちょっと……」

 校則違反だろ、と奏夜は言っていたけどバレなければ大丈夫。皆こっそりアクセサリーをつけてきたりしているし。

 奏夜ってアウトロー気取ってるけど、結構真面目なところあるよね。

 箱から取り出したネックレスを早速首につけて、手鏡で確認する。奏夜がわたしに似合うと思って選んでくれたものだからか、とてもしっくりくる。

「似合う?」

「似合う似合う」

 さっき作った桜餅を食べながら適当に返事をする奏夜。

 奏夜がこういう対応なのは慣れている。つれない態度は照れ隠しだということが分かっているから、奏夜は本当に照れ屋で可愛いなとしか思えなかった。

 微笑ましく思っているのが表情にも現れていたのか、じとりとした目で見られてしまった。


「奏夜、本当にありがとうね」

「礼言うの何度目だよ」

 そう言って、奏夜は小さく笑いながら息を吐いた。桜餅を口に放り込むところまで見て、わたしは目を伏せた。

 今日のことだけじゃない。いつも。いつも奏夜には感謝しているの。

 貴女がわたしを見ていてくれるから、わたしはわたしのままでいられる。

 胸の奥が無性にザワついたことには気付かない振りをして。今は、大好きな奏夜と家族たちがわたしの誕生日を祝ってくれることの喜びをただ感じていたいと思った。



――

―――

桜の誕生日である三月三日に書いた話。

この二人の話、無限に書けそう……。

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