トロイメライ――ギッさん※
休日の昼下がり、食卓でマリアの入れた紅茶を飲んでいた。茶請けは粉砂糖やチョコレートでコーティングされたシュネーバル、という菓子。生地をひも状に伸ばして丸めて揚げてあり、外側はサクサクとしていながら、中はしっとりとした食感。もう少し生地自体が甘ければ完璧なんだがな。
ひとつ、またひとつと食べ進める。
昔は――平和だと信じて疑わなかった幼い頃は、母が厳しい人だったから、菓子のような砂糖をたっぷり使ったものを食べさせてもらう事は出来なかった。体に毒だと言って。
でもある時、あの人が母の目を盗んで一度だけキャラメルと焼き菓子をこっそり与えてくれた事があった。初めて食べたそれのどんなに美味しかったことか。
その時から幼かった俺の夢は『お腹いっぱいお菓子を食べたい』になった。不本意な形で自由になってからは、皮肉にもその頃の夢は叶えられたわけだが。
今思えば、あれは俺を懐柔してやろうという魂胆だったのかもな。まんまと懐いた結果があれだというのだから、笑い話にもならない。
「リルド。リリアの分まで食べてはだめよ?」
昔の事を考えながら食っていたせいか、物凄い勢いで食ってしまっていたらしい。ティーポットを片手にやってきたマリアが苦笑いしている。
「すまん。少し考え事をしていてな」
「考え事? ギルドで何か問題でもあったの?」
「いや、大したことじゃねえよ」
空いたカップに、まだ湯気の立つ紅茶を注ぐ。一つは俺のそばに、もう一つは向いに置いて彼女自身も椅子に腰かけた。
上品な仕草でカップに口をつける。淑女然とした振る舞いからは、過去の彼女の素行を片鱗も感じられない。強烈で派手な女だったと言っても信じる者は少ないだろうな。
そういえば、俺はあまり彼女の幼い頃の話を聞いたことがないな。彼女が俺の話を聞きたがるから、いつも訊くタイミングを逃す。
この期に訊いてみようか、と思い立つ。
「マリア。あー、お前の幼い頃の夢はなんだった?」
「えっ? うーん……聞いても笑わない?」
「ああ」
「私は、勇者になりたかったわ」
返ってきたのは意外な答えだった。勇者といえば、男児が憧れるものだとばかり。初代勇者アレンも、その後の勇者も全て男だったときく。幼い女児が抱く夢としては少し珍しい。むしろ勇者に救われる姫の方に夢を抱くものじゃないか?
マリアは恥ずかしそうにはにかんで続ける。
「本当に小さい頃の話よ? 救われるのを待つばかりのお姫様よりも、自らの力で敵を倒して道を作る勇者に憧れた。昔から力だけは人一倍強かったのもあって、そっちの方が私には向いていると思っていたの」
「なるほどな。たしかに身体強化もせずに銀のナイフを素手でへし折る姫はいねえか」
「もう、リルドったら。そんな昔の事は早く忘れて!」
かつての彼女が、誰よりも強くあろうとした理由に合点がいった。女だと舐められないように、外見や態度で威嚇していたのかもしれないな。勇者を目指していたのは幼い頃だけだったとしても、憧れた理由はずっと彼女に残り続けていたんだろう。
俺は、特別何かに憧れたことはなかったから、憧れを語る妻が少し眩しい。
「それで、リルドの夢はなんだったの?」
「……」
「私にだけ言わせるのは不公平よ」
「……はぁ。腹いっぱい菓子を食べたい、だ。地位や将来に不満はなかったからな」
驚いたように目をしばたたかせ、菓子を口に入れようとしていた手が止まる。珍しい表情だなとみていると、次の瞬間、堪えきれないというように噴き出した。口に手を当てて、少しでも堪えよう試みているようだが、効果は全くない。
これだから言いたくなかったんだが。
「ふ、ふふふ。あははっ、リルド、可愛らしい夢ね! うふふ」
「リリア、ただいま帰りました!」
マリアが眉を下げ、顔を真っ赤にして笑い続けている中、遊びに行っていたリリアが帰ってきた。どこでどう遊んできたのか、全身泥だらけだ。どうしたらそんな風になるんだか。
リリアは多少、いや結構やんちゃすぎるところがあるから心配だな。
「お帰り、リリア。その恰好はどうした?」
「ヒューイたちと泥団子投げした!」
「……そうか。元気なのもいいが、程ほどにな」
「うん! お母さんはどうしちゃったの?」
娘が帰ってきた手前、大っぴらに笑わないよう堪えて肩を震わせるマリアをちらりと見やる。
「気にするな。ほら、まずは着替えてこい」
「うん……」
部屋へ行くよう促せば、納得してないような顔をしながらも従った。やんちゃでも素直に育ってくれて、嬉しい限りだ。娘の成長を噛みしめる。
リリアが着替えて戻ってくる頃にはさすがにマリアも笑い終えていて、家族三人で穏やかな休日の午後を過ごした。
――
―――
ギッさんとマリアの夫婦が子供のころの夢を語る話。
自創作、夫婦ってあまりいないから楽しいね。
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