それは必然で――コンさん

 あの日はいつも通りのありふれた夏の日だった。


 大陸一涼しいといわれるウンディーネ王国だとて、じりじりと照り付ける日差しは厳しい。冷却の魔法を施した外套を羽織っていても、次から次へと流れ落ちる汗を拭うのがいい加減億劫になってくる。

 年中暑いサラマンダー帝国の出身者だからといっても、誰もが暑さに強いとは限らないのだ。

 汗で肌に張り付く髪を鬱陶しく思いながら、今宵の宿を探す。

 流石に王都付近の街なだけあってそこそこ活気はあるようだが、奴隷のように働かされている人間が目に付く。

 この国は奴隷制が公には容認されていないはずだが、王都以外の街ではまだまだ奴隷のように働かされている者が残っているようだ。

 年若い現国王が奴隷制を廃止してもう何年か経つが、長年染み付いた人の考えまでは簡単に変えられないんだろう。

 若干の嫌悪感を抱きながら路地を歩いていると、不意に目の前に魔法が展開される気配を感じて、立ち止まる。この感じは転移か。

 現れた人物は、襟や袖に金の線が入った白いローブを着ている男だった。この白いローブはウンディーネ王国の宮廷魔法使いの象徴だ。

「貴方がファルディクシェ=コンストラル様で間違いなさそうですね。噂通りの見事な銀の髪だ」

 男は一礼すると、俺の名と容姿を確認してきた。

 髪の色が珍しいのは自覚しているし、賛辞など言われ慣れてはいるが、俺にとってこの髪の色は嫌な思い出ばかりで言及されるのはあまり好きではない。

 そんな理由もあり、コイツの第一印象は最悪に近いのだが、王家の遣いであろう者に歯向かうほど、俺も馬鹿ではなかった。

 一応、内密の話である可能性も考慮して風魔法と結界石を応用した魔道具で、周囲にこちらの話が聞こえぬようにしておいてやった。いらぬ心配かもしれないが、やらないよりはやっておいた方が良いだろう。

 そうしているうちに使者は俺の元に来た理由をこんな道の真ん中で、いきなり話し出してきた。この使者は阿呆なのかもしれない。

 どうやらその使者の話では、ウンディーネ王国で内密に異世界召喚を行うから協力を仰ぎたいという事らしかった。

 試した事はないが原理は知っていたし、召喚魔法は得意なほうであったため、報酬の額がケタ違いで高額だったことも含めて、ほとんど金が尽きかけていた俺は依頼書を軽く流し読みしただけでその依頼を引き受けてしまった。

 今思えばこれが俺の人生の転機になったように思う。


 その日はその街で安い宿に泊まり、夜が明けてから依頼人のいる王城を訪ねた。

 寸分違わず俺の元へ使者を送り付けてきた先方は当然俺が近くの街にいると把握しており、さして驚くこともなく城に迎え入れられた。


 膨大な魔力を必要とし、その上で熟練の術者数人で数日をかけて詠唱する。そうして、異世界から対象となりうる人物一人のみを召喚する特殊な魔法陣は、当然リスクも大きくなる。

 それは俺も重々承知していた。

 だが、そのような大掛かりな召喚は数人の術者で行うため、ひとりひとりへのリスクはそれほど高くはないはずだった。

 しかし、どうやらウンディーネ王国側はそのリスクを全て余所者の俺に押し付けたいらしい。

 そのためにわざわざ部外者の俺が選ばれたという訳だ。

 ギルドには所属しておらず、それでいて召喚魔法に長け、魔力量もそこそこの腕もある。たしかに今回の捨て駒として俺ほど適役な人物は簡単には見つからないだろう。

「それで? そちらの被害を最小限に抑えたいから、魔法陣は私の血を使って描け、と?」

「その通り。物分りが良くて助かりますぞ、さすが孤高の天才魔法使い殿は違いますな。魔法陣を扱うのは貴殿の十八番なのだろう? まさか出来ないとは言いますまい」

 髪の貧相なクソジジイ。もとい、依頼人のウンディーネ王国付き宮廷魔法使いが偉そうに言った。

 何が“孤高の天才魔法使い殿”だ。

 馬鹿にしているとしか思えない呼び名に腹が立つが、王城で騒ぎを起こすのは得策ではないと言い聞かせてぐっと堪える。

 通常の召喚ならば魔力を込めた墨や魔石を精製して書きやすく固めたもの等で描く魔方陣だが、その場合失敗すると召喚の為に魔力を行使し、尚且つ呪文を詠唱した者すべてに被害が及んでしまう。

 つまりは召喚に立ち会った者は、失敗すれば確実にどこかしらに影響が出てしまうのだ。

 一方、人間の血で描かれた魔方陣ならば失敗しても、たとえ何人がその召喚の為に魔力を使おうが呪文を詠唱しようが、血で魔法陣を描いた一人がほぼ全ての被害を被ってくれるというわけだ。

 まあ、もしそれで失敗すればそいつは確実に死に、最悪呪文を詠唱していた者にも被害が及ぶのだが、わざわざそれを教えてやる必要は無いだろう。


 兎に角、こいつらは自分達にはほぼノーリスクで勇者を召喚したいらしい。

 全く、召喚魔法をなんだと思っているんだ、こいつらは。そんな甘い考えで勇者を喚び出そうなどと、どこまで召喚魔法を舐めているのか。

 それでも、一度受けてしまった以上は仕方ない。碌に依頼書を読まなかった俺にも非がある。

 それに、召喚までの衣食住は保証されるし充分すぎるほど高額な給金まで貰えるとなれば、あまり気乗りしなくとも金のない今の俺にはやるという選択肢しかなかった。


 今日は部屋で休み、明日から召喚の準備を始めるとしよう。

 薄水色の髪を三つ編みにしたメイドに案内されて、割り振られた部屋へと移動した。

 早くこの城の構造を頭に叩き込む必要がありそうだ。同じような壁が続く、城特有の造りになっているから、覚えるのは容易ではなさそうだが。

 部屋には最低限の家具しかなく、王城とは思えないほどシンプルだった。あまりごてごてと装飾のあるものは好まない俺にとっては、これはむしろ有難い。

 唯一の荷物と言えるトランクをベッドのそばに置き、荷物の中から結界石を四つ取り出すと部屋の四方に小さな魔法陣を描き、それぞれその上に置いた。これで誰であろうと、無理やり結界を破らぬ限りは俺の許可なしにこの部屋に入る事は出来ないだろう。



 独学で学んだ術式は、他の奴らから見ると曰く“邪道”らしい。

 手本通りの基本に忠実な術式しか知らないような頭のお堅い宮廷魔法使い達はそう言って馬鹿にし、俺の魔法陣に手直しを加えようとした。

 俺はその都度、この方が効率が良いのだと辛抱強く説明してやったが理解も納得も出来なかったようだ。

 常識に囚われてる状態ではいつまで経っても過去に作られた限界の枠から出ることは叶わないというのに。自ら限界を定めてしまうとは、勿体無い事をする。

 初日から俺の〝邪道〟な術式を見ては小言を垂れ、馬鹿にしていた魔法使い達も日が経つにつれて数を減らし、ついには誰一人居なくなった。

 それは俺の術式に納得したからではなく、何を言っても無駄だと思われたからだと思うが、俺としてはようやく煩いのが一人残らず居なくなって清々した。


 自らの血を使用して大掛かりな魔法陣を描くため、貧血と戦いながらの作業となった。本当に面倒くさい依頼を受けてしまったものだ。

 いくら治癒魔法で傷が治せるとはいっても、血の量までも元通りに回復させられるような魔法を俺は知らない。そこはよく食べよく寝て新たな血液が体内で作り出されるのを待つしかないのである。

 世の中には血属性というものがあり、その属性持ちであれば増血も出来るかもしれないが、血属性持ちは他人の血を摂取しないとひどい飢餓感に襲われるという。そして人間の血を摂取したものは不老不死となり、手順を踏まねば殺せなくなるとか。そんなのは御免だ。

 そういえば、この国の王子に血属性持ちが生まれたという噂を聞いたが、それは事実だったのだろうか。

 急にざわり、と恐ろしいなにかが体を駆け抜けていくのを感じて、筆を取り落とした。と認識した瞬間、世界が暗転した。



 貧血でぶっ倒れたり、王国側が用意した魔石に込められた魔力が全然足りなかったりと、色々問題が発生して手間取ってしまい、準備がすべて終わったのはそれからだいぶ先、もう木々が色付く頃だった。

 その間、陛下から紋章のようなものを賜って自由に城内を行動できるようになったり、魔法研究所で魔法研究の為の魔力提供に協力したりと何かと忙しい毎日を過ごした。

 今日は魔法陣の最終チェックのために、召喚を行う地下の部屋へとやってきていた。

「やはり、念のため魔力増幅の術式も組み込んでおくべきか。魔力が多すぎても問題だが、少なかったらそもそも魔法が発動しない」

「それなら問題ない。この部屋は、魔力を増幅させることのできる魔石で造られているのだ」

「…………誰です? ここは部外者は近寄れないはずですが」

 エルフ族のように尖った耳を持った蒼い髪の男がいつの間にか部屋の入口にいた。

 初めて見る奴だ。そもそもこの国では、というか人間の国の王城では、エルフ族など殆ど見かけることが無い。

 一瞬、奴隷かとも思ったが、この国の王は奴隷を好まないのだから、城の中に奴隷がいるはずはない。第一、奴隷ならばこの部屋へ通じる結界をくぐり抜けられないはずだ。

 そこそこの地位のある人物か、この件に関わる者でなければ結界に弾かれるようになっているのだから。

 では一体コレは誰なんだ?

「ああ、おまえがこの姿を見るのは始めてだったな」

 エルフ族の姿をした男はそう言うと指を鳴らした。

 次の瞬間、そこにいたのは藍色の髪の男……この国の現国王グラムス=レクスロワ=ウンディーネ、その人だった。

 驚く俺を愉快そうに見て、もう一度指を鳴らし、エルフ族の姿へと変化し直す。

 そうだ、ウンディーネの王族は水の魔法と変化の魔法を得意とするという。変化魔法で姿を変えているのか。

「陛下、何故そのような姿を?」

「この方が何かと都合が良いこともある。そんな事より、首尾はどうだ?」

「……三日後、新月の日には準備が整うかと」

 俺の言葉を聞いて、陛下は渋い顔をした。予定よりも早く準備が終わったのだから、渋い顔をされるいわれなどないはずだが。

 話を聞くと、どうやら陛下は明日から外せぬ外遊があるらしかった。各国のお偉いさん方と親交を深める大切な役割があるのだとか。

 しかし異世界召喚もそうホイホイと日を変更できるものではない。召喚は神の分身と云われる月の出ぬ夜に行わなければならない。月が出ていると召喚に失敗するという噂をきいた。

 異世界召喚を生み出した、月の国フォルモーントの民らしい考えだ。彼らは月の神を特に信仰しているために、そういう考えに至ったのだろう。

 なんとも眉唾な話ではあるが、こちらも命が懸かっている。少しでも失敗のリスクは減らしておくべきだろう。

「致し方あるまい。召喚は予定通り行う。私も外遊が終わり次第、直ちに帰城する」

「召喚に立ち会わなくて宜しいのですか」

「愚息を代理に立たせる。問題はあるまい。あやつもいずれは王になる身なのだからな」

 陛下の決定にこれ以上異議を申し立てるのも面倒……いや、失礼だろうと引き下がる。この勇者召喚が成功したあとの事は、俺にはなにも関係がないしな。

 報酬を頂戴したらこんな城とはおさらばだ。しばらくこの国を出て別の国でゆっくり過ごそう。

 この時の俺は、ただただ召喚の成功を願い、その後の安寧な生活のことばかりを考えていた。

 

 三日後、人生を変える出会いがあるとも知らずに。



――

―――

本編開始前のコンさんの話。

本編に関することもちらちら練り込んでることから、早く本編で書きたいという意欲を感じる。うん。

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