第11話 冥界の王ハーデースと女帝ペルセポネー

 魔王に斬られたゴリラのトゥパック、キイロアナコンダとダメージを受けた呪術師ゾボは虹の精霊アイダが呪文で回復させ、オオカミ達も何頭かは助かった。


「ノラ、大丈夫?」


 魔王に吹き飛ばされて骨折していた犬のノラも、風の悪魔少女レイラがやはり呪文で回復させた。そして突然現れたようなセラムの活躍に一番驚いていたのは、ゴリラのトゥパックである。


「レイラ、あいつ、いや、あの方は一体……」

「熾天使のセラムさんです」


 風の悪魔少女レイラも、ついに隠し通す事が出来なくなり皆に話す事となったが、そのセラムの圧倒的パワーに驚きを隠せないのはレイラ自身も同様であった。


「セラム……」

「レイラ、びっくりさせてしまったわね」

「あの、魔王ベリアルって……」

「いずれゆっくり話してあげるわ」


 魔王ベリアルとの間に深い事情が有ったのだろう、寂しそうにしているセラムにそれ以上は聞くことが出来なかった。


「セラムさん、まさか熾天使の貴方がいらしてるとは……、ご助力有難う御座いました」


 虹の精霊アイダが礼を言った。結局熾天使のセラムはレイラの守護天使としてこれからも表には出ないようにして付いて行くと言う事になった。


「なあレイラ」

「…………」


 案の定、レイラの予想通りにゴリラのトゥパックが聞いてくる。


「その、悪魔のお前に守護天使って……」

「いずれゆっくり話してあげるわ」


 レイラは大人っぽく言った。


「…………」





 アイダはジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダ、そして犬のノラを連れた風の悪魔少女レイラを伴って歩き始めた。ソボやアモン神とも礼を言って別れ、再び謎の怪物が暴れているという情報に接して出発したのである。

 だが、


 大地が裂けた!


「何だこれは」


 それまで穏やかだった平原が何の前触れもなく、いきなり幅数十メートル、長さは数キロにも及ぶだろう谷間のような裂け目が、大音響と共にアイダたちの前に出現したのだ。


「ノラ!」


 先頭を歩いていたノラが裂け目に落ちそうになり、レイラはとっさの判断で片足と片手で大地を掴み、もう片方の手でノラの首の後ろを掴んだまま必死にぶら下がった。しかしそのレイラがとどまっている大地も崩れようとしている。


「レイラ」


 見つけたトゥパックが駆け付け、レイラが不自由な片手を使い、なんとか呪文で風になろうとした直前、2人をやっと引っ張り上げた。しかしそこでキイロアナコンダの叫び声が聞こえてくる。


「アイダがさらわれたぞ」

「何だって!」


 アイダが皆と歩いていた道筋から、見かけた草花を取ろうと離れた瞬間、急に大地が裂けたのだが、黒い馬に乗った冥界の王ハーデースがケルベロスと共に現れ、アイダはいずれかに連れ去られてしまったのだった。


「アイダーー」


 レイラもノラも、ワイナでさえも、アイダを抱えて地底に消え去って行くハーデースとケルベロスを呆然と見ているしかなかった。それほど突然の出来事であったのだ。

 しかもその裂け目はハーデース達の姿が見えなくなると再び合わさり、たちまち元の何事も無い大地に戻ってしまった。

 ハーデースの後を追う冥界の番犬ケルベロスは、3つの頭を持つ犬の化け物である。死者の魂が冥界にやって来る場合にはそのまま冥界へ通すが、逃げ出そうとする亡者は捕らえて貪り食う、ハーデースが支配する冥界の忠実な番犬である。青銅の声で吠える恐るべき猛犬、竜の尾と蛇で構成されたたてがみを持つ巨大な犬や獅子の姿である。

 以前魔王ベリアルに連れ出されたケルベロスを探しに地上に出た際、ハーデースは偶然見かけたアイダを見初めたのであった。以来さらう機会を窺っていたと言う訳であった。

 アイダが連れ去られただろう冥府の女帝ともされるペルセポネーも、元はと言えばハーデースに地上界から略奪された女性であった。古代ギリシアにおいて行われた略奪婚の風習は、夫となる男性は相手の女性を父親から奪うくらいの力強さが必要と言う事からきている。そうでなければ娘を嫁にやることはできないという考え方に基くものであり、当時の倫理観からいえば、力ずくで女性をさらう風習は必ずしも正義にもとるものではなかった。さらわれたペルセポネーも、最終的には納得してハーデースの妻に収まり、なんと今では夫以上に権勢をふるっている。

 だから問題はそのペルセポネーである。さらって来たハーデースではなく、さらわれたアイダの方がペルセポネーの攻撃対象になってしまう危険があるのだ。ペルセポネーはデーメーテールという大地と豊穣の女神の娘であり、冥王ハデスに略奪婚され、冥界の女帝として君臨することになる春を司る女神。冥界の王に溺愛される女神だが、乙女な反面、死神であったり、嫉妬深かったり、多分にダークなイメージも目立つ女神である。アイダも夫をたぶらかした女と見られかねない。すぐにでも救い出す必要がある。


「ハーデースがケルベロスと共にやって来たと言う事は、アイダは冥界に連れて行かれたと言う事だわね」


 レイラは冷静に判断した。


「あの者は冥界の王ハーデースで、伴っていたのは魔王との決戦で見かけたケルベロスですから間違いありません」


 レイラはそう言い切った。魔王との戦闘を終えたばかりで、あの3つの頭を持つ犬の化け物ケルベロスを見間違う訳がない。


「だけど、どうやってアイダを探すんだ。冥界なんて生きているおれたちが行けるのか?」


 トゥパックの疑問はもっともであるが、レイラは話を続けた。


「冥界への入り口はアヴェルヌス湖にあると風の便りに聞いてます。私たちが生きたまま行く方法は……、とにかくすぐ行きましょう」


 ワイナやレイナたちパーティーがやって来たアヴェルヌス湖は、そこを冥府の入り口と考えていた古代ローマ人にとっては神聖かつ重要な場所であった。現代の地図で見ればイタリアのナポリ近くにある直径一キロほどの地中海に近い丸い湖であり、小高い丘に囲まれている。


「ここがアヴェルヌス湖なのか」

「…………」

「だけど、この湖の何処に冥界への入り口が有るんだ?」


 トゥパックが辺りを見回している。確かにそこはただの穏やかな湖で、周囲は小高い丘が連なっていて、どう見ても平和な風景が有るだけである。どこにも冥界への入り口などというおどろおどろしい所は見当たらない。


「この湖には言い伝えられている伝説があるようです」

「何だその伝説ってのは」


 トゥパックがレイラの方に振り向き聞いた。


「冥界に入ろうとする者は聖なる樹から金の枝を取り、それを持っていかなくてはならないと伝えられているようです」

「よし、だったらその樹を探して枝を取ればいいんだな。金の枝なんてそんじょそこらにはないだろう。有れば目立つはずだ、探すのは簡単じゃないか」

「…………」

「みんな何を深刻な顔をしているんだよ、さっさと探そうぜ」


 気の早いトゥパックはずんずんと歩いて行ってしまった。


「よし、皆で手分けをして探そう」


 ワイナの指示でキイロアナコンダとレイラ、ノラもそれぞれ散って探し出した。

 湖周辺に点在する村々にはアウェルヌスの聖林の伝説があり、聖なる樹木が茂っている。冥界に入ろうとする者は、洞窟の周りの森の近くに生えている「金の枝」を手に入れなければならない。金の枝を折り取ってペルセポネーに捧げることで、生きたまま冥界へと下って行き、また帰って来ることができるとしている。また渡守カローンに枝を見せることで冥府の川を渡る。

 そして事と次第によって熾天使セラムは魔王ベリアルの霊と会うことが出来るかもしれなのだ。

 聖なる樹はギンバイカであるとも言われており、常緑性の低木で初夏になると梅に似た芳香がある白い花が咲く。純白の花の美しさから愛と美の象徴といわれている。そのため、愛や純潔、更に不死を表す花として有名である。

 古代ギリシア人は、初夏に開花して間もなく枯れ、次の年の備えをするギンバイカの習性に死と復活を重ね合わせて見たのか、死者を復活させるという伝説が生まれた。


「くそ、何にもねえな」


 歩き回っていたトゥパックである。疲れたのか、とあるギンバイカの根元にごろっと横になるといつの間にか寝入ってしまった。


「トゥパック、起きなさい」

「トゥパック」

「んっ」


 やっと目を開けたトゥパックの前に何やら人影が……


「何者!」


 トゥパックは剣の柄を握り身構えた。いつの間にか数人の者達に取り囲まれている。


「落ち着いて」

「トゥパック、私たちは怪しい者ではありませんよ」

「…………!」


 怪しい者では無いと自ら言っているのが怪しいのである。トゥパックは剣を握ったままその者達を睨みつけた。

 だが、そのトゥパックの表情が次第に変わって行く。


「お前たちは……」

「私たちはギンバイカの精です」

「ギンバイカの精だって?」


 そのものたちは、自らをギンバイカの妖精であると言った。よく見れば薄絹のようなものをまとっただけの、ほぼ半裸の身体で、優雅な仕草をして立っているではないか。明らかに若い女性たちである。

 トゥパックはゴリラではあるが、若者に変身している今は人間の感情を有している。半裸の若い女性たちに囲まれているこの状況にはゴリラと言えども平常心ではいられない。


「あっ、あの……」

「トゥパックさん」

「えっ、何でおれの名を……」

「勇ましくって凛々しいトゥパックさんの名を知らないものは、妖精界にはおりませんわ」

「…………」


 そんな甘い世辞を聞いて、防御の構えがなし崩し的に消えてゆくトゥパックであった……







「トゥパック、トゥパック、目を覚ませ!」

「ハッ……」

「ハッ、じゃないだろう、こんな連中と何してるんだ」


 トゥパックがふと気づくと、ワイナが顔を覗き込んでいる。


「あっ、ワイナか」

「…………」

「いや、この妖精達がな……」

「…………」


 トゥパックの弁明を聞いていたワイナが怒鳴りつけた。


「トゥパックしっかりしろ、この連中がお前の言う可愛い妖精なのか」

「うっ……」


 ワイナの激しい言葉で全てが白日の下にさらされた。トゥパックを取り巻いているのは、黒や赤、土色の長い髪を振り乱している醜悪な、旅人を騙して儀式の生贄にする魔女達であった。


「くそっ、おれを騙しやがったな!」


 てっきり半裸の若い女性達から歓待されている、と勘違いしていたトゥパックが剣を抜いた。


「トゥパック、待て」


 ワイナが止める間もなくトゥパックの剛剣が閃いた。プッツンと切れてしまったのだ。若い女性どころか……


「ギャ―」

「トゥパック、止めるんだ」


 だがワイナが強引に止めるのは少し遅かった。3人の魔女は怒り狂ったトゥパックの振り回す剣で無慈悲に斬られてしまった。

 止められたトゥパックが一時の興奮からやっと我に返った時、深手を負ったひとりの魔女が手を前に出して、苦しそうに息を吐きトゥパックを見つめ言ってきた。


「トゥパック、後生だ、私の手をにぎっておくれ……」

「あっ、いやっ、すまない、斬るつもりは無かったんだ………」


 死に際の魔女の手を握ると魔力が握った側に移ると言われている。3人の魔女はカラス、フクロウ、ヘビのいずれかを召使いとしている。トゥパックが出された手を思わず握った魔女の召使はカラスだった。


「私が死んだ後……、あの子を……」

「あの子?」


 そこまで言って魔女は息絶えた。


「ご主人様、ご命令下さい」

「はっ」


 トゥパックの耳元でささやく声がする。


「何だ」

「ご命令下さい」


 トゥパックが見回すが周囲にはワイナしかいない。


「ワイナ、お前今何か言ったか?」

「何を言っているんだトゥパック、まだ寝ぼけているのか。まだ金の枝が見つかっていないんだ。さっさと探そうぜ」


 ワイナはそう言って歩いて行ってしまう。


「ご主人様」

「あっ、また、誰だ!」

「私はご主人様の上におります」

「なんだって」


 トゥパックが見上げると、カラスが1羽飛んでいる。


「ご主人様、御用をお申し付け下さい」


 聞こえてくるそれはカラスの声であった。


「おまえは、ひよっとしてこの魔女の……」

「あなた様は私の新しいご主人様です」

「いや、悪かった、殺すつもりは……」

「ご命令下さい」

「…………」


 トゥパックの感情などは関係なく、カラスの立ち位置は、もう完全に以前と入れ替わっているようである。ここに新しい主従関係が成立していたのであった。

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