第13話 冥界からの脱出
「だいたい悪人などという言葉も絶対的なものではありません。人の都合で勝手に相手を悪人だと決めつけたりするからです」
「………」
「あの魔王のベリアルだって、本当に悪人だったのか、熾天使セラムさんの接し方を見ていると分からなくなります」
ワイナもキイロアナコンダも、そしてトゥパックも黙って聞いている。
「私だって自由に生きる事を選んだんです。それで悪魔と言われるのなら……」
「レイラ……」
トゥパックが思わず声を掛けようとしたその時、
「後ろを見ろ」
皆の見つめる先には異様な頭の怪獣が2匹いる。
「ついに現れたわね、ケルベロスよ」
思わず声を出したのはレイラである。
冥府を守護する番犬であるケルベロスとは、3っの頭を持つ恐るべき猛犬である。ただし甘い物が大好きで、蜂蜜と小麦の粉を練って焼いた菓子を与えれば、それを食べている間に目の前を通過することが出来ると言われている。
「もちろん今回もチェリモヤは持って来ています」
チェリモヤは南国に馴染みが深いトロピカルフルーツでマンゴー、マンゴスチンと並んで世界三大美果のひとつと言われている。熟したチェリモヤはリンゴやミカンなどとは異なり、マンゴーなどトロピカルフルーツ特有のもっちりととろけるような食感に、味わいは濃厚で甘くクリーミィである。魔王との決戦場でも活躍した果物である。
レイラが甘いトロピカルフルーツ・チェリモヤをケルベロスの頭の前にひとつずつ置いて時間稼ぎをする。
「これでケルベロスはおとなしくなるはずだわ」
レイラは前もって用意していたチェリモヤをケルベロスの3つの頭の前に置いてゆく。
「あと1頭ね……、えっ」
「どうした?」
トゥパックが聞いて来た。
「おかしいわ」
「んっ」
「ひとつ足りない」
「なに」
2頭だから袋には6個のチェリモヤを入れてきたはずなのだが、ひとつ足りないというのである。
「困ったわ」
「そりゃまずいぞ」
トゥパックが深刻な顔をする。
「食い物の恨みは恐ろしいと言うからな」
貰えないケルベロスの頭が出るわけである。
「どうする」
「今は急いでいるんだ。そんな事でのんびりと新たなチェリモヤを取りに引き返す訳にはいかないだろう」
「仕方ないわね。ここまで来たらもう行くしかないわ」
レイラがきりっとした表情で言った。
「行くって――」
「こうなったら強行突破よ」
ケルベロスの思惑なんかに構っていられない。レイラは残った2つのチェリモヤをケルベロスの前に投げ出すと、
「走るの!」
レイラの号令を合図に、全員が猛ダッシュでケルベロスの前を走り抜けた。
「へえ、へえ……」
一番最後から背中の剣を揺らして、どたどたと付いて来たのはゴリラのトゥパックである。
「ちょっと一息入れさせてくれ……。おれは走るのが苦手なんだ」
「…………」
「おい、ここは……」
キイロアナコンダが声を上げた。4人の前に壮大な宮殿が現れたのである。
「ついに冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーに会えるわね。だけどこの宮殿も実態では無いかもしれない」
「何だって」
トゥパックの疑問はもっともである。この宮殿が実態でないのなら、この冥界には実態と呼べるものなど何も無いではないか。
「全ては私たちの心が作り出した幻想なの。あのケルベロスや渡し守のカローンだって本当は実態かどうか分からない」
「じゃあ……」
「あえて実態と呼べるものはと言えば、冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーだけね」
「何という所だ……」
ついに玉座に座る冥界の王ハーデースとその后ペルセポネーが、ワイナ達4人の前に姿を現す。細身で長身の美しいペルセポネーは、背中が大きく開いた黒いドレスを着ている。2人を見たレイラが単刀直入に言った。
「アイダを返して下さい」
ペルセポネーが横からハーデースの顔を睨んでいる。
「あ、いや、あの娘はな……」
ハーデースは言葉に詰まり、
「冥界を一度見たいと言うのでな、その、連れて来てやった……」
「あなた!」
ペルセポネーの逆鱗である。
「あの、お后様。これをお持ちしました、どうかお受け取り下さい」
レイラが伝説で捧げものとして知られる4本の金の枝を差し出す。ペルセポネーの笑みを見たレイラが后の傍に歩み寄り枝を手渡した。
「あなたの名前は?」
「レイラと申します」
「そう、じゃあレイラ」
「はい」
「アイダは連れて帰りなさい」
ハーデースは、ギリシア神話の冥府の神である。オリンポス内でもゼウス、ポセイドーンに次ぐ実力を持ち、二叉の熊手のような槍バイデントを持った姿で描かれる。ペルセポネーに説得されたハーデースはしぶしぶアイダの解放を承諾し、さらに言葉を付け加えた。
「ケルベロスや渡し守のカローンにも、その方達の帰りの邪魔をしないよう注意をしておこう」
「ありがとうございます」
こうして宮殿で籠の鳥状態となっていたアイダがやっと解放された。
「アイダ」
「レイラ、皆も来てくれたのね」
「もちろんですよ」
ここでハーデースの好意に、レイラはもう一言付け加えた。
「あの、ハーデースさま、ペルセポネーさま」
「………」
「私の失礼をお許し下されば、もう一つのお願いを聞いて頂けないでしょうか」
「言ってみなさい」
ペルセポネーの返事に、レイラは思い切って言ってみた。
「こちらの冥界に魔王ベリアルが来ているはずです」
「…………」
「誠に勝手なお願いなのですが、今一度地上に帰してはくれないでしょうか」
「なに、冥界に参った死者を地上界に帰せというのか」
冥界の王ハーデースの声がさすがにきつくなる。
「申し訳ありません、勝手なお願いだとは重々承知をしておりますが、あの魔王ベリアルは熾天使のセラムから手を下された深い理由が御座います……」
「その話は分かっていますよ」
なんとペルセポネーはベリアルとセラムの事情を知っていると言うのである。
「あなた、ベリアルを……」
「……分かった」
ペルセポネーに負い目のあるハーデースは、ついに魔王ベリアルが冥界から地上界に帰る事を承知したのである。
「但し、冥界から抜け出すまでの間、決して誰も振り返って後ろを見てはならない。分かったな」
一行はワイナを先頭に、アイダ、キイロアナコンダが続き、トゥパックとレイラが後から歩いている。
「レイラ、本当にベリアルは後ろから付いて来ているのか?」
横を歩くレイラにトゥパックが聞いた。
「トゥパック、振り向いたらだめよ」
「分かってるよ」
人はやってはいけないと言われるとなおさらしたくなるのが常なのだ。振り向いて確認したくなるのを我慢しているトゥパックである。
「だけどな、ベリアルと俺たちは何も話してないんだぜ」
「…………」
「あのベリアルが素直に付いて来るとは……」
「そんな事言ったってしかたないでしょ」
確かにトゥパックの疑問は最もである。あの気位の高いベリアルがあっさり付いて来るとは思えない。それはレイラも同じで疑問は膨らんで行く。だがハーデースの言いつけは絶対だろう。振り向いたら全てが駄目になる可能性が有るのだ。
「トゥパック、いい事、振り向いたりしたら、あなたとはもう絶交よ!」
「わかったよ」
トゥパックは口をとがらせた。
そしてついにケルベロスの妨害も無く冥界の出口に着く、すると渡し守カローンが洞窟の出口を開けた。ワイナから外に出てゆくと、最後はレイラとトゥパックである。
「やった、外に出たぞ!」
トゥパックはそう叫ぶと早速振り向き、レイラが悲鳴を上げる――
「トゥパック!」
「…………」
見るとトゥパックの後ろ足がまだ冥界の中にあるではないか。
「ベリアル……」
「誰も付いて来ていないじゃないか」
トゥパックはつぶやいたが、収まらないのがレイラである。
「トゥパック、何故振り向いたの、まだ後ろ足が残っていたじゃない!」
「レイラ……」
そこに熾天使セラムがやって来る。全てを察して言って来た。
「レイラもういいのよ」
「セラムさん……」
「ベリアルは此処に居るわ」
「えっ」
セラムは自分の胸を指さした。
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