第12話 冥界

「ご主人様」

「もういい、分かったから黙ってろ」


 魔女の召使だというカラスがトゥパックの指示を待っているのである。


「…………」

「今はそれどころじゃないんだ、早く金の枝を探さなくてはな」


 トゥパックはそう言ってむやみやたらと歩き出す。金の枝を探す当てなど何も無い。そうかといって、このままただじっとしていてもどうしようもないだけである。


「ご主人様」

「いい加減にしないか、おれは忙しいんだ」


 イラついて来たトゥパックの言葉は荒くなる。


「…………」

「お前がおれをご主人様と呼ぶのは構わないから、もう黙って後について来い」

「…………」


 だが、どんなに探そうと、やはり金の枝らしいものはさっぱり見つからない。


「くそ、見つからねえな」

「ご主人様」


 トゥパックが腹立ちまぎれに見上げる。


「この野郎、いい加減に――」

「金の枝でしょうか?」

「はっ」

「金の枝でしたらこの近くに生えて御座います」

「お前……」

「私の後を付いて来て下さい」


 カラスはそう言って先に立って飛び始め、しばらくして幾つかある洞窟の前に差し掛かる。


「こちらで夕日をお待ち下さい」

「夕日だって」

「赤い夕日の差し込む洞窟が冥界への入り口になります。金の枝はその時現れるはずです」

「お前、それを知ってたら何で早く言わなかったんだよ」

「…………」

「まあいい、ここで待っていればいいんだな」


 やがて真っ赤な夕日がひとつの洞窟を差し照らした。


「あれは」


 トゥパックの見ている前で、近くに生えていた一本のギンバイカの枝が夕日に当たり金に変ってゆくではないか。


「おおっ!」


 トゥパックは夢中で駆け寄ると一本の枝を折り取った。


「これは」


 折り取った枝の後から、また新しい金の枝が生えてくる。トゥパックは4本の枝を折り取ると急いで駆け出した。


「ご主人様」


 カラスがトゥパックの後を追いながら声を掛けてきた。


「……今度は何だ」

「どちらに行かれるのですか?」

「金の枝が手に入ったんだ。仲間のところに行くに決まってるじゃないか」

「あの、でしたら、方向が違います」

「なに!」


 カラスはお仲間が居る方向だと言って、トゥパックが向かっているのとは反対、後ろを羽で指さした。


「くそ、いちいち気に障る奴だな。それを早く言え」

「…………」


 



 

「わあっ、金の枝だ」

「すごいな、トゥパック、どうやって見つけたんだ」


 トゥパックは腰に手を当て、話し出した。


「まあな、ここいらは洞窟が幾つもあるだろ、冥界の入り口はきっとそのいずれかに違いない。おれはそう推察したんだ」

「…………」


 ワイナをはじめキイロアナコンダとレイラが、金の枝を持ってきたトゥパックの説に聞き入っている。


「金の枝はその冥界の入り口とセットであると考えるのが普通だ。なにしろ伝説があるくらいだからな」

「…………」

「だがどう見てもそれらしい金の枝はない。だがな、あの海に沈んでゆく夕日を見ていたおれはピンときた」

「…………」

「洞窟と金の枝と夕日、このセットでぴったり絵になるではないか」


 皆がトゥパックの説を、声も出せず聞き入っていたその時、


「ギャア」


 カラスが叫んだ。


「お前は黙ってろ!」

「ご主人様、早く、夕日が消えると洞窟の入り口が閉まってしまいます」

「なに!」


 カラスの話声はトゥパックにしか聞こえていないようで、他の者には只の鳴き声である。だがトゥパックの説明で、ワイナ達は急いで洞窟に入る事にした。カラスに関してトゥパックは何とかごまかした。


「セラムさん」

「私はここで皆さんの帰りを待っています」


 熾天使のセラムが冥界に行く訳にはいかないと言うのである。人になっていないノラもレイラの帰りを待つことになり、ワイナ、キイロアナコンダ、レイラとトゥパックの4人が洞窟に入って冥界に行く事になる。カラスも付いては来なかった。

 だが、4人が洞窟に入り終わった直後である。冥界の入り口は完全に閉じられ、金の枝の光が辺りを怪しく輝かせている。


「おい、これじゃあ一体、どうやっておれたちは外に出るんだ?」

「さあな」


 キイロアナコンダの問いかけに、トゥパックは首をすくめた。


「その時はその時だ、何とかなるだろ」

「…………」

「見ろ、川だ」

「アケローンね」


 4人の前に現れた川は、風の悪魔少女レイラの説明では、アケローン「嘆きの川」「苦悩の川」と呼ばれ、古代ギリシア神話では渡し守カローンが死者を冥界へと渡す、地下世界の川であるという。


「お前らごとき生者が何ゆえに参ったのだ」


 突然洞窟にしわがれ声が響いた。


「カローンよ」


 櫂を持ちぼろを着た長い髭の無愛想な老人で、死者の霊を小舟で彼岸へと運んでいる。渡し賃は1オボロスとされ、古代ギリシアでは死者の口の中に1オボロス貨を含ませて弔う習慣があった。基本的に迷い込んだ生者は、船に乗せずに追い払う。トゥパックが前に出た。


「じいさん、おれ達を向こう岸に渡してくれ」

「駄目だ、生者は追い返す決まりになっとるわい」

「そう言わずに頼むよ」

「いいや、駄目だ」

「この野郎、大人しく言ってりゃいい気になりやがっ――」

「トゥパック!」


 レイラが急いで間に入った。


「おじいさん……」

「…………」


 レイラがしばらくカローンと話し込んでいると。


「渡し舟に乗せてくれる事になったわ」

「レイラ、一体なんて話したんだ?」

「特別何も話してはいないの、ただこのおじいさんは長い年月洞窟でたったひとりだったでしょ」

「…………」


 結局レイラは優しくカローンの話し相手をしてやったというのである。


「またあのハーデースの悪い癖が出たんじゃろう、あれでも王なのか。しょうがない女癖の悪い奴だ、そんな事情なら渡してやるよ」

「ありがとぅおじいさん」

「…………」


 渡し舟に乗る皆であったが、トゥパックが乗り込むと、カローンは「ふん」とそっぽを向いた。






 渡し舟から降りたそこは地底であって地底では無かった。太陽が有るようで無い、昼と夜の区別が有るようで無い、草木が生えているようで無い。ワイナ達もそこが現実世界なのかそうで無いのか分からなくなってしまう。天空は薄靄がかかったようにぼんやりとしている。


「不思議な所ね、風の気配が無いわ」


 風の悪魔少女レイラが周囲を見回し言った。精霊界も人界とは全く違った世界であるが、冥界はそれ以上に、普通に生きる者を寄せ付けない神秘な世界である。レイラでさえどうなっているのか理解できない景色が広がっていた。


「生活している人の気配も全く無いわね」

「確かにここは冥界だからな」


 そうワイナが答えた。正にここは生き物が居る世界では無いのである。


「不思議な世界だな。冥界と言っても、死者がさまよっているかというと、そんな感じもしない」

「そうね」


 キイロアナコンダの言葉にもレイラは同意した。さまよっているのではなく、まるで死者が生きているような気配を感じるのだ。但しその死者は目には見えないが、存在らしきものを感じるのである。


「なるほどな」

「えっ」


 トゥパックの言葉にレイラが振り向いた。


「お前は風を感じないと言っただろう」

「…………」

「と言う事は鳥もここでは飛べないんじゃないのか」

「…………」

「だからカラスの奴付いて来なかったんだな」

「カラス?」

「いや、こっちの話だ」


 トゥパックが直ぐに言葉を濁すと次は、


「やっぱりここには地獄が有るのかな」


 キイロアナコンダがボソッとつぶやいた。


「有っても見えません」


 そう言ったのはレイラである。


「見えないってどういう事だ?」

「地獄は亡者の心の中に有るからです」

「心の中だって」

「はい」


 死者の中には生前の行いを悔いている者や、地獄行きを恐れている者が居る。すると冥界に来てさ迷うその者達は、自らの心が作り出した地獄に攻め苛まれる事になる、それが地獄の正体であると。


「だから悪人が必ずしも地獄に落ちると言うような単純な話ではありません」

「…………」

「悪人と言っても様々で、中には自らの行いに何ら疑問を抱いていなかったり、生まれながらにピュアな心を持ったままの悪人などという者も居ます。だからその者達は地獄を味合わなかったりするんです」

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