第39話 イシス神

 イシス神はオシリスを兄とする強力な魔術師的存在であり、魔術師の女神とも元祖ともされる。そのイシス神がレイラたちの前に現れたのだ。


「貴女がなぜ此処に?」

「貴女たちだけでオシリスには勝てない」

「…………!」


 イシスはアイダたち皆を見渡すと、


「覚悟がいるわよ」

「…………」

「これから倒さなければならない相手はオシリスだけじゃない。死者が通過する洞窟の悪霊や怪物が襲って来るでしょう。動物の頭である人であったり、様々な猛獣が合わさった者どもよ。その者達の攻撃を退けるための呪文が必要となるから、こうして私がやって来たの」

「でもなぜ貴方がそんな……」


 レイラが遠慮勝ちに声を掛けると、イシスがレイラを見た。


「前回の戦いでは貴女の力に私も歯が立たなかった。でも今あんな力は無さそうね」

「…………」

「何故なのかしら」

「あの時は……」

「まあいいわ、今貴女とやり合う気は無いのだから」

「…………」

「でも貴方たちは兄を怒らせてしまった」


 このまま只では済まないと言うイシスである。女神は自身の胸の内を少しだけのぞかせ、生身の王をミイラにしようなどと、そんなおぞましい事をする人ではなかったとうつむく。オシリスはもともと植物の再生を神格化した存在、すなわち穏やかな植物の神であったのだ。


「冥界の主となって性格が変わる前は、優しい兄だった……」

「…………」

「私が兄を討つ事は出来ない。これを持っていなさい」


 レイラがイシス神から渡されたチェトと呼ばれる物は、イシスの血とも言われ、形はレイラがオシリスの胸から奪ったアンクに似ている。 イシス神とオシリス神を象徴して、相反する世界の結合を意味している護符である。 ちなみに他人から奪った護符は破棄しないと、新たな持ち主を害する存在となる。


「この護符は私の血を意味するから、オシリスの攻撃を弱める働きをするはずよ」

「…………」

「オシリスと共に襲って来る者達の攻撃を退けるのにも効果が有るわ」

「イシス様……」


 そこにアリ王の臣下が報告に来た。


「アイダ様、魔物達が宮殿に迫っています」

「早くも来たのね」

「…………」


 アイダたちが宮殿の外に出ると、確かに魔物の群れが近づいて来るのが見える。先頭に立つのはキンイロジャッカルの頭を持つアヌビスである。魔物の群れ対アイダたち。対峙する両陣営が立ち止まると、アヌビスが片手を挙げて前を指さし、後ろから異様な化け物が一頭姿を現す。それは頭がどくろで赤い小さな目が不気味に光っている。どす黒く巨大な塊の胴は昆虫のようでもあり、蜘蛛のようでもある。胴の下で動いている八つの黒光りする足は、まるで鎌ではないか。


「何だこの化け物は」

「…………」

「よし此奴はおれが相手をしてやろう」


 キイロアナコンダが前に出ると剣を抜いた。後ろでレイラが声を掛ける。


「気を付けて、此奴は毒液を吹き掛けてくるかもしれないわ」


 聞いたキイロアナコンダは慎重に間合いを取って近づいて行く。その直後、化け物のどくろが上を向いた。


「危ない、来るわ!」


 早くも毒液攻撃であるが、身構えていたキイロアナコンダは難を逃れ、


「ツアッーー」


 一気に化け物の懐に飛び込み剣で刺そうとするも、跳ね返される。固い鎧のような甲羅が剣を通さない。


「んっ!」


 逆に鎌のような足で剣を蹴られて弾き飛ばされた。だがその直後である、化け物の身体に重いものがどさっと落ちる。キイロアナコンダが蛇に変身したのだ。素早くどくろの首に巻き付いた。


「ギシッ」


 化け物のどくろ首が万力の様なアナコンダの太い胴で締め上げられ、


「ギャッーー!」


 引きちぎられるまで、さほどの時間は掛からなかった。

 次に出て来た魔物は、姿形もままならない、得体のしれないものである。顔らしき所には赤く口が開いているのだが……


「では此奴はおれが相手だ」


 ゴリラのトゥパックが前に出て来た。魔物は武器らしいものなど携えていないが、音もなくゆらっと進んでくる。それを見たトゥパックは剣も抜かず巨大なゴリラに変身、いきなり魔物の顔をめがけてパンチを繰り出した。

 トゥパックの強さは腕力にあり、握力は並みのゴリラでも平均は500kgで人間は50kg前後。さらに筋肉質の身体から繰り出される、けた違いのパンチ力は怒ると2tを超える。世界有数のプロボクサーでも1t前後といわれているのだ。だが、


「なに!」


 魔物の顔がふわっとゆがみトゥパックのパンチが空を切った。


「くそ」


 何度繰り出しても手ごたえがなく、その度に魔物の顔がパンチの先だけ消えてしまうのだ。


「これは、どうなっているんだ」


 気を取り直し今度はローキックをお見舞いするが、なんと魔物の足や胴まで逃げるように消えてしまうのである。これではきりがないと思われたその時であった、魔物がほとんど無音でトゥパックに襲い掛かって来たのだ。


「んっ」

「トゥパック!」


 レイラが思わず声を上げた。トゥパックの身体が魔物に覆われ、体中を噛まれて血が流れ出している。


「アラヴォアラ・シスヴァー、悪しき者どもよ散れ」


 レイラが呪文を発すると、魔物の身体はちりじりになりトゥパックの身体から離れた。


「トゥパック」


 駆け付けたアイダが呪文でトゥパックの傷を回復させると、レイラは魔物の行方を目で追いながら言った。


「あいつは一匹では無いわ」

「何だって」


 起き上がって魔物を睨んだトゥパックである。トゥパックを襲った魔物は群れる小魚のように集団で行動している、小さな魔物の集まりだというのである。大きな個体ではないから、いくらパンチを見舞っても効かなかったのだ。


「だけど、よく見て、一匹だけ色の違うのが居るでしょ」

「なるほど、ひょっとしてあいつをやれば……」


 トゥパックが再び前に出て行く。


「気を付けて」


 再び魔物に襲われたトゥパックであるが、今度はしっかり目標を見定めていた。


「此奴だ!」


 500kgを超える握力のトゥパックに捕まえられた小型の魔物は、


「ギュエッ」


 声にならない悲鳴を上げ、トゥパックに両手でねじられ引きちぎられた。


「やったぞ」


 直後である、他のひしめいていた魔物達がバタバタと倒れてしまった。だが、


「見ろ」


 またすぐ次の怪物が出て来る。


「でかい!」


 今度は天を突くような龍である。但しこの龍は何処か違う。得体の知れない不気味さを秘めた魔物龍であり、グロテスクさが際立つ。4つ目で人のように立ち、長い手足の先からは黒光りするかぎ爪が剥き出ている。


「では今度は儂の出番だな。相手にとって不足は無いだろう」


 前に出て来たバーブガンは既にドラゴンとなっている。にらみ合ったドラゴン2体がじりじりと横に移動する。魔物龍がゆっくりと赤い口を開けると、小さな炎がバーブガンを挑発するようにちょろちょろと出てくる。

 やがて両者がほぼ同時に跳躍すると、互いに天高く舞い上がりすさまじい決闘が始まった。天空で双方が吐き出す炎の熱が、地上を灼熱地獄へと変えてしまう。

 炎を吐きつくすと今度は互いに噛みつき、地上に落下する。だが、相手が口先で咥えていたのに対し、バーブガンはあごの奥でくわえているという違いが勝敗を分けた。バーブガンはそのまま一気に回転して、敵の上あごを食いちぎってしまった。これで相手は戦意を喪失し、バーブガンの勝利となった。


 今度は剣豪のワイナが出て来る。魔物達の正面にいるのはキンイロジャッカルの頭を持つアヌビスである。ところが剣を持たないアヌビスは両手を挙げるとワイナに向かって降ろし指さした。

 すると他の魔物達が一斉に向かってきた。

 蛇の頭をしたガマガエルの化け物、

 鎌を持つどくろの死神、

 ワニの頭をした半獣人、

 女人怪獣、

 目も口も無数にある化け物、

 長い舌を炎のようにくねらせながら迫って来る魔物、それらは全て、冥界に落ちた亡者どもの心が創り出した妖怪や怪獣たちである。洞窟に入った亡者は、自身の心の影に責められ苛まれるのであった。それが冥界における妖怪や魔物、怪物の実態である。

 その亡者の生み出したもの達が集団で1人立つワイナに牙をむいて来たのだ。


「ワイナ!」

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