第19話 魔女モルガン・ル・フェイ
アイダはジャガーのワイナ、キイロアナコンダと一緒に歩いている。犬のノラを連れた風の悪魔少女レイラとゴリラのトゥパックはその後に2人並んで続く。そのレイラが、横に居る巨漢のトゥパックをチラッと見上げた。
「トゥパック、メドゥーサさんって綺麗な方だったのね」
「…………」
カラスに魔法の小箱を遠い静かな海に沈めるようにと言って行かせたトゥパックは、うつむき気味に歩みを進めている。元のキレイな姿に戻ったメドゥーサの霊が、トゥパックに礼を言って、海に沈めて欲しいと願い今まで通り箱に入った後である。
「彼女の髪が元通りになって本当に良かったわ」
「…………」
「ねえ、トゥパック」
「うん」
前を見ると、いつの間にか先を行く3人との間が空いてしまっている。
「レイラ、急ぐぞ」
歩みを早めようとするトゥパック。
「トゥパック、待って、あの……」
「何だ」
「貴方の事もっと教えて」
「はっ?」
振り返るトゥパックにレイラは下を向いた。
「おれの何をだ?」
「あの……、私はまだ貴方の事を良く知らないのよ」
「はあっ!」
素っ頓狂な声を上げたトゥパックである。何を言い出すのかと言った感じにレイラを見下ろしている。
「あの、私たちもっとお互いに知り合った方が……」
「何の事だ?」
心なしか頬を赤く染めたレイラが、
「そんな事を女の口から言わせようと言うの、……だから、あの……」
「だから、なんだよ?」
「あの、貴方は私の事どう思っているのか、それを知りたいの」
レイラはやっとそれだけを言い、それ以上の思いを口にする事が出来ないでいる。
「ハッハッハッ、何だそんな事か、安心しろ。お前が悪魔だって事だったら、おれはもう何とも思っちゃいないぜ。さあ、連中に遅れるぞ」
「あっ、そうじゃなくって――」
だがトゥパックは話の続きもろくに聞かず、さっさと先の3人を追って大股で歩いて行ってしまう。ひとり取り残されたレイラのつぶやきも、彼の耳には届かないようである。
「……バッカ」
上目使いにトゥパックの後ろ姿を見送るレイラであった。その様子を見上げる犬のノラが尻尾を振っていた。
アイダ達が旅を続けていると事件の噂を耳にした。イタリア半島とシチリア島の間に位置するメッシナ海峡、狭い所で5キロほどの幅である。そこで出現した怪奇な蜃気楼が船乗りを惑わせ船を座礁させてしまうという事件が頻繁に起きたと言うのである。アイダの元に調べて欲しいという住民からの依頼があった。
早速、虹の妖精アイダ、ジャガーのワイナ、キイロアナコンダ、そして風の悪魔少女レイラとゴリラのトゥパックは捜査に向かう事になる。レイラの傍には犬のノラと守護天使のセラムも付いている。
一行はビラ・サン・ジョバンニという風光明媚な港町に着いた。問題のメッシナ海峡が一望できる立地であるが、町と言うより鄙びた半農半漁の寒村に近い。もっとも、船着き場付近の酒場だけは賑わっている。
レイラたちはそこで事件の様子を改めて聞いてみる事にした。
「あれは魔女の仕業に違いねえだ」
「そうだ」
「この海でそんな事件は今まで聞いた事が無いからな」
男達は声を張り上げ、まるで自分が見てきたように話し始めた。どうやら尾びれが沢山付いていそうな話具合である。
「事件は何度起きたの?」
「4回だ」
「此奴は先月起きた難破事件の生き残りさ」
男達に指さされた方を見ると、皆の端っこで黙って聞いている男がいる。
アイダは男の前まで歩いて行った。
「教えて頂戴、貴方は何を見たの?」
「…………」
なかなか話し出さない男に根気よく訪ねていると、やっと言葉を口にした。
「鳥のようなモノがやって来たんです」
「鳥?」
「だけどありゃ鳥じゃねえ」
「…………」
「頭に顔が付いていたんだ」
そこでレイラが声を出した。
「魔女モルガン・ル・フェイかもしれないわ」
「魔女なの」
「山野などで踊り狂う粗野な妖精で、旅人を魔力で惑わせたり、姿を見た者にとり憑いて正気を失わせたりする恐ろしい魔女です。今回は海峡の船にやって来たんでしょう」
「…………」
「邪悪な意志をもつ妖精でもある魔女は、神秘さと美しさを武器に男達をたぶらかかす。その不気味さとグロテスクさは人を気絶させる威力を持っているとされます。多くの妖精は背中に半透明な羽根が生えた姿で空を飛ぶことも出来ます」
「…………」
「悪魔と交わることで嫉妬深い妖精や魔女となった6人の女達です。そしてカラス、フクロウ、ヘビのいずれかを召使いとしているようです。彼女らは空を飛び、サバトと呼ばれる集会を開き、そこで悪魔との乱交が行われると聞いてます。悪魔の力を借りて作物や家畜や人に被害を与える事に喜びを感じる者達だとも言われてます」
サバトとは魔女あるいは悪魔崇拝の集会であり、魔女の夜会ともいい、子供を殺す儀式までると噂されている。
アイダは船を借りる事にした。生き残りの男を説得して新たな船を調達しての船出である。
メッシナ海峡は波が高くなっている。レイラが声を掛けた。
「トゥパック、どうしたの?」
「ウッ!」
吐きそうになった大男の身体が先ほどから、よろひょろとふらついている。典型的な船酔いである。ついに船底に倒れてしまった。
身体の平衡感覚は、内耳の三半規管で調整されている。しかし船の過度な揺れなどによって、この情報が限界を超えた異常な刺激として脳に伝えられると、自律神経の働きが乱れて船酔いを発生させる。ゴリラは人間に近いのだろう。その点アナコンダは平気である。
「これで戦力が1人減ったな」
聞いたレイラがセリフを吐いたキイロアナコンダをにらみつける。
「そんな事を言って、苦しんでいるのよ」
キイロアナコンダは首をすくめた。
「アラカザンヴォホートシャザムスヴァーハー」
横になっているトゥパックの頭を抱いたレイラが呪文を唱えた。
「どう、楽になった?」
「……ああ、……少しな」
「完全には直せないようね」
「…………」
暫くして例の船員が声を掛けてきた。
「アイダさん、注意してください」
「どうしたの?」
「奴らが現れるかもしれません」
魔女がやってくると、船乗り達は皆いつの間にか操られてしまうと言うのである。
「貴方は操られなかったの?」
「おれは何故か……」
その男だけは魔女が来ても変化がなかったと言うのだ。
「おれは耳が悪くって人の声がよく聞こえないんです」
「…………」
「操られた他の連中は、皆何かを聞いているようでした」
「なるほど、それで大体様子が分かったわ」
だがその時、
「船が!」
男が叫んだ。
「船乗りたちがもう操られている」
船は岩礁に向かって突き進んでいた。
アイダは急いで船に乗り組んでいる全員を呼ぶと、
「アラヴォホートシャザムスカザンヴァー」
「んっ、なんだ?」
ワイナが耳に手を当ててアイダを見た。
「これで対策は済んだわ。魔女達の誘惑に耳を貸さなくって済む。全員惑わされないでしょう」
他の船乗りたちも正気に戻った。
「おのれ、邪魔をしおって」
ついに数羽の人面鳥の様な魔女が姿を現した。凶暴な目つきの魔女で、自身を神の敵と称しているモルガン・ル・フェイである。確かに鳥の姿をしている魔女や、男どもを誘惑する為か、裸婦の姿をさらしている魔女までいる。
「貴方たちが船を難破させる魔女ね」
「ガッ――」
問答無用である。一羽の魔女が爪をむき出しにしてアイダに飛び掛かって来た。
「アイダ!」
横から剣を突き出し魔女をけん制するワイナ。
「アラカザンヴァヴォホートシャザムスカザンヴァー」
すぐさまアイダの呪文がさく裂――
「ギャア――」
あっけなく船を離れ逃げて行った。
「アイダ」
「はい」
「魔女たちの在処を突き止められる?」
「やってみます」
風に乗るアイダは情報収集能力にたけている。
「彼女たちを根絶しなければならないわ」
「……でも」
「えっ」
「魔女たちの後ろには悪魔が控えていると思われます。尋常の力では……」
「もちろん覚悟の上よ」
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