第18話 ゼウスの裁定
「セラム、一体何があったのだ?」
「ニンリル様……」
女神ニンリルに呼び出されたセラムは言葉に窮していた。
「アテーナーの神殿に忍び込み、狼藉を働いた暴徒の中に、其方が居たというではないか」
「…………」
「アテーナーがひどく怒っているぞ」
「まったく、その方をレイラに付けたのはーー」
「ニンリル様」
ここでセラムは意を決すると、これまでのいきさつを洗いざらい話してきかせた。
「同じような事が再び起こったら、私は次も立ち上がります」
「セラム」
セラムは一段高い位置に座る女神ニンリルを見上げた。
「ニンリル様も同じ思いに至るのではないでしょうか」
「…………!」
セラムはもう後に引く気などなかったが、ニンリルとてこのままで丸く収まる方法など無い事は重々承知である。
「これはポセイドン様に会う必要があるな。其方もついて参るがいい」
元々の発端は、海神ポセイドンとメドゥーサは愛人関係であり、アテーナーとメドゥーサは互いに美を競い合っているという状況で起きた。
潔癖症で自らを処女神であると宣言しているような女神が、その聖域でもある神殿を、あろうことかポセイドンとメドゥーサの情事で汚されたのだ。
当然怒ったアテーナーであるが、格上のポセイドンには手が出せないかわりに、メドゥーサの姿を髪の毛が全て蛇という化け物に変えてしまう。哀れなメドゥーサは更に怪物退治の名を借りて、その首を斬り落とされてしまった。
しかし神々の中にはメドゥーサに同情する者も数多くいた。その先頭に立つのが当然ポセイドンである。
女神ニンリルの報告に、ついにポセイドンが立ち上がった。
晴天にわかにかき曇りとはその事であった。
「あれは何だ!」
海から巻き上がった潮の塊が龍のようにねじれ、天空に向かって上って行くではないか。天空で何やら異変が起きているようである。
「アテーナー、そなたの傍若無人ぶりには、儂の堪忍袋の帯も切れたぞ!」
「何を言うかポセイドン。その方こそ神聖な神殿を汚しおって!」
たとえ相手が格上といえども、そんな暴挙を黙って見ているわけにはいかないアテーナー。言葉遣いに気を使うことも無くなる。だがポセイドンも売り言葉に買い言葉である。
「メドゥーサに八つ当たりして恥ずかしくないのか」
「おまえの汚らわしい情事で、私の神殿が俗界にまみれてしまったのだ」
女神と海神の激しい争いの前に、アイダたちの暴挙は何処かに飛んでしまった。周囲を取り巻く神たちも、ただ見守るしかなかった。
「アイダ、どうする?」
「首はメドゥーサさんに戻ったから、盾だけを神殿に返しておきましょう」
メドゥーサを見つめるトゥパック、
「メドゥーサさん」
「トゥパック、ありがとう」
「…………」
首を手に入れて心の平安を得たメドゥーサの霊は、綺麗な髪に戻っていた。彼女が再び入る箱は、メドゥーサ自身の希望で静かな海に沈められる事になる。
「カラス、出てこい」
「何か御用でしょうか、ご主人様」
「この箱を遠く静かな海に沈めてきてくれ」
「かしこまりました」
女神アテーナーと海神ポセイドンとの争いには、新たな展開があった。
「ゼウス様」
「何を騒いでおるのだ?」
騒ぎを聞きつけやって来たゼウスは、宇宙や天候を支配する天空神であり、人類と神々双方の秩序を守護・支配する神々の王である。宇宙を破壊できるほど強力な雷を武器とし、絶対的で強大な力を持つ。だがそのゼウスは好色な神であり、しばしば浮気を繰り返していた。
「ポセイドン、おまえがアテーナーの神殿を汚した事は事実である。謝罪をするのだ」
そう言いながらゼウスはポセイドンに目配せをした。
「アテーナー、その方もメドゥーサの姿を化け物に変え、更に斬り落とされたその生首を盾に埋めて利用するとは、まるで晒しものではないか。やり過ぎであろう」
「…………」
「これは警告である。双方共に矛を収めなければ、儂が黙ってはいないぞ。後悔をする前に引くがいい」
ゼウスとポセイドンの力関係であるのだが、ゼウスだけ秘密裏に誕生し、ポセイドンを含むほかの兄たちは生まれてすぐに父クロノスに飲み込まれるという出来事があった。しかしのちに、ゼウスが兄弟を救い、兄弟らで協力して覇権を取った経緯がある。
だからクロノスに飲み込まれたポセイドンを、この世に救い出したゼウスは、先に生まれた兄という見方もある。そのせいで当初の生まれた順位では、ゼウスはポセイドンにとって弟であるのだが、ゼウスの発する言葉は重かった。
ゼウスの裁定でアテーナーは、アイダたちに盾を盗まれ、更に埋め込まれていた首を取られた事には何も言えなくなってしまった。結局盾には石材で作られたメドゥーサの首が埋め込まれ、アイダたちは事なきを得る事になる。神殿に盾を返した皆は転がる様にして外に出た。
「助かった」
すると皆が声を掛けあっているところで、後ろから聞き慣れた声がしてきた。
「レイラ」
風の悪魔少女のレイラが振り向くと、そこに消えていたセラムが居るではないか。
「セラム」
「…………」
熾天使のセラムが柔らかな笑みを浮かべてレイラを見ている。
「心配していたわ。戻ってこれたの?」
「実はね、ニンリル様から呼び出された時は覚悟をしていたの。あなたの守護天使を解任されて、更に謹慎させられるかもしれないと」
「じゃあーー」
「全て元に戻ったわ」
「わあっ!」
だが女神ニンリルは、セラムに釘を刺すことも忘れてはいなかった。
「貴方は彼の娘の自由奔放な物の考え方に影響されてしまわないように、注意するのですよ」
ニンリルは、レイラの何ものにも拘束されない自由な考えがいかに強いものであるか、充分に認識していたのである。それは熾天使セラムのパワーをも凌ぐものであるという事を。その破壊的な力をまだ知らないのは、レイラ自身であった。
アイダは再びジャガーのワイナとゴリラのトゥパック、キイロアナコンダ、風の悪魔少女レイラを連れて歩き出した。
レイラの傍には犬のノラがぴったり付いて、何度もレイラを見上げている。更に一行の最後尾からはレイラの守護天使である熾天使セラムが、皆を見守るように歩いていた。
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