第16話 メドゥーサの願い


 アイダはジャガーのワイナ、キイロアナコンダと一緒にやって来た。犬のノラを連れた風の悪魔少女レイラとゴリラのトゥパックが何やら不穏な雰囲気である。


「メドゥーサは現れたの?」

「それが……」

「どうしたんだトゥパック」


 トゥパックの様子がおかしい。いつもの元気さが無い、トゥパックらしくない大人しさである。


「トゥパック、話しちゃいなさいよ」

「…………」


 レイラのきつい言い方に、皆の視線がトゥパックに集中する。


「話せとはどういう事だ?」


 ワイナがレイラに聞いた。


「トゥパックは何かを隠しているんです」

「隠す?」


 再び皆の視線が集中すると、


「……実はあの方をおれは知っているんだ」

「…………!」

「あの方って、まさかメドゥーサの事を言っているのか?」

「そうだ」


 トゥパックはついに覚悟を決めて話し出した。


「おれは魔法の箱を持っていて、その箱からあのメドゥーサは現れたんだ」

「…………!」


 トゥパックの説明を聞いている皆はあっけにとられていた。但しライラだけは違ったようである。


「ちょっと待ってトゥパック、じゃあなに、その魔法の箱から煙のようにメドゥーサが現れたって言うの?」

「そうだけど……」

「なんでそんな白々しい嘘を言うのよ」

「いやレイラ、本当なんだ」

「あなた、メドゥーサをあの女性なんて言ったわね、どんな関係が有るの!」


 再び不穏になって行くレイラであった。


「あの綺麗な女性は――」

「綺麗な女性ですって!」

「レイラ、落ち着いてトゥパックの話を聞きましょう」


 アイダが割って入った。


「箱は冥界の入り口で出会った魔女が持っていた物で、それをおれが手に入れたんだ」

「あのお前が切った魔女の事か?」


 ワイナが聞いてくる。


「そうだ、それでその魔女に仕えていたカラスが、いや魔女が持っていたものなのだが……」

「話がまだ見えてこないが、どうやってお前がその箱を手に入れたんだ?」

「カラスの奴が、おれを新しいご主人だと言って持って来たんだ」

「…………」


 トゥパックのとつとつとした説明でも次第に箱の事情が分かってくる皆であったが、ひとりレイラだけは不満気味である。


「だけど怪物は怪物でしょ。あの綺麗な女性なんて、なんでそんな言い方をするのよ」

「いや、それは……」


 レイラのきつい視線に、戸惑うトゥパックである。


「だけどな、何故そのメドゥーサが悪さをしているんだ?」


 ワイナが疑問を口にした。


「自分を化け物に変えてしまった女神アテーナーに、深い恨みがあるんじゃないかな」

「そうかもしれないわね」

「それで浮かばれないまま復讐を願っていたところに、トゥパックが現れ蓋を開けてくれたって訳か」

「問題はこれからどうするかだわね」


 皆がまたトゥパックを見た。


「分かった、おれはもう一度あの方に会って話してみるよ」

「じゃあ私も一緒に行く」


 レイラが付いて行くと言い出した。


「レイラ、あなたは待っていた方がいいんじゃない」

「そうだ、お前が一緒だとまた面倒な事になりそうだからな」

「…………」


 レイラは不承不承承皆の意見に従った。





 やはり月の出ている晩である。トゥパックはひとりで歩いている。あの方は必ずまた出てくれるだろう。その時は何と言ったらいいのか。

 やがて前方にぼやっとした、白いものが浮かび上がって見えてきた。

 トゥパックはゆっくり近づいて行く。


「トゥパック」

「メドゥーサさん」


 暫くそのままで見つめ合うふたりであったが、


「あなたのお気持ちは分かりますが、もう関係のない村人を脅すのは止めませんか」

「…………」

「村人を脅しても、何も変わらないと思うんです」


 メドゥーサは黙ってトゥパックを見ている。


「確かに女神アテーナーはひどい事をしたと思います」

「…………」

「それにしても村人を脅すとは――」

「今の私には実体がない、こうしてあの女の評判を落とす以外に復讐する術がないんです」

「メドゥーサさん……」


 暫くの沈黙を破ってメドゥーサが声を掛けた。


「トゥパック」

「はい」

「あなたにお願いがあります」

「なんでしょう」

「私の首を取り戻してほしいんです」

「…………!」


 首を取り戻せたら、これ以上の悪さはしないというのだった。







 ギリシア神話の中で女神アテーナーのシンボルは兜・槍・円盾と、強い女性のイメージである。多くの都市で守護神として祭られていたが、彼女の庇護をもっとも誇ったのは、アテナイ(アテネ)である。

 現在でも市の中央にあるアクロポリスの丘には、女神アテーナーを祭ったパルテノン神殿が堂々と姿を見せている。しかし彼女はすんなりこの地の守護神に治まった訳ではなく、海神ポセイドンとこの地をめぐって争ったのである。

 オリュンポスの神々は「このアッティカの住民により良い贈り物をした方に、この地をゆだねる」と宣言した。ポセイドンは三叉の鉾で地面を打ち、海水の泉を湧き出させた。一方アテーナーは槍で地面をつきオリーブの樹を生え出させた。

 神々の協議の結果「乾燥の激しいこの地にはオリーブの方が住民達のためになるだろう」と軍配はアテーナーに上がったのだった。こうしてアテーナーはアッティカ地方の守護神となりオリーブという素晴らしい贈り物をした女神として、崇拝された。

 英雄ペルセウスは切り落としたメデゥーサの首をアテーナーの神殿に奉納した。アテーナーは自身の武具イージスの盾の中央にその首をはめ込み、より優れた防具にすると、敵対者を脅したり制裁として石に変えた。メドゥーサの首は彫像となり、死後も恐ろしいものとして使われていたこともあって、古代ギリシャでは魔除けとして広まったと言われている。ミサイル防衛のイージス艦の名前もこの盾に由来している。その首の埋め込まれた盾を女神アテーナーから奪い取ってきてほしいと言うのである。



「女神アテーナーが所持する盾を盗んでくると言う事か!」

「それは難しい話だわね」

「難しいどころじゃない、不可能だろう」

「相手は女神じゃないか、女神と言っても、戦車に乗って戦場に赴き活躍する戦士でもある。これまでの魔物退治とはレベルが違うぞ」


 確かに退治できるなどといえる相手ではない。あえて言えば熾天使のセラムより、はるかに強力な女神なのである。もちろんこれは退治ではない、盾を頂いて来るだけであるのだが。


「たとえ出来たとしても、取られたと分かったアテーナーが黙ってなんかいないでしょうね」

「やったおれたち皆は只では済まないだろう」


 黙って聞いていたトゥパックは、しょんぼり下を向いている。


「トゥパック、盾を取ってくるのは無理かもしれないぞ」

「…………」






 皆から離れてひとり歩くトゥパックである。


「ねえ、何とかやってみましょうか」


 振り返るとレイラがそこに来ていた。


「そんな事情ならやってみなきゃ」



 トロイア戦争は、ギリシア神話に記述された小アジアのトロイアに対して、ミュケーナイを中心とするアカイア人の遠征軍が行った戦争である。その戦争の後、トロイアの木馬について、ギリシア軍はアテーナーの怒りを鎮めるために作られた捧げ物であるとしトロイア軍に奪わせている。巨大な木馬をトロイアの城内に運び込んだことに反対した神官ラーオコオーンは、怒ったアテーナーによって両目を潰された。ラーオコオーンは痛みに苦しみながらも木馬を焼き払えと主張を曲げなかったために、アテーナーはテネドスから2匹の大蛇を呼び寄せてラーオコオーンとその2人の息子を襲わせ、息子たちをかみ殺させた。その後、2匹の大蛇はアテーナー神殿に登り姿を消したとされている。




「だいたい盾は何処にあるのか分かっているのか?」

「アテーナー神殿に置いてあると思うわ」


 そう言ったのは風の悪魔少女レイラ、風に乗ってくる情報からである。


「よし、やってやろうじゃないか」


 そう言いだしたのはキイロアナコンダであった。


「神殿に潜り込んで盾を取ってくる役はおれに任せろ」

「お前が?」

「そうだ、蛇のおれが蛇を見ても恐れはしないだろ」

「なるほど、蛇のお前なら盾を見つけて、メデゥーサの頭髪を見ても怖くないんだな」

「多分、石になると言われているのは、恐怖のあまり身体が石のように動かなくなってしまうんだと思うぞ」


 アイダも賛成して、作戦会議を開くことになった。

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