第15話 メドゥーサ


 アイダたちは恐ろしい経験をしたという村人の話を聞くことが出来た。


「あの方はご自身をアテーナーだとおっしゃってました」


 その女神アテーナーに出会ったという者によると、一目見てその恐ろしさに身動き出来なくなり、まるで自身の身体が石のようになってしまったと話しているのである。


「あれ、それって……」

「まるでメドゥーサの話にそっくりじゃない」

「あの頭髪が蛇になっていて、見た者を石に変えてしまうと言われている怪物の事だな」


 しかしそのメドゥーサは英雄ペルセウスが退治した。さらに切り落とされた生首はアテーナーが持つアイギスの盾に埋め込んでおり、メドゥーサの石化の呪いで敵を石に変える事が出来るとされている。


「その出会ったアテーナーは、盾を持っていたの?」

「いいえ、何も持っていませんでした」

「それで、あなたは何かされたの?」

「いえ何も、ただもう怖くって、身体が動かなくなってしまったんです」

「…………」

「あの、アテーナー様なら何故あんなに怖い思いをしたのか、全く分かりません」


 アテーナーに出会ったと言う村人は他にも居たのだが、皆一様に怖くて恐ろしい思いをしたと言っているのである。


「あの、実は、アテーナー様とは思えない部分も有りました」

「えっ」

「あの、髪の毛が……」

「髪の毛がどうしたの?」

「初めのうちは分からなかったのですが、風も無いのに動くから、よく見ると蛇だったのです」


 髪の毛が蛇だと言うのに、村人は何故かその女性をアテーナーだと思い込んでしまっていたようである。


「髪の毛が蛇だったら、やっぱりメドゥーサじゃないか」




 メドゥーサはギリシア神話に登場する怪物で、海の神であるポセイドンの元愛人である。ポセイドンとの間に天馬ペーガソスと巨人クリューサーオール(生まれた時から黄金の剣を持っており、その剣を振り回した怪物)をもうけた。しかし神の愛人と言うのも面白い話である。

 海神ポルキュースの娘で、ゴルゴーン3姉妹の三女に当たるメドゥーサは、元々美しい女性であった。だが海神ポセイドンとアテーナーの神殿で交わったためにアテーナーの怒りをかい、醜い怪物にされてしまう。メドゥーサは自分の髪を自慢してアテーナーと美を競っていたのだ。メドゥーサに激しい対抗心を燃やしていたアテーナーである。美と知恵を兼ね備えた対抗者に自身の宮殿を汚されたのだ。その事を理由に、アテーナーは競ってきたメドゥーサを容赦なく処罰した。そしてこれに抗議したメドゥーサの姉たちも怪物に変えてしまう。姉達は不死身であったが、メドゥーサだけはそうでなかったため、ペルセウスに討ち取られたとされる。

 だがギリシャの他の神々がそうであるように、傲慢でみずからを貶める存在には容赦ない報復を行うが、一方でアテーナーは理知的で気高い戦士として登場するなど思慮深い面を見せている。


「髪の毛が蛇だとしたら、その者はアテーナーでは無いわね」

「じゃあメドゥーサか」

「だけどメドゥーサは首を切り落とされたんだろ」

「…………」


 ひとりトゥパックだけが、下を向いている。


「トゥパック、どうしたの?」


 レイラの声掛けに顔を上げたトゥパックが、


「とにかくその女性に会ってみる事が先決だな」

「女性ですって」

「あっ、いや、まだメドゥーサだと決まった訳ではないだろ、だから……」

「トゥパック、あなた何か知っている事でもあるの?」


 近しい女性の感は鋭いのである。


「い、いや何にもないよ」

「…………」


 実はトゥパックが魔法の小箱を開けたときに出て来た女性は、確かに綺麗な外見だった。思わず見とれてしまったトゥパックであった。しかしその髪の毛は、風も無いのにさわさわと揺れ動いていたのである。すぐ消えてしまったからはっきりとは分からなかったが、その時トゥパックが声も出なかった要因でもある。あのような女性と暗がりで出会ったりしたら、確かに怖いかもしれない。村人の身体が石のようになって、動けなくなってしまったのも無理はない。


「じゃあ皆で手分けをして探しましょう」


 アイダの提案で全員が分かれて、村人が出会ったと言うあたりを歩いてみる事にした。





 月の淡い明かりに、白い岩が所々に浮き立って見える田舎の道である。周囲にはオリーブの木が茂り、人家は無い。遠い丘の上には大理石の円柱もぼんやりと見えている。

 トゥパックはひとりで歩いていた。


「カラス、居るのか、出てこい」

「御用で御座いますか、ご主人様」


 ふっと現れたカラスである。


「あの箱から出た者を、お前は誰か知っているのか?」

「私は存じません、蓋を開けたところも初めて見ました」

「魔女、あっ、いや前の主人は何か言ってなかったか?」

「いいえ、何も」

「…………」


 トゥパックはそのまましばらく歩き、曲がりくねった道を何度か回った所であった。


「んっ」


 道の先にぼやっと白く浮き立つ物がある。それは道から浮いているようにも見えるが、定かではない。


「…………!」


 よく見ると、どうやら人影のようではないか。

 トゥパックはゆっくりと歩いて行く。剣などは抜かない。


「トゥパック」


 その者が声を出した。


「…………!」


 さらに近づくと、


「私のこの髪を見て怖くはありませんか?」


 月明かりに照らされたその髪が、全て生きた蛇ではないか。うねうねと、さわりさわりとうごめいている。


「あなたはやはりメドゥーサ」

「そうです」

「…………」


 悲しげに返事をするメドゥーサに、トゥパックはなんて声を掛けたらいいのか迷っていた。


「村人はアテーナーに出会ったと言って怖がっておりました」

「アテーナーが私をこのようなおぞましい姿に変えてしまったんです」

「…………」

「あなたも私を退治しに来たのですか?」

 

 アテーナーへの復讐心に燃えるメドゥーサの頭髪は、無数のヘビが逆立ち、見た者を恐怖で石のように硬直させてしまうとされ誰も退治できなかった。だがペルセウスは鏡のように磨き抜かれた盾を見ながら、眠っているメドゥーサの首を切った。そしてペルセウスが空飛ぶ翼のあるサンダルで海を渡っている際、包んであったメドゥーサの首から血が滴り落ち、それが赤いサンゴになったと言われている。


「メドゥーサさん、私は………」


 その時であった、


「トゥパック」


 後方からレイラの声が聞こえ、トゥパックが振り向き、再び振り返るともうメドゥーサの姿は消えていた。


「レイラ」

「どう、メドゥーサは出た?」

「あっ、いやまだだ」

「あそう」

「…………」

「あなたの態度は何かおかしいわよ」


 やはり女性の鋭い感である。


「何かあるわね、やっぱり何か隠してるでしょう」

「い、いや、何も隠してないよ」


 レイラの上目使いに、思わず目を背けるトゥパックである。メドゥーサは 理不尽にも、アテーナーからあのような醜い姿に変えられてしまったと考えているのだろう。

 アテーナーの怒りの原因はポセイドンとメドゥーサである。ポセイドンは美しい髪のメドゥーサと密通を重ねるが、あろうことか処女神アテーナーの神殿で彼女と交わってしまった。アテーナーは怒り狂ったが、高位な大神であるポセイドーンを罰することはできず、代わりにメドゥーサを罰したとされる。

 アルテミス、ヘスティアと共に貞節の誓いを立てた処女神のアテーナーにしてみれば、自分の宮殿が汚されたと考えたである。

 また水浴をしている時、カリクローの息子であるテイレシアースに女神アテーナーは全裸の姿を見られてしまった。アテーナーはテイレシアースを罰し盲目にした。しかしカリクローに盲目の治癒を乞われたため、代わりに未来を予言する能力を授けたという逸話も残している。それほど貞淑にこだわっていたのである。

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