第34話 ムスリムの女性戦士シャジャル

 マリ王の軍も到着して両陣営はついに対峙、戦いの前夜である。


「シャジャル、ムハンマドが呼んでます」

「……みんな分かってるわね」

「はい」


 ムスリムであり、マムルークの女性戦士であるシャジャルを囲む4人は剣を握ってうなずいた。

 総督の天幕に入ると、シャジャルはすぐ眉をひそめる。ムハンマドが酒を飲んでいるではないか。この時代はまだイスラムも飲酒を禁じていなかったが、これから戦いというのに酒を飲むとは。しかも相当飲んでいるらしく、匂いがプンプンしてくる。


「わっはっはっ、明日の勝ち戦を前に、どうだ、お前たちもやらんか」


 立ったまま盃を傾けるムハンマドに近づくシャジャルは、無言で剣を抜いた――


「んっ?」


 他の皆も無言である。5本の剣が前後左右から次々と、驚愕するムハンマドの身体に突き刺さった。只ならぬ気配を感じ入って来たムハンマドの従僕が惨劇を目にして、叫び声を上げ外に出ようとするところを、シャジャルの側近がその場で斬り倒す。さらに数人のムハンマド配下の者が入って来たが、


「ムハンマドは我々が倒した。これからエジプトはマムルークが支配する。歯向かう者は今此処で前に出ろ」

「…………!」


 シャジャルたちが剣を突き出すと、ムハンマドの側近は抵抗を止めた。総督が殺されてしまっては手遅れである。ムハンマドに忠実な数少ない配下はその場で拘束され、やがて国を追われる事になる。



 真っ暗な砂の続く地平線が少しづつ明るくなり始め、砂漠の戦闘準備が始まる。やがて顔を出す日の光が砂の波を赤く染めてゆくと、並んだ兵士たちの影が長く伸びる。そして太陽が完全に上がると戦が始まる。

 シャジャルは兵士たちの前に出ると、


「ムハンマドは倒した。これよりエジプトはマムルークの国となる。皆はオスマンの兵では無く、マムルークの兵士よ」


 シャジャルの宣言にマムルークの兵士たちは狂喜した。

 戦闘前に両軍の代表が中央地点にやって来る。この時代の戦では、相手を威嚇したり投降を勧めたりする、戦闘開始前に行われるお決まりの儀式である。

 マムルーク側からはシャジャル以下4人、アリ側はアリ、アイダ、マリ王とその側近2人。第一声はシャジャルからであったが、その内容は意外なものであった。


「アリ王よ、我々は貴国との戦いを望んではおりません」

「んっ?」


 この戦いはオスマン側から仕掛けてきたのではないか。この期に及んで戦を望んでないとは、どういうことなのだ。


「この戦はオスマンの提督ムハンマドが仕掛けたものであり、そのムハンマドを倒した我々マムルークが新しい国を興します。どうかこのまま軍を引いては頂けないでしょうか」

「…………」


 もちろんアリも戦がしたいわけでは無い。マリ王も納得して軍を引き帰す事に同意した。





「アイダ、また海賊が現れました」

「海賊が!」


 もともとこの戦は海軍の提督となっていたバルバロス・オルチの要請により始まったのだが、遅れてやって来たのがその赤髭の率いる別動隊である。だがムハンマドが暗殺された事は知らない。800人の兵を5隻の船に乗せ、予定通りアリ王国沿岸にやって来たのだ。


「仕方が無いわね、アリ今一度軍を動かして」

「分かりました」


 今度は船の留守居を多くして奴隷の反逆にも備え、慎重に上陸してきた赤髭である。だが、


「キャプテン」

「なんだ」

「ぐ、軍が!」

「――――!」


 アリ軍は、オスマン軍と対峙しているはずと信じ切っていたオルチである。敵の背後を突けばいいと。ところがそのアリの大軍がまたもや自分たちを包囲しているではないか。再び圧倒的な多勢に無勢である。


「オルチ、また会ったな」

「――――!」


 事情を伝えるアリを前に、赤髭はがっくりと肩を落とした。

 今回は赤髭と5隻の船をそのまま返す事にしたが、奴隷だけは解放させた為、海賊達は帆を張り、自らが櫂を漕ぎ帰って行った。





 一方シャジャルはイスラム世界の歴史において稀少な女性の為政者となるが、女性君主に対する多くのムスリム(イスラム教徒)の反発を招いた。このため、 彼女はマムルークの最有力者であったアイバクという者にスルタン位を委ねる事となる。


 ところがここで収まらないのがオスマン帝国のスルタンであった。エジプト総督が殺され、エジプトが独立を宣言したのだ。帝国の威信に掛けてもエジプトを成敗する必要がある。翌年ついに兵士100,000人、大砲150門、補給物資を運ぶためのラクダとラバ合わせて15,000頭もの軍勢を動員して押し寄せてきた。

 それに対してマムルークの動員できる兵は20,000人と圧倒的寡兵であり大砲も無く、どう見ても勝ち目はない。


「アイダさん、マムルークの国から我がアリ王国に加勢を求める使者が参っております」

「…………」


 加勢を求められても、今のアリ王国はマムルークよりもさらに少ない10,000人ほどしか動員出来ない。確かにマムルークのエジプトが倒されれば、次は西隣のアリ王国が標的となるかもしれない。アリはアイダたちにまた協力してほしいとの事なのだ。

 しかしアイダは即答出来なかった。これは人間同士の争いではないか。これまでは成り行きからアリを助けてきたが、これ以上人間界の戦いに精霊界の者が関わる意義があるのか疑問なのだ。はっきり言って、オスマンが勝とうが、マムルークが勝とうが、精霊界にとっては何の意味も無い事なのである。

 アリはその後マムルークの使者と共に、マリ王国にも支援要請の話を持って行った。マリ王はアフリカ大陸での発言力を高めたい意向もあり、3国が一丸となってオスマンに立ち向かう事に意欲を燃やしているようである。マリ王は30,000人もの兵を出す事にした。3国が共闘すれば60,000人の軍勢となるが、それでもオスマンの100,000人とではかなり劣勢である。


「アイダさん、今回の戦闘ですが……」


 アリ王がアイダに声を掛けてくる気持ちは良く分かるが、ここははっきりさせる必要がある。


「アリ王、やはりこれ以上の支援は出来ません」

「…………」

「これはあなた方人間同士の戦いでしょ。精霊界の者が関わる事は出来ないんです」

「…………」


 アリ王は明らかに肩を落とし、それでもうなずいて見せた。







 アイダたち一行はアリ王国を後にして新しい旅に出た。風の便りによると、その後両陣営の激しい戦いが、アフリカ大陸の北東部で繰り広げられているとの事であった。大砲のないアリ側は城を出て、戦場を荒野に選んでいるようである。だが、程なくして、


「アイダ、アリ王国から急使が参っております」

「アリ王から……」


 使者の話によると、アリ王国とマムルークの両陣営で激突したオスマン軍の前衛部隊4,000人が、どんなに斬っても死なずに起き上がって来るから味方は苦境に陥っていると言うのである。


「切っても死なないって、それはゾンビ!」

「はい……」

「レイラ、様子を見てきて」

「分かりました」

「ワイナ、すぐ戻るわよ」

「はい」


 話が本当ならゾンビが前線に出て来た事になる。そうなると人間界だけの戦いではなくなる可能性が出て来る。




「トゥパック、この者達はオスマン軍の前線部隊よ」

「よし、一丁暴れてやるか」


 戦場を俯瞰する風に乗ったレイラお決まりの、トゥパックを連れた調査行である。眼下のオスマン軍の前にトゥパックは降り立つと剣を抜いた。


「ウリャッアーー」


 ちょっと可笑しな掛け声であるが。瞬く間に数人を切り倒した。

 だが、


「んっ!」


 トゥパックの剣で深々と斬られ倒されたはずの兵士が全員起き上がって来たのである。


「レイラ、此奴ら、やっぱりゾンビだ!」


 すぐトゥパックの周囲をゾンビ兵士が群がり始めた――


「トゥパック、乗って」


 レイラはトゥパックを風に収容すると、すぐアイダの所に戻った。





「アイダ、話は本当です。ゾンビの集団がオスマン軍の前衛となって押し寄せて来てます」


 アイダは戦線から一旦引いているアリ王に会うと、共に戦う事を知らせた。だが、相手がゾンビ軍とは厄介である。多分生きている生身の人間と違い、呪文も効かないだろう。


「ならこの儂が焼き払ってやろうではないか」


 ドラゴン・バーブガンが前に出て来た。


 やがて敵軍の上空を舞うバーブガンの炎が、ゾンビの集団を焼き払う。次々と炎上して倒れるゾンビ軍団の兵士達、だが、


「んっ?」


 黒焦げとなり倒れた兵士が再び起き上がり前進し出した。中にはまだ燃えている者も居る。


「これは!」

「やっぱりゾンビの背後にいる者を倒さなければ解決しないわね」


 ゾンビの背後にいる者とは、呪術師のムルングである。オスマンのスルタンに取り入り、オスマン軍の手先となっていたのだ。

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